第十二話
まず川の水を鍋に汲み、焚き火にかける。
その間に、ミトリダケを食べやすい大きさに切り、鍋に水を足してからミトリダケを入れる。
煮立つまでの間に、中に入れる乾燥野菜をよく吟味し、鍋に水を足し、また吟味の続きをする。
なにを入れるか決め、鍋を覗き込み、水がないことに気付いて、再び川へ水を汲みに行ったところで、ノーラはリットに声をかけられた。
「いっそ川に食材を浮かべて、川ごと燃やしてスープでも作ればどうだ?」
「旦那ってばおマヌケさんですねェ。そんなことしたら、食材が流れていってなくなっちゃいますってなもんですよ」
「そりゃ悪かったな。で、鍋に食材は残ってるのか?」
「そりゃもう、ほら。ミトリダケにそら豆。あとは名前も知らない香草が色々。色とりどりで綺麗なもんですよ」
ノーラは鍋を傾けてリットに見せた。
「いいか……言っとくことが三つある。まず、蒸発の白い煙で鍋の中が見えねぇ。次に、その白い煙の下は真っ黒な焦げだ。それを踏まえて最後だ。食材の無駄遣いはやめろ」
「乾燥野菜っていっても、カビる寸前なんですよ。捨てるより、使っちゃったほうがいいじゃないっスかァ」
ノーラがハレアメドでかき集めた食材だが、状態がいいものはなく。そのほとんどが二、三日中に腐ってしまった。わずかでもあるだけで御の字なのだが、補充には程遠く、リットとノーラが火の番をしている間に、いつもどおり他のメンバーは食料を探しに分かれていた。
「それを誰が食うってんだよ」
「皆食べますよ。お肉が入ってないから、エミリアだって食べられますよ」
言いながらノーラは川の水を鍋に注いだ。鍋の中の水は一瞬で沸騰し、激しく白い煙を吹き出し、その煙が消えるのと同時に、鍋の中の水は消えてしまう。
「塩を作ってるわけじゃねぇんだぞ。何回煮詰めてんだよ。エミリアの傷口に塗るための塩を作ってるってんなら別だけどな。またダウンさせてどうしようってんだよ」
「あれは私じゃなくてグリザベルの魔女薬のせいですよ。それにしても、あんなにテンションの上がったエミリアは始めてみましたねェ。文句を言う旦那をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。まぁ……その後また寝込んでましたけど」
ノーラは枝で鍋底にこぼりついた焦げをつつく。既に食材じゃなくなり、ただの炭になったのを確認すると、諦めて焚き火から鍋を外した。
「前から思ってたんだけどよ。マッチは火をつけるからわかるけどよ。なんで料理でもそうなるんだ? 火をつけたあとだろ? ランプは持ってても平気なのに変じゃねぇか?」
「触れるもの皆傷つける年頃ってやつじゃないっスかァ? 旦那にもあったでしょ?」
「あいにく放火魔になる年頃なんてもんは、オレにはなかった」
「そうなんすか? ローレンなんて未だに女の子ハートに火をつけてますぜェ。それこそ放火魔さながらに」
「だから毎回ばれて、怒られて、火消しに必死になってんだよ。まぁ、そのうちサンドラあたりに捕まるだろ。一生もんの縄をつけられる。そうすりゃ飼い犬と一緒だ。吠えるだけで、他にはなんにもできねぇ。杭の周りをウロウロするだけだ」
「そういうもんスかねェ。ところで、さっきから旦那はなにしてるんスかァ?」
「見りゃわかんだろ」
「あぐらをかいて、背中を丸めて、お腹あたりで手をモゾモゾと……。それに汚れた布切れ……本当に見たまま言っていいんスか?」
「……ランプの手入れだ。これ見りゃわかるだろ」リットは火屋のススを拭き取った布をノーラに投げた。「前以上に火の調整が必要になるから、定期的に手入れしてんだ。そっちは真っ黒焦げで済むけどな。こっちは真っ黒な闇の中に放り出される」
リットが布を返せと指で招くので、ノーラは投げ返した。
「そのマメさを普段も見せれば、もっとお客が来ると思うんスけどねェ……」
「これは生死にかかわる問題だからマメにやってるだけだ。金を稼いだって命を買えるわけでもねぇよ」リットは分解してメンテナンスをしていたランプを組み立て直すと、ノーラに渡した。「ほら、命の灯火に火をつけろよ」
「あいさァ」と、ノーラは擦ったマッチの先が上げる火柱を、新品に取り替えたランプの芯に移した。燻る煙は光を纏い辺りを静かに照らした。
リットはランプの火が安定するのを見届けると、今まで付けていたほうのランプの火を消し、今度はそのランプのメンテナンスを始めた。
ノーラはしばらく黙って光る煙を眺めていたが、あくび混じりに「それにしても暇っすねェ……」と呟いた。
