アクシデント発生ですぞ!
「相手が掴みかかってきたら、こう腕を取って体重をかけてやると……」
須賀野殿が御神本殿に技をかけられて倒されると、腕から手先を畳にバシーンと打ち付ける。見事な受け身である。
「このとき相手の腕の力の向きを見極めることが大切。こっち側に力を入れてきたらこう捻って」
御神本殿が須賀野殿を右に左にと投げるが、その所作は華麗で舞を見ているようだ。
「押す力が強ければ服を引っ張って、こうしても良い」
須賀野殿は万有引力に逆らうかのようにくるりんぱと一回転して畳に叩きつけられた。部員たちは熱心に技を見ている。
ちなみに須賀野殿はなぜか制服のままである。投げられてもなぜかスカートの中が丸見えになることは無かったのだが、さっきのくるりんぱはちょっと危うかった。
「要するに力の向きと強さを見極めることがポイントで」
などと言いながらさりげなく須賀野殿を助け起こしている。おお、これこそ我が撮りたいシチュエーション! カメラ撮影は禁止されていなければ連写していたのに……隅っこの方で座して見守る他無いのであれば、せめて網膜に焼き付けるしかない。
しかし御神本殿の目のイキイキしていること。この人も須賀野殿を合気道部に誘おうとご執心だったことを我は知っている。
「熱心にご覧になられていますね」
「ああ、弟殿」
弟殿はいつの間にか道着に着替えていたが、襟が詰め襟になっている見たことがない形であった。
「僕はこれから部活がありますが、絶対に姉から離れないようにしてください」
「確かに男子校で女子がウロウロしていたらイロイロとまずいですな」
「それもありますが、特に星花の生徒は気をつけた方がいいかと」
「ん? なぜですかな?」
「ちょっと話せば長くなるんですけど。今月、星花祭ありましたよね? 同じ日にウチでも文化祭があったんですが、去年と比べると来場者7割減の閑古鳥状態でして、その原因を星花祭のせいだと吹聴している者がいるんですよ」
「ええー……」
昨年の星花祭は伝説と呼ばれる程の大盛況を見せ、過去最大の入場者数を迎えたのだが、今まで見たことがなかった御神本学園の生徒もちらほらといた。例年星花祭と御神本学園の文化祭は同日開催なのだが、この年だけ例外的に一週違いの開催となったからである。
そして今年の星花祭もまたもや大盛況で去年の入場者数をさらに上回った。しかし一方で、同日開催に戻ったミカガクフェスタがその割を食ったらしいのである。実際に星花祭が客層を奪っていたのかどうかは詳しく分析してみないとわからない。ただ、合気道部員が我と須賀野殿に向けた冷たい目線の根底には星花女子への逆恨みがあるのではないかと思わざるを得なかった。
やっぱりここは大人しくしておくしかないですな……。
「それでは、僕はこれから部活がありますので。絶対に姉から離れないでくださいね」
弟殿は念押しして出ていった。
さて、須賀野殿は部員相手に投げたり投げられたり、ときには指導していた。少なくとも最初のちょっと過激なデモンストレーションのおかげで部員たちの信頼は得られたようで、比較的和やかにかつ真剣な雰囲気で稽古は進められた。
冷房がろくに効いていない武道館。部員の汗のせいなのか湿度も高めで、汗がどんどん吹き出てくる。だから我は水分補給をこまめに行なっていたが、急にそのツケが来てしまった。
「まずい、催してきたのだ……」
稽古がいつまで続くかわからないが、終わるまでに持ちそうにない。
「弟殿に離れるなと言われたけれど、お花摘みに行くだけなら構いませんな……」
我はこっそりと出てトイレに向かった。その際、命と同じぐらい大切なカメラを首にぶら下げて携行した。万が一も無いだろうが盗難防止のためである。
「むむむむ……」
便所の内装は古びており、左手には小便器がずらりと並んでいる。ここにはやはり男子トイレしか無かった。星花には教職員や来客者用の男子トイレがごく少数あるが、ここも探せばどこかに女子トイレがあるかもしれない。
しかし校内をうろつくと見つかったときが面倒である。今、ちょうど周りに人気はない。
「仕方ない、今だけ男の子ですぞ!」
大阪のおばちゃんのようなことを口走り、我は中に入った。個室にあるのはほとんど和式で、一つだけ洋式があるが今どきウォシュレットがついていない。星花は全てウォシュレットつきなのに……もっとも、綺麗とはいえない便器なのであっても使いたいとは思わないが。
古い公衆便所並のクオリティではあるものの、背に腹は変えられぬ。
「はあ~、天国ですぞ……」
洋式で用を足し終えると、得も言われぬ開放感に包まれた。そして手を洗って出ていこうとしたときだった。何かにぶつかって、その瞬間に我の制服の襟首がぐいっと引き上げられ、体が宙を浮いたのだ。
「ふぎゃあああ!?」
我の口から猫みたいな叫び声が出てしまった。視界に飛び込んできたのは、空手か柔道の道着を着た角刈りで眉毛が無い髭面の強面のおっちゃんだった。無茶苦茶怖すぎる。お花を摘む前だったら恐怖でお漏らししていたかもしれない。おっちゃんは無表情で口を開いた。
「お嬢ちゃん、どこから入ってきた?」
「あっ、あっ、あのっ、すっ、すがっ、すがのどのっ」
「スガノ? 須賀野潤の関係者か?」
「そっ、そうですなのだ」
弟殿の名前を使えばこの場をうまく乗り切れるかもしれない。一縷の望みが出て、我は少しまともにしゃべれるようになった。
「潤殿とそのお姉さんに連れられてここに来ましたのだ」
「なぜ姉がここにいる?」
