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ランプ売りの青年  作者: ふん
漆黒の国の魔女編(上)

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第一話

 ガレット地方にザラメ山脈という山地が伸びている。

 その山の中腹にそびえるヨルムウトルの廃城は、山の麓にある村からたまに城に明かりが灯っているのが見えた。

 まるで人魂が徘徊しているような不自然さに、ウィッチーズカーズの影響がなくなった今でも、近隣の人間はウィッチーズカーズの影響が未だに続いてると言って近寄らなくなっている。

 その一番の原因は、昼がなくなったからだ。

 近隣の村々の上空は一日中厚手の雲に覆われて、昼間でもランプの明かりを頼りに生活をしている。

 濃紫の暗雲はヨルムウトル城の真上の空から渦巻くように広がっており、時折雷鳴が雲間を通り抜けていった。闇夜に雷光で照らされる城は白くぼやけて浮き上がり、悪魔の根城のような雰囲気を醸し出している。

 城までの道は長く険しいわけではなく、馬車もあればすぐに着くのだが、城に続く黒々とした木立ちの葉が枯れて落ちているその不自然さが人を遠ざけていた。

 枝だけになった木々は、かろうじてどうにか木の形を保っている。うねる枝の影は、血管のように不気味に城壁へと伸びていた。

 かつて栄えた時は夜が深まってもランプ要らずで、星明かりでも生活出来るくらい星の光を浴びていたと言われ、『星光のヨルムウトル』と呼ばれていたが、その面影は一つも残っていない。

