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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(下)

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第四話

 むせるような妖精の白ユリの芳香が地下の工房に充満していた。

 銅製の蒸溜ポットの中でグツグツと煮える音と、ポタポタと水滴が落ちる音が響いている。

「ここは静かでよいな」

 グリザベルは椅子に座り、足を組んで『私は光』という本を片手で持ち上げ読んでいる。

「ここは、うるせぇ奴は立入禁止だからな。不注意で道具を壊されたらたまったもんじゃねぇ」

 リットは冷水機の排水口を開けて空のバケツに水を流すと、汲んであった井戸水を新たに冷水機の中に入れた。

 リゼーネの迷いの森では近くに川もなく、冷たい水を用意できないので魔宝石に頼る必要があったが、冷たい井戸水が用意できる自宅では楽に水蒸気蒸留法で妖精の白ユリのオイルを抽出することが出来た。

 しかし、抽出する時間だけは変わらない。

 じれったくポタポタと水滴が水溜りに落ちる音を聞きながら、リットはマーメイド・ハープのことについて調べていた。

 海獣の骨、珊瑚、貝などを使ったボディに、鯨の髭やアザラシの髭を弦に使った弦楽器であり、大小、形様々なマーメイド・ハープが存在している。

 感情豊かに響き、生命の源を思わせるような音色は楽器としても高い価値があるが、美しい見た目から美術品としても価値がある。

 沈没船の宝石を取り込んで成長した珊瑚があり、それを使って作られたマーメイド・ハープが過去に競売に出されたことがある。その際、音楽家とコレクターの間で激しい競り合いの末、とてつもない金額で落札された。

 そのことがマーメイド・ハープの価値を著しく上げた。

 貴族ですら手に入れることが難しい楽器であり、王室お抱えの音楽家でもない限り所持している者はいないとされている。

 人魚は男がハープを作り、女がハープを弾くと言われているが、種族同士が深く関わり合う現代になっても、男の人魚というのは姿を現したことがない。

 その謎もマーメイド・ハープの価値を上げている要因の一つになっている。

「ヨルムウトルの城に楽器は残ってないのか?」

 リットが本を捲りながら言うと、グリザベルも本を捲りながら答えた。

「ないな。残っているものもあるが、保存状態がすこぶる悪い。時間が経ったことが原因ではなく、元の保存の仕方が悪かった。ヨルムウトル王は、こと音楽に対しては浅学菲才だったのであろう。美術品を見るに楽器も相当なものがあったのは間違いない。……実に勿体無きことよ」

「興味無いもんはガラクタだからな。適当なハープで誤魔化せねぇもんか」

「マーメイド・ハープは水を自由に造形すると言われておる。ディアドレが残したメモに書かれていた『マーメイド・ハープで姿を保つ』というのも、すなわちそういうことだろう」

「どういうことだよ」

「ディアドレのメモに書かれていたのは、『ヒッティング・ウッド』『マーメイド・ハープ』。それに、――『妖精の白ユリ』。妖精の白ユリのオイルを何かの形に保つのだろう。……おそらくだがな」

 グリザベルはわざと音を立てて本を閉じるとリットの顔を見た。そして、リットが不思議そうにしている表情を見ると勝ち誇ったように笑った。

「妖精の白ユリなんてのは、書かれてなかったと思うぞ」

「『燃焼温度』と『高温』と言う文字が書かれていたではないか。葉と花で異なる燃焼温度を持ち、葉は強く燃えるのであろう? 妖精の白ユリの特徴と酷似しておるではないか」

「それは線を引いて消してあっただろ」

「確かにそうだ。――が」

 リットの言葉にグリザベルは笑みを強くすると、赤くひしゃげた種を机の上に置いた。

「オマエにやった妖精の白ユリの種じゃねぇか」

「そう思うだろうな。ほんにお主は思慮が足りていないのう。物事というのは、過去を繙き未来を見据えることで明確になるというのに……。そんなことだから、見えるものも見えぬのだ。――開かねば見えぬぞ?」

