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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第二十二話

 たくさんのかがり火が、火事のようにヨルムウトル城の中庭を照らしていた。

 規則正しく分けられた庭園スペースに十字に石畳で通路が作られており、十字路の中心にテーブルと椅子が備え付けられているガゼボが建っていた。美しい草花に囲まれて、休憩するスペースはさぞ癒やされただろう。

 今となっては五つある屋根を支える柱は全て倒れ、崩れた屋根の残骸がテーブルと椅子を埋めていた。

 その瓦礫の山の手前では、人相の悪い屈強な男達が怒声のような掛け声をあげて力仕事をするように、影執事がヒッティング・ウッドを担ぎあげて運んでいた。

 縦に二本、横に二本と交互に置くと、それを何段も重ねる。

 ヒッティング・ウッド一本を数人で運び終えると、影執事は自分の肩をトントンと叩いて疲れた素振りを見せる。そしてまた次のヒッティング・ウッドを運び始めていた。

「影も疲れるんスねェ」

 その様子を見ていたノーラが僅かに煙るような白い息を混じらせながら言った。

 リットの長袖の上着を羽織り、袖を何重にも捲って手を出し、ずれて落ちてこないように上着の広い襟首を手で押さえている。小さい体のせいでドレスを着ているように見えた。

「雰囲気を出すように、我がそう命じただけだ。影には厚みも重さもない」

 グリザベルもいつもの黒いドレスの上から、同じく黒の表地と紫の裏地の陰鬱な色をしているカーテンのように厚いマントを着込んでいた。

「にしても、のろのろ、のろのろと……。重さも関係ないなら早く運ばせろよ」

 リットは焦れったそうに小石を蹴り上げた。

「こういうことはな。前置きが大事なのだ。雰囲気がないと感動も少なかろう」

「雰囲気が大事ならナマズを水槽に入れる必要はねぇだろ」

 リットは外に運び出された浴槽の中で、尾ビレを揺らして鼻歌を歌うマグニを見ながら言った。

 視線に気付いたマグニは無邪気な顔でリットにVサインを送るが、リットはそれを無視する。

「何を言っておる。マグニがいなければ成り立たんではないか。マーメイド・ハープは要と言ってもよい」

「そうじゃなくて、浴槽はいらねぇだろう。すぐに干乾びて死ぬわけじゃねぇし」

「ドレスや靴を履いている我らと違って、マグニの体が泥で汚れるであろう。わかるか? リット。これが友への思いやりというものだ」

 グリザベルは鼻の穴を膨らませ、ふふんと鳴らすと得意顔を浮かべた。

「下半身の魚の部分は、元から泥と変わらねぇような色してるじゃねぇか」

「そういう問題ではない。親しき友の為にした行為と言っておるのだ」

「そのオマエの大事な友達は、泥が大好きらしいけどな」

 マグニはリットに向けていたVサインを下に向けて、小雨と浴槽からあふれた水で泥になった地面に落書きをしていた。

 マグニが描いたのは、海の演奏会に行った友達と思われる人魚の絵。どれもマーメイド・ハープのような楽器を持っていた。

「ふむ、芸術だな」

 グリザベルは自分のことではないのに誇らしく言う。

「これが芸術っスか? これなら私も芸術家になれそうっスね」

 ノーラは子供が描いたようなマグニの絵を見て、グリザベルの言葉に驚いていた。

