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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(上)

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第一話

 『闇』という一色のみに覆われた世界では、死した大木が自重に耐えきれなくなって倒れる大きな音が小さく響き、樹皮が風に剥がれる小さな音が大きく響き、空か地面かわからないところで混じり合うと、奇怪な音を作り上げていた。

 その音を伴奏にするように、闇の中で一つの男の声が響いている。

「一つで人影。二つで逃げられ。三つで見当たらず。四つで思案」

 歌うような声は、闇の中を徘徊しながら続いている。

「五つでご無沙汰。六つで老人。七つでなっちゃう。八つで八分。九つ孔雀の後をたどって、十を数えればとうとう見つけた」

 声が止まると、時間までも止まってしまったかのような時間が流れる。

 そして、さっきまでのはなかったことにして、また一から歌いだそうとする。しかし、歌い始める前に別の声によって邪魔をされてしまった。

「あーもう、うるさい! いい歳をして、なにをいつまでやってるんだ」

「遊ぶときは、いつもこの歌からって決まりなんだ。仕方ないだろう」

 そう言って男は足元をキョロキョロ見回すと、さらに頭を下げて項垂れた。

 注意をしたほうの男は「なんだと?」同じく足元を見るて、変わらない闇の世界がそこにあることに安心して、ほっと一息ついてから、「……いいか? もう二度とその歌を口にするな」と神妙な声色で言った。

「この歌を聞けば、また出てくると思ったんだよ」

「せっかく消えて、皆せいせいしてるんだ。いろいろあって、ようやく落ち着いたところに、余計な火種を持ち込むな」

「火種って言っても、この闇の中じゃ持ち込んでも誰も気付かないだろ」

「だからだ。気付かないうちに燃えたら大変だろう。だいたい付き纏うのは、オレ達の性分だ。付き纏わられるのは二度とごめんだね」

「オレ達は食べることも眠ることもないんだぞ。付き纏う相手さえもいないんじゃ、暇でしょうがない。付き纏わられるくらいでちょうどいい」

「今、良いことを言ったじゃないか。食べることなんて出来ないんだから、火なんて必要ないんだよ。それで影なんか出来てみろ。あー恐ろし……」

「それ、オレ達が言う言葉か?」

「とにかく、二度と不気味な歌で呼び寄せるなよ」

 また最後に念を押して注意すると、男はやれやれと首を左右に振りながら、スーッと音も立てずに離れていった。

 だから、もうひとりの男が「何年も太陽も月も見てないから忘れてたけど、影ができるには光がいるんだよな……。そうか……火か……。光か……」と、呟いた声には気付くことはなかった。





 窓の向こうに咲く妖精の白ユリを見ながら「うーん……うーん……」と低く唸るチルカの声は、リットが朝起きた時から、昼を過ぎても、夜になっても続いていた。

「便秘ならノーラの作った料理でも食えよ。下すくらい効くぞ」

 リットは片手にウイスキーを持って、月明かりに照らされるチルカを見ている。

「今良いところなんだから邪魔をしないで」

「妖精の脱糞ショーなんて、酒のツマミにならねぇんだよ。せめて庭でしてこい」

「考え事してるのよ! あーもう! まとまらなくなっちゃったじゃない!」

 チルカは「バーカ」とリットに向かって舌を出すと、ノーラがジャムを塗るのに使っていたスプーンを手に取り、それを窓の隙間に入れてこじ開けると、外へと出ていった。

 まだ食べてる途中だったノーラはスプーンを取りに行くが、埃と砂にまみれており、とてもじゃないが使えるような状態ではなかった。

「旦那ァ……悩みを聞く姿勢っていうのは、机に肘をつくような前のめりって知らないんスかァ?」

 ノーラは小さくため息をつくと、汚れたスプーンを水の張った木桶に投げ入れた。木桶の中では食器の洗い物が入れられたままたまっており、スプーンは浅いところで皿とぶつかって、床をしぶきで汚した。

「なんだそりゃ」

「ローレンが言ってたんスよ。悩める女性は、背中と背もたれたの距離に騙されるって。背中と背もたれの距離をあけ、少し前のめりの姿勢が、親身になっている証拠の姿勢らしいですよ」

 ノーラは棚から耳かきのように小さいが、見事な銀のスプーンを取って椅子に戻り、服の裾で拭き上げてランプの明かりを反射させると、ためらいもなくスプーンをジャムの瓶の中に突っ込んだ。

