第六話
ぬるい風を切り、馬具の音を響かせる。
常夜の道の目印はなく、ジャック・オ・ランタンの傍らにある明かりをリットは馬車の奥から黙って眺めていた。
メノウの様な深い赤茶色の光を放ち、馬車が揺れる度に光の残像を作る。
ランタン自体は城壁塔のてっぺんを切り取ったような形をしており、ブロンズと青サビが交じり合い、味わい深いものになっている。価値がありそうなアンティークなだけに、火屋のすす汚れがもったいない。すすを落とせばもっと見事に光る一品だ。
いつのまにかリットは御者台に身を乗り出し、ジャック・オ・ランタンのランタンをまじまじと近くで観察していた。
「旦那ァ……。ジャック・オ・ランタンが困ってますぜェ」
ジャック・オ・ランタンは表情こそ変わらないもの、リットが落ちないか心配そうに何度も目を向けていた。
「わりぃわりぃ。珍しいランタンだったんで、ついな」
リットが馬車の中に引っ込むと、馬車は少しだけ速度を上げた。明かりない道に間抜けな蹄の音が良く響く。
「この馬車はどこに向かっているんだい?」風に揺れる前髪を押さえながらローレンが聞いたが、ジャック・オ・ランタンは無言のままだ。「そういえば、キミは喋れないんだったね。ここら辺で大きな街といえばシフォンの街かな? そうなるとかなり遠いね」
ジャック・オ・ランタンは首を横に振ると、左手を手綱から離して、山に向けて手を伸ばした。
闇夜の中、大波のようにそびえるザラメ山脈。冥府の炎のようにぼんやりとした明かりが灯るヨルムウトル城は、目の離すことの出来ない存在感があった。
「あれがヨルムウトルっスか。遠目で見てもボロボロっすねェ」
巨人の拳に殴られたかのように外殻塔は崩れており、城内部の居館が剥き出しになっている。ヨルムウトル城の真上には渦巻いた雲が密集しているので、わずかに漏れた明かりでも、城の中で何かがそわそわと動いているのがわかった。
「オマエ、ウィッチィズカーズの産物とかじゃないだろうな」
リットの言葉に、ジャック・オ・ランタンは首を横に振って否定した。何かを伝えようと、首を動かしたり手を動かしたりするが結局伝わらず、諦めた様子で胸に顎がつくほどうなだれた。
「健気なもんだな。喋れないのに、一生懸命意思の疎通を図ろうとは」
「旦那はそれわかってて、ジャック・オ・ランタンに話しかけてるでしょ」
「不気味な顔してるのに、コミカルに動くのが楽しくてな」
リットがそう言うと、ジャック・オ・ランタンは更に肩を落として落ち込んだ。
「もしかしたらカボチャはかぶりもので、中には美女が! ってことはあるかもしれませんよ」
「あんまり惹かれない展開だな。財宝の地図とか隠してないもんか」
「それ、ちょっと面白そうね」
チルカは興味ありげな表情を浮かべると、ジャック・オ・ランタンの右目からカボチャ内に入り、左目から鼻を押さえながら出てきた。
少し鼻息を荒くしたローレンが、ずいっとチルカに近寄って期待の込めた目を向けた。
「どうだった? 美女だったかい?」
「ダメダメ。中は空っぽよ。しかも、少し腐りかけて臭うわ」
「なんだい。僕は腐ってるものはお断りだよ」
ローレンは鞄を背もたれにして、つまらなさそうに腕を組んた。
「夏だし、そりゃくりぬいたカボチャは腐るだろうな。太陽が照っていないせいで湿ってるだろうし」
「腐るのをわかっててここに住むなんて、このカボチャ頭はドMなのかしらね」
「腐る原因なんてのは、傷がつく、湿気にやられる。だいたい川が多いこのガレット地方には向いてないんだよな。ジャック・オ・ランタンってのは」
「傷ついてるのは心っスよ……」
ノーラの言葉に目を向けると、御者台にいるジャック・オ・ランタンは悲しげな背中だった。涙は出ていないが、その後姿は泣いているようにも見える。
「硬い皮してるくせに、心は脆いのね。面倒くさい奴ね」
「カボチャ自体が面倒くさいからな。収穫するにも専用のハサミを使わなきゃならんし」
「僕は女の子の手料理しか食べないから、カボチャの調理法なんてどうでもいいね」
「……旦那達、本当は仲良いでしょ」
ヨルムウトル城の城門前で馬車は停まり、ジャック・オ・ランタンはリット達に頭を下げると馬車と共に消えていった。
「……真っ暗っスねェ」
「山道を走ってる時は明かりが見えてたんだけどな」
リットはランプに火をつけると、扉を照らした。
星光のヨルムウトルと呼ばれていた面影が、わずかばかり残っている。
リットはヨルムウトルを象徴する星型の取っ手に手を伸ばした。
油の差されていない扉は、金属が擦れる不快な大きな音を立てながら開いた。