「なんだよ。オレにパンツでも見せる気か?」

「開くのは道だ! 脚ではない!」

 グリザベルはスカートを手で抑えると、組んでいた足を直し、椅子を引いて机の下に足を入れ、リットから見えないようにした。

「オレはてっきり、お気に入りの服が戻ってきたもんだから見せたいのかと」

「そう、戻って来たのは服だ! 下着ではない! 下着だとしても、わざわざお主に見せるわけなかろう!」

 絹のエプロンドレスではなく、いつもの黒いドレスを着ていると、グリザベルの不健康そうな白い肌が強調される。

「イミル婆さんに礼は言ったのか? 言わねぇと、合う度に愚痴愚痴説教されるぞ」

「うむ、しっかりと礼の言葉は言ったぞ。――そうじゃない! 話を逸らすなぁ! ちゃんと我の話を聞くのだー!」

「だったら、長ったらしい言い回しはやめて普通に言えよ。で、妖精の白ユリの種がどうしたって?」

 リットは本を閉じて机の端に置くと、種をまじまじと眺めた。燃えるような真っ赤な色をした種はしわがれていた。

「これはヨルムトルの城でノーラが見つけた種だ。――そして、こっちがリットに貰った妖精の白ユリの種。――同じだろう?」

 並べられた二つの種。ヨルムウトルにあった方の種はしわがれていたが、確かに見た目は同じものだった。

「確かに同じように見えるな。しわがれた方の種は植えても咲きそうにないし、確かめようがねぇけど」

「……ディアドレが書き著した書物はいくつがあるが。その中に『妖魔録』という本がある。妖精と魔女ディアドレの交流の記録が書かれたものだ」

「物語風に書かれたやつだな」

 リットは妖魔録という本に聞き覚えがあった。

 リゼーネの王国の城内備え付けの図書館で、妖精の白ユリのオイルを抽出する方法を調べていた時だ。川も湖もない森の中で水を冷やすために魔宝石を使おうと思い立った本だった。

「そうだ。リットはなかなかに読書家のようだな。話を進めやすくてよいぞ。妖魔録にも書いてあるとおり、ディアドレは妖精と取引をしている。『妖魔録』『精魔録』『悪魔録』『天魔録』。ディアドレが書いた本はいくつもあるが、どれも魔宝石という技術を完成させてから書いた本だ。時系列的にはディアドレがヨルムウトルに身を寄せていた頃から後だな。ヨルムウトルにメモが残されていたということを考えると、ディアドレがフェニックスについて研究していたのは、テスカガンドに行く前のことだろう」

 ディアドレが魔宝石を完成させ名を馳せた後は、ヨルムウトルでエーテルの研究をしていた。

 妖魔録という本は、妖精の踊りを教えてもらい、その代わりにディアドレが魔宝石を妖精に送ったということが書かれている。

 グリザベルの言うとおり、妖魔録の出来事はディアドレがヨルムウトルにいた頃に書かれたと考えても不思議ではない。

「妖精との交流時に、ディアドレが妖精の白ユリのことを知ってもおかしくはないな」

「お主が持って帰ってきたヒッティング・ウッドは……そ、その……せ、せい……性交渉がないオークの魔力がこもってると言う話だったな」

「あぁそうだ。オークの童貞喪失記念樹だ」

「はっきり言うでない!」グリザベルは顔を赤らめて言うと、咳払いを挟んで続けた。「オークの子を宿すということは忌まわしきことだ。……望まれることではない。ヒッティング・ウッドには拒否された命の魔力がこもっている」

「んな、大げさな……。童貞捨てたらフェニックス誕生ってか? そしたらこの世はフェニックスだらけだぞ。この世に一羽しかいねぇのが売りなのによ」

 リットは再び本を手に取って開こうとしたが、グリザベルの細い手がリットの腕を掴んでいた。

「ええい! ちゃんと聞いておったか? 命の魔力がこもったヒッティング・ウッド。太陽の如き激しく燃え、優しく光るオイル。それに生命の源を奏でるマーメイド・ハープ。フェニックスと言わずとも、それに近しいものが生まれても不思議ではない」

「そりゃ、フェニックスが生まれるもんなら見てみてぇけどよ。肝心のマーメイド・ハープが手に入らねぇしな……」

 リットとグリザベルは、同じく腕を組んだ体勢でうーんと唸り始めた。

 人魚に会うこと自体は難しいことではない。港町にでも行けば会える。

 問題は手に入れ方だ。買うか盗むの二択しかない。

「そもそもマーメイド・ハープってのはどうやって流通してんだ?」

「我も人づてにしか聞いたことがないのだがな。――人魚は美しい歌声で歌う。その歌をより良いものにするためハープを弾くのだが、水かきがあるせいでハープが上手く弾けぬ。殆どの人魚は岩陰でハープの練習をし、上手くなるまで誰かに披露することはない。いくら練習しても上手くならない、人魚の中でも取り分け不器用な者はハープを弾くのを諦める。その人魚が捨て去ったハープが波に流され、状態の良いものが見つかるとオークションに流れてくるそうだ。打ち上げられるマーメイド・ハープは、十数年に一度あるかないかくらいの確率らしいぞ」

