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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(上)

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第七話

 酒場で朝を迎えると、酒のせいだけではなく体が重く感じる。

 窓から射し込む朝日と店主に体を揺さぶられリットは目を覚ました。

「もう、店じまいだから帰ってくれよ」

「朝か……。どうりで頭が痛いはずだ……」

 リットは二日酔いでズキズキ痛むこめかみ辺りを押さえながら、テーブルから体を起こした。

 リットの他にも酒場で夜を明かした者が何人かいた。

 テーブルで突っ伏して寝ている者が四人。床で大いびきをかいてる者が二人。みんな次々店主に起こされていた。

 床で大いびきをかいている男に聞きたいことがあったリットは、店主と一緒になって体を揺さぶったが、男は酒瓶を抱えたまま起きる気配がない。

「まいったな……。飲ませすぎたか」

 リットは珍しく後悔の念に駆られていた。

 屋敷から逃げ帰るように酒場に来たリットは昨夜一人で飲んでいたのだが、そこには何かリットの頭に引っ掛かる話題で盛り上がっている男達がいた。

 しかし、肝心な場所で男達は酔って喧嘩を始めてしまった。

 話の続きを聞く為に、リットはいつもの軽口で仲裁をして男達に酒を飲ませていたのだが、返杯に返杯を重ねているうちに、いつの間にかリットも酔っ払って寝てしまっていた。

「羽振りがいいと、無駄に使っちまってダメだな。どうりで金が貯まらねぇはずだ」

「おかげでこっちは繁盛だ。その礼と言っちゃなんだが、壊したテーブル代はオマケにしといてやるよ」

 酒場の店主がテーブルだった木くずを拾い上げながら言った。

「おいおい……。壊したのはオレじゃねぇだろ。こいつだ」

 リットは床で寝る男の頭をつま先で軽く小突く。

 男は起きることなく、苦しそうにイビキを上げた。

「酒を飲ませたのはあんただろ?」

「こんなんじゃ、もう良いことしようなんて一生思えねぇな」

「見返りを求めないから、良いことなんじゃないか?」

「じゃあ、尚更一生思えねぇな」

 リットは酒場を出る。

 太陽の白い光が否応なくリットを照らした。酒場の陰気なランプの明かりを一晩浴びていた体には、突き刺さるように降り注ぐ。

 リットが重い頭を抱えてフラフラになりながら屋敷に帰ると、ハスキーが朝の鍛錬をしているところに出くわした。

「おはようございます! リット様!」

 ハスキーは木の葉陰から小鳥が驚いて飛び出すほどの大声で朝の挨拶をする。

「やめてくれ……大声は……。あと……その汗のニオイも」

 朝の太陽も、ハスキーの鍛錬も、朝食の匂いも、爽やかな朝の全てが二日酔いのリットを襲った。

「お酒とは、そうまでして飲むものなんですか?」

 地面にへたり込むリットに、ハスキーが心底不思議そうな顔で尋ねる。

「……人類最大の謎だな。酒を飲み、財布の紐が緩くなり、翌朝は頭痛だ。それに、朝の通りをふらふら歩けば白い目で見られる。なのに人は酒を飲む」

「少し飲むのを控えればいいだけなのでは?」

