第二十一話
ラット・バック砂漠で、ヨルアカリグサから抽出した白い結晶。
最初は行き止まりだった一本道でくすぶっているところに、突如抜け道を見つけ方かのように喜んだリットだが、また行き止まりにぶつかることになった。
最初の予定は結晶を溶かし液体に戻し、妖精の白ユリのオイルと混ぜて使うつもりだったが、いくら熱し続けても溶けることはなかった。
次に直接火をつけて燃やしてみようと考え実行したが、マッチの炎でも、オイルを染み込ませて大きくした炎でも火が燃え移ることはなく、ただ焦げるだけだった。
キルオに聞いて、なにか結晶を溶かすような毒はないかと試してみたが、それも変化はなかった。
リット、キルオ、アリアの三人で何度か相談を重ね、思いつき、試せることは試してみたのだが結果は同じ、ただ焦げた塊が増えるばかりだった。
三人共白い結晶をどうにかしようと頭を悩ませ部屋にこもっていると、心配したドリーが様子を見に来た。
控えめなノックを数回繰り返したが反応はない。ドアに長い耳をつけて、中から声がするのを確認すると、ゆっくりドアを開けた。
「少しは日に当たらないと体を壊しますよ」
というドリーの言葉に誰も振り向かなかった。
「砂漠で言うようなセリフじゃねぇし、ゴブリンが言うようなセリフでもねぇな」
リットが声だけで反応すると、ドリーは落ちている本や資料などの紙の障害物をできるだけ踏まないように、短い足を右往左往させながら三人のもとまでやってきた。
「これが取れたという結晶ですか?」
ドリーの大きな瞳には、たった今失敗したばかりの黒く焦げた結晶が小皿の上に乗っかっていた。
「そうだ。アリアは植物学から、オレは薬学から、リットはアカリグサに一番長く触れたという経験から。様々な観点から考えているところだ」
キルオは尻尾を伸ばして、先の針で落ちている紙を刺して持ち上げると、その紙をリットとアリアの前に突き出した。
紙には今まで出し合った意見をまとめ、試してみようと思っていることが書かれているのだが、その半分以上は既に失敗の証拠の横線で消されていた。
その中の一つをリットが読み上げた。
「次は……マグマで燃やす? 誰だ? こんな現実不可能な意見を出したのは」
リットがオマエだろ。と決めつけて睨んだキルオは首を横に振った。
「オレは誰よりこの砂漠を走り回ってるんだぞ。近くに活火山がないことも、マグマの代わりになるようなものがないことも一番知ってる」
リットとキルオは同時にアリアを見た。
アリアは少し恥ずかしそうに胸元に手を上げている。
「……私です。最近なぜか良く眠れるもので……頭がぽーっとしてて……、その時に出した意見だと……」
「この紙は三人でまとめたものだ。つまりオレ達にも問題があるということだ」キルオは慰めるように、拳のように閉じたハサミでアリアの背中を叩いてから「なぁ、リット」と同意を求めた。
「あのなぁ……そんな肩を叩きあって慰め合うような失敗じゃねぇだろ。これからも失敗するたびにそれをやるつもりか?」
リットが紙に横線を引いていると、現状を見かけたドリーがおもむろに口を開いた。
「僕もなにか手伝いましょうか?」
「あー……」と言いよどんでから「なら、これでも好きに使え。燃えりゃ、とりあえず成功だ」とリットは焦げた結晶をドリーに渡すと、次はどうするかと再び三人で話し合いを始めた。
邪険にするつもりはなかったが、ドリーに任せるつもりもなかった。
白い結晶を抽出するにはヨルアカリグサを育てる必要がある。保護ケースの中で驚異的な成長を遂げるといっても、一日で育ち切るわけではないので、あまり無駄にしたくなかった。
しかし、手伝わなくていいと否定すると、ドリーは自分はできるとムキになってくることがあるので、用済みの焦げた結晶で遊ばせておくつもりだった。
案の定ドリーはひとり気合を入れると、焦げた結晶に向き合った。
リット達にあって、ドリーになかったものは固定観念だった。
リット達は最初に白い結晶を見ていたので、黒く焦げた結晶を失敗作だと決めつけていたが、ドリーはその黒い結晶がヨルアカリグサから抽出されたばかりのものだと思っていた。
だから、その黒い結晶にマッチを近づけるのに、少しの躊躇もなかった。
マッチの火が触れると、焦げた結晶は黒い衣を破り、光の粒を煙にのせて漂い始めた。
「これはランプの芯に染み込みやすいように、焦がして固くなる結晶を細かく砕いたものなんです。――という説明で大丈夫ですか?」