「フハハ! なれるかもな。しかし、芸術家とは表現者だ。マグニのような天性の才能がなければ、細く険しい道を登り切ったところで難しいかもしれんな」

「歌ならともかく、この絵は落書き以外なんでもねぇだろう。知り合って一ヶ月も経ってないのに、よくそこまで崇拝できるな」

「友とは信じることから始まるものだ」

「片手で数えられるくらいしか友達がいねぇのに、よくまぁ語れるもんだ。やたら無意味に褒めまくるのも嫌われるぞ」

「何故だ! 褒めてはいかんのか!? 我は褒められると嬉しいぞ。普通は嬉しいものではないのか? はよ、答えぬかリット!」

 グリザベルはリットの襟元を両手で掴むと、細い腕でがくがく揺らした。

 体と首がバラバラに揺らされ、景色が歪む視界リットはグリザベルの腕を掴む。

「やめろ、あほんだら。酔うだろが」

「ならば、答えぬか! 何故褒めてはいかんのだ!」

 リットに腕を掴まれ止められたグリザベルは、今度は自分の頭を上下に揺らしながら吠えた。

「ただの嫌味になるだろ。まぁ、グリザベルの友達は脳天気人魚と、老い先短い達観した婆さんだし、心配いらねぇかもな」

「ならばいちいち言わなくてもよいではないか! それこそ嫌味であろう!」

「おう、確かにな。こりゃ一本取られたな」

 リットがカラカラ笑うと、グリザベルは地団駄を踏んだ。

「笑うでないわ!」

「地震を起こすのはナマズのマグニだろ。人の仕事を取ってやるなよ」

「そうだな。すまぬマグニ」

 グリザベルは心から詫びるようにマグニに向けて深く一礼をした。

「どーいうこと?」

 頭を下げられたマグニは不思議そうに首を傾げる。

「……そうだ! どういうことだ!」

 グリザベルは慌ただしくリットの方を向いた。

「東の国ではオオナマズが地震を起こす原因らしいぞ」

「また、適当なことを……。我の頭の中の大図書館の本をいくら繙いても、そんな情報は見覚えないぞ」

「東の国に住んでた知り合いが言ってたんだ」

「東国は我の範疇外だ。悪魔族ではなく妖怪族が人間と共存する島国だな。……オオナマズとはおもしろい。もっと聞かせよ」

 グリザベルがそわそわした上ずるような声で言う。言葉こそ偉そうだが、おとぎ話の続きを急かす子供のようだった。

「何年か前に島の地下に住む龍とオオナマズが戦って、オオナマズが勝って世代交代したらしいぞ」

「龍とは髭の生えたヘビだったな。なんとも珍妙な生き物だ……」

「ドラゴンだって羽の生えたトカゲだろ」

「そうだったな。何年か前と言うと、東国が紅く燃え上がったと言われた十年前のことか?」

「そうだ。オレの知り合いも、避難して来た一人だった。大陸に避難して数年はブラブラしてたらしいが、金が尽きたらしく半年くらい家に泊めてやったんだ。宿代は国で採れる金でいずれ返すと言ってたんだが、一向に連絡をよこさねぇ。米が食いたい、黒い液体をかけた魚が食いたいとか散々文句を言いやがって。提灯とか言う紙を使った証明道具の作り方を教わっただけじゃ割に合わねぇよ。その上「こっちの国の紙じゃダメでござるー」とか、結局教わった意味がねぇ」

「我が聞きたいのはそんなことではないぞ……」

「普段オマエの要領を得ない冗長な話を聞いてやってんだから、たまにはこっちの愚痴も聞けよ。そいつはな、グリザベルも使った部屋に泊めてやったんだが、畳がねぇとか箸がねぇとか、文句しか言わねぇんだ。だいたいござるってなんだよ。ござるって。聞いても「男の嗜みでござる」って言うんだぞ。だから、そのござるのことを言ってんだよって何回言ったか――」

