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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(上)

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第八話

 夕食の時間が終わったばかりの、空にこすったような薄い光の色が残る浅い夜の帳。

 堰を切ったように喉の奥から「あー!」とうなるリットの声は、突然の夕立が屋根に叩きつけられるように前触れもなく部屋に響いた。

 あまりに突然のことに、一緒に部屋にいたノーラとチルカは食べようと手に持っていたブドウを同時に床に落としてしまった。

「なんなのよ……。私が少し森に帰ってるあいだに、月に向かって吠える癖でもついたの?」

 チルカは床に落ちた二粒のブドウを拾い、両腕に抱えて飛ぶと、その一つをノーラに投げ渡す。というよりも落とし渡しながら言った。

 リットは「肉だ。肉」と机を叩いた。

「そんなに、にくにくと連呼しなくても、充分あんたは憎々しい奴よ」

「今はな。下手くそな嫌味を聞いて、かまってやるような気分じゃねぇんだ。かまってほしけりゃ、鳥でも撃ち落として焚き火に落とせ」

「なにイラついてんのよ……。いつもアンタが騒ぐのはお酒じゃない。それがなんでお肉なのよ」

「そうっスよ、旦那ァ。食べ物で文句を言うのは、だいたい私の役目っスよ」

 ノーラはブドウを皮ごと口に入れると、器用に種だけをプッと吹いて皿に飛ばした。

「……一昨日の晩飯は?」

「特に美味しかったのは、リーゼネ特産のお芋がたっぷりのキッシュっスねェ。あとサラダっス」

「……昨日の晩飯は?」

「昨日はなんと言ってもパスタっスよ。数種類のキノコを使ったしょっぱめのソースに、ほうれん草の甘さが合うんスよねェ。あとサラダっス」

「今朝は?」

「薄く焼いたパンケーキにレタスたっぷり、トマトをシュパパ。ピクルスをボニョっと挟んだパンケーキサンド。かぼちゃとクルミのポタージュも最高でしたねェ……あの乾煎りしたクルミの香ばしいこと。あとサラダっス」

「ノーラの言うとおり、全部美味しかったじゃない。それのどこが不満なのよ」

 チルカは実を食べ終えて残ったブドウの種を、固いパンでも食べるように音を立ててかじっている。

「いいか? ケツどころか全身青い青虫、よく聞け。オレはな。葉っぱだけを食べて成長して、羽が生えても花の蜜だけを吸うような生物になるつもりはねぇんだよ」

「頼めば旦那の分くらい出てくると思いますよ。ビダっとフルーツのソースがかかったステーキとか出てくるんじゃないっスかねェ」

「あのなぁ……オレが食いたいのはな、綺麗に焼かれた肉じゃねぇんだよ。焦げた脂身から出てるギトギトの油。肉汁は垂れ流し放題で、皿の中で勝手にスープみてぇになってるのだ。それを食って、ネットリした口の中を酒で洗い流す。で、次の日の朝に胃もたれで苦しむわけだ」