人気のない空間に、リット達の足音だけが虚しく響く。
一度立ち止まり、部屋の様子を伺おうとランプを目元まで掲げると、足元を照らすランプの明かりは影を長く映した。その影の先端から、剥がされたように影が起き上がってきた。影が足の裏を地面にこすり付けるような動作をすると、リットの足元から影がぷつりと切れて自立した。
影は三歩ほど距離を取ると、執事のように左手を前にして腹部に当てて、右手を後ろに回して礼をした。
そして、前へ向かって歩くようにと、すっと手を差し出す。
「なんだこの薄気味悪い奴は。オレの影なのにナヨナヨ動きやがって」
「アンタよりも、影の方が礼節をわきまえてて好印象ね」
「まぁまぁ。こんなとこで喧嘩しててもしょうがないし、行きましょうよ」そう言ってノーラは一歩踏み出したが、その後に続く者はいなかった。「どうしたんスか?」
「いや……だって」と口ごもるローレンに「ねぇ……」とチルカが同調した。
洞窟に入ったような真っ暗な城内。ランプの明かりがなければ、目の前は床なのか、奈落の底へと落ちる穴なのかもわからない。
首筋に冷たい刃を押し当てられたかのような感覚。冷や汗が一筋、背中へと垂れた。
影執事は急かせることなく、同じ体勢のままでリット達が歩くのを待っていた。
「もう……。旦那ァ?」
「ここがヨルムウトルじゃなかったら、思い切りもつくんだがな……」
「呪われるなら、城に入った時点で呪われますって」
ノーラはリットの後ろに回りこむと、背中に両手を当てて押し出した。
「おい! やめろバカたれ!」
「はいはい。怖くなーい、怖くなーい」
「オマエは少しは怖がれよ」
「ジャック・オ・ランタンをバカにしてたのに、情けないっスよ」
ノーラはリットの背中をぽんぽんとあやすように叩く。
「……お気楽なオマエが羨ましいよ」
ノーラの子供をあやすような行為が癪に障ったリットは、意を決して歩き始めた。
城の中は随分と朽ちており、ほとんどの階段は崩れていた。そのせいで城の端まで歩かされる羽目になった。砂埃で滑る大理石の廊下を、転ばないように慎重に足を進めるせいで足取りは重い。
「私、お城の中って初めて歩きましたよ。広いんスねェ」
「こんなところに住んでる女ってのは、ろくな奴じゃねぇだろうな」
「僕もそんな気がするよ……ここに住んでる女性っていうのは生きてる人間なんだろうね?」
ローレンが問いかけると、影執事はゆっくりと頷く。影執事の所作一つ一つには、老人的な物腰の柔らかさがあった。
足場の悪い道を避けて、リット達が歩きやすいような道へと誘導している。
ランプで横道を照らすと、崩れた壁の塊や壊れた美術品が転がっていた。
しかし、その優しさも不気味であることには変わりなかった。ランプの持つ位置を変えても、影執事の形が変わることはない。光の角度を変えても形が変わらないということは、影ではないものになっていることだ。
リットは、チルカの光ではどうなるかと試してみた。
恐怖からか動きが鈍っているチルカに近寄り、腰辺りを指でつまんで影執事に近づけてみる。
やはりなにも変わらず、平坦とも立体とも取れない、黒い塊があるだけだった。
「ちょっと……。私はアンタのランプじゃないのよ」
チルカは不機嫌に口にしたが、いつものように暴れるわけではなく、つままれたままになっている。
「妖精の光だと、影が消えるかもしれないと思ったんだけどな」
「そんなに光らせたいなら、髪の毛でも剃れば? 何年後かには自然に抜け落ちるだろうけど」
「そん時はおそろいにしてやるよ。妖精のハゲ頭はさぞ綺麗に光るだろうよ」
リットとチルカが言い合いをしていると、床から這い出るようにして影執事がリットとチルカの間に入った。喧嘩をするなと言うように首を振る。
「そっちも、いきなり移動して来んのやめてくんねぇか。心臓にわりぃよ」
影執事は詫びるように頭を下げると、右の方向へ手を伸ばす。影執事が手を差し出した方向には、螺旋階段があった。
螺旋階段の燭台には、溶けた蝋があふれて階段に垂れている。踏んでみると柔らかい感触があった。火は消えたばかりだ。外から見た明かりはこれだろう。火は消えてしまって意味はないが、影執事に案内させたり、一応は客を受け入れる準備をしているらしい。
螺旋階段を最上階まで上り、壁が壊れて廊下と繋がった大広間に出ると、ようやく火の明かりが見えた。
轟々と燃える二つのかがり火の間に人の姿があった。
壁に掛けられたヨルムウトルの紋様が入った織布を背にして、天蓋の付いた王座に深く腰掛けて足を組んでいる。闇に紛れるような黒髪に黒のドレス。黒ずくめの中、なにかが光っている。大粒の真珠の首飾りが、豊かな胸に垂れ下がっていた。
