第十話
魔法とは四性質を組み合わせ、四大元素を作り、それを利用するもの。というのは魔女の考えであり、四大元素の調和を重んじる妖精のチルカとは真逆の考え方だ。
真逆の考えというのは理解とは程遠いところにあり、お互いそれがわかっているため深く突っ込むことはしなかったが、グリザベルがパンプキンボムを見付け、ディアドレの足跡を辿りたいと意見を出してから、軽い口論が続くようになった。
パンプキンボムは熟すと破裂し、種を遠くに飛ばし生息分布を広げる。それをディアドレの足跡として、過去の足取りを辿るのは無理だという結論に至り、そのことは解決したのだが、二人の口論の内容はそれから外れ、魔法が自然に与える影響という話になっていた。
「だから、アンタ達人間が使う魔法っていうのは、私達とは――まったく――全然――別物なの」
「だが、妖精に限らず魔法を使う種族は大勢いる。使えぬ種族というのはその術を知らぬからだ。だが、魔女はその術を見付け、使う技術を身に着けた。備わっていたか、身に付けたか、その違いだけだ」
「魔女が言う魔法なんてものは、砂漠で水を引っ張りだすようなものよ。好きな時に水が出てくるなら、それはもう砂漠じゃない。一面緑に覆われる草の海よ。どうして、そうなっていないのか。考えたらわかるでしょ。大事なのは調和よ」
「言いたくはないが……魔女の力如きに影響されるものはない。今回の現象のことを言うならば、それは特別な魔女のウィッチーズ・カーズだからだ。焚き火が自然界の魔力ならば、魔女の魔力はそこから弾けた火の粉程度の力よ」
「その火の子が山火事の原因にもなるのよ。森を切り開き、川を埋め、自分のいいように品種改良する。その身勝手さが魔法にも現れてるって言ってんのよ」
終わらない二人の会話にエミリアが足を止めずに、顔だけ振り返ってリットを見た。
「あれは止めたほうがいいのか?」
心配の声色のエミリアに向かって、リットは自分にどうしろと肩をすくめた。
「オレに聞くなよ」
「私は魔法には疎いからな。変に口を出すと、火に油を注いでしまう気がしてな」
「オレだって魔法は一つしか使えねよ。酒場で酔いつぶれて、起きたら財布の中が空になってるくらいだ」
「それは自堕落が生んだ自業自得と言うんだ」
「だいたいな、女のほうが魔法に詳しいだろ。化粧で顔を変えれりゃ、乳まででかくなる。ありゃ魔法以外なんでもねぇだろ。まぁ、男もないわけじゃない。パンツに靴下を詰めてでかく見せたり、金を持ってる素振りをしたりな。……これなんの話だ?」
「私に聞くな……」
エミリアが呆れを見せ、再び前を向いたところで、道標にしていた沢がなくなったことに気付いた。水の匂いはなく、湿り気のない乾いた空気。その影響が如実に現れたのは、声を大きく口論していたグリザベルとチルカの二人だ。
乾いた空気が喉を襲い、ほぼ二人同時に咳き込んだ。
「ほら、喧嘩するからっスよォ」とノーラは水筒をグリザベルとエミリアに渡した。
しばらく咳き込み、水を一杯ぐいっと飲み干したチルカは「どう考えても、この魔女の先祖のせいでしょ」とグリザベルを睨んだ。
「妖精の悪行とて数え切れぬほどあるわ、妖精が吐露したことが書いてある妖魔録を読んでみるがよい」
「その妖魔録は人間が書いた――」
再び言い合いに発展しそうになると、エミリアは二人の間に手を差し込んで止めた。
「ノーラの言う通り喧嘩をしている暇はない。沢から道を外れたのならば、戻らなければ」
エミリアが踵を返そうとすると、グリザベルとチルカは同時に辺りを見回し、また同時に「道は外れていない」と口にした。
そして、競うようにチルカが先に「そこの窪み、石が絨毯みたいになってるでしょ。水に流されて敷き詰められたからよ」と言った。
チルカの言う通り、細い窪みには大小形様々な石が転がっており、その隙間に砂利が詰まって石畳の道のようになっていた。
今度はグリザベルが「水がないのは魔力の流れが変わったからだ。ランプの明かりを調節すれば、また水は流れ出すはずだ」と言い、リットからひったくるようにランプを取った。
その足で来た道を数歩戻り、沢を照らすと「これを見よ」と指し示した
グリザベルの指先では、沢が二つに割れていた。一つは水が流れる沢、もう一つは干上がった沢。その間から、曇り一つ無いガラスを差し込んだかのように、前後で真っ二つに別れている。
「これはまた……見たことのない光景だな」
ヴィコットは臆することなく沢の水に手を入れると、境目を行ったり来たり手でかき分けた。
沢の水は干上がった沢に飛び散ることなく、初めからないもののように雫は境目で姿を消す。同じようにノーラも手を入れて水をバシャバシャと跳ねさせると、まったく同じく、境目で飛び跳ねた雫は消えてしまった。
