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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(下)

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第二十話

 カウンターには椅子が四つ。丸テーブルが二つに、それぞれに備え付けの椅子が二つ。調理や煙草の煙で燻された壁と天井に包まれた狭く小さな酒場。

 リットがヴィコットに連れ出されたのは、そんな大衆酒場の中でも、とりわけ貧乏人が集まるような酒場だった。

「どうだ、いいもんだろ」

 ヴィコットが壁の埃を手で拭い払うと、長年燻されて、漆を塗ったような黒い光沢を帯びた壁が顔を出し、ランプの光を鈍く反射させた。

「酒も、酒を出す奴もいない酒場がか?」

 リットはもう一度店内を見回した。見回すといっても、軽く首を横に振るだけで済んでしまう、狭くてなにもない内装だ。酒の類といえば、壊れた大樽が一つカウンターの奥に張り付くように置かれているだけだった。樽は大きく割れているので、当然中には一滴も入っていない。

「酒場ってのはいいもんだ。何かを求める者達が集まる場所だからな。宝を求める冒険者に、情報を求める探検家。女を求める若者に、人との繋がりを求める者」

「酒を求めるから、酒場っていうの知らねぇのか?」

 リットは言いながらカウンターにランプを置いて椅子に座るが、ヴィコットは離れた端のテーブルの椅子に腰掛けた。

「それも間違ってはいないが、みんな何かしら酒以外のものを求めてやってくるもんだ。と、昔に誰かが言っていたような気がした。そういうもんじゃないのか?」

 ヴィコットの言葉の元は、遠い誰かだったの頃の記憶の知識だ。そこには思い出はなく、情報だけなのだが、ヴィコットはまるで自分の思い出のように口から言葉を紡ぐ。

 ゴーストになってからは、一度も行ったことのないはずの酒場でも、何度も来ていたかのような振る舞いで椅子に座り、慣れたようにテーブルに肘をついてリラックスしている。

「深い理由は考えねぇよ。とりあえず酒場で飲んでりゃ、あとから理由がついてくるもんだ。そんなことよりよ……なんでそんな離れたとこに座ってんだ?」

 リットはカウンターにより掛かるように肘をつき、離れたテーブルに座るヴィコットへと振り返った。

「端のテーブル席がオレの特等席だ。酒場全員の顔が見えて、なおかつ誰とでも交流が取れる。一番良い場所だ」

「オレはここが指定席だ。どこの国でもな」リットはカウンターを指で叩いて音を鳴らした。「喧嘩が始まりゃ、カウンターの奥にすぐ逃げられる。それにな、酔っ払いはテーブルを壊すことはあれど、カウンターは壊さない。安心して酔い潰れられるってもんだ」

「話を聞く度に思うんだが、程よい飲みかたってもんを知らんのか?」

「程よい飲み方しか見せてねぇはずだがな。どっかの小娘が仕切ってるせいで」

「いいか? 酒ってのは嗜むものだ。まず場の雰囲気に酔うことで、自分にも酔ってくる。自分に酔えばカッコもつける。そうすれば無茶な飲み方はしないもんだ。酔ってから場の雰囲気に飲み込まれるから、人は延々飲み続ける。店の客が入れ替わることに気付かないからな」

「ずいぶん講釈を垂れてるけどよ。そんな飲み方をする奴には思えねぇけどな。起きたら野郎どもと床で雑魚寝してそうなもんだ」

 ヴィコットは「まぁな」と肩をすくめる「たまにはな、女の前でいい格好したい時とかあるだろう。そういう時は、リット達みたいなアホをダシにして、大人なオレを演出する。で、フラレたらアホの仲間入りをするわけだ」

 ヴィコットはガハハとひとしきり笑うと、テーブル席から立ち上がり、カウンターにいるリットの隣の席に腰掛けた。

「それで、なんなんだよ」

 リットが片肘を立てて顔だけをヴィコットに向けると、ヴィコットも同じ体勢でリットを見た。

「なんだとはどういう意味だ?」

「ここに酒場談義をしにきたわけじゃねぇんだろ。わざわざ抜け出してよ」

「友達を酒場に誘ったまでの話だ。せっかくの夜の街だぞ。寝るだけじゃつまらん。夜の喧騒に耳を傾ければ、行き着く先は酒場だ。鼻歌の主旋律に、注文のコーラス。拍手と足踏みのドラムが慣れば、乾杯のシンバルもなる。なかなか素敵な音楽だと思わんか?」

「いい趣味をしてんな。オレも良く聞きに行く。まぁ、ここは閑古鳥のソロコンサートみたいだけどよ。どっかに一本くらい転がってねぇのか? 飲み残しでもいいってのに」

 リットは椅子から立ち上がると、カウンターを回り込み棚の中を探し始めた。慣れた風ではなく、慣れた手つきでカウンター下の棚を開き、しゃがんで覗き込まないと見えない右の奥の角を見る。

