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何が起きたのですかな!?

 須賀野殿は何か掴もうとしているかのように、右手をブルブルと震わせながら上に掲げた。顔も苦しそうに歪んでいる。


 ただ事ではない。我は須賀野殿の体を揺さぶった。


「須賀野殿!?」

「あああっ!」


 カッと目を見開いたものだから、我はビビってのけぞった。しばし時間が停まったかのような錯覚を覚えたが、須賀野殿は身を起こすと右手で顔を覆った。


「くっ、よりによってピーパーがいるときに悪夢を見てしまうとは……!」

「い、今起きたことは見てもないし聞いてもいないですぞ! 誰にも話したりしませんぞ!」

「わかった、もう言うな。だがよく起こしてくれた」

「須賀野殿すらうなされるとは、どんな悪夢を見たのですかな……?」

「話したくない……と言いたいところだが。悪夢の内容を人に話した方が良いらしいからな。恥を忍んで言おう」


 我は自然と、言われるまでもなく正座した。


「貴様はもしかしたら知っているかもしれんが、私は犬が大嫌いなのだ」


 転素牟亥殿がおっしゃってたことと一致していた。


「てっきり怖いもの無しだと思っていましたぞ。しかしなぜ? ガブッと噛まれたことがあるのですかな?」

「それならまだ良い方だ。理由を今から話してやるが、ちゃんと覚悟を持って聞け」

「は、はいなのだ」


 どんな恐ろしい目に遭ったというのか。


「あれは私がまだ小学四年生の頃だった。家の近くに小川があってな、弟たちや友人たちと桃太郎ごっこをして遊んでおったのだ」


 桃太郎ごっこ? 桃太郎姿の須賀野殿を想像してみると結構似合っていた。


「貴様、今桃太郎の格好をした私を想像しているだろう。顔に出ているぞ」

「いえっそんなこと……というのはウソですなのだ。ごめんなさいなのだ……」

「まあいい、続きだ。残念ながら桃太郎は友人で私は犬、キジは潤でサルは豊がやっていた。配役なんぞどうでもいいことだがな。とにかく川辺で遊んでいたら、ふと川上からどんぶらこどんぶらことまん丸いものが流れてきたのだ」

「ほう?」

「最初は本当に桃が流れてきたと思ってみんな大はしゃぎだ。桃太郎が私に取ってこい命じたので、長い棒きれを使って手繰り寄せたのだが、そこから先はのどかな子どもたちの遊びの風景が一気に地獄と絵巻と化した」

「な、何が起きたのですかな」

「結論から言うと、桃だと思ったものは野良犬の水死体だったのだ」

「ふぎゃー!?」


 何という急転直下の展開!


「水死体は腐敗で生じたガスによって腹部が大きく膨らむのは知っているだろう。ガスで丸く膨らんだ犬の腹を桃と誤認したというわけだ。腐乱はかなり進んでいて、ものすごい悪臭が鼻をついた」

「犬役が犬の腐乱死体を拾うとはまさしくトラウマものですな。それで犬嫌いに……」

「いいや、死体ぐらいなら別に何とも思わん。本当の地獄はその先だった。桃太郎の奴がとっとと流せと言うので私は棒きれで押して川に戻そうとした。その瞬間だった。力を入れすぎたせいで腐ってブヨブヨになった腹に棒きれが突き刺さってしまい、充満していたガスとともに中身がドバっと噴き出したのだ」

「ひええええ!!」

「不幸中の幸いというべきか、みんなは怖がって後ろの方にいたから助かったが、一番前にいた私は中身を思いっきり浴びてしまってな……」

「ひえ……」

「そこからはよく覚えておらんのだが、臭いが一週間ほど取れず長い間学校を休むはめになってしまった」


 確かに噛まれる方がまだマシだと思えるほどの壮絶な内容であった。B級ホラー映画よりも恐ろしいかもしれない。我も正直泣きそうだ。


「だが時々、あの爆発が夢の中に出てくるのだ。先程見た夢は星花の生徒が犬を連れてきたから取り締ってやろうとしたら、犬の腹が急に膨らんで爆発して、校舎中が無残なことになって……」

「も、もういいのだ。よくわかったのだ」


 須賀野殿が心底辛そうな顔をしていたから、我はそれ以上話すのをやめさせた。


「夕食前にすまなかったな、こんな話をして」

「いえ、よくぞおっしゃってくださったのだ。犬が嫌いになるのも無理ないですぞ、こんな体験をしてしまったら」

「そうだろう。風紀に犬塚という者がいるが、あいつも名前に犬という文字が入っているからどうも話しにくくてな」

「それぐらい苦手なのですか。いやはや……」


 須賀野殿はじっと我の目を見ている。学校にいるときよりも優しげな瞳で。


「今気づいたが、貴様が相手だと何かと話しやすいな」

「え?」

「風紀には船木に林に中ノ瀬、私に忠実な者はいるが立場上弱みを見せられん。だが貴様は一応は私の先輩だからか、まだ甘えられる余地があるというか」


 口ごもる須賀野殿。照れているのがはっきりとわかる。我も須賀野殿に明確に好意を向けられたのは初めてで、どうしていいのか全くわからなかった。


 ただ、誰にも見せたことがない須賀野殿の素顔を我は独り占めしている。それがたまらなく嬉しかったのは確かだ。


「わ、我は浅学非才の身なれど須賀野殿にできる限りのことはしますぞ。こう見えてもあなたの先輩ですからな!」


 我は胸をドンと叩いた。


「ありがとう。これからもよろしく頼むぞ、華視屋流々」


 鬼が見せる仏の笑みで、我の本名を呼んだものだからぽわわんとした気持ちになってしまった。


「はいなのだー!」


 やがて、母殿の呼ぶ声がした。


「ご飯できたよ!」

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