「謎は謎のままにしておくもんだ。じゃないとロマンがなくなるからな」

「これは大変失礼しました! 行き過ぎた発言でした!」

 ハスキーが姿勢を正して詫びた。その声もまた、リットの頭にガンガンと重く響いた。

「もっと声のトーンを落としてくれ……」

「失礼しました」

 ハスキーは低い声で言う。

「……そういう意味じゃねぇよ。で、ハスキーは朝から鍛錬か?」

「そうです! 自分は鍛錬中であります!」

「よかった。それじゃあ、暇だな。水持ってきてくれ」

 そう言ってうなだれたリットの頬に冷たいものが当たる。

「部下の鍛錬の邪魔をするな。だから言ったではないか。飲み過ぎは良くないと」

 エミリアが水の入ったコップをリットに差し出していた。

 リットはそれを一気に飲み干すと、深く息を吸って吐いた。

「済んだことをアレコレ言ってもしょうがないだろ。アレコレ言うのは明日からのことだ」

「それも一理あるな。ならばこれからのことを話そう。積み荷は三日以内には――」

「違う違う。寝るんだよ。いいか? 太陽が出たら明日じゃない。寝て起きたら明日だ。だから、オレの時間はまだ昨日なんだよ。明日の話はオレが起きてからだ」

「なんて無茶苦茶な理論だ……」

「簡単な話だ。二日酔いの最中に小言はよせってことだ」

 リットは空になったコップをエミリアに返すと、屋敷の中に入っていった。



 リットが目を覚ましたのは、真上の太陽が傾いた頃だった。

 空腹が音を立てると、リットはベッドから這い出した。

 しかし何も食べる気にはなれず、海の見えるテラスへと向かった。

 テラスへと続くドアを開けると、青い空と青い海が交わる辺りから白い波が押し寄せてくるのが見える。

 リットがボーッと海を眺めていると、誰かが小さい望遠鏡を渡してきた。

 その望遠鏡で海の方角を覗くと、波に揺られ大きな船が一隻港に到着するところだった。

 他の活気のある船とは違い、船員はノロノロとした足取りで船を降りていく。そして、蓋の閉まっていない積み荷を下ろしていた。

 テラス角にある椅子に座りノーラも海を見ていた。

「おはようございます、旦那ァ。まぁ、もう昼ですけどねェ」

「自業自得とはいえ、昼に目を覚ますと損した気分になるな……」

 リットは望遠鏡をノーラに投げて返した。

「食べます? お昼の野菜サンド」

 ノーラは右手で望遠鏡を掴んで海を見ると、左手を伸ばして食いかけのサンドイッチをリットに差し出した。

「いらねぇ。胃が落ち着いたら町に食べに行くからな」

「いいですねェ」

「いいですねって、まだ食うつもりか?」

「食べるためにドゥゴングに来てるんだから当然です。パッチの情報じゃ、なかなか良い店があるらしいんっスよ」



 クジラ通りの八本目の一番奥。海に飛び出した格好で、ノーラの言う店はあった。

 店は左巻きの渦巻き貝の形をしており、いかにも人魚の店といった具合だ。

 看板には『キッチン・ハサミ』と書かれている。

 人魚の店はドアを開けていきなり下りの階段があった。ちょうど海面と床が同じくらいの高さになっており、通路の代わりに水路になっている。人間が奥に入るには、テーブルと椅子が設置されている床にジャンプをしながら移動しなければならなかった。

