怒りの矛先
歩みを進めながら、私はちらりと横目で彼を見ました。肩の力が抜けず、全身に張り詰めた気配が漂っています。けれど、それは責任の重さゆえなのだと、感じました。戦うことしかできない者の、背中――そう思ったらちょっと手を貸してあげたくなってしまいます。わわわ、私ったら、すみません。
牢がある区画は、アースベルの北側、防壁沿いに設けられた頑丈な収容棟です。そこには五十名近くの巳人たちが囚われています。皆さん、多少の擦り傷はあるものの、目には活力がありました。そのうちのひとり、ひときわ体の大きな男性が、こちらに気づいて立ち上がります。
「……コブラさん……」
私と一緒に来た青年が、かすれた声でそうつぶやきました。
「ネイク、こんな体たらくで悪いな。ミーアを我らの仲間に引き入れるどころか、逆にやられてこのざまだ」
コブラと呼ばれた巳人の男性は、仲間たちの中心に立つまとめ役だったようです。どっしりとした雰囲気と、厳しさの奥に見える仲間への気遣いが感じられます。
そして、ネイクさん――ようやく知った彼の名前を、私は心の中でそっと繰り返しました。外ではずっと気丈に振る舞い、警戒心の塊のようだった彼も、仲間たちの無事な姿を見て、わずかに肩の力が抜けたように見えました。
「……ミーア。疑って、すまなかった。確かに、仲間は無事だった。……礼を言う」
彼の声は、わずかに柔らかくなっていました。
「いえ。同じ巳人ですから。本当は、私だって、皆さんと、仲良くしたいです」
それでも、ネイクさんの表情はすぐに硬くなりました。
「……だが、申人たちは許せない。あいつらが俺たちの村を焼いた、その事実は変わらない」
「でも、この村の人たちは違います。アースベルの申人の皆さんは、とても優しいんですよ」
私の言葉に、ネイクさんは顔をしかめて首を振ります。
「そんなことがあるはずがない。奴らの非道な行い、断じて、忘れられるものか!」
怒気を含んだ声が室内に響きます。けれどそのとき――
「……いや、実は……俺も案外、申人も悪いやつらばかりじゃない気がしてきたんだ」
穏やかな声で言ったのは、なんとコブラさんでした。
「……コブラさん?」
「見ての通り、俺たちは囚われの身だ。だがな……扱いは悪くない。むしろ、信じられんくらいよくしてもらってる」
そして、彼は少しだけ照れくさそうに笑いました。
「何より――飯が、うまいんだ」
思わず、私とネイクさんはぽかんとしてしまいました。
「……え?」
「普通、捕虜の食事ってのは、干からびたパンとか、ほとんど汁の粥みたいなもんだろ? でもここじゃ、新鮮な魚介のスープ、揚げた旨いイモ、ふわふわの甘いやつまで出してくれる」
「あ……最後のは、ケーキですね」
私は、くすりと笑ってしまいます。その場の空気が、ほんの少しだけ和らいだ気がしました。
だけど――
「見損なったぞ、コブラ!」
ネイクさんの怒号が、そんな空気を吹き飛ばしました。
「申人は、俺たちの村を焼き、家族を奪った! 復讐の誓いを忘れたのか!?」
ネイクさんの叫びが、牢の中にいた巳人たちの顔を曇らせました。私は冷静に、ネイクさんを見て、まっすぐに言葉を届けます。
「……でも、私たちの村を襲わせたサリオン帝国の皇帝は、すでに失脚しています。そして、アースベルにいるのは、私を帝国から救い出し、ここまで育ててくれた人たちです」
ネイクさんは私のその言葉を振り払うように言いました。
「……いや。この国にも関係者がいる。あいつは確かにそう言っていた……ミーアを連れ去った張本人がいると」
「……えっ?」
私はきょとんとして、思わず問い返しました。
「確かに言っていたんだ。ヴァナヘイムの使者だと言っていたあの巳人の女が。俺たちにキマイラを貸し、申人への復讐の力を授けてくれると言っていたあいつが」
「――巳人の女の人って、もしかして……」
私は静かに隣の牢へと移動し、今日発見された意識のない巳人の女性の姿を見せました。その姿を見て、ネイクさんが息を呑みます。
「そ、そうだ……間違いない。彼女だ。ヴァナヘイムのデルピュネ……!」
デルピュネ……私は理解しました。これは、デルピュネさんの体だったのです。おそらく、レイアお姉ちゃんに自分の魂を移した後に残された彼女の本当の体……
「……まさか。デルピュネをやったのも、おまえたちなのか?」
ネイクさんの言葉に、私はかぶりを振ります。
「私たちがデルピュネさんの意識を奪ったわけではありません」
言葉を選びながら、私は静かに告げました。
「――彼女は、あなたたちをけしかけ、聖女のレイアお姉ちゃんの身体を奪ってこの国に潜入していました。あなたたちは、デルピュネさんに利用されていたのです」
「……でまかせを言うな!」
ネイクさんが叫びました。怒りに満ちた声。でも、その奥には、迷いの色がありました。
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