 廃城の中を革のブーツが音を立てる。

 大理石の廊下を闇の衣を身に纏った女が歩き、階段へと向かう。螺旋階段の燭台にあるロウソクは、何年も昔に溶けて固まったままだ。

 手に持つ燭台のロウソクの明かりだけでは頼りなく、一番下の階は奈落の底のように暗い。

 城の最上階にある玉座の間は、焦げ跡のようにちぎれた赤いカーテンが散乱している。飾られた絵や壺も古ぼけており、かつての値打ちほどの輝きはなくなっていた。

 玉座の間の奥にある王の寝室は、えぐられたように城壁が崩れており、外気にさらされているせいで土埃で床を汚していた。

 女が歩く度に土埃が剥がれ綺麗な足跡が出来る。

 部屋の中央に、複雑な図形と文字で書かれた魔法陣があり、魔法陣の真ん中に燭台を置くと影が長く伸びた。

 女は胸の前で手のひらを合わせて呟き出す。

「命なき者よ。我が分身の影を……血肉を贄にして、厄災の夜に魂を繋ぎとめよ」

 そう言うと手を解き、自らの影に手をかざして影に影を合わせた。

 すると、平坦な影が泡のようにぼこぼこと浮き上がり形を作り始めた。

「暗黒に産声をあげ、命なき生命は一時の自由を得る。さぁ、立て。この世の不確かな混沌となり、大地を這え」

 膨らみ、弾け、奇形を作っていた影は、侵食するように部屋の影という影に同じ現象を広げた。

 次々に人の形を作り、指示を待つように直立した。

 女が右手の人差し指で部屋の扉を指すと、影なき影が進軍を始める。最後の影が部屋から出るのを見送ると、女も部屋を出て玉座に腰を下ろした。

 何かを威圧するように脚を組むと、ただ闇の空間を見つめてため息をついた。





 惰眠をむさぼる午後。初夏になり、うっすら汗ばむ陽気だが、暑さで目を覚ますほどの気温はない。

 本を枕代わりにして、カウンターで寝ているリットの頭を小さな手が叩いた。

「ねぇリット、虫カゴ作ってよ」

 近所の男の子がリットにホタルを掴んだ手を見せる。ホタルは手足をじたばたさせて、今にも逃げようとしていた。

 何かを期待するような眼差しを向ける男の子に、リットは聞こえるようにため息をついた。

「あのなぁ……うちは便利屋じゃねぇんだ。虫カゴが欲しけりゃ、母ちゃんに頼んで買ってもらえ」

 男の子は「えー」と不服そうに口をとがらせた。「でもリットは光るものならなんでも作ってくれるんでしょ? ホタルも光るから同じじゃん」

「金がある相手ならな。オマエの宝物は、せいぜいその辺で拾った面白い形の石か、食べ残したお菓子くらいのもんだろ」

 リットの言葉を聞いた男の子は頬をふくらませて怒っていた。

「じゃあ、一緒に遊んでよ」

「じゃあってなんだ、じゃあって。こっちは仕事中なんだ邪魔するな」

「仕事って誰も来てないじゃん。僕のお父さんが仕事をしてる時は、お客さんがいっぱいいるよ」

「そうか。お前の父ちゃんはパン屋だもんな。でもな、オレはな、ここで油を売ってんだ。意味がわかってもわからなくても、さっさとどっかへいけ」

 そう言うとリットは、男の子から顔を背けるようにカウンターに突っ伏した。

「旦那ァ……。子供にはもっと優しくしないと」と、カウンターの奥にあるドアを開けてノーラが顔を出すと、男の子は目を輝かせて「ノーラおねえちゃんだ」と駆け寄った。

「オレにガキを押し付けて、どこに行ってんだよ」

「どこって、旦那が取りに行かせたんでしょ」

 ノーラは水の入ったコップをリットに渡すと、やれやれと肩をすぼめた。

「……オレが頼んだのはかなり前だぞ」

「一歩歩けば、それはもう大冒険でさァ。井戸水の汲み上げは重いし、チルカに話し掛けられるし。なぁんにもしなくてよかったあの頃に戻りたいっス」

 ノーラは目をつぶり、リゼーネ王国にあるエミリアの屋敷に居た頃を思い出していた。

 しっかりメイクされたベッドは、目を覚ます頃になるとシワだらけになっていた。目覚めて大きなあくびをすると、食欲を誘う匂いが届いてくる。そして起きるのを見計らっていたように、控えめなノックの音が部屋に響いた。返事をするとメイドが部屋に入ってきて、まず窓を開ける。朝の新鮮な空気を部屋に取り込みながら髪に櫛を通され、ハーブ液を入れた洗顔水で顔を洗う。渡されるタオルはいつもお日様の匂いがしていた。身支度を整え朝食を済ませ部屋に戻ると新しいシーツが引かれており、その上に身を投げるとタオルと同じお日様の匂いがする。

「それが今じゃ、目覚めは旦那の怒鳴り声だし、朝はただのパンに不味いスープ。シーツは自分で干さなきゃいけないなんて……酷い格差っス」

 ノーラはげんなりと肩を落とすと、カウンターに手をついてため息をこぼした。

「おい、声に出てるぞ」

「わざと出してるんスよ」

「ったく。贅沢を覚えやがって」

「贅沢しましょうよォ。エミリアからたくさんお金もらってるんでしょ」

 リットは枕にしていた本を手に取りノーラに表紙を見せると、題名をノーラが読み上げた。

「『私は光』? なんなんスかコレ」

 ノーラが小首を傾げるのを見て、リットは指を開いて両手を出すと、片方の手を下げた。

「ま、まさか、わけの分からない本の為に貰ったお金の半分を使ったんスか!?」

「原本だから高かったんだよ」

「だからって、こんなナルシストな題名付ける奴の……」

「著者がナルシストなほど、深いところまで隠さず書いてあるんだよ。それにこれはな、生物発光を照明として使うために、著者が頭を痛めて解いた定義が記されている――」

「頭が痛いのはこっちスよォ。それでイミルの婆ちゃんの孫の世話するはめになったんスね」

 ノーラは自分の周りをグルグル走り回っている男の子を見ながら言った。

「午後から竈の大掃除するんだと。掃除の間だけこのガキの面倒を見たら、売れ残ったパンをくれるって言うもんだからよ」

「結局生活は変わらずですかい……」

「変わっただろ。アイツこそ虫カゴに入れておきたいもんだ」

 リットは椅子に深く腰掛け直すと、背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。

 チルカは店を手伝うわけでもなく、町の中をふらふらと移動して遊んでいる。

 初めは村の人間に物珍しく見られていたが、すぐに受け入れられて普通に会話をしたりしている。

 見慣れない人間に対しては過敏に反応するも、見慣れない種族に対しては寛容な町だ。良くも悪くも田舎町の特性が出ていた。

 思えば、ドワーフのノーラも差別や特別な扱いを受けることなく暮らしている。

 この町に帰ってきて一番の問題となったのは、朝方に光る妖精の白ユリの明かりが眩しいという苦情くらいだった。

 ほっとかれていた男の子はつまらなそうにしていたが、話が一旦途切れたのを見ると、リットの服の袖を引っ張った。

「ねぇねぇ、なんの話してるの?」

「庭で飼ってた蛾がいつの間にか家の中に陣取ってやがんだよ」

「が?」男の子は下唇を突き出して疑問の表情を浮かべたが、チラッと売り場のランプに目を向けると「チルカ隊長のこと?」と言った。

「隊長だぁ?」

 思いもしない言葉に、リットは頓狂な声を上げる。

 口を開けたまま呆けていると、男の子は自慢気に話し始めた。

「うん。なんか、住みやすい国を作るために、悪い奴を倒す部隊を作るって言ってたよ。僕はそのメンバーに選ばれたんだ!」

「あいつは、ガキにしょうもないこと言いやがって……」リットは視線を下げて、男の子と目を合わせると「いいか。妖精ってのはな、人間の子供をさらって奴隷にするんだ。気を許すと、森の奥深くに連れて行かれて、二度と親と会えなくなるぞ。寒くて、暗くて、誰の声も聞こえない森の中にいるのは嫌だろ」

