第二十一話
「イサリビィ海賊団とは、自分達の乗った船を襲ってきた海賊ですね」
ハスキーの口ぶりには悔しさのようなものが混じっていた。
ハスキーは正義感が強く、それに見合った腕力、そして清廉さももっているので、命令とはいえイサリビィ海賊団に何もできなかったのが、掛け忘れた鍵のように僅かに心のどこかに引っかかっていた。
「そうだ。普通の海賊と違って、金目の物よりも自分の好きなものを狙うからな。今はまだ値打ちがない龍の鱗でも手に入る可能性は大だ」
「確かに良い考えかもしれんな」
エミリアのリットに対する疑いはなくなっていた。
頷きには信頼感が伺える。
「だろ。人魚やスキュラなら海の奥深くまで潜れる。海賊の活動範囲がどこまでかわからないが、三角航路周辺に出没するなら、各国の物も色々と手に入るはずだ」
リットは鞄から、イサリビィ海賊団のアリスから指輪と交換に受け取ったシルクのパンツを取り出して食卓の上に置く。
エミリアは平然としているが、ハスキーは顔を赤らめて居心地が悪そうに生唾を飲み込んだ。
「おい……食卓に置いたからって食いもんじゃねぇぞ」
「違います! そういう意味で唾を飲み込んだわけじゃありません!」
ハスキーは珍しく反抗的に言うと、エミリアが食卓からパンツを払いのけた。
「こら、大事な話の最中に私の部下をからかうな。話が先に進まないだろう」
「話を円滑に進めるためのジョークだろ。なんなら詫びにやろうか?」
「そんな寒そうな下着はいらん。いちいち茶化すな。こうやって脱線するだろう」
エミリアの至極当然の正論に、リットはつまらなそうにため息をついた。
「それで――どうする? 何はともあれ、イサリビィ海賊団を見つけなけりゃいけねぇだろ」
「なにやらバカにされたような気がするが……まぁいい。一度ドゥゴングに戻った方がいいかもしれんな。……しかし、戻ったところで父上がいるかはわからない」
「別にエミリアの親父がいなくてもいいだろ。船さえありゃな」
「そういうわけにはいかない。父上の許可がなければ船を出せないからな」
「イサリビィ海賊団さえ見つかりゃ、小舟でもなんでもいいだろ」
「そういうわけにもいかないだろう。小舟で積み荷はどうするんだ?」
ここでリットは、自分の考えとエミリアの考えが食い違っていることに気付いた。
それはエミリアも同じで、鏡の中の自分が勝手に動き出したかのような怪訝な表情を浮かべた。
「もしかして――」と、リットとエミリアは同時に行ったが、偶然に口が揃ったことによってお互い言葉を止めた。
「なんだよ」
「いや……。言い掛けておいてすまないが、あまり口には出したくはない」
「なら、オレから言うけどな。まさか、のんきに海賊と取引しようなんて思ってないよな」
リットの言葉を聞いてエミリアは「やっぱりか」といった具合に、食卓に肘をついて頭を抱える。
「どうしたのですか? エミリア様」
その様子を見て、ハスキーが心配そうな声色で言った。
「リットは……リットは……海賊行為をするつもりだ」
「えぇ!?」
ハスキーは喉仏が裏返ったのではないかと思うほど、高く頓狂な驚きの声を上げた。
「オレだけじゃねぇ。――エミリアもすんだよ」
――ゴン! と鈍い音が鳴る。
エミリアは額を食卓にぶつけていた。
ゆっくり顔をあげると、険しく吊り上げた目でリットを見る。
「そんなことできるわけがないだろう! 私は城で働く兵士だぞ! 例えリットだけだとしても、そんなことをさせるわけにはいかない!」
エミリアが食卓を拳で強く打ち鳴らすと、壁や天井など同時にが軋んだ。
「エミリアさぁーん! この家は頑丈じゃないんだから気を付けてください!」
食事の支度をしていたアキナが、こぼれ落ちる天井の木くずを払いのけながら言った。
「す、すまない」
「冷静になれよ。別に盗みの計画をしてるわけじゃねぇんだから」
「同じようなことだ!」
エミリアは振り上げた拳を、食卓ギリギリのところで止めた。
「その性格、ストレス溜まりそうだな」
「……おかげさまでな」
エミリアは怒りを飲み込むように拳を引っ込めると、落ち着くために長い息を吐いた。
「リット様は海賊になりたいんですか?」
深呼吸しているエミリアの代わりに、ハスキーが聞いた。
「別にオレだって海賊になりたいわけじゃねぇよ。取り引きされる側になるのは意味ねぇって言ってんだ」
「しかし……海賊になるのは自分も反対です」
「安心しろ。パッチは元より、オマエも連れてかねぇよ。逃げられたら意味ねぇからな」
リットは猫の獣人であるパッチワークを見て、逃げ出した海賊船を思い出していた。
猫であるパッチが苦手なだけかもしれないが、万が一の可能性も考えて獣人は連れて行かないほうがいいだろう。