「暇で結構なことじゃねぇか。火を噴くドラゴンの退治でもしたかったのか? それともメグリメグルの古代遺跡で四精霊と仲良くお喋りでもするか? オレはどっちもお断りだ」
「私も暇は結構毛だらけってなもんなんですけどねェ。代わり映えのない景色って言うのが、こんなに息が詰まるもんだとは思わなかったんスよ」
ノーラは色のない黒の壁を見て、うんざりとした様子で言った。
景色を映さない闇に呑まれた壁は、見ているだけでも洞窟の奥よりも息苦しく感じる。
ふと見上げる空も、寝起きで最初に目に入るのも、誰かの顔を見るときの背景にも、この真っ黒な世界はどこにでも広がっている。
能天気を貫くノーラの性格でも、いいかげん誤魔化しが効かなくなっていた。
「息苦しいのは、オマエが鍋を焦がして煙を出すからだろ。滅入って気分転換したくなるのはわかるけどな。今度は料理以外にしてくれ」
「旦那ァ……言っときますけど、こんななにもないところで暇を潰せるのは、よっぽどの変人だけですぜェ」
「オレを見習え。立派に暇をつぶしてる」
リットはメンテナンスをする手を止めずに言う。
「だから言ったでしょ。よっぽどの変人だけって」
「じゃあ、なぜ人は生まれ死んでいくか考えてろ。一生の暇つぶしになるうえに、哲学者になれるぞ」
「そんなの興味ありませんってなもんで。だいたい哲学ってなんじゃらほいって感じっスよ」
「簡単だ。オマエはバカだって一言を、いかに遠回しに言うか考えることだ」リットはメンテナンス中のランプを置くと、ノーラに振り返った。「例えばこうだ。酒は飲めば消えるが、それを入れる器は消えない」
リットは蓄えたヒゲを撫でるように顎を触り、片眉を上げた。
「目にゴミでも入ったんスかァ?」
「オレの思い浮かぶ哲学者だ。髭を伸ばして、片眉を上げて人を見下す。で、理解不能の言葉を吐いて、理解できない奴をバカにする。わかるだろ?」
「旦那がひねくれ過ぎて、もうすぐ思考がねじ切れそうなことはわかりました。あとは、とーんとさっぱりってなもんで」
「それが哲学だ。誰かに理解されたら常識で、哲学じゃなくなるだろ」
ノーラは「うーん……」と首を傾げた。「思春期に愛とはなにかと考えるようなもんスかねェ」
「それは処世術とか、金の問題とか、他に悩み事がないから考えるだけだ。子供一人。大人の世界にほっぽりだされたら、生きることに必死で、愛だなんだと考えてる暇なんかねぇよ」
「そりゃまた――旦那の子供時代を聞くのが不安になりますねェ……」
「こういうことを酔っ払いに聞かされて育った子供時代だ。おかげで色んなことを知った。こういう話題を振っちゃいけねぇ相手のこととかな」
リットは話は終わりだと言う風にノーラに背中を向けると、ランプのメンテナンスの続きを始めた。
そして、すぐに「見よ。ここにもパンプキンボムが生えておったぞ」というグリザベルの声が響いた。
「代わりにミトリダケの数は減ったな。枯れ木の根を掘り起こしても、根が死んでいるだけだ」
ヴィコットは両手に二つ持ったカボチャをリットの隣に置いた。
「あっそう、そりゃ大変だな」
リットは気のない返事で返した。
「どうだ、一緒に切るか? リットはカボチャを押さえ、オレがナイフを振り下ろし真っ二つにする係だ。どうしても言うなら役割を変えてやってもいいぞ」
ヴィコットは遊びの約束を取り付ける子供のような言い方で誘ったが、リットはシッシと手で追い払った。
「悪いけどな。ランプの手入れをしろって、口うるさい母ちゃんに言いつけられてんだ。別の奴を誘ってくれ」
「それは私のことか?」と言いながらエミリアは荷物をおろした。
「言いつけどおり、ランプの手入れをしてるんだから、怒んないでくれよ母ちゃんよ」
リットが冗談めかして言うと、エミリアはため息をついた。
「私が母親なら、もっとしっかり躾けている。少なくとも――帰ってきた者に、労をねぎらう一言が言えるくらいにはな」
「それはどうかな。厳しい親元だと、家出して、どっかの飲んだくれオヤジに媚売って、日銭の稼ぎ方を教わってる可能性が高い。で、その金で酒を飲むようになる。まぁ、今と同じだな」
リットは今メンテナンスを終えたばかりのランプをノーラに渡して火をつけさせると、それをエミリアに渡した。
そして、今までエミリア達が使っていたランプを受け取り、またメンテナンスを始めた。
エミリアは仕事をしているならそれでいいと、食事の支度をしに離れていった。それと入れ替わるようにチルカが飛んでくる。