 ここに普段は出さない高い酒を保管してあるような気がしたがなかった。ついで、食器棚の食器をどかしてみるがやはりなかった。

 なぜそんな事を思ったのか、リット自身にもわかってはいなかった。ただそこにあるような気がしただけだ。しかし、結局はなにもなかった。

 面倒くさそうだが、どこか楽しそうに、隠されたおもちゃでも探すかのように酒を探すリットの姿を、ヴィコットはテーブル席に戻って遠くから眺めていた。その瞳は様々な意味での愛が滲んだ優しいものだった。

 リットが酒を探すのを諦めて腰を伸ばすと、目の端にそのヴィコットの姿が映った。

「ゴースト特有の呪いでもあんのか? その席に引き込まれるような」

「なんだか……懐かしい光景のような気がしてな。ずっと昔……こうやって誰かを眺めていた気がする」

「どうせ女の尻でも眺めてたんだろ。男なら誰でもやるもんだ」

 リットは言いながら、カウンターではなくヴィコットが座るテーブル席まで移動して、空いている椅子に座った。

 軋んだのは椅子なのか床なのか、あるいは両方か、耳の奥をくすぐるようなキィという音が響いた。

「そうかもな……。きっといい女だったぞ。オレが見惚れるくらいだからな。顔も性格も存在も、すべてが思い出せないのが残念でならんな」

「都合よく、出会った中で一番いい女の顔でも思い出しとけよ」

「そうしたいんだがな。どうも……一人を思い浮かべると、非難されそうな気がするんだ」

「オレにか? よっぽどぶっ飛んだ女の話じゃなきゃ、笑い話で聞いてやるぞ。ほじった鼻くそで築いた城に住んでるとか、付き合った男の歯を抜いて判子を作るような女の話じゃなきゃな」

「……そんな女いるのか?」

「いたら笑えねぇって話だ。誰に非難される心配をしてんだよ。嫁さんをもらってるわけでもねぇんだろ」

「それが誰かわかれば対処してる。この不確かだが確かに感じる妙な悪寒はなんと言えばいいんだろうか」

「感情のナイフを突きつけられてんだろ。めった刺しの寸前っていうんだ」

 リットがナイフを握ったフリをして、拳をテーブルに振り下ろすと、ヴィコットが大きく頷いた。

「まさしくそんな感じだ。リットにも身に覚えがあるのか?」

「オレはない。あいにくモテないんでな。めった刺しにされるのが趣味な野郎を知ってるだけだ」

「その野郎はどうしてた?」

「今じゃ慣れて、ナイフが刺さったまま歩いてる。まさか――本当に女で悩んで様子が変だったのか?」

 リットが驚きに目を丸くすると、ヴィコットは否定的に目を細めて首を横に振った。

「それとこれとは違う。今の話はただの酒場トークだろう。オレの様子がどうこうというのはあれだな……そうだな……この酒場と似ている。酒場だというのに酒はない。客がいるのに店主はいない。みたいなもんだ」

 ヴィコットの遠回しで意味をなさないような言葉に、リットは素直に首を傾げた。

「意味がわからねぇし、結論もわかんねぇよ。ふわふわした言葉を綿毛みたいに飛ばしてぇなら、オレじゃなくてチルカとやってくれ」

「あるべきものは、あるべきということだ。さっきも言ったが、酒場なのに酒がないとおかしいだろう?」

「そりゃな。ネズミ捕りだって、餌があるから成り立つ。なけりゃネズミも素通りするってもんだ」

「そうだろう。あるのが普通だ。だが、酒嫌いばかり集まる街の酒場はどうだ?」

「んなのは、酒がないとかの話じゃなく、酒場自体が消えるだろ。簡単は話だ。飲むやつがいなけりゃ酒場は消える」

「そうだな、簡単な話だ。あるべきものは現れ、あるべきではないものは消えるということだ。この世界も一緒だ」とヴィコットはカウンターに置いたままのランプを指差した。「呑むものがなくなれば、消える者もある。異質なものがなくなるのが正常な世界だ」

