防衛戦である!
漂ってくる甘ったるくも不快な臭いと千鳥足で、こいつは泥酔しているとすぐにわかった。
酔漢は推定30代後半で小太り、「LOVE YURIHA」と書かれたプリントシャツを着ていることから何者なのかは容易に想像がつく。
「うおおい、俺も入れてくれよお! ゆりりんと握手させてくれよお!」
「あのね、一般公開は明日なの! とっとと帰りなさい!」
男性教師が複数で対応しているが、酔漢は一歩も引こうとしない。大声で喚き散らしているせいで通行人がジロジロと見てくる。早く対処せねば学園のイメージダウンに繋がってしまう。私は酔漢の前に出た。
「失礼。近所迷惑になるので静かにしてもらいたい」
「ああ!? 誰だてめぇ」
「あなたに名乗る名前などない」
「んだとぉ、生意気な! 俺を誰だと思っている!」
「そのシャツからして総帥閣下の熱心な信者であろう」
「そ、総帥閣下だと!?」
「美滝百合葉総帥閣下はご多忙である。お帰り願おう」
美滝百合葉閣下は今年、圧倒的支持を得て生徒会長となられた。アイドルとして全国に名を轟かせ、誰をも魅了するカリスマ性で我々を導いておられる偉大なるお方だ。このような下種ごときが閣下に手を触れようなどとはおこがましいにも程がある。
「何だ、お前もゆりりん推しかあ。閣下なんて呼んじゃってさあ。じゃあ話が早い。俺をゆりりんと合わせてくれねえかな?」
ニヤついた顔とねっとりとした声質の不協和音が私をいらだたせる。
「私の話を聞いていなかったのか?」
「なあ頼むよお」
酔漢の手が伸びてきて私に触れようとしてきた。
「何をするかっ!」
とっさに払い除けたが、手が穢れた気がしたものだから制服で拭った。その仕草を見た酔漢が再びキレた。
「あんだぁ!? 俺を犬のクソみたいに扱いやがってこのガキャア!」
私は肩を小突かれた。しかし今度はあえてそうさせた。痛くも何ともないが、わざとよろけて後ろ向きに倒れた。当然受け身はちゃんと取って。だが周りからすれば酔漢が無抵抗の生徒を突き飛ばしたようにしか見えまい。
いわゆる「転び公妨」というテクニックだ。これで実力行使する口実ができた。
「おいコラァ! 何てことするんだ!」
男性教師たちが酔漢を取り囲んで怒鳴り散らす。
「お、俺はちょっと突いただけだ! こいつが勝手に倒れて……」
うろたえているが、もう遅い。散々迷惑をかけた酔漢の言うことなど誰が信じようか。私は起き上がって教師たちを押しのけ、酔漢に掴みかかった。
いや、こいつは酔漢ではない。平和の園を乱さんとする敵国の工作員。私の名前は守。名の通り、命を賭してでもこの地を守らねばならん。
「今の行為、星花女子学園に対する宣戦布告とみなす!」
足を引っ掛けて体を浮かせ、投げ飛ばした。柔道の大外刈りだ。父から手ほどきを受けた、私の得意技の一つである。
「ぐえっ! なにすっ……ぎゃあああ!! 痛い痛いイタイ!!」
さらにそこから腕ひしぎ十字固めに繋ぐ。
「痛いよおお! ゆりりんたすけてー!!」
「閣下の名前を気安く呼ぶな! 貴様はファンを騙り我が領土に潜入せんとする敵国の工作員だろう!」
「敵国とか工作員とかわけわかんねーよ!」
「知っている情報をすべて吐け! さもなくば折る!」
「ぎゃあああ!! わかりました!! 私は工作員です!! 工作員で結構ですうう!!」
教師たちが一斉に飛びかかったが、その相手は工作員ではなく私だった。
「こら、もうやめなさい! あとは警察に引き渡すから!」
無理やり引き剥がされた。工作員は泣きながら腕を抑えてのたうち回る。
「うえええんっ、こいつ頭おかしいよおお……」
貴様ごときに言われたくないわ。
すぐに警察がやって来て工作員は連行されたが、事情聴取やら何やらで余計な時間を取ってしまった。昼飯もまだだというのに。
食事は戦場において最大の娯楽でもある。いかに戦況が厳しかろうと、時間が無かろうとも飯を食えるときは食え、というのは父から叩き込まれた教えの一つだ。私は風紀委員室に戻り遅めの昼食を取ることにした。
「犬塚、雪川司令官と女狐はどこに行った?」
風紀委員室には無線通信担当の舩木と、犬塚という同期の委員しかいなかった。華視屋流々もいなくなっている。
「雪川先輩が少し外の空気を吸いたいと言うんで火蔵先輩と一緒に出ていったよ。林さん中ノ瀬さんも監視役でついていった」
「そうか」
「不審者は?」
「撃退した」
「撃退って……ケガさせてないよね?」
「泣き喚くぐらい元気だったから何ともないだろう」
犬塚は何とも言えぬ表情をして、それ以上何も言わなくなった。
それよりも女狐が気になる。この盛り上がっている空気の中で雪川司令官とともに風紀を乱す行為に走らないとは限らん。林と中ノ瀬には私の教えを徹底的に叩き込んであるからそのようなことをすれば直ちに拘束するだろうが、念には念を入れねばならぬ。後で追わねば。提案事項もあるからな。
だが、その前に腹ごしらえだ。腹が減っては戦はできぬ。今日の昼食は麦入りのおにぎり三個と茄子の柴漬け。おにぎり中身はそれぞれ鮭と昆布と梅干し。王道の組み合わせだ。竹皮を解き姿を現したおにぎりはどれも美しい三角形をかたどっている。我ながら素晴らしい出来だ。
まずは鮭からいただこう。飯に鮭、いずれも塩味がよく効いている。
「うむ、一仕事した後の食事は最高である」
その通りですね、と舩木だけが私の独り言を拾ってくれた。