ノーラは「いやー」と、出てもいない額の汗を演技ぶった手振りで拭く。「これが沢でよかったっスねェ。これが体だと思うと……上半身が消えたら、ご飯も食べられませんってなもんで」
「ゴーストにもいるぞ。足だけの奴が。そいつに言わせると、見えないだけで体は存在してるそうだ。小さな事柄を全部含めて全体にすれば、見えないものが世界のほとんどを占めている。見えているものは、その一割にも満たないものだ。前を見れば後ろは見えない。上を見れば下は見えない。一方だけ見つめていれば、視野は狭くなるものだ。だから、皆見ようと首を動かす。そうしなければ、肩がこるように、考え方もコチコチに固まってしまう。そうだろう? グリザベル」とヴィコットはグリザベルを見た後、「そうだろう? チルカ」とチルカを見た。
その諭されるような言い方に、チルカは顔にできた怒りのシワを伸ばした。
「別に……グリザベルの考え方全部に文句があるわけじゃないわよ」
「我とて文句ばかりがあるわけではない。受け入れるべきところは、受け入れようという姿勢だ」
ヴィコットは「なら」と両手を広げた。「仲直りだ。魔力は安定。自然は調和。仲直りは、その両方が含まれる。お互い大事なことなんだろう?」
グリザベルが「我が悪かった」と謝ると、チルカも「私も言い過ぎたわ」と謝った。
グリザベルが差し出した小指をチルカが掴むのを見たヴィコットは、腑に落ちない顔で両者を見た。
「オレが両手を広げた意味がわかってないのか? 仲直りには抱擁だろう……。なぜ抱きついてこないんだ」
「アンタとは喧嘩してないわよ」
チルカはヴィコットに白い目を向けた。
「頭の固い妖精だ……。だから、いつも誰かと口論になるんだ。いいか、そういうのをバカの極みと言うんだ」
「言っとくけど……いくらあおってきても、アンタとは喧嘩も抱擁もする気はないわよ」
「なんだ……つまらん」とヴィコットが口を尖らせていた時。グリザベルはリットに手で呼ばれているのに気付いて、その元へと向かった。
「チルカとの口論のことなら心配いらぬぞ。不思議と仲が深まった気分だ。思えば……誰かと真っ向から口喧嘩をしたのは初めてのことやもしれぬ」
「喧嘩も仲直りの経験もなかった子供時代に突っ込んでやりてぇところだけどな。まずはこれだ」とリットはランプをグリザベルに突きつけた。「道は窪みに沿って歩けばいいけど、水がなければ死ぬぞ」
「言うたであろう。ランプの明かりを調節すればよいと。お主が沢に水を戻した時のように、調節ネジを回して灯る炎の大きさを変えればよい」
「さっきからやってんだよ」
リットは調節ネジを回して戻してを繰り返して見せた。
「そう、せせこましく調節しないで大きく変えたらどうだ。炎さえ消さなければ、闇に呑まれることもない」
「調節の意味がわかってんのか? 程よく整えるだぞ」
「お主が言っているのは炎のことだろう。我が言ってるのは魔力を整えるだ。魔力を整えるというのは、周りを安定させるということだ」
「だとよ……いいのか?」
リットはエミリアを見て言った。
今までは支障がない程度に調節ネジを回していたのだが、照らす範囲を大きく変えるほど回すには、自分だけの判断では思い切れなかったからだ。
「ゆっくり回せば問題ないだろう」
エミリアは離れたところにいる者は近くに集まるように指示した。
一つの焚き火を囲むように、皆がランプの元に集まると、リットはゆっくり調節ネジを回して炎を大きくした。
しばらくはなにも変わらなかったが、炎が親指くらいの大きさになると、むっとするような湿気が全身を包んだ。高く育ったヤシの木が鬱蒼と茂り、木の汁を絞るように蔓が絡む。育ちに育った下草には蛇や蛙が身を潜めている。
当然闇に呑まれた中では景色は映らない。しかし、このジメジメとした暑さはジャングルそのものだ。今にも、人の笑い声に似た鳥のさえずりの幻聴が響いてきそうだった。
「お主はなにをやっている……ペングイン大陸は寒冷地だぞ。これでは暴走している。魔力を安定させぬか」
グリザベルは急に滝のように吹き出てきた額の汗を拭った。
「自然調和ってものを考えなさいよ。どう考えても、この気温も湿度もおかしいって気付くでしょうよ」
チルカは汗で額に張り付いた前髪を、煩わしそうに手でかきあげながら言う。
「オレに言うなよ。安定だの。調和だの。調節だの。できりゃとっくにやってる。オレだって玉の裏にすげえ汗かいて不快なんだよ」
今度は調節ネジを回して火を小さくすると、砂が熱を持ち、乾風が吹き抜ける砂漠のような気候になった。
「アンタ……私達を殺す気? 水を出せって言ってるのに、水がないラット・バック砂漠みたいにしてどうすんのよ。いいえ、ラット・バック砂漠にだって水があったわよ」
