第十四話
「旦那ァ……やめましょうよォ。みっともないっスよ」
ノーラは自分の背よりも小さく腰をかがめたリットの横に立って、手元をランプで照らしていた。
「今更とめるようなことでもねぇだろ。親に再会したら、いきなり良い子ちゃんか?」
「自分の家ならとめませんよ。でも、リゼーネとか、ディアナとか、こことかならとめるってもんです。旦那がよく言うマヌケですぜ。今の格好は」
腰をかがめていたリットは徐々にしゃがみ込み、ついには地面に這いつくばるような格好で、通路の壁にできた亀裂の隙間に腕をつっこんでいた。
「光ったんだよ。こんな隙間で光るなんて、誰かが隠した酒瓶に違いねぇ。だからマヌケってのはな。オレじゃなくて、見付かるところに隠した奴のことだ」
「でも、みィんな。旦那のお尻を見ていってますぜェ」
ノーラの言うとおり、掘り起こした土を捨てるのにここを通るゴブリン達は。皆怪訝な表情で揺れるリットのお尻を一瞥していく。
「そう思うんだったら、代わりに手をつっこんで酒瓶を取ってくれよ。オレより腕が細いから入れやすいだろ」
「たしかに旦那より腕は細いですけど、その分短いということをお忘れなく」
壁の亀裂から腕を抜いて一休みするリットの代わりに、ノーラが試しに手を入れてみたが、亀裂の奥まで届くことはなかった。
「仕方ねぇな……掘るか」
「掘るって言っても、かなり固い土壁っスよ」
「ここに住んでんのはドワーフとゴブリンだぞ。ツルハシの一本や二本、雑草を見付けるより簡単だ」
リットは立ち上がると、ズボンに付いた土を手で払った。土埃は風に流されて穴の外に向かっていく。
「いいんスかねェ……。勝手に掘っちゃって」
「別に穴を掘るわけでも、死体を埋めるわけでもねぇんだ。酒瓶を取ったら土で元通り埋めりゃいい。小便でもかけて固めときゃ平気だ」
「そんなことしたら、臭ってきますよ。こんな……」
ノーラは急に言葉をとめた。こんなの後には、密閉空間でと続けるはずだったのだが、気持ちよく風が体を通り抜けていくのを感じて眉をひそめた。
「そういえば、ずいぶん風通しがいいっスねェ。穴の外とあまり変らないような……。ご飯のにおいがしたら、すぐにわかりそうっスよ」
ノーラは鼻を鳴らして風のにおいを嗅ぐが、それに食べ物のにおいが混じっていないと、つまらなそうに口を尖らせた。
「そりゃ、ドワーフとゴブリンがいるからだろ」
「どういうことっスか」
「風も入らないような場所で、鉄が赤くなるくらいの火を使ったら、蒸し焼きで死んじまうよ。それに、ここはゴブリンが鉱石掘りに使ってる坑道だ。坑道ってのはな、風通しの穴くらいあるもんだ」
「ドワーフでも、ゴブリンでもないのに詳しいっスねェ」
「普通はちょっと考えりゃわかることだ。だいたい、オマエが説明しなけりゃいけないことだろ。どこの住処も同じだと思うぞ。熱すりゃ、毒が出る金属も多いからな」
「例えばなんスか?」
「さぁな、突っ立ったままよく考えろよ。オレはツルハシを探してくる」
「ツルハシくらいなら一緒に探しますぜェ」
「二人いっぺんに動いたら、場所がわかんなくなるだろ。オマエは目印だ。いいか。絶対動くなよ」
リットはノーラにしつこく念を押してから、ゴブリンが坑道を掘り進める道へ向かって歩いていった。
奥まで探しに行くこともなく、ドワーフの作業部屋がある通路と、ゴブリンの坑道がある分かれ道の手前で、横穴を広げているゴブリンがいた。
鼻歌を歌いながらツルハシを振り下ろすと、フォークでケーキでも崩すように軽やかに壁が崩れていっていた。