 リットは片肘をついて、顎を乗せていた手で目を覆うように顔をおさえた。そして、「なるほどね……」と、つぶやいてから長い沈黙が始まった。

 リットの重い呼吸の音。やけに軽快に、音楽でも奏でるように響く、ヴィコットが指先でテーブルを叩く音。その二つの音がやけに自然に混ざりあった。

 無言を破り「それはどうすりゃいいんだ?」とリットが聞く。

「どうもしなくていい。答えじゃなくて、ただの予感だからな。本物の太陽が昇れば、もう異質の影を作ることはないだろう」

 ランプの光だけの影のない世界だが、ヴィコットは影と指先を合わせるように、見つめながらテーブルに指先をつけた。

「……消えるってことだろ」

「思い出になるってことだ」

「思い出とは喋れねぇぞ」

「そのとおりだ。思い出は語りかけてくるものだからな」

「意外に簡単に忘れるもんだぞ」

「それは違う。忘れるんじゃない。思い出さなくなるだけだ。本当に忘れていたら、忘れていたことすらわからないままだ。人はまず最初に忘れていたことを思い出す」

 ヴィコットはしばらく黙ってリットの反応を待っていたが、なにも反応がないと「そうだろう?」と同意を求めるように肩をすくめた。

「まぁ……道理だな。それじゃ解決にもならねぇけどな」

「さっきも言っただろう。どうもしなくていいんだ。思い出というのは不思議でな。特別にしようと思えば思うほど小さくなる。毎年の誕生の祝いよりも、ふとした時に見る一瞬の景色。そんなもののほうがいつまでも覚えている。それを証拠に、オレの中ではリット達との思い出のほうが色濃く鮮やかに残っている。何も変わらない世界で、特別を探していた頃のことなんて、もう思い出さなくなっている。思い出す必要がないからな。今では、思い出の始まりはリットの出会いだな。あんなに文句を言いながら歩いているやつを初めて見た」

 ヴィコットはリットの顔を見ながらも、その後ろに思い出を透かせていた。

「オレも初めてだぞ。急に会話に混ざってきて、好き勝手に講釈を垂れてきた奴は」

「たぶんな……何かを教えたかったんだろう。前のオレの心残りかもしれんな。知識を授けるっていうのは、自分の一部を渡すようなものだ。愛の営みと似ているな」

「それをオレの目を見て言うなよ」

「だが役に立っただろう?」

「まぁな、どうせなら酒のある酒場に案内するくらいも役に立ってほしかったけどな。湿っぽい話をするつもりだったなら、なおさらだ。エミリア達には言うつもりねぇのか?」

 リットはヴィコットではなく、遠くのカウンターにあるランプの火を見ながら言った。

「そのつもりだ。余計な情報は必要ないだろう。今更道を増やす必要はないからな。だが、グリザベルは知っているぞ。オレの疑問を一緒に結論へと導いてくれたからな」

「さっき答えじゃないって言わなかったか?」

「予感でも、他になければ結論に変わりはない。答えを出したくないだけかもしれんがな」

「なんにせよ。今度湿っぽい話をする時はノーラでも間に挟んでくれ。柄じゃねぇから間が持たねぇよ」

 ヴィコットは「あぁ……今度はな」と、カウンターに置いてあるランプの火を、距離以上に遠く眺めながら言った。

 リットも「今度はな」と遠く見て言う。そして、おどけるように肩をすくめた。「それか焚き火を囲みながらでもいい。そうすりゃ多少はオレも雰囲気に流される」

「普通の街で、普通の酒場で、普通にリット出会っていたらと不意に思ったんだ」

「変わんねぇだろ。酒をのんで、くだらない会話をして終わりだ」

「そりゃいいな。いつ、どんな時、どんな姿で会っても、オレはリットとは友達になれるってことだな」

 ヴィコットのガハハという笑い声の隙間に挟むように、リットは少し考えてから「……かもな」と返した。



 リットとヴィコットが家へと戻ると、グリザベルはまだ変わらない格好で資料を読んでいた。

 二人が家の中ほどまで入ってくると、視線は資料から離さないまま「話は終わったのか?」と聞いた。

 リットは八つ当たりのように不機嫌に鼻を鳴らして笑うと、「正解なんてないんだろ。オレに聞くなよ」と床に転がった鞄を枕にして寝てしまった。

 グリザベルは資料から目を離すと、リットではなくヴィコットを見た。

「怒らせたのか?」

「いや、悩ませたんだ」

 ヴィコットは困った顔で肩をすくめた。

「それは我も同じだ。思いつきで野暮なことを言った。許して欲しい」

 グリザベルは資料を床に置くと、ヴィコットに向かって深々頭を下げた。

「そう難しく考える必要はない。グリザベルの考えの成否はわからないが……友達として会えたんだ。そう考えるとこれ以上の喜びはない。そうは思わないか? リット」

 ヴィコットは横になったばかりで、まだ寝ていないはずのリットに声を掛けるが、リットからの返事の言葉はなかった。

 代わりに、部屋の暖炉の火によって壁に大きく映し出されたリットの手影が、いいからはやく寝ろと、ヴィコットにジェスチャーを送っていた。






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