「理解不能。なにが悲しくて、あんな臭い肉を食べたがるのかしら」

 チルカは肉を食べる想像をして顔をしかめた後、想像の味を洗い流すかのように皮のままぶどうにかぶりついた。

「私は甘酸っぱい果汁でさらに口の中を複雑にしたあと、パンを口いっぱい頬張って味をリセットするほうがいいと思いますけどねェ」

「肉なんかいらないから、フルーツのはちみつ漬けでいいのよ。フルーツ自体も美味しいし、シロップも水で割って飲んで無駄がないんだから」

「いいんだよ。オマエ達の食いたいものなんて、オレが食いたいって話をしてんだ」

「でも、この時間はもう店は閉まってますよ」

「酒場は開いてる」

「エミリアから禁止されてませんでしたっけ? 酒場に行くのを。見つかったら、まぁた怒られますよ」

「あんな小娘の一方的な約束をいつまでも守っていられるか。だいたい、私生活にいちいち口を出される筋合いはねぇ。だから堂々と玄関から出ていけばいい」

「なら、ささっと行けばいいじゃないのよ。忘れてるなら教えてあげるけど、玄関は下の階よ。アンタが空を飛んで窓から出ていかない限りは」

 チルカは部屋のドアを指すと、ついでその指先を下に向けた。

「あのなぁ……いま出て行ったらすぐにバレるだろ」

「自分で堂々と玄関から出ていくって言ったんじゃない」

「そうは言ってねぇ。屋敷全体が寝静まって、ネズミの寝息も聞こえなくなったら、堂々と玄関から出ていく」

「ずいぶん頭の良い計画ね。その計画の中には、私がエミリアに告げ口をする可能性はないのかしら?」

 チルカの意地の悪い笑みに、リットは計画済みだとでも言うように肩をすくめた。

「それはありえねぇよ。オマエはオレが玄関の鍵を開けて出ていったあと、証拠隠滅のために鍵をかけるんだからな」

「何回教会の鐘に強く頭を打ち付けたら、私がアンタに協力をするっていう幸せな思考になるのよ」

「想像してみろ。ここは酒場だ。酔っぱらいの暴言を音楽に、ろれつが回らなくなった小粋な会話。さぁ、どうだ? そこにいる自分を想像してみろ」

 チルカは怪訝に眉をひそめながら目を閉じる。再び目を開けたときも、変わらず眉をひそめたままだった。

「想像したわよ。私をからかってきた酔っぱらいを片っ端からぶん殴ってるわ。で、酔っぱらいは鼻血止めにナッツを鼻に詰めてる。なんなら今すぐアンタで再現してみせる?」

「そうじゃねぇよ。……それもありうることだが、大事なのはフルーツのはちみつ漬けをオレに奢られてるってことだ。ナッツや木の実のラム酒漬けもある。どうだ? 協力したくなってきただろ」

「アンタは玄関を出るだけなのに、私はやること多すぎない?」

「玄関の鍵を締めて、二階の窓から外に出るだけだろ」

「なぁに? 妖精はいたずら好きだから、泥棒みたいにこそこそするのがお似合いだって言うの?」

 チルカは三角の目つきで睨みを利かせ、キツイ口調で言った。

「そうは言ってねぇだろ。過敏になるなよ」

「そうね。どうせ女は過敏よね」

 チルカは今度は過剰に、自虐的に吐き捨てた。

 しかし、リットが「わーったよ。もう頼まねぇよ」と諦めると、「いいえ、やるわ。面白そうだし」と、先程までごねていたのが嘘のようにあっさりと了承した。

「なんだってんだよ……。今の無駄な問答は……」

「協力してくれ。ええいいわよ。の二言で了承する仲でもないでしょ」

 チルカはやる気充分と言った感じで飛ぶと、空中でストレッチをするように腕を伸ばした。

「そうそう。協力してくれるって言ってるんスから、細かいことを気にしちゃダメですよ」ノーラも座ったままチルカと同じように腕を伸ばすと、顔だけリットに向けた。「それで、いつ頃実行するんスか? 時間を決めてくれないと、私は眠っちゃいますよォ」

「安心して寝てろよ。誘ってねぇんだから」

「それはおかしな話っスよ。ただ夜に抜け出すっていうなら気にしませんが、美味しいものを食べるんでしょ? 美味しいと食べるという二つの単語を組み合わせると、ノーラって言葉になるのを知らないんスかァ?」

「ノーラと連れて行くの二つの単語を組み合わせると、足が短いって言葉になるのを知らないのか? オマエの歩幅の狭い足音は無駄に響くんだよ。今から屋敷を抜け出します。ってわざわざ教えてるようなもんだ」