 リットの言葉を聞いて、男の子は目尻に涙を溜めた。鼻をすすり、しゃっくりをするように何度も首をヒクつかせて、泣き出す準備を始める。

 リットが「これはくるな」と思った時には、男の子は声を上げて泣き始めた。

「旦那の言うこともしょうもないですぜェ。もう……泣かせちゃってどうするんスか」

 ノーラは「おーよしよし」と大人のように男の子の頭を撫でてあやしているが、リットの目には子供が子供をあやしているようにしか見えなかった。

「別に間違ったことは言ってねぇよ。そういう伝承もあるってことだ」

「旦那の言うことは嘘だから、泣き止んでくだせェ」

「本当?」

 男の子は涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げる。

「そうっス。ね? 旦那ァ」

「嘘ってわけじゃねぇ」

「旦那ァ……」

 男の泣き声と、ノーラの責めるような声に根負けしたリットは「あー……チルカは頭が悪いから、そんな心配しなくてもいいかもな。なんでも太陽に頭を灼かれて以来ネジがぶっ飛んだらしいぞ」と、頭を掻きながら言う。

 男の子はすぐには泣き止まなかったが、盛大に鼻をすすると次第に流れる涙の量も減っていった。

 リットはようやく泣き止んだと、苦手な子供にうんざりしながら、いつまで面倒を見なくちゃいけないのかと窓の外に目を向けて、日の傾きを確認した。

 その瞬間だった。カウンターの裏にあるドアの隙間からチルカが飛び出してきた。

「誰の頭が悪いって!」

「さぁな。強いて言うなら、自分の頭が悪いことに気付いてないバカのことかな」

「へー、そんなバカがいるのね。で、誰の頭が太陽に灼かれてネジがぶっ飛んだって?」

「なんだそりゃ。初めて聞くな。妖精の言葉にそんな言い回しがあるのか?」

 チルカは絶句したように少しのあいだ固まると、机を叩くように勢い良く何度も両腕を振り始めた。そして、男の子を見るとリットに人差し指を突き付けた。

「コイツよ! コイツが悪い奴! やっつけちゃいなさい!」

 先程まで泣いていたとは思えない「はい!」という元気な声と、きびきびした敬礼をすると、男の子はカウンターを回り込んでリットの元まで行き、太ももあたりをポカポカと叩き始めた。

「あーもう……勘弁してくれよ……」

「おやおや、ずいぶん楽しそうだね」

 店に入ってきたのはイミル婆さん。片手にパンを抱えていた。「ばーちゃん!」と笑顔で駆け寄る男の子の頭を優しく撫でている。

「楽しいもんかよ。ここは託児所じゃねぇんだぞ」

「同じようなもんじゃないのさ」

 イミル婆さんは、ノーラ、チルカと視線を移しながら言った。

「ちょっと! 私をガキ扱いしないでよ! 体は小さくても立派なレディなんだから」

「チルカちゃんが何年生きてるか知らないけどね。大人扱いして欲しかったら、普通はそれなりの態度を取るもんだよ。ただ、声を張り上げて主張するなんてまるっきり子供のやることさね」