「そりゃ、谷間を覗くための姿勢だろ。反対に、背もたれに背中を預けてるときは、顔と乳を交互に見比べてる時だ」

「それって意味あるんスか?」

「あるぞ。それでどっちに敬意を払うか決めんだ。当然敬意を払うべきほうへ視線は固定される。で、顔を通して後ろの壁を見だしたら、誰か別の男に助けを求めてるってことだ。誰かオレをここから連れ出してくれーってな」

 リットは声を大きくしたあと、糸が切れた操り人形のように、収まり悪くだらんと肩落とした。

「ストレスが溜まってるなら、カーターの酒場に飲みに行ったほうがいいですよォ。なにを我慢してるか知らないですけど、かえって体に悪いってなもんですよ」

 ノーラはベトベトにジャムをつけたパンを無理やり口に押し込んで頬をふくらませて、ゆっくり咀嚼して飲み込むと、一気に水を飲んで喉から胃へと流し込む。そして、酒場の酔っ払いが吐く息のように、重い息をふーっと吐いた。

「別に健康に気を使ってるわけじゃねぇんだよ。砂漠からの荷物が届いてもオマエはわからないだろ。エミリアは人をよこすからまだいいとして、グリザベルは懐いてないフクロウ。パッチは猫だ。今度は頭のおかしい植物学者だぞ。綿毛にでも括り付けられて、飛んできた荷物をオマエが気付くか?」

「そんなおかしな荷物の届け方をする人がいるんですか?」

「本人ほどじゃねぇけどな。そんなわけで、オレはくだを巻くばかりだ。いいかげん、くだを巻いて作った糸で首を吊りそうだ」

「どうせならその糸で、服を取り繕ったほうがいいですよ。肘のところに穴があいてますから。心配しなくても、もし綿毛で飛んできてもチルカがいるから大丈夫ですって」

「アイツはどっか行っただろ」

「庭にいますよ。今は森って言うらしいですけど」

 ノーラがジャムで汚れた指で庭の木を指す。

 枝先では葉の影に紛れて、光る果実のようにチルカの羽明かりが丸く光っていた。

「あれこそどう信用しろってんだよ」

「それは旦那だからでしょ。私は怒られるようなことは言わないし、やらないですもん。一切れのパンも分け合って食べるような仲ですよ」

「なら、そのチルカが大切にしてる銀のスプーンはばれないうちにどっかやっとけ」

 酒場の喧騒が恋しくなったリットは、どうにかなるだろうと頭を切り替えると、ちびちび飲んでいたウイスキーをそのままに外へと出ていった。



 酒場についたリットだが、いるだろうと思っていた顔馴染みの酔っぱらいや、ローレンの姿もなく、代わりに自分がいつも座っているカウンターの椅子の一つとなりに、ローレンの恋人のサンドラがひとり座っていた。

 他にいるのはちょっと一杯だけ飲んで、軽い談笑を済ませて帰る、大人としてしっかりしている者ばかりだ。いつもと違い喧騒は身を潜め、ゆっくりとしたお酒を楽しむという時間が流れている。