「ノーラと連れて行かないの二つの単語を組み合わせると、エミリアに泣きつくって言葉になりますけど、最後にもう一つ。はずがないと付け加えると、水が漏れない革水筒のように黙ってます。って言葉になるんですよ。言葉って不思議ですねェ」

 ノーラは次に出てくるリットの言葉がわかったので、安心した様子でブドウの続きを食べ始めた。

「わーったよ……。寝る前にメイドか執事が各部屋を回って用件がないかを聞いてくる。適当に追い返した後、足音が遠ざかったらオマエらの部屋をノックして連れ出して玄関に向かう。チルカの羽明かりは目立つから、ロウソクの明かりの後ろに隠れてオレとノーラが出るのを見てる。後は様子を見て錠を下ろし、二階の窓から出て門の先で合流する。使用人にさえ気を張ってれば大丈夫だ。エミリアは、連日の会議に次ぐ会議で疲れてぐっすり寝てるからな」

「作戦が単純すぎやしませんか?」

 ノーラは拭えない不信感に、心配そうに眉を寄せた。

「長々とした凝った作戦を練ったとして、覚えられんのか?」

「まぁ……最初と最後くらいは。単純最高っスね。さすがは旦那っス」

 ノーラがやんややんやと口に出して、適当にリットを持ち上げていると、ノックの音が響いた。

 ついで「こっちにリットは来ているか?」とエミリアの声が響く。

「エミリアが来たぞ。マヌケのフリで誤魔化せ」

 リットがノーラとチルカに言ったところで、部屋のドアが開き、呆れ顔のエミリアが部屋に入ってきた。

「……リットが一番だ」

「なんだ、愛の告白か?」

「わざわざフリなどしなくとも、部屋の外までマヌケのフリで誤魔化せと聞こえてきた時点でマヌケだと言っているんだ。何を企んでいたんだ?」

「気にすんな。世界征服に思いを馳せてただけだ」

「その前に、まず世界を救ってほしいものだ……。まぁいい、用件はランプについてだ。ランプについて、もう一度聞いておきたい」

「仕方ねぇな……。いいか? ランプってのは燃料を燃やして光源を作る照明道具のことだ」

「私が聞きたいのは、そんなわかりきったことではないくらいわかっているはずだが」

 エミリアの視線が鋭くなったので、リットは座り直して少しだけ姿勢を正すと、おもむろに口を開いた。

「普通のランプでできることは全部できる。あとは当然、闇に呑まれた中で光る。煙も光るのを利用して、空気穴を塞いで火屋の中に煙を閉じ込めて、オイルの節約ができる。その煙を外に逃がすことによって、光の道標を作ることも可能だ。まぁ、道標と言っても煙だから、外に出した時点で長い時間は保たないけどな。短い距離なら道を違えても、光る煙を目で追えば相手の場所がわかるってことだ。注意点は、三つのランプが同時にオイル切れを起こさないようにすることくらいだな。一度闇に呑まれたら、オイルを入れて火をつけるのは不可能だ。つまり、手分けをするような状況になったら、時間に余裕を持って合流をしないと危険だ。あとはそうだなぁ……。故意に火を消さなけりゃ、パイプを利用した空気の循環で安定した炎を保てる構造になってるから、突風で消えるようなことはねぇ。その構造のおかげでオイルも凍らない。これで満足したか? 何度か話してるはずだけどな」

「何度も聞いた。どうやら言い忘れなどはないようだな。これなら大丈夫だ」

「念の為ってやつか?」

「そうだ。それに……そろそろどうにかしなくてはならないからな」

 エミリアはリットをまじまじと見つめると、これ見よがしにため息をついた。

「あんまりいい反応じゃねぇな。なんだってんだ?」

「折を見て話す。ゆっくり休んでくれ。くれぐれも夜更かしはするんじゃないぞ。明日も起こすからな」

 エミリアはリットにだけ念を押すと「おやすみ」と部屋を出て行った。



 夜を静けさが襲い、街の喧騒は全て一箇所に集められたかのように賑わう酒場。

 その中でも一際大きい声でリットが言った。

「こういうのが肉ってもんだ」

 リットの目の前にはステーキのように焼いた厚切りのベーコン。それをナイフで切り、ナイフで刺して口に運ぶ。ノーラも同じものを頼んでいるが、切り分けることはなく、大きいままのベーコンをフォークに刺して、口の中に押し込むようにして食べていた。