 リットとノーラは三つほど床を飛び越えたところで椅子に腰を下ろし、人魚の店員が来るのを待った。

 適当なコースメニューを頼むと、五分もしないで料理が運ばれてきた。

 海藻のサラダ、貝のマリネ、細かく刻んだ赤身魚のたたき。どれも火を使っていないので、この速さにも納得だ。

 昼ごはんをしっかり食べたはずのノーラはガツガツと平らげているが、リットは食が進んでいない。

 海藻のサラダを避けるようにして、新しい皿が置かれた。

「グレープフルーツのはちみつ漬け。二日酔いに効くよ」

「悪いな」

「気にすること無いよ。ちゃんと会計につけといたからね」

 人魚の店員はさらっと言うと、お客に呼ばれて別の席へと泳いでいった。

 厚意か違うか、それがどうあれ確かに果物は食べやすい。

 リットはグレープフルーツのはちみつ漬けを口に含むと、舌で上顎に押し付けて、口の中を果汁で満たした。

 そして昨夜、屋敷から逃げるようにして向かった酒場で聞いたことを思い出そうとした。

 しかし、酔っぱらいの話を酔っぱらいが聞いたところで、頭に入るはずもない。

 男が口を漏らすのは大方酒か女。流石に同じ轍を踏もうとは思わず、酒場ではなく店員が人魚ばかりのこの店でリットは聞き耳を立てた。

 すると、船持ちの商人だと思える風貌の二人組が、興味深い話をしているのが聞こえてきた。

「運が悪かったな」

 男がもう一人の男の肩を叩き慰めの言葉をかけている。

「……悪いなんてもんじゃねぇ。積み荷が全部なくなっちまった……」

「災害と一緒さ。ちゃんと対策をしてなかった方が悪い。少なくともドゥゴングじゃそういう決まりだ」

「わかってるよ! でも、そう割り切れるもんでもないだろ」

「別に無一文になったわけじゃないんだし、早めに代わりに手に入れた物を売って資金にした方がいいな」

「わかってる……。わかってるけど、あの積み荷は取引次第で大金になるはずだったんだ」

「まぁ、今日は奢ってやるから元気出せって。次から気を付けるしかないな。――海賊には」

 ようやくリットは頭の片隅でぶらついていたものを明確に思い出した。

 町酒場のカーターの情報だ。港町ドゥゴングの近海では海賊が暴れまわっているという。

 リットは手を付けてない貝のマリネの皿を持つと、男達に近付いていった。

「よう、それ詳しく聞かせてもらえるか?」

 リットは皿を男達のテーブルに置きながら言った。

 男達は驚いて顔を見合わせたが、項垂れていた男がおもむろに口を開いた。

「あんた船持ちか?」

「いいや。でも、乗る予定がある」

「悪いことは言わない。やめとけ」

 慰めていた方の男も頷いた。

「オレもコイツの意見に賛成だ。あんた港には行ったか?」

「あぁ、でかい船が埋め尽くしてたな」

「そう、大きな商船ばかり目立っただろ? 金がある船しか安全に航海出来ないんだ。見たところ……、金は持ってないな」

 男はリットの格好を見ると、確信めいた口調で言った。

「まぁな、オレは持ってない。――でも、金持ちの連れがいる」

「じゃあ、その金持ちの連れに言って、行くのを取りやめにした方がいい。少なくともあんたはな」

 男達はそれっきり口を閉ざしてしまった。聞きたいことがあるなら知り合いにでも聞けといった具合だ。

 リットは貝のマリネの皿をテーブルに置いたまま、仕方なく自分のテーブルへと戻った。

「どうしたんスか?」

 戻ってきたリットに、ノーラが麺類でも食べるように海藻をすすりながら聞いた。

「海賊騒ぎだ」

「海賊って、ドクロマークの旗を掲げた船に乗って、大砲バンバン打って、金を奪う海賊っスか?」

「たぶんな。エミリアはこのこと知ってるのか?」

「さぁ、特に何も言ってなかったっスよ。積み荷の内容に、紅茶と……、香料……。あと、ハーピィの抜け羽……。なんか色々、たくさん、たっぷりあるってのは聞きましたけど」

 ノーラは最初思い出しながら言っていたが、すぐに面倒くさくなり適当な言葉で誤魔化した。

「そりゃ、交易品だ。山ほどあるだろうよ。……オレら囮じゃねぇだろうな」

「またまたァ、エミリアがそんなことしないってわかってるくせに」

「まぁ、仮にも国の兵士が乗ってるんだ。大丈夫だろ」

「仮なんスか?」

「戦争のない時代の兵士なんて仮だろ」

 リットは最後にグレープフルーツのはちみつ漬けをつまんで口に入れると、会計を済ませるために立ち上がった。

「……ちょっと、高くねぇか?」

「そういう店ですから」

 人魚の店員は笑顔を崩さずに言う。

「なにが、こんなにかかってるんだ?」

「下着姿の女の子の接客料です」

「……それ、普段着だろ」

「言い切ったもの勝ちですから」

「そうか……。もし、パッチワークがここに来たら、覚えとけって言っとけ」



 リット達は人魚の店から出ると、アバラ通り八本目にある料理の店々の客引きを無視して歩き、アバラ通り七本目の雑貨店通りの店先を冷やかすように覗いてゆっくりぶらついた。