「……そりゃ、値打ちも上がるってもんだ。オマエの友達に人魚とかいないのか? ――いないか……。友達どころか知り合いもいなさそうだ」

 リットはテーブルに頬をつけるとため息をついて、妖精の白ユリのオイルを抽出している蒸留ポットを見た。

「友とは、多くを語り感情を分け合える者が数人おればよい」

「で、いるのか?」

 遠い目をしながら話すグリザベルに、リットは間髪入れずに聞いた。

「わ、我ばかりに頼るではない! リットの友に聞けばよかろう!」

「まぁ、酒を飲む仲間くらいはな。みんな芸術なんて鼻くそだと思ってる連中だよ」

「くっ……。酒だけが友のようなリットでも、人間の友がいるのか……」

「オマエ……意識してない時のほうが嫌味が上手いぞ」

「我も酒場に入り浸れば友が出来るのだろうか……」

「酒が作り出した友情は、酒のように一晩しかもたない。――って言葉があんだけどよ。どうにかして、これはオレが言った言葉になんねぇかな」

「ならぬ! 良い話をするのかと思って期待したではないか!」



 一通り妖精の白ユリの抽出を終えると、リットは地下の工房から上がってきた。

 グリザベルはヨルムウトルにない本に興味が湧いたのか、読み耽ったままだ。

 朝から工房に篭っていたのでまだ日は高く、気持ちの良い日差しが居間を照らしていた。

「旦那ァ……。待ってったんスよォ」

 情けない声を出したノーラが、後ろから抱きつくようにリットの服を掴んだ。

「媚び売っても、なにも買わねぇぞ」

「違うっス。私はもう一時間も聞いてたんですから、交代してくださいよォ」

 ノーラはリットの背中を押して店へと繋がるドアに向かった。

「なんだよ。店はまだ閉めてんだぞ。客を入れたんじゃないだろうな」

「違いますよォ。どっちかというと売りに来たんっス」

 リットが扉を開けるのと同時に、わかりやすいほど怒りがこもった声が飛んできた。

「ちょっと、リット! アンタがいるってことは、ローレンも帰ってきてるんでしょ? 出しなさいよ!」

 ローレンの恋人のサンドラが、髪色と同じように顔を真赤にしてリットに怒鳴る。

「落ち着け。怒鳴るな」

 リットは両耳の穴を人差し指で塞ぎながら、店の中へと入っていく。

「ローレンはどこよ! またブリエラのところなの?」

「だから落ち着けって、喧嘩腰で話しかけてくんな。オレは関係ねぇだろ」

「もう、一時間くらいこの調子なんですぜェ。私疲れましたよォ……」

 ノーラはリットの腰辺りに額をつけると、リットのシャツを掴んだまま下に伸ばして体重を預ける。

「ローレンに怒るのは勝手だけど、店には勝手に入ってくんなよ」

「百回ノックをしたらドアが勝手に開いたのよ」

「そりゃ、鍵を壊したんだろう……」

 店のドアの鍵はネジが外れて頼りなさ気にプラプラと揺れていた。

「それは悪かったわ。後で弁償する」

「そうしてくれ」

「ごめんね……。つい苛立っちゃって、アイツのことを思い出すと、お腹の底からモヤモヤが……こうっ!」

 サンドラは握りこぶしを作ると、勢い良く振り下げた。

「オレに何回落ち着けって言わせる気だよ。オウムじゃねぇんだぞ」

「そうね」サンドラは胸に手を当てて深呼吸をする。「リットからする良い匂いを嗅いだら少し落ち着いたわ。何の匂い?」

「ユリだ。オイルを抽出してたからな。こんなんで落ち着くなら、いらねぇ芳香蒸留水はやるから、ローレンとのいざこざをオレんとこに発散しに来るなよ」

 リットがローレンの名前を上げると、サンドラの眼の色が変わった。

「そうよ! リットがローレンを庇わなければすぐに解決したのよ! 一言ローレンが謝れば許してあげるつもりだったんだから!」

「庇ったつーか、脅されたんだよ。ガラスの破片でな」

「リットがローレンを連れ出したんでしょ! 目撃者がいるから言い逃れは出来ないわよ!」

「連れ出したわけじゃねぇよ。勝手にローレンがついてきたんだ」

「ほら見なさい! 少なからずリットが関係してるんじゃない! ――ローレンは――今――どこで――何をしてるの!」

 サンドラの声が感情に任せて徐々に大きくなっていく。

「……アイツは影と遊んでるよ」

 リットの言葉を聞くと、サンドラは大きく息を吸った。

 次に大声が来るのがわかったので、リットは素早く耳をふさいだ。

「影で遊んでるですって!! 堂々と浮気されるのもムカつくけど、コソコソされるのも最悪! もう許さないんだから!」

 言いたい放題声を荒げたサンドラは、そのまま足音を盛大に鳴らしながら店から出て行った。

 サンドラが出て行った店内は、教会のような静寂さに包まれていた。

「いやー、言葉ってのは難しいもんだ」

「いやー、旦那はわざと誤解するような言い方をした気がしましたけどねェ」






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