「それにしても、思いのほか簡単にいきましたね。誰にも呼び止められることなく、誰に見つかることもなく。拍子抜けってなもんですよ」

 ノーラは片手にベーコンを刺したフォークを持ったまま、もう片方の手で指さして新たなベーコンを注文する。

「牢屋から逃げ出したわけじゃねぇんだ。まぁ、幽閉されてたようなもんだけどな」

「なんだ? かみさんのとこから逃げ出しでもしてきたのか? 子供を連れて」

 店主がリットに酒を注ぎながら怪訝な視線を送った。

「こんなやつに奥さんができるなんて、太陽が二つ昇るくらいありえないわよ」とラム酒に漬けたクコの実を食べて、少し酔ったチルカが上機嫌に笑いながらこたえるが、急に両眉を寄せてしわを作った。「なによ。可愛いからってジロジロ見ないでよ」

「いや……。最近妖精をよく見るようになったもんだと」

 店主はチルカの姿をまじまじと眺める。

「なんだ。最近じゃ妖精が森から出てきてるのか?」

「変わらず迷いの森付近だ。でもな、やたらと遭遇の報告が多い。それも、みんな食料をとられたって言ってる」

「人間の食うものの味を覚えた猫みてぇなもんか」

 リットはラム酒の匂いがする真っ赤なクコの実を持ったチルカを横目に見た。

「なによ。私はお土産を持っていて自慢してるだけよ。だいたい妖精が持ってく量なんて、たかが知れてるじゃない。それを文句言うなんてケチくさいのよ」

「だそうだ。人間代表として、気前良く大盤振る舞いしてもらいたいもんだ。猫に餌をやると思えば、懐もゆるくなるだろ」

 リットが一心不乱に料理を食べるノーラを指すと、店主は思い出したように手を打った。

「そういえば、最近猫がよく来るんだ。一度餌をやったら味をしめちまったのかなぁ……」

「猫ってのは獣人か?」

「いいや、ただの猫だ。ほら、そこにもいる」

 店主が顎をしゃくった先では、今まさに猫が客が開けた扉の隙間を縫って店に入ってきたところだった。

「猫ね……そういえば兵士がいねぇな」

「兵士ならそこらにいる。アイツも、アイツも城の兵士だ。普通は鎧を着たまま酒場になんて来ないだろ」

「なら、もしかすると……この猫が兵士ってことか……」

 リットは真っ直ぐ自分に向かってくる猫を見たあと、ゆっくり視線を上げて、猫の後を続く靴の持ち主を見た。

「良い感をしているな。できればもっと早く気づいてもらえれば、私がわざわざ連れ戻しに来る手間が省けるのだが」

「まぁ、待てエミリア。見ろ、コップ一杯だ」

 リットは高々とコップを掲げたが、エミリアはリットの手ではなく、カウンターに置かれた二本の酒瓶を見ていた。

「目の前にある、その二本を飲めば、酔って醜態を晒すには充分な量のはずだ。まったく……」とエミリアは疲れたようにため息をつく。「強く言って聞くような男ではないな……」

 エミリアがパッチワークに見張りを頼ませた猫を抱き上げると、猫は機嫌よく高い声でニャーと鳴いた。

「そういうもんだ。男ってのは抑圧するより、野放しにしたほうがよく働くもんだ」

「――わかった。そろそろダメだろうとは思っていたところだ。重要なことは何度も確認済みだ。先にドゥゴングに行って待機していてくれ」






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