第十六話
太陽が海を燃やし、水平線を赤く染め上げた。
空では巣に帰るカモメの影が焦げ付いたような黒で浮かび、飛んでいるのが見える。
沈みゆく夕日を眺めるように岬にポツリと立つ灯台からは、既に白い光が漏れていた。
リット達は横に長く伸びる影を引きずりながら、再び灯台の前に立っていた。
「じいじ、開けるでござる!」
コジュウロウが灯台のドアを忙しなく叩くと、錠が開く音もなくドアが開いた。
「用がある時は、ドア横の伝声管を使えといつも言ってあるじゃろうが」
ドアを開けるなり老人は、ドアの横にある先がラッパのように広がった金属製の管を苛立たしげに叩いた。
「こうして出てきたんだから良いではござらんか」
「なんの用じゃ……。客人かのう? 見覚えがあるのう……大陸の城の者か?」
老人はコジュウロウを無視すると、後ろにいるエミリアが着ている鎧の紋章を見て言った。
「リゼーネ王国から派遣された。リリシア・マルグリッドフォーカス・エルソル・ララ・トゥルミルスバー・カレナリエル・シルバーランド・エミリアです」
「そうじゃった。話は聞いておるよ。わしは灯台守のイッテツじゃ。さぁ、中に入っておくれ」
イッテツはドアを押さえたままリット達を灯台内に入れると、急にドア前に仁王立ちした。
「じいじ、まだ拙者が入ってないでござる」
一人灯台の外にいるコジュウロウが不満の声を漏らす。
「……コジュウロウ。お主には、灯台守を継ぐと決めるまで灯台内には立ち入り禁止を命じておるだろう」
夕日を反射させた半月眼鏡のレンズの奥で、イッテツが目を睨みの形に細めている。
「拙者は冒険家でござる。灯台守なんて地味ぃで、しょぼぉい仕事は嫌でござる。そんなのは真面目な父上殿にやらせればいいでござる」
「嫁子を置いてぶらぶらしとる孫のお主と違って、息子は立派にカモン城に勤めておる。灯台守になるつもりがないなら、この敷居はまたがせん」
イッテツは音を立てるようにドアを閉めると、これまた音が聞こえるように乱暴に錠をかけた。
ドア向こうからは、コジュウロウの不服の声が聞こえてきている。
「すまんのう……家の恥を見せてしまって。さぁ、付いて来てくれ。階段は狭く高いから気を付けるのじゃよ」
イッテツは先導して階段を上っていった。
リットはイッテツに続いて階段を二段上ったところで、おもむろに口を開く。
「恥だらけで、どこから見せたくなかったのかわからねぇよ」
「わしをじいじと呼んでからじゃ。まったく……コジュウロウが継いでくれんと、人手不足で隠居もできんわい」
イッテツが愚痴るように言った。長年の苦労が滲み出るような声色だ。
「あれが灯台守なんて継いだら、向かってくる船は全部座礁しそうだけどな」
「構わんわい。船など、ここ二、三年は一隻も見ていないからのう」
船がなければ灯台など何の役にも立たない。
元は北の大灯台の近くにも港町があったが、船が来ないので人がいなくなってしまった。皆ドゥゴングの船が来るカラクサ村に移住したのだった。
「なら、爺さんと命と一緒に灯台の灯も落とせばいい。役に立たないものをいつまでも使っててもしょうがないだろ」
「そういうわけにもいかんじゃろ。それに、お主のほうが先にくたばるかもしれんぞ」
「順番守れよ。そういうのは年の順だろ」
「失礼なことばかり言うな」
エミリアがリットの発言を注意するが、イッテツは気にした様子なく笑っていた。
灯台内部は上る度に狭くなり、階段もより急になっていく。
潮風が灯台に当たる音が内部にまで響いていた。
六階にあるひらけた監視室に辿り着くと、青年がご飯を食べているところだった。青年はイッテツと後ろにいるリット達に気付くと「お客さんですか?」と聞いた。
「なんだ。コジュウロウがいなくても、継いでくれる奴がいるじゃねぇか」
「こやつが孫だったらと何度思ったことか……。わしが死んだら一人になるじゃろう。それじゃあ、何かあった時に灯台が機能しなくなってしまう」
「そもそも今が機能してねぇじゃねぇか」
「そうじゃのう」そう言ったイッテツの声には憂いと寂しさが混じっていた。「キスケ。リゼーネから派遣された専門家だ。灯火室で説明してやれ」
キスケと呼ばれた青年は箸を机に置くと、喜色満面の笑みを浮かべて歩いてきた。
「大陸から専門家が来てくれるなんて感激です。この灯台も大陸の技術が使われているんですよ」
キスケは握手の為に手を伸ばしたが、リットがそれを掴むことはなかった。
「別に専門家じゃねぇよ。灯台なんて作ったことなんてねぇしな。そもそも普段は灯台なんてものには縁遠いところで暮らしてる」
キスケは握られない手を伸ばしたまま、あからさまに目に悲しみの色を浮かべてうなだれた。
「しかし、リットは不思議なオイルを発見したし、ヨルムウトルではフェニックスを呼び出したと聞く。なぁ、リット?」