「それでもです」
「交易船に半ば認められたような存在だろ? あれは海賊船じゃなく、私掠船だと考えればいい」
「確かにイサリビィ海賊団のおかげで、他の海賊は寄り付いてきません。死人は出ませんし、容認している部分もあります。それでも被害が出ているのは確かです」
「そうだ。それに、新たに海賊団を作っては、三角航路周辺を縄張りにしているイサリビィ海賊団にも狙われることになる」
長いため息を吐き終えたエミリアだが、まだ睨むように目を細めてリットを見ている。
「同じ船に乗るのに、狙われることはねぇよ」
「その口ぶり……まるでイサリビィ海賊団に入るような言い方だな」
「まるでじゃねぇよ。そのまんまの意味だ。イサリビィ海賊団に取り入って仲間になるんだよ。さっきからそう言ってんじゃねぇか。人魚かスキュラがいなけりゃ、龍の鱗が海に沈んでた時に見つからねぇだろ」
「聞かなければよかった……。言わせなければよかった……」
エミリアの声は徐々に小さくなっていく。
「エミリアには付いて来てもらうぞ。ハスキーを連れて行かねぇんだ。なにかあった時オレが困るからな」
「城の兵士になったことを後悔する日が来るとは……」
「心配すんな。海賊になりゃ、もう兵士じゃねぇよ」
リットはいつの間にかアキナが食卓に置いていたお茶を飲みながら笑う。
「笑うな! 私はまだその作戦を許可してはいない!」
「ゆっくり考えてもいいけどよ。これが最善だと思うぞ。それに、龍の鱗が手に入れば、海賊の被害よりも助かる奴のほうが多いしな」
「少し待て――すぐに答えは出ない」
エミリアは食卓に肘をつくと、まるで親の敵に出会った時に出すような唸り声を上げなら思案に沈んだ。
今日中には答えが出ないだろうと踏んだリットは、肩を畳に付けて横になり、イサリビィ海賊団にどうやって取り入ろうかと考えることにした。
イサリビィ海賊団には出会ったが、あの船には船長は乗っていなかった。
船のトップである船長と面識がないのは厄介だが、扱いやすそうなアリス・ガポルトルと出会ったことは幸運だったかもしれない。
手土産を持って煽てれば、船長と会談の機会を取り持ってくれる可能性はある。
副船長と呼ばれていたし、それなりの権限はあるだろう。
問題はどうやってアリスに近付くかだ。
海賊になりたいと言って、わかりましたで通ればいいが……。
海賊のなり方なんて考えたことなんてないので、なにも考えが浮かばない。
いっそ酒場気分で話し掛ければいいかと、リットが投げやりに考えていると、足音が聞こえ耳近くで止まった。
「あのう……リットさん。これはなんですか?」
「あぁ――それは大陸のものだ。欲しかったらやるよ」
シルクのパンツを拾い上げたアキナに、リットは振り向かずに答えた。
「鍋つかみにしては薄いですし……帽子ですか?」
「かぶる奴もいるけど、大抵は男だな」
「男性用の帽子……。儀式などに使われるものですか?」
「儀式ねぇ……。ある意味儀式だな。いや……人に見られたら死にたくなる、呪術に近いかもな」
「恐ろしい道具なんですね……」
アキナの唾を飲み込む音が聞こえる。
「男が使うにはな。詳しいことを知りたかったら、コジュウロウにでも聞け」
酒が入っていることもあり、いつしかリットはそのまま寝てしまっていた。
リットが目を覚ましたのは夕方。味噌汁の匂いと、コジュウロウに何度も名前を呼ばれ揺さぶられたからだ。
リットが体を起こすのを見ると、コジュウロウはリットに人差し指を突きつけた。
「アキナを騙してはダメでござる」
起き抜けに言われてもなんのことかわからず、リットが黙ったまま重そうな目蓋を閉じたり開いたりしていると、コジュウロウはどこか機嫌の良さそうな声色を弾ませた。
「拙者がちゃんと、これははくものだと教えたでござる」
「あぁ……そういえばアキナにやったな」
「それを拙者がアキナから貰ったでござる。上質な布で作られたふんどしにござるな。お尻がスベスベするでござる」
「ふんどし? まさか、オマエがはいてるのか?」
「当然でござる。愛娘から贈り物が貰えるとは、拙者もかなり父親の威厳を取り戻してきたでござるなぁ!」
リットはコジュウロウの下腹部に視線を移し、慌てて首を横に振った。
「確認なんだが、それはふんどしだと教えてから貰ったのか? それとも貰ってからふんどしだと教えたのか?」
「拙者がふんどしだと教えたら、それならとくれたでござる」
「良かったな。本当に嫌われてるわけじゃねぇんだな」
アキナが、リットの言葉通り呪術の道具だと受け取ってコジュウロウに渡していたなら問題だが、ふんどしだと思って渡していたなら問題ないだろう。