リットが「よう」と声をかけると、ゴブリンは鼻歌をいいところまで歌いきってから手を止めた。
「大した用事じゃないなら、二番を歌いきるまで待ってほしいんだが」
「なんでもいいから、ツルハシを貸してくれ」
「それは困る」
ゴブリンは肩にツルハシを担ぐと、眉をひそめて何か考えるような難しい表情を浮かべた。
「本当になんでもいいんだ。錆びてようが、欠けてようがなんでもいい」
「そのなんでもいいが困るんだ」
ゴブリンは持っていたツルハシを地面に突き刺して置くと、ちょいちょいっと軽い指招きをして奥へと進んでいった。
途中を右に曲がり、体を斜めにしないと通れないような狭い通路を抜けると、用具倉庫についた。
そこそこの広さがある部屋だが、ところ狭しと道具が置かれているせいで、窮屈に感じられる。
ツルハシ、ピッケル、スコップに、名前のわからない道具、何に使うかもわからない道具など様々なものがある。
ゴブリンはその中から、一本のツルハシを手にとってリットに向けた。
「二八型ウッドチャックはどうだ? 力のない女でも掘りやすいウッドチャックモデルの最新型だ。だが、オレは小回りがきく一七型を勧めるね」
ゴブリンは押し付けるようにして、二本のツルハシをリットに渡した。
リットは二本を比べて見てみたが、まったく違いがわからなかった。
「同じもんだろ」
「よく見てみろ。一七型は角度が違う。今度ドワーフが作る二九型は、一七型に近いタイプって言うんだから期待大だな」
「別に穴を掘るわけじゃねぇよ。亀裂を少し広げるくらいのでいい。腕を隙間に入れたいからな」
リットはツルハシを乱暴に突き返すと、ツルハシの重さにゴブリンが少しよろめいた。
「それを早く言ってくれないと。それなら、ツルハシはダメだ。亀裂の大きさはどれくらいだ」
「オレの腕の半分くらいまで入るくらいだな」
「どこまで広げたい」
「肘がはいるくらいだ」
「なら、細くて長い方が良いな。カワセミタガネの三型だ。これをハンマーでトンテンカンであっという間だ。このタガネのいいところはな。ヒビが広がらないところだ。キツツキタイプだと力が伝わりすぎてヒビが広がっちまう」
「もう、なんでもいい……。いざとなったら、こっちのハンマーを叩きつける。それとも、頭に叩きつけられてぇか」
リットは専門職のウンチクにうんざりとして、無理やり話を切り上げると、タガネとハンマーを持って歩き出した。
ゴブリンは「掘った砂をかき集めるなら、猫脚箒の一二型がオススメだぜ」と声をかけるが、リットは振り返ることなく歩いていった。
用具倉庫の細い通路を出て、来た道を戻ればいいだけなのだが、明かりが強く漏れる部屋を見かけたリットは、思わずそっちの方へと足を運んでしまった。
道を間違えたと気付き、踵を返したところで、振り返ったばかりの背中に声を掛けられた。
「リットさんじゃないですか。なにをしてるんですか?」
ドリーの声が聞こえたので、リットは思わず視線を下に向けたが、声は上から聞こえていた。
見上げると、後ろ手にロープで縛られたドリーが手の代わりに足を振って、天井に吊るされていた。
「そりゃ、こっちのセリフだ。人に見せるような趣味とは言い難えな。それとも、見られるまでが趣味なのか?」
「あまり趣味にはしたくないですね……。せっかく十年もかけて戻ってきたというのに、この有様ですよ」
ドリーは肩をすくめるが、手を縛られているせいで体全体が小さく揺れた。
「鉱石を売った金を持ち帰らなかったからだろ」
「気付いてたなら、言ってくれればいいじゃないですか!」
「オレは言ったぞ。大事なものを忘れてねぇか、足りないものはねぇかってな」