「無駄口叩いてないで、しっかり手入れしなさいよ。命綱がアンタだってだけで不安なんだからね」
「なんなら、命綱を渡すぞ。首をくくるには丁度いいだろ」
「アンタこそ頼みの綱を探しておかないと、私に寝首をかかれるわよ」
チルカは炒って保存食にしたカボチャの種を自分鞄から一粒取り出して齧った。そして、齧って先が鋭くなった種をナイフに見立てて首に一本の線を引いた。
言うだけ言うと満足気に羽を光らせてエミリアの元へと飛んでいった。
そうして、リットの元には静寂が訪れたが、それは一瞬より少しばかり長い時間で、すぐにグリザベルのフハハという高笑いが響いた。
「パンプキンボムとは闇が深いほど成長するものらしい。ヨルムウトルのものよりも肥大化しておる。当然闇というのは明るさのことではないぞ。魔力のことだ。ウィッチーズ・マーケットに持っていけば、魔力を肥料にする植物に詳しい者が調べてくれるだろうが、お主になにか意見はあるか?」
「あるぞ。興味がない。そのカボチャにも、あのウィッチーズ・マーケットにもだ」
「まだウィッチーズ・マーケットでのことを怒っておるのか。しょうがないであろう。魔女の世界は女尊男卑。男が権利を勝ち取るのは難しいことだ。だが、お主の培ってきた光学と言うのはだ。一石を投じる可能性がある。前にも言ったが、魔力の流れとは光の反射に似ておってだな」
「……言い忘れた。どの魔女にも興味はねぇ。当然この魔女にもだ」
リットはグリザベルの頭を人差し指で強めに小突いて黙ってろと言うと、ランプのメンテナンスに戻った。
「ならばノーラと話すからよい」とグリザベルは不満に頬をふくらませると、咳払いを一つして調子を整えた。「ノーラの興味は食であったな。食というのも魔女学に関わりが深い。なぜならば、料理は食べればなくなる。しかし、器がなくなるわけではない。これがどう魔力に関係してくるかわかるか?」
「さぁ、さっぱりってなもんで。でも、旦那が言ってた話に似てますねェ。ほら、さっきの哲学の話ですよ」
ノーラが哲学と言った瞬間「おい、バカ」と、リットはノーラの口を塞いだ。「話題を振っちゃいけねぇ相手の話をして、話を切り上げだろうが」
ノーラはリットの手の隙間から「だって、ヴィコットにエミリアにチルカ。旦那ってば色んな人と話すから、誰のことかわかんないっスよ」とくぐもった声で言った。
「だいたい誰のことかわかるだろう。ヴィコットやチルカみたいなマヌケが哲学するわけねぇし、エミリアみたいな効率人間が、哲学なんて非効率なことをすると思うか? ……聞こえてねぇ可能性もある。どうだ? グリザベルはこっちを見てるか?」
リットはノーラの口を抑えたまま言うと、ノーラは目でグリザベルの様子を追った。
「いいえ、なんか地面を見てますね。あっ、今こっちを見ましたよ」
「……どんな様子だ?」
「えっとですねェ……。真顔から、今嬉しそうにヌォンって感じで口元に笑みを浮かべたところで。こっちに近付いてきてますよ。あれはスキップと闊歩の中間ってところですねェ。あれで、よく転ばないもんですよ。で、四歩、三歩、二歩、到着ってなもんで」
ノーラが到着と言った瞬間、リットの肩をグリザベルの細い手が掴んだ。
「お主が哲学をするとは思わなんだ。我もな嗜む程度だが、哲学を学んでいる。なぜならば、哲学思考法とは魔女学に通ずるものがあるからだ」
「あのなぁ……別に知識自慢をしろって言ってるわけじゃねぇんだ」
「言いたいことはわかっておる。たしかに我は知恵者だ。哲学とは知識を蓄えるものではなく、思考を深めるものだ。だが、魔力とは知識だけでは役に立たぬ、思考によってこそ流れ出すものだ。そして、思考とは自問により磨かれる。これぞまさに哲学。だが、魔女の哲学とは四性質を主にする。これにも古い歴史があってだな。ある魔女が、そもそも四大元素の『火』とはなにかと考えた時、『熱』と『乾』により成り立っていると発見した。今までは四精霊と四大元素という直接の関わりがあるものしか考えられなかったが、そこに哲学が交わることにより四性質という概念が生まれたわけだ。魔宝石もそうだ。そもそも何かに魔力を閉じ込めておけないかと――」
饒舌になったグリザベルはある程度満足するまで止まらないと知っているリットは、諦めて聞いているフリをすることにした。
「あとで覚えてろ」と視線を送ろうとしたが、既にノーラは一人逃げてヴィコットのカボチャ割りを手伝っていた。