「御神本沙羅殿の合気道部指導のお手伝いのためですぞ」
「ふむ、沙羅お嬢様の知り合いか」
「その通りですぞ」
「ではなぜトイレの中にいた?」
「お花摘みに行きたかったものの女子トイレの場所がわからず致し方なくお借りしましたのだ。勝手に使って申し訳ありませんでした、なのだ」
「ではこれは何かな?」
おっちゃんはカメラを指差した。
「まさか盗撮していたのではあるまいな?」
「そっ、そんなことしていないのだ!」
「まあ良い、確かめれば済むことだ。須賀野潤の姉にも立ち会って貰おう。いや、奴も立ち会って貰おうか。場合によっては連帯責任を取ってもらう」
あああ、面倒なことになってしまったのだ……。
*
我は合気道部の練習場まで連行され、須賀野殿に事の次第を説明した。ちなみにおっちゃんは何と我と同い年の現役高校生で、空手部員とのことである。貫禄があり過ぎてどう見ても40過ぎにしか見えぬのだが……。
「別に女子だろうが緊急事態であればうちのトイレを使用する分には構わん。だが盗撮となると話は別だ。恥ずかしいことだが我が校では過去に何度か盗撮事件が起きていてな」
「何で男子校で盗撮事件が起きるのかわからないのですぞ……」
「女であれ男であれ、その手の需要はあるのだよ。現行犯で捕まえた犯人の一人なんぞは『男どうしはエモいですぞお』と抜かしていた。そういえばお嬢ちゃんと似たような口調だな」
ギクッ。
我と同じことを考えているのがいたとは。我は女の子どうしのエモを求めているがその逆がいてもおかしくはないか……。
須賀野殿は神妙な面持ちで言った。
「この者は何もやっていないと信じています」
「貴女は須賀野潤の身内で沙羅お嬢様から目をかけて貰っているそうだが、有罪であれば貴女も監督責任を取ってもらう。貴様も当然、連帯責任だ」
「構いません」
弟殿もそう言いきった。
「では確かめてみよう」
おっちゃんが我のカメラを手に取って、画像データを呼び出した。
「ふむ……?」
出てきたのはお花畑に山の緑に大海の遠景。女の子どうしのイチャイチャはもちろん、朝に撮影した須賀野殿の柔道での勇姿の画像も無い。
実は中身を見られぬよう、ダミーとして風景画像しか入っていないSDカードを差し込んでおいたのだ。何度も摘発されている身の我が思いついた自衛策だ。我の大切なコレクションが入ったSDカードはかばんの中でお昼寝中である。
「ど、どうですかな?」
「うむ……どうやらお嬢ちゃんはウソをついておらんようだ。疑って大変申し訳なかった」
おっちゃんはあっさりと非を認め、深々と頭を下げた。とにかく解放されて良かったが、
「ぜひともお詫びをさせて頂きたい」
打って変わって丁寧な物腰で申し出てきた。
「お詫びと言っても……我はおトイレを使わせてもらえただけで十分なのだ」
「いやいや、そういうわけにはいかん」
「うーん、困りましたなあ……」
首をひねっていると、須賀野殿が言った。
「この華視屋流々は写真部で、私を取材しているが稽古の様子を撮影できていないのです。良ければ貴方と手合わせをして、その様子を撮影させてあげて貰えないでしょうか」
「そんなことでいいのか? こちらは構わないが……」
「御神本先輩。合気道部員の稽古とは無関係なので写真ぐらいは構わないでしょう」
「許可しよう。君の強さを見せてほしい」
というわけで急遽、須賀野殿とおっちゃんのエキシビジョンマッチが行われることになった。須賀野殿は今まで制服姿のまま指導に当たっていたが、さすがにここは御神本先輩に指示されて合気道の道着を借りて望むことになった。
「武道のだいたいの実力は道着の着こなしでわかるものだが、貴女は相当な腕前を持っているとお見受けする。手加減なしでいかせてもらうぞ」
「よろしくお願いします」
橘殿よりも大柄な男に対して須賀野殿はどう攻めるのか……我はカメラを構えた。
「はじめっ!」
審判を買って出た御神本殿の合図で試合が始まった。
「セイッ!!」
おっちゃんが距離を詰めて突きを放つが、須賀野殿はすんでのところでかわして、体を回しながら飛び上がった。
ほんの一瞬の出来事だったが、我がシャッターを切ったときの画像はしっかりと捉えていた。須賀野殿の足がおっちゃんのこめかみに直撃した瞬間を。
「お、おう……?」
おっちゃんはふらつきながら二歩ほど歩いたところで、前のめりにズドンと倒れてしまった。瞬殺劇にみんなポカーンとしている。
「あの、須賀野さん。合気道に回し蹴りは無いんだけど……」
御神本殿は勝利宣告をすっかり忘れている。
「私は一言も合気道で戦うなどと言っておりませんが。それよりもこの男を見てください。失神したにも関わらず私に向かっていこうとして、倒れてもなお私に手を向けているのです。武に生きる者の理想的な死に様です」
「いや、俺は死んでないのだが……」
おっちゃんは意識があった。須賀野殿が助け起こす。
「名前の通りすがすがしい一撃だった。実に気持ちの良い負け方だ。次に会うことがあればまた手合わせしよう」
「こちらこそ」
固い握手を交わす。よくわからぬ展開になったが、自然と感激の拍手が沸き起こった。御神本殿は何か釈然としない顔つきだが……とにかく、我は騒動を起こしてしまったがそのおかげで須賀野殿の名場面をカメラに収めることができた。
改めて画像を見ると、須賀野殿が口を真一文字に結んで跳び回し蹴りを炸裂させ、足が命中した瞬間のおっちゃんの顔は歪んでいる。女の子どうしのイチャイチャを除けば我の中でベストショットであった。