 なにか嫌な予感がしたリットは、思わず踵を返したが、踏み出すより早くカーターが声をかけた。

「いやー、待ってたんだ! ……本当に待ってた」

 という切羽詰まったカーターの声と同時にサンドラが振り返った。

「あら、リットじゃない。早く座れば?」

「そうしたいんだけどな。子供の頃にアリジゴクにハマるアリを眺めたことないか?」

「男じゃないんだからないわよ。それがなに?」

「あのアリを助けておけばと、後悔してるところだ。そうしてたら、もしかしたら今頃救いの手が差し出されてたかもしれない」

「……なに言ってるのよ。奢ってあげるから来なさいよ」

 リットが思っていたのとは違い、普段どおりの態度でサンドラが手招きをするが、不自然なほどカーターはリットと目を合わせようとしなかった。

 しかし、すでにサンドラが言うより早く、隣に座るように酒の入ったコップが置かれていた。

「蜜を塗った木に虫が集まってくるのは、きっとこんな心境なんだろうな」

 そう言ってリットがため息をついたときには、既に自分はサンドラの隣りに座っていた。

「さっきからなんなの? 子供の頃に戻りたいの?」

「それは、今からこぼされる愚痴によって変わる。内容によっては、垂らした鼻水を指で伸ばして、それを人につけるアホなガキに戻る」

 サンドラは酒を一口のみ、ロウソクの火を消すような細いため息をつくと「ねぇ、真実の愛ってなにかしら」とか細く言った。

「鼻くそ食うか?」

「なに?」

 サンドラは眉間にナイフを押し当てて作ったような深いシワを刻んでリットを睨んだ。

「言っただろ。あほなガキに戻るって。なんならスカートもめくってやろうか?」

「スカートね……。ねぇ、スカートの柄とおそろいのハンカチを作ったのに、気付かないのってそんなに難しいこと?」

「いいや、難しくない。サンドラは間違ってねぇよ」

 リットはじっとサンドラの顔を見つめた。

 サンドラもリットを見返すと、これ見よがしにため息をついた。

「リット……。後ろの壁を見ても、誰も助けには来ないわよ」

「本当に? 誰もか? まさか全員殺したのか?」

「バカなこと言ってないで聞いて。最近いつもこうなの。気付いて欲しいところには気付かないで、気付いて欲しくないところには気付くの。お互いね――」

 サンドラが物憂げな眼差しを遠くに向けて自分語りに入ると、リットは肘をついてサンドラ側から見えないように手で口元を隠して、声に出ないくらいの小声で「カーター助けてくれ。話が通じねぇ」と言った。

 口の動きで理解したカーターは「もう少し我慢しろ」と同じく、口の形でリットに伝えた。

「なにをだ?」

「最近の流行りなんだ。サンドラが喧嘩の愚痴を言って盛り上がったところに、僕が間違っていた。って言ってローレンが入ってくる。それで仲直り」

「ベッドに入る前の盛り上がりに使われるってことか? そんな寒気のするもんには付き合えねぇよ」

「サンドラが「もうローレンとはダメかもね……」って言ったら、リットは「そうかもな」と肯定してやればいいだけだ」

 突然サンドラが振り向き「それでローレンはなんて言ったと思う?」と聞いてくると、リットとカーターは慌てて、お互い合わせていた顔をそらした。

「キミ自信に見とれていて気付かなかったとかだろ」

 リットはローレンが言いそうなことを適当に言うと、サンドラが大きく頷いた。

「そうなのよ。でも、私はしっかり話し合いたいのよ。それは付き合いたての頃は、誤魔化し誤魔化されも楽しかったけど……もう話し合うべきことは、先延ばしにしないで、今話し合うことが必要な長さの付き合いだもん。それは私も――」

 またサンドラが自分語りを始めると、リットとカーターは一欠片のチーズに集まるネズミのように顔を近づけあった。

「なんで他の客には伝えて、オレには伝えねぇんだよ。だから馴染みの客が一人もいねぇんだろ」

「そんなのリットの番だからに決まってるだろ。皆もうやってんだ。それをよ、何日も来ないでどういうつもりだ。もう三日もこの調子だ。落ちた売り上げ分は働いてもらうぞ。しっかり相手しろ」


 しばらく愚痴なのか惚気なのかわからないサンドラの言葉を、死んだようにリットが聞いていると、ようやく「もう、ローレンとはダメかもね……」とサンドラの口から待ち望んだ言葉が出てきた。

「……そうしてくれ。もうさっさと別れろよ……」

 心底うんざりとリットが言うと、「サンドラ!」という言葉とともに、酒場の扉が勢いよく開けられた。

 ローレンは脇目も振らず、つかつかとブーツの音を鳴らしてサンドラの横まで歩いてくると、そのまま跪いてサンドラの手を握った。

 そして「僕が間違っていたよ」と言った。

 その後もなにか会話を繰り返していたが、リットはとてもじゃないが聞く気にはなれなかった。

 最後に、ローレンに「キミも心配をかけたね。でも、ご覧の通り元通りさ」とサンドラと繋がれた手を見せられたリットは、疲れ切ってカウンターに上半身をくっつけるように項垂れていた。

「いいから……もう、さっさとガキを作りにいけよ」

 リットの言葉に、引きつった顔で乾いた笑いを響かせるローレンとは反対に、サンドラ満更でもなさそうに照れたふりをした笑みを浮かべて酒場を出ていった。

「オレは酒場に癒やされに来たんだぞ」

 リットはゆっくり上半身をカウンターから上げると、肘を付き直した。

「傷口をアルコール消毒してやるよ。心の傷には必要だろ?」

 カーターはリットの飲みかけのコップに酒を注ぎ足した。

「本人が愛を燃やすほど、周りの空気は冷える。これってウィッチーズカーズか?」

「まぁ、呪いなのは間違いないな」

 カーターは気持ちのいい笑いを響かせると、サンドラのコップを洗い始めた。

 その洗う音に紛れないように、リットは少し大きな声で「それで考えてくれたか?」と聞くと、カーターはすぐには答えず、洗い終わってから、コップを布巾で拭きながら口を開いた。