「ノーラぁ……」

 グリザベルは懇願するような瞳で、ノーラに助けを求めた。

「旦那、旦那」

「なんだよノーラ。オマエだってまだアイツのこと覚えてんだろ?」

「食べ物が美味しい国から来たって言ってましたねェ。それより、その格好寒くないんっスか?」

 ノーラやグリザベルと違い、リットは半袖のシャツを着ている。吐く息が白く濁り始めている気温の中では、あまりに場違いな格好だった。

「さみぃよ。心配するならオレの上着を返せ。それ一枚しか持ってきてねぇんだ」

「心配はしてないっスよ。聞いてみただけっス」

 ノーラは上着を返す気は無いらしく、襟の中へ深く首をすくめた。

「上着くらい持って来いっての」

「今更言っても遅いっスよ。それよりローレンはここにいなくてもいいんですか?」

 この場にはリットとノーラとグリザベルとマグニ。そして、少し離れたところで寝不足で不貞寝をしているチルカの五人がいる。どこにもローレンの姿は見当たらなかった。

「いいんだよアイツは。どうせ役に立たねぇんだから」

「いつもなら「女に腰振って足腰を鍛えるんじゃなくて、ヒッティング・ウッドでも運んで鍛えたらどうだ」とか言ってそうなのに」

「そりゃ、オレの真似か?」

「そうっス」

「……ヒッティング・ウッドは影執事が運んでるし、マーメイド・ハープはマグニが弾くし、ローレンがいても意味ねぇからな。影メイドと遊び歩いてた方が静かでいいだろ」

「そうっスか」

 ノーラは腑に落ちない様子で返事をした。

 妙な空気のまま無言が流れる。そこに頓狂な声を響かせるマグニの声は一層明るく聞こえた。

「見て見てー!」

 マグニはマーメイド・ハープで海雪のセレナーデを奏でて、浴槽の中の水にたくさんの小さな泡を作っていた。

「……やめとけ。その中でやると、本当に屁をこいたようにしか見えねぇから」



 かがり籠に新しい薪を焚べたところで、ヒッティング・ウッドの設置が終わった。

 音楽記号の♯の様に組まれたヒッティング・ウッドは、リットの背より頭二つ分ほど高くなっていた。

 出来上がった枠組みの中には、丸太から切り落とした枝を敷いて燃えやすくしている。

「いよいよか……」

 グリザベルは期待に満ちた声でつぶやくように言った。

「本当は紙とか布を入れた方がいいんだけどな」

「不純物はあまり入れないほうがよい。妖精の白ユリのオイルがあれば問題なかろう」

「まぁ、燃焼温度を高めるように配合はしたけどな」

 リットはバケツの中に妖精の白ユリのオイルを流しながら言う。

 大型の瓶の中の妖精の白ユリのオイルを十本流し入れたところで、バケツいっぱいになった。

 そのバケツをヒッティング・ウッドで囲んだ中心に置く。

「準備はいいぞ」

 リットが皆に聞こえるように言う。

「では、頼むぞマグニ」

 マグニはグリザベルの言葉に頷く。そして気持ちよさそうに目を細めると、『波綾のノクターン』を弾き始めた。

 右手は寄せては返すさざ波のような低く単調な伴奏を鳴らし、左手は素朴で哀調な旋律を奏でる。

 リットもマグニと同じように目をつぶると、まぶたの裏に映るかがり火の明かりが、真っ白な紙のように広がった。真っ白な紙に書き足されたのは、海原から小さな入江に押し寄せる白波の映像だった。