「だからってなんでもできるわけじゃねぇよ――いてっ……まぁ、そういう実績もある。ただ、期待をするなってことだ」
エミリアに足を踏まれながらリットが答えた。
「僕は不死鳥を見たことがある人を知りません。それだけでも期待を持つには充分です」キスケは上がることなく膝下に垂れ下がっていたリットの手を掴むと、がっしりと握手をした。「灯火室に案内します。このすぐ上ですよ」
キスケは部屋の中央の柱にかかっているハシゴを指しながら言った。
「霊鳥フェニックスじゃなくて、魔神フェニックスの方なんだっつーの。しかも、詳しい奴の話では、呼び出したんじゃなくて追い払ったってことらしいぞ」
「僕は大陸文化にあまり詳しくないですから。同じ不死鳥じゃないんですか?」
「霊鳥は生の象徴。魔神は死の象徴。カラクサ村の人間を全員殺してまで呼び出したいなら、知り合いに方法を聞いてやるよ」
「それは……。聞かないことにします」
「そうしろ。それにしても、昔は船が来てたんだろ? 船乗りから大陸のことを聞かされたりしなかったのか?」
「船が来ても、灯台の中に来る人はいませんから。ですから、良かったら大陸のこと教えてください。灯台にこもっていると、外の情報があまり入ってこないので退屈なんですよ」
キスケはハシゴを上り、天井にある上開きドアに手を掛けながら言った。
「大陸ってのは裸の文化だ。あそこにいるエミリアも普段は素っ裸で歩いてるぞ」
リットはハシゴに手と足を掛けながら適当なことを言うが、真に受けたキスケはドアに手を掛けたままエミリアを見てゴクリと喉を鳴らした。
「裸……」と漏らして、キスケは頬を赤らめる。
「その後ろにいる毛むくじゃらの動物達も、当然裸だ」
「裸……」と再び漏らして、キスケの顔は青ざめた。
「想像したか青年。わかりやすいくらい素直だな」
リットはキスケの腰辺りを叩いて、からかい笑った。
ふと視線を下に落とすと、エミリアが睨んでいるのが見えた。
「嘘だから余計なこと考えるな。……下が詰まってるから、早く上がれよ」
リットに腰を押されながらキスケがドアを開けると、上から強い潮風か押し付けるように吹いてきた。
リットが灯火室に上がると強い光が顔を照らしたが、すぐに逃げるように光が離れていった。
全員が灯火室に上がるまでに、何回も回転する灯台の火に照らされた。
「ここが世界最大の灯台のてっぺんです。ここからの眺めは絶景ですよ」
キスケが誇らしげに言う。顔が輝いているのは、灯台の光が当たるだけが理由ではなかった。
ノーラやハスキーが枠組みだけになっている窓から、外の風景を眺めて感嘆の声を漏らす中、リットは特に反応を示すことなく、中央で燃える火に近付いていった。
「この潮風のなかよく消えねぇな」
灯台の火は風に煽られ不規則に揺らぐことはあっても、消えることなく燃え盛っていた。
「それだけよく燃える油を使っているんですよ。不死鳥の羽がなくなってから色々試してみて、最初の内は消えたりもしたのですが。この油はここ最近一番の出来ですね。嵐の中でも消えることなく燃えました」
「そりゃ、すげぇな。野晒しで消えない火っては」
リットは大きなランプのような器から燃えている火を見て言った。直目で見るには眩し過ぎるくらいに光っている。
「屋根もあり壁もあるので、野晒しというわけではないですけどね。雨には弱いですけど、風にはめっぽう強いです。それでも大嵐がきたらわかりませんけど……。不死鳥の羽を使っていた時はそんな心配もいらなかったんですけどね。燃える不死鳥の羽は揺らぐこともなく燃え続けていましたから」
「今は油を燃やしてるんだろ? 何を使ってるんだ?」
「油は『ガマの油』と、『冬椿』の凍った花びらから抽出した油を混ぜて使っています。他にも色々試したのですが、これが一番不死鳥の羽の炎に近い色を出しましたので」
「ガマってカエルの油か?」
「ガマの油は妖怪族である大蝦蟇の秘薬です。岩山にある池の油分を含んだ水だそうですが、大蝦蟇が吐く虹色の気を当てないと入り口の大岩が動かないため、大蝦蟇しか手に入れることが出来ないのです。傷にも良く効くので軟膏としても使われています」
妖怪族と共存している東の国独特のものだけあって、リットはガマの油という言葉を聞いたことがなかった。大陸で話を聞いたことがないということは、東の国でも輸出するだけの量がとれないものなのだろう。
「冬椿は普通の椿と違うのか?」
「冬椿は冬に花開く早咲きの椿です。手の熱で霜が溶けないように茎から積み、凍っているうちに砕いてから蒸して絞ります。普通の椿油と違うところは、種からではなく花びらからオイルを抽出することですね。量は取れませんが、濃厚な油が取れますよ。この灯台で使っているのは特に良いものでして、冬の終わり春の始まりに咲いた椿を雪女が凍らせたものです」