 汗と一緒にアルコールを出すためだ。

 港沿いの潮の香りを嗅ぎながらしばらく歩く。頭痛もだいぶ楽になると、リットはそのまま屋敷のエミリアの部屋に向かった。

「おい、海賊の対策はとってるんだろうな」

 部屋に入るなりそう言ったリットの頭に箒の柄が強く当たる。

「女性の部屋にはいる時はノックをお忘れなく」

 ヘレンが仁王立ちでリットを睨んだ。その奥で椅子に座り本を読んでいるエミリアの姿がある。

 リットはうずくまり頭を押さえた。せっかく止んだ内側からの頭痛は、今度は外側からズキズキと痛み出す。

「正々堂々が、騎士道じゃないのかよ……」

「私はメイドですから」

 ヘレンはしれっとした顔で言う。

「――私はそのことを何度も話そうとしたぞ。昨日からな」

 リットの言葉を見透かしていたように、エミリアはやれやれと嘆声を発するように言った。

「なら言えばよかっただろ。いや……わかった、オレが悪かったな」

「そうだ」

 リットの反省の言葉に、エミリアは満足気に頷いた。

「それで、対策はどうなんだ?」

「もちろんしている」

「是非聞かせてもらいたいもんだ」

 リットはエミリアに近づいていくと、対面の椅子に座った。

「そんなに気になるなら、昨日のうちに聞いておくべきだっただろう」

「わかったわかった。多少は改めるし、小言も受け入れる。だから、まずだ。まず、海賊の対策を聞かせてくれ。じゃないと、ついて行かねぇぞ」

「……わかった。まず、リットの思う海賊とは違う。一般的なイメージの極悪非道な海賊ではない。――だが、害がないわけではない。商船を狙って物を売りつけてくる」

「そりゃ、海賊じゃなくて商人じゃねぇか」

「それが相手の言い値でもか?」

 エミリアは本を閉じると立ち上がった。

「まさか、石ころ一個がダイヤモンド並の値段になるって言うんじゃないだろうな」

「そのまさかだ。ドゥゴング近郊を縄張りにしている『イサリビィ海賊団』は、物の価値は自身で決める。海賊が石ころに価値があると思えば、ダイヤモンドと強制的に取引されるわけだ。その逆もありえる。過去には、ずいぶん得をして帰ってきた商船もあるからな」

 エミリアは部屋の隅に歩きながら言った。

「国はその海賊団をほっといてるのか?」

「その海賊がドゥゴング近郊を縄張りにしているおかげで、他の海賊が寄ってこない。まるで質の悪い自警団だ。この考え方は私は好きではないが、悪を抑止するのには悪も必要ということだ」

 リットはキッチン・ハサミで男達が話していた『自然災害と一緒』という言葉を思い出して納得した。

 少なくとも他の海賊と違って、虐殺されて金品を奪われるわけではない。やり直すチャンスはある。

「それでどうするんだ?」

「とりあえず、これを渡しておく」

 エミリアは部屋の隅から小箱を持ち上げて、テーブルに置いた。

 小箱の中には宝石が入っている。

「今回の報酬か?」

「いや、その海賊対策だ。積み荷に狙いを定められても困るのでな、目を引きやすい宝石を一緒に船に積んでおく。なんの決まりかは知らないが、強制的に一人一回は取引させられる。万が一の為に持っていろ」

「持っていろって……。取引失敗なら殺されるのか?」

 リットは宝石を一つ取ると、陽の光に当てて反射させた。

「過去に殺された者はいない。船首に裸で吊るされて街中の見世物にされた男はいるがな」

「……ありがたく受け取っておく」

 リットの頭の中ではフェムト・アマゾネスの時のトラウマが顔を出していた。

「もうひとつの対策は出港日だ。積み荷は三日以内に全て届くが、出港するのは一週間後の嵐の日。嵐の中だとイサリビィ海賊団も船は出さないからな」

「なるほど。金は使わないのか?」

「必要ない。イサリビィ海賊との取引は全て物々交換だ。大事ならば骨董品は持って行くなよ。狙われる可能性が高い」

「骨董品なんて着古したシャツしかねぇよ……」

「なら、問題ないな。――何度も言うが、酒は控えておけ。船の上で吐くことになるぞ」

 リットはため息を吐いた。

「何を楽しみに生きていけばいいんだか……」

「これを期に、酒を抜いた生活も悪く無いぞ」

「……考えとく」

 そう言うとリットは部屋を出て行った。

 そして、その足で酒場へと向かった。

 世界各国の酒が船で運ばれてくるドゥゴングは、パッチワークだけではなく、リットにとっても天国のような街だった。






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