 岩場に波が打ち付けられ、砕けた波が小さな白い泡になり波の花を咲かせる。それが風に流され青空を埋め尽くした。

 そのあり得ない光景にリットは思わず目を開けた。

 視界にはマーメイド・ハープを弾くマグニの姿と、今にも中身が溢れ出そうになっているバケツがある。

 ――バケツに入った妖精の白ユリのオイルが隆起し始めていた。

 その様子は影から現れる影執事に似ていた。

 バケツの何倍もの長さに膨らむと、妖精の白ユリのオイルは翼を広げる様に左右に一本ずつ細く伸び始める。

 マグニが波にさらわれた砂のような細やかな連符を奏で始めると、左右に伸びたオイルから羽を肉付けるように幾つも下に垂れ伸びていく。

 そこでまた旋律が変わる。嵐の前のような静けさで、不安に満ちたような調べだ。妖精の白ユリのオイルも不安に駆られるように震えている。

 オイルは下のバケツを蹴るように遠くに飛ばし、尾羽根のような波線を五本、地面に向かって広げ始めた。

 マグニは今までとは打って変わって、硬く重々しいメロディーを響かせる。しばらくそのままメロディーは続いたが、マグニは突然予期しない奏法を始めた。

 弦を引っ掻くように鳴らして手を離した。ハープの音色らしからぬ激音が響くと、卵の殻から顔を出したひな鳥のように、オイルからクチバシが突き出た。

 そして、鳥の形になったオイルは、天に鳴き声を轟かすように口を開ける。

 リットが黙ってその光景を見ていると、グリザベルがリットの脇腹を肘で突いた。

 リットは思い出したようにズボンのポケットに手を入れると、マッチ箱を取り出す。マッチを擦って火をつけると、宙に浮かぶオイルに火を近づける。

 マッチの火がオイルに触れるのと同時に、手の産毛を焦がすほど勢い良く燃え上がった。

 鳥の形に膨らんだ妖精の白ユリのオイルは、目を細めてしまうほど激しく燃える。一歩近づけば眼球まで焦がされそうな勢いだ。

 眉の下辺りで手傘を作り、目を細めて見る燃え盛る炎は、灰の中から蘇るフェニックスそのものに見えた。

 ――しかし、妖精の白ユリのオイルが燃え尽きても、ヒッティング・ウッドが燃え尽きて灰になっても、マグニの演奏が終わってもなんの変化も現れなかった。

 そして、全員が黙ってから一時間が経った。

 沈黙を破ったのはノーラだ。

「なにも起こらないっスね」

 あっけらかんとした様子で言ったノーラの頭を、リットが軽く叩く。

「あいたっ」

「黙ってろ」

「でも、ただオイルが燃えただけっスよ」

「んなの、言われなくても見たらわかるっつーの。これやるから黙って遊んでろ」

 リットはマッチ箱を押し付けるようにノーラに渡すと、少し離れたところに歩いて瓦礫の上に腰掛けた。

「先にヒッティング・ウッドで灰を作ってから、妖精の白ユリのオイルに火をつけるのだろうか」

 リットの後をついて隣の瓦礫に座ったグリザベルが、顎に手を当てながら言う。

「オイルの形がまずいんじゃねぇのか? あんな抽象的な紋章じゃなくて、もっとフェニックスに近づけた形じゃないとダメとかな」

「フェニックスの絵は残っておるが、それ自体が抽象画のようなものだ。書物によって姿が変わっておるからな」

「見てくれを近づけるなら本物を見つけるしかねぇか。それじゃあ、意味ねぇな……。フェニックスを作る必要がねぇからな」

「――それよりだ。ヒッティング・ウッドもマーメイド・ハープにも魔力がこもっておるが、妖精の白ユリのオイルだけは魔力が関係しておらぬ。オイルにも魔力がこもった物が必要なのではないだろうか」

「妖精のって付いたとしても、ユリ自体は妖精が作ったわけじゃねぇしな。あの森に住んでる妖精の間じゃサンライト・リリィって呼ばれてるくらいだし。――グリザベルが言った線で考えるとしても、宛はあるのか? 魔力がこもっていて、燃焼性が高いオイルってのは」

 再びマーメイド・ハープを弾き始めたマグニの曲を聞きながら、リットとグリザベルの二人は話を進める。

「……難しいな。液体は流れるし、時間が経てば性質が変化する。そこに魔力を込めることは不可能に近い。かのディアドレでさえ、硬度なダイヤモンドを使って魔宝石を作ったからな。今でこそ様々な宝石で魔宝石は作られるが、基本は劣化の少ない鉱石だ」

「魔力がこもった植物はねぇのか? それからオイルを抽出すれば可能性はあるぞ」

「有名なところでは『マンドラゴラ』があるが、アレは燃やすというよりも媚薬の香り付けの為に使うものだ。それに植物の殆どは、魔女薬を作るためのもの。それを混合して魔力があると言い伝えられているものばかりだ」

「それじゃ――」

 他にはなにかないか。と、リットが言おうとしたところで、今まで見たことないような強い光が視界を奪った。






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