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プライベートである

 私の住まいは学園前駅近くにある築50年のアパートである。


 寮を選ばなかったのは他の生徒たちとの集団生活を嫌ってのことではない。炊事洗濯掃除、全て自分でやらなくてはいけない環境に身を置き心身を鍛えるためだ。部屋に風呂はついているが湯張りは自動ではないし、トイレは共同、しかも和式なのでウォシュレットという近代的な装置なんぞついていない。お嬢様育ちの星花女子の生徒なら一日とて耐えられない生活環境であろう。


 そういう環境が嫌われてか、両隣と上の部屋は空き部屋になっている。それが私にとってはメリットであった。いくらトレーニングをして音を立てても苦情が来ることがないからだ。


「ふんっ、ふんっ!!」


 私はかがみ跳躍を行っていた。頭の後ろで両手を組んで足を前後に開いて片膝をつき、真上に15センチ以上跳躍して左右の足を入れ替える。実際に自衛隊で行われているトレーニングメニューの一つで、何か粗相をやらかしたときの「反省」で行われることもある。私もよく父から叱責ついでにやらされたものだが、そのおかげで今の私の肉体が出来上がったともいえる。


 回数をこなした直後に電話がかかってきた。発信元は御神本沙羅(みかもとさら)。入学以来しつこく合気道部に誘ってくる厄介な先輩だが、武道を尊ぶ精神は見習うべきものがある。ゆえに明日の警備で協力を依頼したが、当然ながら「見返り」を払うことになった。その確認の電話であろう。


「もしもし」


 スマホの通話ボタンを押して応答する。案の定「見返り」についての話をされたが、後ろでおほほほという高笑いも聞こえる。上品な笑い方からして先輩の姉が部屋にいるに違いなかった。姉といっても血は繋がっておらずかつ同級生という少し複雑な関係だが、それは私にとってはどうでもいいことだ。


「はい、はい。わかりました。午後には確実に体が空きますのでご心配なく。ああ、あいつですか? ええ、元気してますよ。はい、はい。それではまた明日お会いしましょう、お休みなさいませ」


 通話を切った後、私はため息をついた。次は腕立て伏せをしようとしたが、また電話が。番号は実家からだった。


「もしもし? なんだ、潤か」


 電話の主は下の弟の潤。スマホの電池が切れかけて充電中なので、家の固定電話からかけてきたとのことだった。


「話がしたい? ああ、今は大丈夫だ」


 月に一度帰省するから家族とは日常的に電話で連絡を取り合うことはまずない。要件は星花祭に遊びに行けないことへのお詫びであった。昨年は潤の学校の文化祭が星花祭と一週違いの開催だったから行くことができた。ただしその目的は遊びに行くことではなく、同日に現地で開かれた学校説明会に私の代行で出席するためであった。私は当日、塾の模試があったから休んでまで行くわけにはいかなかったのだ。


 今年はまた日程が被ったために来れなくなった、と潤は言った。


「ああ、気にしなくていいぞ。どうせシルバーウィークにそっちに帰るからな。ついでにお前の学校にも用事ができた」


 潤の声色が上ずった。


 そう、実は沙羅先輩への「見返り」とは弟の学校、御神本学園への出稽古を手伝うことであった。合気道部の誰かを誘えば済むことなのだが、先輩は「あんな汗臭い武道場に女子を連れて行きたくない」と身も蓋もないことを言っていた。自分の親が経営している学校なのに酷い言い草だと思ったが、潤も同じことを言っていたからやはり女子には耐え難いほどの臭いなのだろう。


 その点、私だったら男相手だろうと物怖じしないし汗の臭いも耐えられるだろうと。私とて臭いのは勘弁して欲しいのだが、明日の警備を手伝ってもらう以上断るわけにはいかなかった。


 しばらく潤と雑談をして電話を切ると、今度こそ腕立て伏せにとりかかった。それも終わったところで午後10時過ぎ。風呂場でシャワーを浴びて汗を流し、髪の毛を乾かしてすぐに床に入った。




――チッ、またか




 心の中で舌打ちしたのは、声を発することができなかったからである。体も動かすことが一切できない。つまり、私は金縛り状態になっていた。


 体質によって金縛りになりやすい人とそうでない人がいるらしいが、私の場合は違うと断定できる。この部屋に住み始める前は一度も金縛りになったことはなかったのに、今では少なくとも月に4、5回は金縛りになっているからである。実はこの部屋、市内でも有数の曰く付き物件なのだ。


 遡ること20年前、年老いた母親と息子が餓死するという痛ましい事件が起きた。私が生まれる前の話だが、飽食時代において餓死事件が起きたという衝撃は当時のメディアを賑わせていたという。餓死の経緯もかなり特殊だったらしいが、それはさておくとして、おかげで家賃は学園の寮費の半分以下で済んでいる。ただしこうして時々霊と遊んであげなくてはならないが。


 同級生に実家が宗教をやっていて、除霊もできる子がいると聞いたことがある。そいつの世話になったらどうかとアドバイスされたこともあったが、断った。苦難を自分の力で乗り越えてこそ鍛錬になる。霊が諦めて成仏するか、私が卒業まで耐え抜くかの戦いだ。金縛りなんぞ敵兵の苛烈な尋問に比べたら屁にもならんがな。


 *


 起床ラッパのメロディーがスマホから流れ出た瞬間、目が覚めて飛び起きた。


 布団を片づけてジャージに着替えるまでものの数分もかからず。部屋と風呂掃除を手早く済ませ、共同トイレの掃除に向かう。ここまでの一連の動きは私の体にしっかりと染み付いている。


 内廊下で大家さんとすれ違った。


「おはようございます」

「おはよう須賀野さん。日曜なのに相変わらず早いわねえ」

「今日が一番重要な日ですので」

「ああそうか、星花祭の二日目だったわね。頑張ってね。昨日かぼちゃの煮物を作ったから、それでも食べて元気だしてちょうだい。いつものように部屋の前に置いておくから」

「ありがとうございます。いつもすみません」

「こっちこそすみませんしなきゃだわ。わざわざあんな部屋に住んでもらってる上にトイレ掃除までしてくれるんだから。幽霊は大丈夫?」

「昨日も金縛りに遭いましたが、途中で遊び飽きて消えたようです」

「そう……」


 大家さんはなんとも言えない顔をしていた。あの部屋は私が住む以前にも何人かが家賃の安さに釣られて入居したが、いずれも一週間持たずに部屋から逃げ出したと聞く。大家さんには半年間住み続けられている私の方が化け物のように見えるのかもしれない。


 大家さんの作る煮物は絶品だ。味わう前にまずトイレ掃除を済ませてしまおう。


 金縛りも何のその。今日の須賀野守の体調はすこぶる絶好調である。

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