「一回行って名前を知ってるからって、得意気に連呼するなよ。文句があるなら自分でやれよ」
「いやよ。自分でやったら文句が言えなくなるでしょ。ランプはアンタの範疇なんだから、しっかりやんなさいよね」
「頼むぞ、リット……。ころころ気候が変わっては、流石にどうにかなってしまいそうだ」
エミリアも全身にかいた汗に顔をしかめて、強い不快感をあらわにしていた。
「だいたい……水が出る出ないの話じゃなかったのかよ。気候が変わるなんて聞いちゃいねぇぞ……」
リットはぶつくさ文句を言いながらも、続けて調節ネジを回した。
短時間で世界旅行をしたかのように、目まぐるしく気温と湿度が変わり、最後に一瞬だけ汗が凍るような寒さが襲うと、沢の水が逆転した。今まで水が流れていた方向の沢では水がなくなり、干上がっていた沢には水が流れ出した。
気温も安定し、すっかり肌に馴染んでしまった乾いた無の空気が漂うのを感ると、ノーラが「旦那ァ……こういうのはこれっきりしてくださなァ……」と大きく息を吐いた。
リットは「オレだってこれっきりにしてぇよ」とやり場のない憤りをぶつけるように、グリザベルを睨んだ。
「我を睨んだとて、なにも変わらぬ。それだけウィッチーズ・カーズの中心に近付いているとも言える。テスカガンドのウィッチーズ・カーズは向きの違ういくつもの渦が密集しているようなものだ。渦ごとに調整が必要になるだろう」
「オレには、また玉の裏に汗をかく必要があるって聞こえたぞ」
「そう言っている。玉に関してはお主だけのことだ」
「もう一人いるだろうが。見てみろ。自分の汗に溺れて死にそうな奴を」
リットはぐったりと地面に倒れ込むハスキーを指して言った。
汗を吸った毛皮は、桶から出したばかりの洗濯物のように濡れ、先に重りがついているかのように長い舌をだらんと伸ばしている。呼吸は荒く、病人そのものだった。
「やったのはお主だろう」
「やったんじゃねぇよ。やらされたんだ。だいたい魔女なら、魔力の流れを読んで自分で調節しろよ」
「同じ場所に数ヶ月留まるのならば、可能だと断言しておこう。おそらく……ディアドレもそうして闇に呑まれたテスカガンドへと向かったはずだからな。その期間を短縮するためのランプだ。まぁ……たまには良い薬であろう。文句ばかり言うお主も、言われる身の気持ちがわかる」
グリザベルは勝ち誇った笑い声を響かせると、ハスキーの介抱のためにテントを広げるエミリアを手伝いに行った。
沢の水を飲み、しばらく休憩したハスキーは食事を取れるほど元気になり、皆に深々と頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。足を止めする結果になり申し訳なく思っています」
「皆も急な気温の変化に参っていたんだ。私も含めてな。どのみちここで休憩にしていた」
エミリアはまだ楽にしていろとハスキーに言うと、汚れた鍋と食器を洗いに沢まで歩いて行った。
ヴィコットはその後姿を見送ると、そのまま遠くの闇を眺め始めた。そして、今度は来た道を眺めると「うーむ……やはりな」とこぼした。
「なんだ、小娘の小さな尻にでも惹かれたのか?」
リットに言われたヴィコットは「いやいや、あれはあれで立派なものだ」と答えてから、「よく見えなくなったきたんだ」と目を細めた。
「疲労が目にでもきたのか?」
「オレもそう思っていた。そう思っていたんだがな……見えないのは行く道だ」
「詩の発表会ならグリザベルとでもしてくれ」
「言葉通りの意味だ。来た道は見えるが、これから行く道は殆ど見えない。ちょうどあの沢の境目で変わっている」
闇の中でも目が効いていたヴィコットだが、これから行く道の闇は言葉通り見えていなかった。それでもまだ、まったく見えていないリット達よりは闇目が効いている。
「霊体ってのは影響されないって聞いたぞ」
「グリザベルの言う通りだ。それだけ、エーテルの失敗とやらのウィッチーズ・カーズに近付いてるのかもな。困ったことに、オレは役立たずに成り果てるかもしれない」
ヴィコットはわかりやすい落胆のため息を地面に向かって落とした。
「そう気に病むなよ。まだ、冒険者の真似事の知識と、スケベ心が残ってるだろ。どっちも生きていく上で大切なもんだ」
「なんだ、慰めてくれるのか。リット……オマエは優しい奴だな」
ヴィコットは押し倒すような勢いでリットを強く抱きしめる。
リットは離れようとするが、ヴィコットの力強い抱擁は、まるでロープに縛られたかのようにどうすることもできなかった。
「いいか……自尊心ってのも、生きていく上で大切なもんだ。返してくれ……」




