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迎えた学園祭は、よく晴れたあたたかな日になった。
中庭は盛大に飾り付けられ、生徒たちが丹精込めて咲かせた花であふれかえっていた。
学園祭が近づくにつれて生徒たちの腕も上がり、シェリー先生見て見て! と養護室に持ち寄ってくれるから、部屋まで花でいっぱいになっているのだけれど。
童話をあしらったスペースや、王宮の庭を思い浮かべたスペース、白で統一したスペースなど趣向を凝らした作品で、すべて見終えるまでに時間がかかりそうだ。
「……シェリー、先日はすまなかった」
生徒たちがクラスごとに庭の説明を発表している舞台を見ていると、そっとそんな声がかけられた。
びくりと肩が揺れてしまったが、シェリーは気を引き締めて隣を見上げた。
神妙な顔をしたリディアンが立っている。
「自分の考えがこんなに偏っているのだと、あのあと思い知らされたよ。俺の根拠のない言葉で彼を中傷し、あなたを不快にして申し訳なかった」
あのあと、リディアンが養護室に入り浸るようなことはなかった。顔を合わせれば挨拶くらいはしたが、シェリーもあまり話す気にはなれず、そのまま近衛隊への入隊試験を受ける日になってしまった。
そして試験には受からなかったものの、この春祭りを最後に騎士団への入団が決まったのだそうだ。腕を買われて抜擢されるなんて、近衛にはなれなかったにしても、よいことだなあと思っていたのだけれど。
まさか、こんなに真摯に謝罪をしてくれるとは思っていなかった。もう話すこともないまま、学園を辞していくのを見送るのだろうなと勝手に考えていたからだ。
なにがきっかけでアルフェリアへの誤解がなくなったのだろう。
うれしくなったシェリーは、肩の力を抜いてリディアンを見ることができた。すると、その気持ちが伝わったらしく、彼もいくぶん声色をやわらかにして言葉を続ける。
「こんな俺でも、まだあなたの友達でいてもいいかい?」
「それは、もちろん――」
「リディアン先生、学園長がお呼びだ」
それならば、よい関係でいたい。もともと彼は優しくてよい人だったわけだし。
けれどもシェリーがうなずくよりも早く、言葉をさえぎったのはアルフェリアだった。はっと息をのんだリディアンは、めずらしく慌てた様子で視線をあちこちに泳がせる。
「リディアンさん?」
「い、いや、なんでもない。それでは、俺はこれでっ」
慌ただしく駆けていく後ろ姿を、シェリーは不思議に思いながら見送るしかない。
首をかしげているシェリーの斜め上から、今度はため息が落ちてきた。
「……あまり懲りていないとは、ずいぶん強かだなあ」
「なんの話?」
「いや、ただの独り言だ」
ずれた眼鏡を押し上げて、面倒くさそうにアルフェリアが言う。
聞いたところでこれ以上言う気はないのだろうと思ったシェリーは、活気にあふれた中庭と、きらきらした生徒たちの顔を眺めることにした。熱心に説明に耳を傾けつつ、飾り立てられた場所へ首を巡らせる生徒たち。なかには、そわそわと落ち着きがない子もいて、懐かしいなあと思ってしまう。
春祭りは花を咲かせることが第一だけれど、自分の咲かせた花を意中の相手へ贈って告白をするという生徒たちのなかの暗黙の了解があった。告白をしないまでも、気になる相手や仲のよい友達同士で贈り合うこともある。
シェリーは肩から零れた自分の髪をさらりとなでた。
自分が学生だったとき、すでにアルフェリアは卒業していた。シェリーが四年生のときに赴任してきてはいるが、アルフェリアが春祭り付近で休暇を取ることが多く一緒にこうしていられるのは初めてだった。
もしもシェリーが学生のころにアルフェリアもいたとしたら。間違いなく、シェリーは彼に花を渡していただろう。
お祖母様の庭を思わせる、赤い赤い薔薇を。
もしあげられたらどんな顔をしただろう。今日という日のために養護室の窓際で咲かせた、赤い薔薇をあとであげたら。彼はなんて言うだろう。