「雪女ってのは何でも凍らせるのか? 便利な奴だな」
「そうですね。他にも雪女は、氷売りや冷凍貯蔵の仕事もしています。でも、雪女は暑さを嫌いますから、東の国の一番高い山。万年雪の『不死山』にしか住みませんよ」
「……そりゃまたすげぇ名前の山だな」
「大昔にそこで不死鳥が見つかったので、そう名付けられたと言われています」
リットとキスケが関係のないことで会話を膨らませていると、エミリアが何かを伝えるようにコホンと一つ咳払いをした。
「あぁ、そうだった。東の国の文化じゃなくて灯台のことが先だな。これは同じのを使ってるのか?」
リットは台座の上で燃えている火の後ろにある、大きな鏡みたいなものを見て言った。
鏡みたいなものは火と一緒に台座ごと回っており、そのせいで部屋は部分的に明るくなったり暗くなったりを繰り返している。
「反射鏡は無事だったので、元のを使っています」
「鏡なのか? そのわりにはずいぶん……」
リットは光を手で隠して、顔に影を作りながら反射鏡を覗き込んだ。
一枚鏡ではなく、小さな反射する物体をいくつも貼りあわせて作っているようで、反射鏡に映る顔は曇るように見えた。
「『カガミヘビ』という白蛇の鱗を使い作られた反射鏡を使って光を伸ばしています。普通の鏡を使うよりも、光を吸収せずに反射するので、より明るい光が遠くまで届くんですよ」
「……本当に、闇に呑まれたペングイン大陸まで光が届いたのか?」
ここでリットは始めて外の景色に目を向けた。
外は夕暮れではなく夜になっており、誰かが噛ったような細い三日月が夜空に浮かんでいた。
灯台は海面をなぞるように照らしている。
「どうぞ。今日は雲が少ないのでよく見えるはずです」
窓枠に手を付いて目を凝らすリットに、キスケが望遠鏡を渡した。
最初リットは何が見えるのかわからなかったが、望遠鏡を伸ばし、元の倍以上の長さにすると、キスケが言いたいことが何なのかわかった。
遥か遠くは空が明るいのだ。
正しく言うのならば、そう思えるほど空の下が暗くなっている。リゼーネの迷いの森よりも、ヨルムウトルの暗闇よりも暗い。
あれが『闇に呑まれた』ということがすぐにわかった。
いくら高性能の望遠鏡を使っても、ここからは闇に呑まれたペングイン大陸は見えないはずだ。それなのに闇に呑まれた現象が見えるということは、まるで空間を歪ませたように距離感がおかしくなっている。
灯台が光の塔ならば、あれはすべてを飲み込む底なしの穴。例え太陽を落としたとしても、変わることのない黒に見える。
まるで闇が迫り来るような恐怖がある。
初めて見る純粋な黒は、リットの背中に冷や汗を一筋流した。
「……あれが闇に呑まれるってことなのか?」
リットは目から望遠鏡を離すとノーラに渡した。
ノーラは望遠鏡でリットが見ていた方向を見ると、すぐに望遠鏡を離した。
「……そうですね。あれはもう見たくないです。あの中にいると目玉がなくなったように感じるんです。知ってましたか? 旦那。目を閉じて、目蓋を手で覆っても、それは本当の闇じゃないんですよ」
ノーラの声のトーンが、いつもとは明らかに違っていた。そして、それを誤魔化すように「ご飯が食べられないほうが辛いっスけどねェ」といつもの調子で言った。
「オマエの胃袋も、そこなしの穴みたいなもんだな」
リットは汗ばんだ手のひらをノーラの頭に乗せた。撫でることはなく乗せているだけだ。
「あれは、ゆっくりですが……確実に東の国へと迫ってきています」
キスケの声が聞こえると、リットはノーラから手を離した。
「わかるのか?」
「いえ、感じるんです」
キスケの感じるという不確かな答えに、リットは心の中で頷いていた。
「ハスキー」
リットが名前を呼ぶと、それだけで意味を理解したハスキーが、妖精の白ユリのオイルが入った大瓶を鞄から出した。
「何年も人の手が入っていないような土じゃなきゃ育たない花から抽出したオイルだ。使われなくなった港付近に植えれば、妖精の白ユリも育つかもな」
ハスキーから大瓶を受けとったキスケは、それを大事に抱えた。
「明日の昼にまた来てください。今のオイルを抜いておきますので。夜に使って照らしてみましょう」
「そうだな。明日になりゃなにか変わるだろ」
「それは前向きに受け取っていいんですか?」
「もちろんだ。何もなくても、明日になりゃ得意の嘘八百を並べて煙に巻くからな。なんなら、たわ言も聞かせてやるよ」
リットは、ぽかんとした表情のキスケを置いてハシゴを下りていった。
「あの……どうとればいいんでしょうか」
どうすればいいかわからないキスケは、困ったようにエミリアを見た。
「……こういう男なんだ。気に留めないでくれ。それでは、また明日来る」
エミリアはリットの代わりに頭を下げると、明日の約束をしてハシゴを下りていった。