ドリーが心配そうに尋ねると、リットは「あぁ……そうだ……」と苦しそうに声を出した。
「私に必要な情報はその結晶よりも、これでなにを作ればいいかだ」
マグダホンはグリム水晶の瓶口を掴むと、剣の切っ先でも突きつけるようにドリーに向けた。
「それは……」
ドリーは困ってうつ伏せに倒れるリットを見るが、リットは二日酔いの辛さに気だるく息を吐くだけだった。
「まったく……だらしがない。早々に酔いつぶれて寝たのに、どうしてそうなる」
マグダホンに言われると、リットはゆっくりうつ伏せの状態から体を起こして床に座った。体の節々が鉛の重く、腕を曲げるだけでも一苦労だ。
「なんでそんなに元気なんだよ……。一人残らず……。ドワーフもゴブリンもどっかおかしいんじゃないのか」
リットの耳には朝から洞窟を掘るツルハシやスコップの音、金属を叩く槌の音がうるさく響いていた。
「二日酔いなんてしてたら仕事にならんだろう」
「気構えでどうにかなる問題じゃねぇよ……」
「気を付けないとダメっスよォ。旦那は言うほどお酒に強くないんスから。はい、お水っス」
ノーラはやってくるなりそう言うと、水筒ごとリットに渡した。
「やっと来たか、遅えよ……」
「地下まで降りるのは大変なんスから、今度二日酔いになる時は先に水を汲んでおいてくださいな」
雨季になると川の水は濁って飲めなくなるため、バーロホールでは雨季前に腐らないように涼しい地下深くに貯水しておく。
その地下にある水を取りに行ったはずのノーラだが、片手には焼いた川魚が刺さっている串を持っていた。
リットは気だるさから文句を言う気にはなれず、水を飲んで一息つくと、ようやく本題を話し始めた。
「マグダホンにグリム水晶で作ってもらいたいのは、火屋なんだけどよ――」リットは筒の蓋を取ると、中から魔法陣が書かれていない紙を取り出した。「――この三種類だ。つまり三つ必要になる」
火屋の図面が書かれた紙を受け取ったマグダホンは、三種三様の形の中に一つの共通点を見つけた。
「なんだ? この形は。宝石にでもするのか?」
「正しくは魔宝石にするらしい。闇に呑まれる元となる魔法陣をどうにかするには、ランプの火屋をこの形にする必要があんだとよ」
「うーむ……私にはよくわからんな」
マグダホンは悩ましげに唸ると、顎髭を指でなでおろした。
「安心しろ。オレにもよくわかってねぇ。魔法陣だとか魔宝石だとか、魔女の知識に関しては専門外だ。オレが任されたのは、こっちだしな」
リットは小瓶を二つ並べて置いた。一つは白い結晶が入った小瓶。もう一つは黒い結晶が入った小瓶だ。
「こっちは昨日私に見せたやつっスね」
ノーラは白い結晶の入った小瓶を指さした。
「そうだ。白い結晶はなにも手を加えてない。黒い結晶はマッチで燃やして焦がしたもんだ」
「焦げが取れる時に光るとかって言ってましたねェ。それが闇に呑まれた中でも光るんですか?」
「簡単に言うなよ……これでも苦労して見つけてきたんだぞ」
「だって、それを目的に行ったのに、他に結論はないじゃないっスか」
「そうなんだけどよ……。問題もあるわけだ。この黒い結晶の焦げは蓋みたいなもんで、焦げを作る時の火の光を中に蓄えるんだ」
「つまり、これはマッチを擦った時と同じくらいの明るさがあるってことですかァ?」
ノーラは白い結晶の入った瓶から指をずらして、今度は黒い結晶の入った小瓶を指さした。
「そうだったら、ノーラの力はいらねぇよ。問題ってのは火力だ。ヨルムウトルでフェニックスを呼び出したことを覚えてるか?」
「覚えてますよ。ヒッティング・ウッドにマーメイド・ハープ。それに妖精の白ユリのオイルでしょ?」
「まぁ……それも大事なことだけどよ。オレが火をつけても呼び出せなかったフェニックスを、ノーラが火をつけたら呼び出せたってことだ。魔神とはいえ、フェニックスの母体となる炎を上げられるくらいの瞬間火力が必要ってことだ。それで、闇に呑まれた中でも満足に光るはずだ」
「はずって、闇に呑まれた中で光るか試してないんスか?」
「試したぞ。だから闇に呑まれた中でも光ることがわかって引き上げてきたわけだ。いろいろ使って試したけどな。オレがやっても、一番強い光でも遠くのホタルのケツの光を眺めてるくらいにしかならなかった」
ノーラは「なるほど」とぽんっと手を打った。「つまりアレっすね。時間をかけて、苦労して見つけたものが、そんなちっぽけな明かりだとバカにされるから、チルカに詳しい説明をしなかったんスね」