あの日、彼にもらった鉢植えほどきれいではないかもしれないが、あの庭の薔薇に似た、みずみずしく慎ましやかに咲き誇っている。
養護室は中庭に面していて首を巡らせるとすぐにそこが目に入るから、そうなる前にシェリーは逆を向く。ここから見えてしまっては落ち着かないから、さっきから絶対に見ないようにしていた。
誤魔化すようにため息をついてから、今は春祭りのことを考えようと生徒たちの作品へと目を戻す。
「どれも本当にきれいに咲いて……目移りしちゃうわね」
なにか話題をと思うと、どうしてか言葉というものは出てきてくれないものだ。
迷った末に出てきたのがこれでは、内心でシェリーは肩を落とした。
「一年生たちも、年々腕を上げてくるから楽しみだな」
その横で、アルフェリアはまったくの普段通りである。
なにがあれば驚いたり狼狽えたりするのだろう。長い付き合いなのにシェリーは彼のそういうところはまだよくわからない。それがまた悔しいかった。
「ところで、シェリー。きみの部屋の窓だけれど」
唐突に話題が変わって、しかもそれが赤い薔薇のことで、シェリーの心臓が飛び跳ねた。
薔薇に気づいてしまったのだろうか。もしそうなら、どう思われただろう。ただ祖母を偲んでいるのだと思ってくれただろうか。
不安げに見上げると、アルフェリアは容赦なく指さす。恐る恐る目を向けたシェリーは、思わずはっと息をのんだ。
「さっきからちっとも見ようとしないから、さすがの私もしびれを切らしてしまった」
赤い薔薇が、窓枠をきれいに覆っていた。
蔓が窓を囲うようにはって、あの赤い薔薇が飾りのように可憐に咲き広がる。
いつの間にこんなことをしたのかと、どうしてものぐさな彼がこんなことをしてくれたのかと、シェリーの頭はいっぱいになる。だって、今日は、初めて一緒にいれる春祭りなのに。
「なんだ、気づいていなかったのか」
拍子抜けしたように言うアルフェリアの言葉も、あまり耳に入ってこない。
シェリーはじっと眺めて、その赤い薔薇がたしかにあの鉢植えと同じものだと確信して、胸がぎゅっといっぱいになってしまった。
それならば、あの鉢植えの薔薇は彼が咲かせたのか。あのうつくしい、赤い薔薇。
ため息がこぼれる。
「……本当に、きれいね」
「それはそうだろう。生半可な気持ちでは、ああは咲かせられない」
隣の男は、なんてことなくあっさり言った。
薔薇に見入るシェリーに満足げな様子で、生徒たちの邪魔にならない声でゆっくりと口を開く。
「ただ、ついてくる虫を避ける手は必要だ。きみのお祖母様もそう言っていたしこのところ私も痛感した」
虫、お祖母様、手。
うまく話がつながらないような、不思議な引っかかりにシェリーがまたたいたけれど。アルフェリアはそれがなにかとわかる間を与えずに言葉を続けてしまう。
「咲きほころぶのを見ているだけでは惜しいと、常々思う羽目になったわけだ」
ようやくシェリーは傍らを見上げた。
「それは、薔薇の花のこと?」
「さて、どうだろう」
とぼけているのかどうなのか。こういうとき、彼の淡々とした声も表情も恨めしくなる。遮るような鳶色の髪も、曇りがちな眼鏡も、シェリーの邪魔ばかり。
そう思うと、子どものように唇がとがってしまった。いつまでも子どもだと思ってほしくないのに。
「そんなことを言うと、変に期待してしまうわ」
「お好きにどうぞ」
拗ねた声に、アルフェリアはめずらしく歯を見せて笑った。シェリーは思わず頬を真っ赤にする。今なら、あの薔薇にだって負けないと、頭のどこかで暢気に思ってしまい慌てて頭を振った。
今日に限って、いろんなことがありすぎじゃないか。
恨めしげに薔薇に目を戻しても、ただただ健気に咲いているだけ。
あとで、わたしの部屋に来てくれる? 渡したいものがあるの。
凛と咲く薔薇に勇気をもらってシェリーが上目にそう言う。すると、オリーブ色の瞳がやわらかく微笑んで、さらりと髪をなでてくれた。




