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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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226/325

第一話

「ねぇ、ローレン。もっとあなたの話を聞かせてよ」

 サンドラが酒で火照った頬に掛かる赤い髪を手で流しながら言った。

「それならもっとお酒がいるね。ワインのおかわり。あと鳥の果実漬けを」

 ローレンは酒場の店主のカーターに、普段以上に愛想の良い笑顔を浮かべて注文をした。

「私も同じのをもらうわ。好きなのよ」

「僕と趣味が一緒だ。相性がいいのかも」

「もしかしたら、そうかもしれないわね。会ったばかりじゃわからないわ。あっ――」

「――ローストした種も乗せて」サンドラとローレンの声が二枚貝のようにピタリと合わさった。

「うそ! あなたものせるの?」

「キミのことを考えたら自然に口から出たんだ。ねぇ、運命の出会いって信じるかい?」

 ローレンは両手で包み込むようにサンドラの手を握った。

「あなたが信じさせてくれるなら」


「なにが、運命の出会いだ。女の情報収集したこっちの身にもなれってんだ」

 離れたカウンター席で、リットが呆れのため息を混ぜてつぶやいた。

 注文を取り終えたカーターは、肩をすくめながらカウンターに戻ってきた。

「ローレンも相変わらずだけど、リットも相変わらずだ。この町に引っ越してきた日から、毎晩酒を飲んでは愚痴か皮肉のどっちかだろう。たまには違うことをしてみるのも、乙ってもんだぜ」

「変わんねぇんじゃねぇよ。変わりたくねぇんだ。浴びるほど飲んでも口うるさく言われねぇ。自分の食い扶持だけ稼げばいい。一人暮らしってのはな、楽園って意味だぞ」

「オレの楽園の意味も教えようか? 安酒ばかりを頼む客がいない酒場経営をすることだ」

 カーターはリットの手元の酒を見ながら言った。

「今はまだ昼間だからな。夜になったら高い酒も頼んでやるよ」

「昼からここにいるようじゃ期待できないな。普通は昼に働いて稼いだ金で、夜に飲みに来るもんだ」

「普通はポケットを漁って出てきた小銭で昼に飲んで、夜はツケで飲むもんだ。それにな、今は材料待ちだ。アイツが働かなけりゃ、こっちもやることはねぇよ」

 リットはサンドラを口説くローレンを顎で指した。

「ローレンから材料を仕入れるってことは、金持ちの客か。それはそれは――こっちも高い酒を仕入れておかないと」

「酔わせて高い酒を頼ませるとは……そっちも相変わらずじゃねぇか。あくどい商売をしてるな」

「そうでもしなきゃ、毎晩のツケなんてきかせないってもんよ」

「そう言うなら、本当に毎晩ツケで飲んでやるよ」

 リットは椅子から立ち上がると、ズボンのポケットから小銭を取り出してカウンターに置いた。

「お? 帰るのか?」

「金の話をするから酔いが醒めたんだよ。ローレンに、情報分の仕入れを早くしろって言っておいてくれ」


 酒場から出ると、世界は忙しく働いてる最中だった。

 リットは昼から酒を飲む罪悪感よりも、昼間から好きに生きる自分勝手な心地良さを感じ、一度天に向かって腕を伸ばしてから歩き出した。

 少し歩いたところで、聞いたことのない女の声が聞こえてきた。

「待たれい。そこの御仁」

 その声は通りがかった路地裏の影からしていたが、リットは気にすることなく通り過ぎた。

 すると、今度は後ろから「ちょっと、足の長いお兄さん」と同じ声がする。

 が、リットは酔い終わりの気だるさから大きなあくびをするだけだ。

 次は「そこの大きなお口が素敵な男の人っスよォ」と背中を突かれる。

 それも無視していると、小走りの足音が聞こえ、最後は股間に「お酒臭い旦那ってば、そこの旦那っスよ」と話しかけられた。

 リットが声をする方を見下ろすと、股間辺りで薄汚れた珊瑚色の髪の毛が見え、これ以上リットを歩かせないと通せんぼをしている。

 仕方なくリットは足を止めると、顔の見えない珊瑚色の頭頂部に話しかけた。

「おい、チビスケ。絡むのは酔っぱらいと三下の特権だって、母ちゃんに習わなかったのか?」

「おやおや、臭いと言われて反応するなんて奇特な人っスねェ」

 リットは振り返ると、人通りに向かって「誰か聞いてるか? 臭いのは口のことだからな」と言ってから、女の子に向き直った。「おいチビスケ。持ってないからってな、いくら羨ましがってもやらねぇぞ。小便する以外にも使い道はあんだ。大人になったら嫌でもわかるだろうけどな」

