愛と命 21
こんな母を見るのは、多分十年ぶりぐらいだった。
この人は、こんな風に感情を表に出す事はなくて、以前一度見たのは偶然だった。
「ユーリ王子はセレンの元で、彼女の恋人である騎士に育てられた・・・ただセレンもまた側妃に選ばれたから、まぁ2年の間に情勢は変化してたし身ごもったと偽ってセレンは、ユーリ王子のためにって色々と手を尽くしたのよ。とにかく、彼は隠された王子から第4王子として生を得たの」
複雑ですねとさっきまでいた相手に同情する。
「でもねぇ、セレンたら偽るためにって身ごもったフリをしたのに、本当に身ごもっててね・・・しかもそれの相手が自分の騎士だって教えてくれたのはいいんだけどユーリ王子を先に産んだようにする筈が、早産で突然に生まれてしまったの今の第3王子がね。しかもそれが病弱で・・セレンは今ほとんど城にはいないわ。静養地として新しく土地をもらって王子と二人で暮らしてるって知ったのはつい最近よ。」
母の昔話を聞くといつも私は自身の凡庸を感じずにはいられない。
とてもじゃないけど私は母のようには成れないとそう再認識する・・だって他国の王妃に暗殺依頼なんてされた事ないし。レヴァンの王妃様にはお会いしたことがない。国交が多いフェルベス国には数人だけ仲の良いご令嬢がいて、男性は友人と呼べるのは、従兄弟たちとうちのお庭番の中の数名だ。
一応は国内外を行き来する商人たちの中には私をホップキンスと知られずに交友を深めてはいる。領内にいる町娘・・パン屋のレイジー、果物店のフレア、小物屋のコメット。男の子は靴屋のエド、花屋のゼウ、猟師の息子のバート。
他にもいるけど・・・友人は少ない。特にダブリス国内の令嬢には、仲の良い子なんて・・もういないのだ。
「・・・ユーリ王子がどういった経緯で密偵のようなことをしているのかは、私も掴んでなかった。彼がどんな風に育ったかもね。セレンは・・ちょっと難しい子だったからね、彼女を刺激するような事はしたくなかったの」
母が胸元からなにかを出した。キラキラと輝くそれは、金色の小さなイヤリングだった。
月のモチーフだ。
「・・あなたを婚約者にとそう押したのは、アレクシア王子と陛下よ。特にアレクシア王子がね、あなたを任せられるのは彼しかいないって力説よ。ほら前回の夜会であなたと踊ったのは、自分と踊る事であなたを狙う他の貴族の子息や商人どもに牽制したんだってそう言われたわ」
アレク様が何を考えておられるのか、よくわからないが、ただの天然なだけだと思ってた彼の奇行にもそれなりに理由があったとわかって少しだけ安堵したのは、秘密だ。
「・・私は、ユーリ王子の護衛でいいのですか?」
立場としては、婚約者だが役目はこのまま護衛でいいのかそう聞けば、母はイヤリングをテーブルに置いた。
「このイヤリング、ルーンからの密書に入ってたの。ただね・・・これをなかった事にしてもいいと思ってる」
「それはどういう意味ですか?」
「彼がどんな風に過ごしてきたかなんて、大体わかるでしょ」
母の言葉の意味に私は一応は頷いた。
「あなたも、そして私も・・・命を奪い奪われるのが当たり前の世界に生きてきた。・・そして彼もまたそういう環境に身を置いた者よ。だけど彼がどうしてそう生きて来たか、ここに居る人間は誰一人知らない。」
そう、彼はたった一人でここに来た。
本来は、従者を一人か二人そして侍女を数名帯同させるのが慣例であるのに、それをしなかった理由は何のか。
私は、圧倒的に彼を知らない。
「ルーンからの最後の願いでも、叶えられない事もある」
母の纏う空気が変わるのが分かった。
「あなたを婚約者に据えたのは、あなたに判断して欲しいから」
開いていた扇子が閉じられた。母の瞳が私を映す。
「判断って・・・」
「彼を生かすべきかよ」
そう重々しく告げられた私は、茫然としてしまった。
「・・・」
「彼の出生は、もう話したわね。そしてレヴァンとダブリスの現状・・・どう思う?」
そう言われた私は、彼の出生を知って、レヴァンの現状とを頭に入れて考えられることを口に出していた。
「彼を殺そうとしているのは、第一王子ですか、それとも第二王子でしょうか?・・・それとも母上が暗殺したというフラヴェスの一派の残党でしょうか?それとも・・そのセレス様か・・うちのバカ共の手のものか」
「それだけだと思うの?」
「いいえ・・・思い着く限りにはもっと。彼はとても難しい立場にいらっしゃるようですね」
「そうね、あなたに護衛を任せておいてなんだけど・・彼が生き残る事はとても難しい。」
あれだけの腕があっても。
遠い場所から聞こえるオーケストラの音楽。シャンデリアの光が煌びやかに照らす空間は、外と内では見え方が違うのだ。
煌びやかな中身は、どこまでも沈みゆく泥沼だ。
「婚約者としてじゃない。一人の人間として・・あなたが彼を生かすか、それとも殺すか・・・決めなさい」
母の言葉が、深く刺さった。
「だけど・・・そこにグレスの死を使わないで」
そう言った母は、いつものこの人とは違った。
寂しげにそれでも誇らしげに、ほほ笑む。知ってる・・・、私を信じてくれてるとそう言ってるんだ。
綺麗で、大好きな笑み。
いつものホップキンスでも赤い悪魔でもない、母としてアイエスという女性が私を信じてくれている。
「はい」
そう応える事しか私にはできなかった。
だけどそれでもと、私は母がテーブルに置いた月のイヤリングを手に取り部屋を出た。