「考えたぞ。どう考えても無理だ。仕込みの時間、酔っぱらいの相手。そっちの店まではどうやったって、手が回らんよ。いっそローレンにでも頼んだらどうだ?」

「連れ込み宿にされちゃかなわねぇよ。さて、どうしたもんか……」

 今までは出かけている間は放っておいたリットの家だが、今回はいつ帰るか見当がつかないどころか、帰って来られるかもわからないため、その間の管理と万が一の時の後処理を誰かに頼もうと考えていた。

 カーターやローレン以外にも友人はいるが、他は似たり寄ったり酒場に入り浸るような人間ばかりなので、とてもじゃないが大事を頼めるような交友ではなかった。

「サンドラとイミルの婆さんって手もあるだろ」

 カーターはいろいろと思いついた名前を口に出していくが、リットは難しい表情で頭を垂らしたり、首をひねるばかりだ。

「サンドラはローレンと同じ理由で却下。イミル婆さんは最終手段だな。頼んだら最後、もう頭が上がらねぇよ。一生自分の靴を見て過ごせっていうのか?」

「それもいいだろ。店の床に泥をつける、汚い靴にも気付くってもんだ」

「道に迷わないための知恵だ。泥酔しても自分の足跡を辿れば、店の外までは出られる。後はどっかの親切な奴が、家まで運んでくれるってもんだ」

 リットは軽く振り返り、椅子から長い尻尾のように続く自分の足跡を見た。いつもの客たちがいないせいで、自分の足跡だけが汚く道を作っている。

「そもそも三人共行くのか?」

「オレとノーラはそう言ってる」

「ならチルカに頼め」

「そりゃ無理だ。アイツも付いてくる気だからな。いつもと違って、アイツにとっての理由が明確じゃないからな。今はどうしたらスムーズに付いてこられるか、毎日毎日飽きもせず言葉を探してる最中だ」

「わかってるなら誘ってやれよ」

「チルカちゃん遊びに行きましょうってか? わざわざ闇に呑まれたペングイン大陸まで行くんだぞ。誘うことじゃねぇよ。まぁ、家の酒を全部割ったなら考える」

「ならもうあれだ。優秀な前途ある若者に頼むしかないな。そうなると、店を譲るって考えもないといけないけどな」

「優秀な前途ある若者が、オレ達の言うことを聞くと思うのか?」

 リットが酒をコップ一杯飲み終わる頃には、様子見をしていた馴染みの客たちがちらほら酒場に入りだしていた。既にどこかで飲んできたのか、千鳥足でオーバーなアクションを取って椅子に座ると、頼んだ酒ではなく、持ってきた飲みかけの酒で乾杯を始めた。

 カーターは「無理だな」と肩をすくめるが、リットは思い出したとコップを乱暴にカウンターに置いた。

「……いた。前途ある若者で、暇が服を着て歩いてるような奴で、初めて触れた外の世界に触発されて、思春期の欲望みてぇに好奇心が疼いてる奴が一人」

「そんな都合のいい……。夢の中で出てきた人物なら、起きてる間は出てこないぞ。なんなら強い酒でもいるか?」

「マックスだよ、マックス。覚えてるだろ」

「リットの弟だろ。覚えてるぞ。礼儀正しく、誠実で、昼間から酒を飲まない。いちいち人に突っかからない。身だしなみもしっかりしていて、そのうえ女にももてる。……伝説の生き物かなんかか?」

「少なくとも、伝説の生き物から生まれたことは確かだな」

「もうひとり……。伝説の生き物から生まれた男を、オレは知ってるんだけどなぁ」

 カーターはリットの顔を見ると、飲み干したコップに酒を注ぎながら、悩みを見せつけるように首を傾げた。

「なんだよ」

「無骨で無愛想。下劣なジョークが好きで、気に食わないと誰にでも突っかかる。身だしなみは最低で、口の悪さはもっと最低。でも、なぜだか人は寄ってくる。まぁ、これもまた伝説の生き物か。他にいないもんな」

 カーターは「な?」と同意を求めるが、リットは肩をすくめて曖昧に返した。






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