 リットは離れろと頭を押すと、珊瑚色の頭はパッと離れて距離を取った。

 その時、初めてお互いがお互いの顔を確認する。

 しかし、顔を確認したのは一瞬のことで、後ろからパン屋のイミル婆さんに声を掛けられ、リットは振り返った。

「やっと見つけたよ。悪さを働いて逃げるとは、どういう育ち方をしたんだい。まったく……年寄りをこんなに走らすもんじゃないよ」

 イミル婆さんは荒い呼吸を何回か繰り返した後、ガクッと肩を下ろした。

「待て待て、確かに婆さんとこの嫁をだまくらかして、パンを勝手に持っていった。ウイスキーにパンを浸すとうまいって聞いたからな。安心しろ。不味かったからもうしねぇよ」

「アンタに言ったんじゃないよ。その子に言ったのさ。で、なんだって?」

「……なんも言ってねぇよ。ボケたのか?」

「本当にボケても、アンタにはだまされないよ。で、今度はこんな小さい子を騙して。パンを持っていったのかい」

 イミル婆さんはリットの腰辺りまでの背丈しかない女の子を見て、呆れてため息をついた。

「そうでスよ、旦那ァ。騙すってのは、どうやらいけないことらしいっスよ」

 女の子は持っていたパンでリットの背中を叩いた。

「旦那? こんなちっちゃい子を雇ったのかい? まったく……。パンも買えないなら、人なんて雇うんじゃないよ」

「なんだこれは。酔っ払った幻覚と幻聴か? まったく話についていけねぇよ」

「なに言ってるんだい。アンタが――」

 リットは何か言おうとするイミル婆さんを手で制す。

「待て、ストップだ。これが幻覚なら、次に目を開けた時は、腰の張った良い女が酒瓶片手に立ってるはずだ」

 そう言って目を閉じると、心のなかで三つ数えてからゆっくり目を開けた。

 開けたばかりのリットの目に映ったのは、息が顔に当たるほど近付いたイミル婆さんの顔だ。

「おい……皺だらけの顔がいきなり目の前にあったら心臓に悪いだろ」

「現実逃避してるから、見せつけてやったのさ。これでも昔は腰の張った良い女だって呼ばれてたんだよ」

「呼ばせてたんだろ。婆さんの武勇伝は、酒場のじいさんどものツマミになってるぞ」

「じゃあ、盗人を捕まえて、こっちの手が腫れるまでお尻叩いたのも聞いたかい?」

「聞いた。その手でパンをこねて、それを買った客が腹を下した話もな」

「まったく……本当に口が減らないね。店を閉めたらじっくり説教をしに行くから、逃げるんじゃないよ。逃げたら酒場まで探しに行くからね」

 イミル婆さんはリットの顔を指をさして念を押すと、自分の店の方角へと急ぎ足で戻っていった。

「で、オマエは誰で、どんな理由でオレに罪をなすりつけたんだ」

 リットは手を振ってイミル婆さんを見送る女の子を睨みつけた。

「まぁまぁ、女の過去をほじくり返すのはヤボってもんっス。ってどっかの誰かが言ってるのを聞きましたぜェ」

「そうはいくか。こっちは今晩飲むはずの酒が、赤くなったケツを冷やすための酒瓶に変わりそうなんだ」

 女の子は「まぁまぁ」緩い笑みを浮かべると、歩かせるようにリットのお尻を押す。

 この子の親に文句の一つでも言って、ついでに酒代もせしめてやろうと、リットは歩き始めた。

 すると、女の子はお尻から手を離し、持っていたパンに齧りついた。

 そして、口からパンくずをこぼしながら女の子が喋り始めた。

「いやぁ、捨ててあったと思ったんスけどねェ。確かに、並べてあって変だとは思ったんスよ。でも、外にあるんじゃ捨ててあると思いますよねェ」

「変なのはオマエの頭の中だ。店のもんを勝手に食うなってのは、オレでも十の時には気付いたぞ。やめなかったけどな。でも、オマエはやめろ」

「お店なんて初めてっスからね。あーやって食べ物が並んでるもんなんスねェ」