「……よくわかってんじゃねぇか。オマエが焦がした結晶を、妖精の白ユリのオイルと混ぜれば完成ってわけだ」
「やっぱり妖精の白ユリのオイルと合わせるんスね」
「理由はいろいろある。単純に、そうじゃねぇと闇に呑まれた中で光らない。オイルと合わせねぇと、ランプの芯に染み込まない。燃焼性が高くないと、焦げた結晶が燃えにくい。妖精の白ユリのオイルを混ぜないとエミリアが使えない。あとは、煙を出すためってのもあるな」
リットが言いながら順に指を折って数えていくと、最後に曲げようとした指を小さな手に掴んで止められた。
「ランプなら煙が出ないほうがいいじゃないっスか? 煙が出ると火屋がススで汚れるってなもんでしょう」
ノーラは得意げに人差し指を振ってみせたが、今度は先程の再現のようにその指をリットに掴まれた。
「如何にもランプ屋っぽいセリフには恐れ入るが、昨日のことを思い出してから得意げな顔をしろよ」
ノーラは「はて?」と首をかしげる。「昨日のこと言うと……酔っ払った旦那が、温泉を掘り当てると豪語して、ひたすら穴を掘っては埋めてを繰り返してたことっスかァ?」
「……違う。でも、今日の尋常じゃない体の気だるさの理由は判明した……。そうじゃなくて、チルカが結晶を火の中に投げ入れた時のことだ」
「あぁ、あの光ってた煙のことっスか」
ノーラが思い出したと手を叩くと、マグダホンも同じように手を叩いた。
「おぉ、あれか。実は私も気になっていたんだ。最初は酔っ払って幻覚が見えたのかと思ったぞ」
「その煙が大事なんだ。煙も闇に呑まれた中で光る。光は弱いけどな。それで聞きたいんだけどよ。火屋を密閉できるようにして、煙を閉じ込めたいんだけどできるか?」
マグダホンは「うーむ……」と難しい顔をした。
質問に対する答えはすぐに出てきたのだが、そのことで新たに出てくる問題にリットが気付いていないとは思えず、マグダホンは無駄に考え込んでしまった。
そして、じっくり考えてから、おもむろに口を開いた。
「密閉するとは、空気が入らないようにすることだ。空気がないとどうなるか、キミにわからないハズがないだろう」
「それでいいんだ。ランプを使うのはテスカガンドだからな」
リットの言葉にマグダホンはまた少し考えてから、今度はハッと気付いて目を見開いた。
「そうか……闇に呑まれた中を歩いて行くんだったな」
「そうだ。だから煙をなんとか火屋の中に長く留めておきたい。火屋の形は指示されて変えられないから、聞いてみたんだ」
「煙だと光が弱いんスよね? なら、ずっと燃やしてた方が明るくてよくないっスか?」
ノーラは右に左にと首をかしげ、今日何度目かわからない疑問を口にした。
「それができりゃ理想だけどな。太陽の光も、月の明かりも、星の瞬きも、なんの光も届かない中を歩いて行くんだ。その中で唯一の光源がランプの灯火だ。一日中。何十日も火を灯したまんまだと、いくらオイルを持っていっても足りねぇんだ。だから弱い光だとしても、煙を利用できればかなりの節約になる。できそうか?」
マグダホンは髭の奥で、口をモゴモゴと動かして言葉を探す。
「普通のガラスとは違い、使うのはグリム水晶だからな。……まぁ……なんとかやってみよう。前にお望み通り加工してやれると、豪語してしまったからな」
「助かる。ノーラに黒い結晶を作らせるから、形になったら一旦テストだ」
リットは水筒の水を飲み干すと立ち上がって、付いてこいとノーラを指で招いた。
「あれ、ここでやらないスんか? なんでも揃ってますよ」
「穴の中で火事にでもなってみろ。逃げ場がないだろ」
「あらら、信用ないんスねェ」
「信用してるから、外に行くんだろ。実家一つ火事にできねぇ火力なら頼らねぇよ」
「そうでした、そうでした。旦那のご所望は火の海でしたね」
「あのなぁ……オレのご所望は火柱だ。火の海にされたら、下の濁流に飛び込むしかなくなるだろ」
「たいして変わりませんって。火の中水の底。どっちも苦しんで死ぬんスから」
「火がつく水ってんなら、大好物なんだけどな。まぁ……どっちにしろ、飲みすぎて苦しむことになるんだけどよ」
「わかりますよ。美味しいものほど、食べすぎて苦しくなりますからねぇ。ところで……本当にお土産はないんスか?」
「あるか。魔宝石を売りつけて稼いだ金も、馬車の修理代でパーだ。砂漠と荒野行き来したせいでな」
部屋から消えていくリットとノーラ。二人の背中を見送るマグダホンの顔には笑みがこぼれていた。