 やれやれと首を振るイミル婆さんの正論に、チルカは思わず顔を赤くして口ごもってしまった。

「おーおー、真っ赤になっちまって。マッチ棒なら間に合ってるぞ」

「アンタもだよ。リット。いい加減言葉遣いを直したらどうだい」

 イミル婆さんは、パンの入った藤蔓で編んだカゴをカウンターの上に置くと、腰をとんとんと叩く。

 それを見たノーラはリットが座っている椅子を引き抜き、イミル婆さんの元まで持っていった。

 当然リットの尻は床に叩きつけられることになる。

「痛えな……。なにすんだノーラ!」

「長いものには巻かれろって言うじゃないスか」

「オマエ……覚えてろよ」

「さて――」

 イミル婆さんは椅子に腰掛けると、リットとチルカに向き直った。二人共、主に言葉遣いについて長々と説教が始まった。

 その際中チルカが小声でリットに話しかけた。

「なんだかエミリアに説教されてるみたいね」

「こっちの方が、年取ってる分厄介だぞ。自分のことを棚に上げて昔話も始めるからな」

「こら! まだ私が話してる最中だよ!」



 イミル婆さんの説教が終わる頃には夕方になっていた。

 男の子もイミル婆さんの膝に頭を乗せて寝ている。

 孫を背中におぶると「説教し足りないねぇ」と言って、老人らしからぬ高笑いを響かせながら店を出て行った。

 ドアの鈴の音が鳴り終わると、リットとチルカは同時に深く息を吐いた。

「なんであの婆ちゃんあんなに元気なの?」

「知るかよ」

「私達が説教されてる間、誰も客が来なかったけど、アンタの店大丈夫なの?」

「……知るかよ」

 リットはカウンターに手をつき立ち上がると、先程までイミル婆さんが座っていた椅子をカウンターに戻して腰掛けた。

 今日はもう店を閉めてゆっくりしよう。リットがそう思っていると、再びドアの鈴が鳴った。

「僕はいない。いいね?」

 店に入るなりローレンは、唇に人差し指を当てると店の角に身を隠した。

「安心しろ。オマエの存在なんかとっくの昔にオレの中から消えてるよ」

「そういうことじゃない!」

 ローレンは声を荒らげたが、すぐに口を手で塞ぎ息を潜めた。

 その直後、またもドアの鈴が鳴る。赤毛をポニーテールにした女の子が目を三角にしながら店に入ってきた。

「リット。ローレンが来なかった?」

「なんだサンドラか。ローレンなら――」

 リットが正直にローレンの居場所を言おうと思ったが、瞳の端に映るローレンは、ものすごい形相でこちらを睨みながら、いつの間にか割ったランプの火屋のガラスの先をリットに見せ付けるように持っていた。

「――今頃、酒場で酔った女でも引っ掛けてるんじゃないのか」

「そう……。ありがとっ!」

 サンドラは、家が軋むほど力を込めてドアを閉めて出て行った。

 身を隠していたローレンは、サンドラが店から出て行ったのを確かめると「ふう」っと言って、額の汗を手の甲で拭いた。

 そのまま店を出ていこうとするローレンに向かって、リットがランプを投げつけた。

 ランプはローレンの右肩の横を通って扉に当たり壊れた。

「てめぇこのやろう。売り物のランプを壊しやがって。理由を説明しやがれ」

「キミだって今壊しただろう」

「オレが作ったもんをオレが壊してもなにも問題ねぇだろうが」

 ローレンは大げさに肩をすくめると、ナルシストに前髪をかきあげながら言った。

「なに。ちょっとブリエラと仲良くしてるところを見られてね。彼女の逆鱗に触れちゃったわけさ」

「ブリエラってオマエの宝石を狙った盗賊の、あのブリエラか?」

「……そんな長い名前じゃない。ただのブリエラだ」

「でも、売り物がなくなったって騒いでたじゃねぇか」

 リットの言葉に、ローレンは小刻みに震えだす。血が出るんじゃないかと思うほど強く拳を握りしめている。

「そうだよ! その通りさ! 朝起きたら隣で寝てた彼女もろとも宝石も消えてたさ! でも、なんだい。それがキミに関係あるのかい? 付き合ってたサンドラも血相を変えて怒りだすし、もう散々だよ!」

「うわっ、二股かけてたの? サイテー。っていうか、よくアンタみたいな小物臭い男が二股かけられるわね。この町の女達はみんな男に飢えてるの?」

 チルカは上から下まで、ローレンを値踏みするように見ると、ツバでも吐くように鋭く息を吐いて言った。

「なんだい。このプリティーでやたら口が悪いお嬢さんは」

「この町じゃちょっとした有名人なのに、私のこと知らないの?」

「生憎、谷間が出来ない女性は、女性と認識出来ない体質でね」

 ローレンは興味なさげにチルカから視線を逸らした。

「なんなのよコイツ!」

「乳が膨らんでりゃいいって変態だから気にすんな。膨らむ予定のないチルカには関係のない奴だ」

「フォローになってないわよ!」

「フォローしてねぇもん」

 リットとチルカ、チルカとローレン、ローレンとリット。言い合いは三者を行ったり来たりと、やかましくなっていた。

 ノーラはまた始まったと思いながらカウンターからパンの入ったカゴを取ると、それを胸元で抱え、パンを食べながら傍観していた。

 続く喧騒の中、また来店を知らせる鈴の音が鳴った。

 リットはいい加減うんざりした様子で、今しがた入ってきた男に声を掛けた。

「悪いけど、今日は店じまいだ。帰ってくれ」

 リットの声は聞こえているはずだが、男はかまわずズンズンと店の中まで入ってきた。

 そして、カウンターに手のひらを叩きつけると、叫ぶような大きな声で言い放った。

「――アンタのせいで村が大変なことになってるんだ! 責任をとってもらうぞ!」






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