悪魔と王子 16
離宮に在る水仙の間は、小さな池の面する部屋でありダブリスの城の中では5本の指に入る程の美しい造りをしている。庭にある池を反射し光がゆらゆらと部屋を照らすため特に夢見がちなご令嬢たちがお気に入りの部屋の一つだ。年に2度程ここで茶会が開かれる程なのだ。
淡い光の差し込むそこには、美しい青年・・いや少年たちが楽しそうに話をしている。
その光景は、まるでダブリスではない別の国の物語の中のように美しい。
我が国には、どこか殺伐とした内容の寝物語しかないのだ。
ふんわりキラキラという擬音が似合う世界に私は静かに息を吐いて、乱入する。
「王子・・もうそろそろお時間です。」
「あっココ、やっと戻って来たね」
「ココっていうのは愛称?」
「そうだよ、僕のココって小さい頃から」
「アレクシア様、ユーリ王子の前で」
私をそう呼ばないでくださいと続く筈の言葉は、ユーリ王子本人に遮られた。
「俺もそう呼んでいいか?」
はい!?
何を言ってるんだコイツ・・そう言葉にする事はできなかったが私を見つめる瞳にはやはり剣呑・・・いや殺気込められていた。
「えっ・・うーん・・・ユーリならね、ココもいいよね」
そしてなぜ許可を出すかな、この天然王子。素敵な笑みまでおまけにしないでください。
表情が引き攣らないようにするのが精いっぱいだぞ、私は。
「っ・・・そのユーリ王子がお望みであれば」
よくないって言いたいのを抑えてそう応える。
「じゃあ遠慮なく」
「遠慮はお願いします・・」
おっと反射的に言葉が出てた。
「いいじゃない、ココ・・ほら、父上と母上にも紹介するから行こうユーリ」
「わかった」
随分と仲が良いらしいのだが私にとってこれはあまり歓迎できない事態となっている。
とにかく目の前のユーリ王子が本物であれニセモノであれ護衛対象である事には変わりない。
「君も行こう、ココ」
「はい・・」
早速のおよびに流石に疲れも吹っ飛ぶ。
さて・・・こちらも始めないといけない。
ーーーーー
陛下と王妃様が居る大広間までの案内を終え、私はすぐに自身のために用意された部屋へと戻った。
晩餐会までは残り2時間。
それまでにすべてを把握しておかないといけない。
自室としてあてがわれた客室に入るとそこには数名のお庭番の方々がいた。
城内に配置している人たちだ。
「お嬢さま・・・お急ぎ下さい」
侍女の姿でそう言われてしまえば、抵抗などせず私は見た目だけでもややこしいドレスのボタンに手をかけた。
侍女たちにそのまま素っ裸に剥かれて湯あみをするまでに5分もない。
調度いい温度の湯に体を沈めて、バラのオイル入りの湯殿は後宮御用達だ。ただ数名の侍女兼お庭番たちが私の支度を勧めながら、現状の警備体制と今夜の警備についての報告が上がる。
順番に告げられた報告のうち気になる事だけ確認する。
2時間なんてすぐなのだ。
「・・・わかったわ・で私のエスコートはアル兄上?それともロン兄上?」
今夜のエスコート役を訪ねると彼女たちは驚きに目を見張った。
なんだと言うのだろうか。
「お嬢様・・今宵のお相手はユーリ王子ですが」
「・・・えっ?」
たっぷり30秒程固まった私に彼等はなにも言わずに作業を進めた。
化粧を終え、後は髪だけという状態の私は現在ドレッサーの前で硬直していた。
鏡の中の自身は、化粧では誤魔化せないほど真っ白だった。
本気ですか・・・母上。
「後程お迎えにいらっしゃるようです・・、ドロシー様との交代も兼ていると聞いております。」
護衛役をしっかり全うしろという事だろう。
「・・・母上のバカ」