「下がってよい」
よく通る声で女が言うと、息を吹きかけたロウソクの火のように影執事はその場で姿を消した。
消えると同時に、リットの足元には影が戻っていた。試しに手を動かしてみると、影は同じ動きをする。元の自分の影へと戻っていた。
「待ちわびたぞ。近う寄れ。そこでは顔が見えぬ」
玉座に座った女は、人差し指をリット達に向けると、指を折って招いた。
リット達は少し躊躇ったが、相手が人間という安心感からか、王座の間へと足を踏みいれた。
健康的とは言えない青白い肌が、かがり火に照らされて赤く染まっている。
近づくにつれ、顔が見えてくるのと同時に、なにか甘ったるいような匂いが鼻に届いた。
「なんの匂いだ?」
リットが鼻を鳴らす。
「知らないのかい?」ローレンは鼻からおもいっきり空気を吸い込むと、味わうようにゆっくり吐き出した。「これはフェロモンだよ」
「あん?」
リットの怪訝な声を無視して、ローレンは早足で女へと近づいていき跪いた。
「お呼び頂き光栄。僕はローレンです」
「我が名はグリザベル」
グリザベルは自分の名前を言うと不敵に笑った。
いち早くローレンが近寄ったのがわかる。グリザベルは美人だった。陽の光ではなく、闇夜にこそ映えそうな美人だ。
「えぇ……。驚きました。まさかこんな美人が僕を招待してくれたなんて」
ローレンはグリザベルの手を両手で包むように握る。グリザベルは気にした様子もなく、ただローレンを見下ろしていた。
「リットだ。オレを呼んだのはアンタか?」
「うむ、そうだ。……お主は跪かんのか?」
「生憎オレはパンツを覗き見るような趣味はないんでな」
「僕の印象を下げるようなことは言わないでくれたまえ!」
ローレンは慌てて立ち上がると、グリザベルのカラスの羽のように装飾されたドレスの裾がふわりと揺れた。
「ふははは、冗談だ。堅苦しいのは好かん」
「僕もそう思っていたんだ。愛を語るのにはムードだけ。堅苦しさなんてのは、数学者にでも任せておけばいい。必要なのは――」
ローレンは前髪をかきあげると、舞台役者のように大げさに手を広げた。
「必要なのは……なんだ?」
「愛を語るベッドと、話の潤滑油になるようなバラの香りを」
「……回りくどい男だ。なにが言いたい」
「是非あなたと男女の付き合いを――」
ローレンがグリザベルに向かって手を差し出すと、まばらな拍手の音が響いた。
「おうおう……得体のしれない女にようやるわ」
「顔は良いっスからね。付き合うのと同じ数だけフラレてますけど……。よっ! 数撃ちゃ当たる戦法の申し子!」
「あれで口説けると思ってるんだから、哀れな男よね。まっ、頑張んなさい」
「不名誉な拍手をするんじゃないよ! キミ達!」
ローレンの怒号を、グリザベルの高笑いが打ち消した。
「ふははは! 気に入った」
「え?」ローレンが裏返ったような声を上げて、グリザベルに振り返った。
「まぁ……我はお主に興味はないが、代わりに良いおなごを紹介してやろう」
グリザベルが床の影に手をかざし、なにか拾うように手を上げると、影が盛り上がり人の形に膨らんだ。
「ミスティ・ミスト。十八歳だ。親が厳しく満足に恋愛できなかったらしい。幸せにしてやれ」
ミスティと呼ばれた影は、胸元で人差し指と人差し指を付けたり離したりしてもじもじとしている。
一度ローレンの顔を見たが、視線が合うと直ぐに恥ずかしそうに顔をそむけた。
動きのある影に反比例するように、リット達の動きは固まった。
「どうした?」グリザベルは顎に手を当てて考える仕草をすると、合点がいったように少し大きく目を開いた。「なるほどの。城に着いてからなかなか王座の間へ来ないと思ったら、影達に怯えていたのか」
「そうっスね。旦那が怖がっちゃって」
リットはノーラの頭を床に押しこむように掴むと「城の中が暗くて歩きにくかったんだよ」と訂正した。
「暗い? 昨夜我が寝る前には、ロウソクに火をつけておいたはずだ」
「そんなに前じゃ、火が消えるのも当然だろ」
「そうか。客人を迎え入れるのは久々でな……。不手際があったことは認めよう。食事でも楽しんでいってくれ」
「おいおい、話があるんじゃないのか。食事の誘いってわけじゃないだろ」
「我が興味あるのは、お主が作った陽光の如く鮮やかな光を放つオイルだ。そのことは食事をしながらでも話せるだろう。それに、お主の連れ合い達は既に食堂へ向かったぞ」
ノーラは新たに生み出された影の後に付いて歩いている。
ローレンだけは、ミスティに付き添われるような形で誘導されていた。