ドリーの後悔の表情を見て笑ってから、リットは背中を向けた。
「あの……ナイフかなにかで、ロープを切ってくれると助かるんですが」
「もうちょっと待ってろ」
リットは借りてきたタガネを掲げてドリーに見せた。
「カワセミタガネの三型ですね。太いロープを切るなら、ビーバータガネのほうが平たくて切りやすいですよ」
「いいか……次になんとかタガネとか、なんとかツルハシとか、なんとか型とか言ったら、オマエの住んでる部屋に便所って立て札をつけて、客を入り口から誘導するぞ」
リットはつばを吐くように言い捨てると、乱暴な足取りで部屋を出ていった。
「僕はまだ一回しか言ってないのに……」
というドリーの寂しげな声だけが、水滴が落ちるようにポツリと部屋に響いた。
ノーラのいるところまで戻ったリットは、早速タガネをハンマーで打ち付けて亀裂を広げ始めた。
「こんな労力を使ってまで、お酒って飲みたいもんですかァ?」
ノーラはポケットに入れていたナッツの殻を剥きながら、真剣な表情で壁と向き合うリットを見て言った。
「なんで人は働くかわかるか? それは、酒を飲むためだ」
「ごはんを食べるためだと思いますけどねェ」
「その二つはな、実に密接に関係してんだ。なんか上手い屁理屈が思いついたら、続きを説明してやる」
表面の固い壁が崩れると、中からは粘土が出てきた。誰かが、ここに酒瓶を入れた後に、補強したようだった。
粘土もすっかり固まっており、瓶を割らないように慎重にタガネで崩していく。
長いこと埋められて汚れているものの、瓶はランプの明かりを反射させて光っていた。
「誰がこんな面倒くさい隠し方をしたのか……」
「もう、本人も忘れてそうですよね。リスみたいに、あちこちに埋まってんじゃないっスか」
「なら、まさにここは宝の山が眠ってるってわけだ」
「旦那からしたらそうですよねェ……。私のお宝と言えばごはん。埋まってたら食べられますかね?」
「これからも喋る生き物でいたいなら、やめておくべきだな」
リットは酒瓶の蓋を開けると、においだけ確認して、また蓋をした。
いつもならリットはその場ですぐに飲むので、ノーラは疑問に首を傾げた。
「珍しいこともあるもんスね。旦那がお酒を我慢するなんて」
「飲む場所は、もう決めてんだ」
そう言ってリットが歩き始めると、ノーラもそのあとを続いて歩き出した。
リットが向かったのは、先程ドリーがいた部屋だった。
「よかった! 戻ってきてくれたんですね!」
喜びに顔を綻ばせるドリーを見上げて、リットは近くの椅子に腰掛けた。
そして、わざわざ音を立てるようにして、酒瓶の栓をドリーに向けて、指で飛ばし開けた。
リットは「乾杯だ」と言って、ノーラに酒瓶を傾ける。
ノーラは不思議な顔をしながらも、持っているナッツをリットの酒瓶に押し当てた。
コチンとすぐに消える控えめな音が響くと、リットは満足げな顔をして瓶に口をつけた。
「あの……助けに戻ってきてくれたんじゃないんですか?」
「一応そのつもりだぞ」
リットは喉を鳴らして酒を飲むと、酒臭い息を一気に吐き出した。
「とても、そうは見えないんですが……」
「吊るされるマヌケを肴に一杯してからだ。最近楽しみがなかったからな」
「コップがないと、一杯の基準がわからないんですが……」
「冷静に状況が把握できてるなら、まだ吊るされてても大丈夫だ」
「あぁ、もうダメです! このままだと、きっと漏らします。そして、たぶん体に変調をきたします。もしかしたら、吐くかもしれません。最悪三秒後に死ぬかもしれません。万が一の可能性も考えてください!」