「なにを言ってるでござる。むしろ愛されているから贈り物でござるよ。拙者の粋なふんどし姿を見るでござるか?」
女性物の下着だということに気付いていないコジュウロウは、自慢気に袴に手を掛ける。
「――いい――いい。そんな大事なものは人には見せないでおけ、オマエの為にも」
「そうでござるか? 村の皆に自慢したいでござるのう……。それにしてもこのふんどしは、ぴったりふぃっとで玉の収まりもぐっとでござる」
「そりゃ、オマエのが小さいからだろ」
リットは呆れたようよりも、疲れたように息を吐きながら言う。
「なにか言ったでござるか?」
「シルクだから通気性もいいだろ?」
「なんと! 絹でござったか! どうりで……。はかずに売ったほうが良かったかもしれないでござるな? 洗えば大丈夫でござろうか?」
「ものによっちゃ洗わないほうが高く売れるだろうけど、コジュウロウがはいたんじゃ無理だろうな」
「そうでござるか……。なら、拙者はヨメニーにでも見せてくるでござる」
静止しようとするリットの手をすり抜けて、コジュウロウは外へと出て行った。
「――なぁ、アキナ」
「なんですかー?」
アキナは包丁でネギを刻む小気味の良い音を響かせながら返事をした。
「普段って、どんな下着はいてんだ?」
アキナの包丁を持った手が止まる。
「も、もう、いきなりなんですか」
「ちょっと気になったんでな」
「普通です。普通の下着です」
「普通って言っても色々あるだろ。尻全体を包み込んでるものもあるし、半ケツを出してるようなのもある。他には――」
リットが言いかけたところで、後頭部に骨を潰す為の鈍器で殴られたような激痛が走る。
「人が真剣に悩んでる時に、横で堂々とセクハラをするんじゃない」
げんこつを食らった衝撃で額も食卓にぶつけたリットは、恨みがましい視線をエミリアにぶつけるが、エミリアは言葉を失った獣人のような鋭い瞳でリットを睨み返した。
「別に、アキナのパンツを聞いてどうこうしようってわけじゃねぇよ」
「どうこうしないのならば、聞く必要が無いだろう」
「コジュウロウの為に必要なんだっつーの」
「なるほど。父親の為に娘の下着の詳細を聞く。――それで納得がいくと思うか!」
エミリアが食卓を叩く度に家が軋むので、アキナは夕食を守ろうかエミリアをとめようかとその場でオロオロしていた。
「いいから落ち着け」リットは立ち上がりエミリアの肩を掴むと、アキナから離れた部屋の隅へと引っ張っていった。「自分の親父が女物のパンツをはいてたらどう思う?」
「なにを言ってる。父上がそんなものをはくわけないだろう」
「仮定の話だ。もし、親父が女物のパンツをはいていたら幻滅するだろ?」
「それが盗んだものならいざ知らず、父上の趣味にまで口を出す必要はない」
「……わかった。話を少し変えるぞ。それが周りにバレたらどうだ? エミリアは女のパンツをはいた男から生まれた女だって、近所からこそこそ言われることになる」
「ふむ、ややこしいな。私が女性物の下着をはくのはおかしいということになるのか?」
「ちげぇよ。兵士として不名誉なレッテルを貼られるってことだ」
「それは問題だな。しかし、一人一人としっかり話し合えば、理解は得られるはずだ。その為に長い時間を使うことになりそうだがな」
「それじゃあ、アキナから貰った女物のパンツをはいて、皆に見せびらかしてるコジュウロウがいても、娘達には問題ないってことでいいんだな」
リットは、コソコソ話す自分達を心配そうに見ているアキナを横目で見ながら言った。
「それは――ちょっとまて――。……なぜだ。そんなややこしいことになっている」
「東の国にあんな紐みたいなパンツはないから、ふんどしと間違えたんだろ」
「なぜ、そうなる前に説明しない」
「しようとしたら、家を出てヨメニーに見せに行ったんだよ」
「……母親ならともかく、下着姿を見せに来る父親は欲しくないぞ」
「おふくろの下着姿だって嫌だっつーの。このままコジュウロウが家を追い出されたり、娘達が陰口を叩かれるようになったら、オレ達二人のせいになるぞ」
リットは自分に人差し指を向けた後、その指をエミリアにも向けた。
「どうして私まで入っているんだ」
「パンツを払いのけて放置したのはエミリアだろ。それをアキナが拾ってから、この話は始まってんだよ」
「どうせまたリットが適当なことを言ったんだろ」
エミリアは今日何度目かになるため息を吐いた。
「……まぁ、それは一旦端に置いておこう。それを広げられると、こっちがフリになるから」
「私はむしろそこを重点的に話し合いたい」
「そんな暇ねぇだろ。悩むことは二つ。海賊になるのかならないか、パンツのことを教えるのか教えないのかだ」
「なぜ頭を悩ます問題ばかりをもってくるんだ……」