つい口に出た言葉は、本人にはとても言えない暴言だったが侍女姿の御庭番たちは静かに同情の視線をくれた。
「晩餐の場で他の・・大臣や貴族たちが馬鹿なことをしたら未然に防いで・・・多分毒殺とかはないと思うけど、各自の判断で動いていい、だけどユーリ王子には気づかれないようにしてね」
畏まりましたとそう彼女たちが応えてくれる。既に問題行動を起こしそうな奴らには一応は牽制をかけておいたが、たまにとんでもない伏兵が居たりする。
一々の報告はいらない。
最悪殺さなければいいとまで考えながら、私は鏡の中の自身を見つめる。
手袋を嵌めないといけないから胸元と首元は下品にならないギリギリまで開いたドレスだ。母の髪色と同じ色。オフショルダーのそれは、光沢のあるシルク生地で出来ていて、これだけでどれだけの麦を買う事が出来るかと思うと少し哀しくなった。
一応私の持つドレスはほとんどが母のおさがりで今の流行に従って直して使っているが、これを着るたびに叔父上や他のバカどもは、私と母を重ねて・・期待をこちらに向けてくる。
髪も瞳も父譲りでも私の容姿は母に似ている。
赤を纏う事で私は母の娘だとそう周囲に示す。
「お美しいですね」
そう賞賛してくれる彼女たちに私は微妙な笑みで応えた。
「ありがとう・・・でドレスがこれだと、仕込みナイフが12本と扇子と、毒入りの匂い香ぐらいしか携帯できないのよね」
護衛には不向きだ。そして女の身である私はやはり体術は男に劣る。
体を締め付けるコルセットが鎧の役目をしてくれるが、こうどこもかしこも開いていると困ってしまう。
「お嬢様の傍には必ず4人つけます。」
「・・4人ね」
そう言われてしまえば私も諦めるしかなかった。
「今宵の晩餐にはアレクシア様もいらっしゃるため護衛は二分です、監視役のうち5人はもう既に会場を廻ってますので」
「了解・・・で私はここでユーリ王子をお待ちした方がいいのよね?」
「はい・・・後15分ほどってえっ」
伝話の魔法を有する連絡役の一人が口ごもる。
なにかあったらしい。
「?」
「お嬢さま・・・もうすでに扉の前だと」
「はっ?」
全くと気配を感じない。いくらなんでもこれだけの人数が居るのに何故。
その疑問の解消は、一つだけだった。
「・・魔法?」
「っ・・・・」
部屋に居る人間が殺気立つ。
「落ち着いて・・・」
震えそうになる声を腹に力を込めて、なんとか堪える。
やはり、相手はユーリ王子のニセモノだ。一ヶ月前に私が殺し損ねた相手。
そう確信めいてきた。
「殺気を治めて・・」
私の声と同時にノックの音が響いた。
その場の空気を出来るだけ穏便に収めたいが、私の周囲はどこかピリピリとしている。
「・・・はい、今開けます」
そう応えて、私はお庭番の一人に指示して扉を開く。
落ち着いて・・そして笑みを浮かべろ。
思い描くのは母の姿。
「・・・ホップキンス嬢を迎えにきたんだ」
徐々に開かれる扉からあの声がする。
「お出迎え・・ありがとうごっ」
言葉は続かない、ただ一礼をと頭を下げたその時、私の前に彼はいた。
一足・・・あの時と同じ。
スッと背筋が冷え、垂れた前髪に触れられ、彼の容貌がたった5センチの場所に在った。
「この姿が本物か」
そう声がした。
私の周りにいた侍女たちがその身に身に着けた刃を手に取り私を守ろうと跳びだそうとするまでにコンマ数秒もなかった。
「・・・なにをっ」
「おっと・・」
彼に向かって振り下ろされた4つの刃は全てが避けられていた。
「っ止めてっ」
ここでもしも目の前の相手を殺してしまえば戦争は避けられない。
私の前髪は彼の手にある。
「ふーん、悪魔らしいな」
彼の言葉は嫌に耳に残った。