ドリーは振り子のように体を揺らして抗議する。
「わーったよ……待ってろ。一から順に万まで、可能性を考えてやるから」
「そういうことじゃないんです!」
「旦那ァ……ドリーがかわいそうっすよ」
ノーラが言うと、ドリーは「ノーラさん……!」と顔を輝かせた。
「しゃーねぇな」
リットは酒瓶を床において立ち上がると、ロープが結ばれてる壁まで歩いていった。
そして、ロープにタガネの先を当てようとした時、「今からタックルするわ」という声と一緒に、小さい体が腰をめがけて強くぶつかってきた。
「ロープを切ったらダメよ、巨人。ドリーはおしおきの最中なんだから。だから、今から怒るわ。こらー!」
ドリーの同じ、緑がかった薄黒い肌の色をした女の子が、倒れたリットのお腹に馬乗りになって「こらー」と連呼する。
「ほらぁ……もたもたしてるから、ホリーが来ちゃいましたよ……」
ドリーはがっくりと頭を垂れる。
「来ちゃいましたじゃないわ。巨人族の助っ人を呼ぶなんて卑怯よ。だから、成敗したの」
「リットさんは人間ですよ。ドワーフのお客さんです。ちゃんと挨拶しなさい。リットさん、妹のホリーです」
「あら……そうなの。それなら、私が悪いわね。今から謝るわ。ごめんなさい」
ホリーは巻かれた包帯の下から鼻をかくと、リットのお腹に乗ったまま頭を下げた。
その下げられた頭を掴んだリットは、そのままホリーをどかそうとしたのだが、あまりにも体重が軽く、持ち上げてしまった。
「なんだ、コレは」
リットが睨みを利かせてホリーの顔を覗くと、ホリーは「食べないで……」と声を震わせた。
「誰が食うか、骨ばっかりじゃねぇか」
「……性的にも?」
ホリーが心配そうに目を伏せると、リットはますます目つきを鋭くした。
「誰が食うか、骨ばっかりじゃねぇか」
「なら、今から安堵するわ。ほっ」
ホリーは平原のようになだらかな胸をなでおろした。
「ちゃんと包帯を取って挨拶をしないと失礼ですよ」
ドリーが天井から声をかけると、ホリーは先細った長い耳を動物のようにピクッと動かした。
「だって、皆汗臭いんだもん」
ホリーは顔全体を包帯で覆っているわけではなく、鼻だけを隠すように巻いている。
「なんなら兄妹仲良く吊るされるか?」
リットが睨み顔を近付けて言うと、ホリーは大きく目を見開いた。
「そんな怖い顔を近付けないでよ……。恐怖の感情がこみ上げてきたわ……。だから今から泣くわ。わーん」
ホリーが声を上げて泣き出すと、ノーラがあーあといった責めるような顔でリットを見た。
「旦那ァ、なにやってんスか……」
「オレが聞きてぇよ。オレはなにをやらされてんだ。……コレ、オマエにやる」
リットは掴んでいたホリーの頭を、ノーラに落とすようにして離した。
ノーラが「大丈夫っスか?」と聞くと、ホリーは「大丈夫じゃないわ。だから、まだ泣き続けるわ」と言ってノーラの胸に顔を埋めた。
リットはうるさい泣き声に片耳を塞ぎながら、空いている手でドリーが吊るされているロープを切ってやった。
ドリーは射られた鳥のように落ちてきて、床と衝突した瞬間に小さくうめき声を漏らした。
「いたた……ありがとうございます」
久しぶりの床の感触に安堵するドリーの正面で、リットがしゃがみこんで目線を合わせた。
「アレをちゃんと元いた場所に返してこい」
「アレとかコレとか……物じゃないんですよ。ちゃんと『ホリー・コロット』という名前があるんですが……」
「なら次から、ちゃんと鎖で繋いどけ。エサをやらねぇから暴れんだ」
「あの……ペットでもないんですが……」




