危険が危ないですぞー!!
包丁の刃の先はあからさまに我の方に向けられていた。生存本能にスイッチが入り、反射神経が我の足を動かした。
「ぎょえええ!!」
盗撮、もとい影からこっそりとエモい場面を映させてもらったのがバレて百合カップルに追いかけられるときよりも必死で足を動かした。しかし相手は包丁を振り回しながら、悪霊に取り憑かれたかのような恐ろしい形相で追ってくる。
「逃げないでよおおお」
「ひいいいい!!」
我はグラウンド側に飛び出た。たくさんの客と生徒が往来しているのを見て、また別の恐怖感が我を襲った。
――もしもこのまま群衆の中に飛び込んでしまったら
学園には美滝百合葉殿他芸能人が複数在籍している関係で、テレビ局の取材が来ている。そんな中で、おそらく百合葉殿の狂信的ファンであろうが、そいつが我が校の生徒と客に危害を加えたとしたら。
ニュース速報からの報道特別番組。五大紙一面記事。伊ヶ崎理事長の涙の謝罪会見。保護者の怒号。所属事務所を取り囲むマスコミ。連日賑わすワイドショー……それらが次々と頭に浮かんできて、血の気がますます引いていくのを感じた。
このまま群衆の中に紛れ込んだら、他人を犠牲にして我は助かるかもしれない。だけど犠牲者の中に百合の花を咲かせた子たちがいたとしたら?
互いに想い合う女の子どうしは何よりも尊い存在。それを我が壊すなんて愚行にも程がある。そんなことするぐらいなら死ぬ方がまだマシなのだ。
「待ってよおおお」
「では待ってあげるのだ!」
我はその場に踏みとどまり、女と対峙した。足はガクガクと震えているが、必死に耐えた。
「あっ、あなたの要求を聞こう! なのだっ!」
「ハァハァ……ゆりりんに会わせてよ……」
「会ってどうするのだ?」
「ゆりりんの血にはトカゲ人間の遺伝子を破壊する力があるの……」
「はい!?」
「世界はトカゲ人間に征服されようとしている……だから人類を救うためにゆりりんの血が必要なの……」
これはアカンやつなのだー! と我は頭の中で絶叫した。人類を救うためとのたまうが人類が救えないものだった。話し合いは到底不可能だと悟って絶望した。須賀野殿とは別ベクトルの狂気が我を飲み込みつつあった。
ここは、相手に合わせるしかない。頭のネジが飛んでいる人間には真っ向から反論してはいけない、と何かで見聞きした記憶があったのをかろうじて思い出した。
「そ、そう! 百合葉殿……ゆりりんは世界の救世主なのだ!」
「おお……! 理解してくれる同志がここに……!」
同志扱いされることに気味悪さを覚えたが、とにかく女は包丁を下ろしてくれた。これはいけるかもしれない。凶器さえ何とかすれば助かりようがある。あとは上手く須賀野殿に引き渡してしまえば……。
「今から一緒にゆりりんのところに行って、血を分けてもらうよう頼みましょうぞ。だからまず包丁を我に渡して欲しいのだ。他人が見たらびっくりしちゃうのだ」
女の顔が急に険しくなった。
「これは包丁じゃない! 偉大なる神様が授けてくださった霊剣よ。これでゆりりんの首を斬って血を手に入れなさいとおっしゃったのよ!」
「うひぃぃ! 神様はそんな物騒なことは言わないのだー!」
我は狂気に同調できず、言い返してしまった。すると女の眉は釣り上がり、眼球が出てしまうんじゃないかと思うぐらい目は見開いて、我は再び恐怖の渦の中に突き落とされた。
「貴様、さてはトカゲ人間だな!?」
「いいいいいっ!?」
包丁の切っ先がまた我に向けられた。何でトカゲ人間とやらにされたのかわからないが、明らかな殺意がこもっていることに違いなかった。
「光に滅せよ!」
「ぎゃあああ!!」
女が突っ込んできたが、我は動くことが全くできなかった。なぜか頭の中に邪神なんちゃらを名乗る風紀委員にボイスレコーダーを消去された思い出がごく鮮明に蘇ってきた。あ、これは本当にアカンやつなのだ。
死を悟ってしまった我だったが、だからこそなのか思い出を冷静に見つめ直すことができた。あの人は「闇に滅せよ!」なんて言ってたけど、あの人は単なる中二病患者で、今まさしく我の命を奪わんとするホンモノの患者に比べたら可愛いものでしたなあ。
さらば父よ母よ妹よ。流々はお星さまになって尊いカップルを見つめ続けますぞ……。
「何をするかっ!」
包丁が胸に届くすんでのところで、女の体が宙に舞い、地面に叩きつけられた。
地面に叩きつけられたところを白い長髪の生徒が抑え込みにかかる。投げ飛ばしたのはショートヘアの生徒であった。
「華視屋さん、大丈夫か!?」
「御神本殿……?」
御神本沙羅殿と橘桜芽殿が来てくれたのだとわかった途端、全身から力が抜けてへたり込んでしまった。我は助かったのだ。
「怪我はなさそうだな。警備から不審者が旧校舎近くにいると通報を受けて来たんだが……一歩遅かったら大惨事になるところだった」
女は橘殿に絞め落とされたらしく、白目を剥き口から泡を吹いてそのまま動かなくなってしまった。
「ふう、危機一髪でしたわね。熱中症で倒れたことにしておけばよろしいですか?」
「ああ、客に悟られないよううまく処理しよう。華視屋さんは私と一緒に風紀委員室まで戻ろう」
「わかったのだ……あら?」
立ち上がったものの安堵感が強すぎたのか、我はまたもや膝からガクッと落ちて、そのまま意識を手放してしまった。