 女の子はのんきな口ぶりで明るくこたえた。

「飲まず食わずでやっていける魔族の地からでもやってきたのか?」

「家族ともども穴ぐら暮らしっスよ」

 女の子はパンくずをポロポロと道に落としながら喋るが、それを一向に気にする様子がない。

「なら、その短い足で家族を探さなくていいのか?」

「それがそれが、旦那の言う短い足で走ってたら、はぐれちまったんでさァ」

「珍しい蝶でも見つけたのか?」

「そんな子供じゃないっスよ。闇から逃れ、脇目も振らずに走り通したら、いつの間にか家族と離れ、こんな辺鄙な街に……」

 女の子は立ち止まると、演技ぶった大げさな泣き真似をするが、リットが立ち止まらないのを見ると、短い足を急がせて隣に並んで歩き出した。

「いかにもガキの嘘をついてなに言ってやがる。闇に呑まれるなんてのはただの噂だ」

「あらー……。まぁ、それもいいっス。噂が噂のままで終わるなら、ここは平和ってことっスからね。穴ぐら生活のドワーフに、地上のルールは難しいのなんのってなもんでさァ」

「ドワーフなのか、それなら、ちんちくりんの言い訳ができるな。ドワーフってのは頭の中もちんちくりんなのか? それとも単純に頭が悪いのか?」

「旦那って、口が悪いって言われてませんでした?」

「今も言われてる。ところでだ――そこの野良ドワーフ」

「あいあい、なんスかァ。旦那ァ」

「どこまでついてくる気だ?」

 今度はリットが足を止めた。自分の家の前についたからだ。

 店の鍵は開けたままだが、中には客一人の影もない。

「野良に餌を上げると、ついてくるって知らないんスか?」

「オマエが食ってるのは、餌じゃなくて自分で婆さんから狩った獲物だろ」

「旦那が罪をかぶったんスから、買ってもらったようなもんスよ」

 女の子はくりくりの丸い目を細めて笑った。





 そこでリットが見ていた色褪せた景色が、急に色を取り戻した。

 色を取り戻したばかりの景色は、全く違うものになっている。

 目の前には中身が半分残ったコップ。それと、隣から聞こえるローレンの口説き文句だ。

「オマエが口から垂れ流すもののせいで、昔の夢を見たじゃねぇか」

 リットは突っ伏したカウンターから顔をあげると、ローレンを肘でついた。

「昔の恋人の夢かい? 僕もよく見るよ。あの胸を思い出すと、時々別れたのは間違いだったんじゃないのかって気がするんだ。……そして、今もひとつ間違いに気付いたよ」

 ローレンは隣で睨みを利かせているサンドラに、渇いた笑いを漏らした。

「フォークが手に刺さる前に思い出してくれてよかったわ。それで、リットはなんの夢を見てたの?」

 サンドラは睨んだ目を不気味に細めて笑いかけると、ローレン越しにリット見た。

「ノーラが転がり込んできた日の夢だ」

「そんな夢を見るのは、家族愛に触れることが多くなったからじゃない? 私も家族がほしいなぁ……――赤ちゃんとか」

 サンドラが横目でローレンを見ると、ローレンは一瞬動きを止めてから口元に優しく笑みを浮かべた。

「キミがお望みとならば。カーター、赤ちゃんを一つ。僕には記憶が潰れるほど強いお酒を」

「こっちに逃げるなよ。怒ったら壊し癖が出る彼女に、掛ける言葉は売ってないよ。解決したければ子供を作ることだ」

 カーターは浅黒い額に汗を浮かべて、サンドラの顔色を伺った。サンドラが納得したように頷くのを見ると、リットの目の前にコップを置いた。

「そうよ。カーターの言うとおり、赤ちゃんができれば私と結婚。そうすれば、もう浮気もしないでしょう」

「赤ちゃん……僕には知らない言葉だ。リット、君は知ってるかい?」

 ローレンはサンドラの視線から逃げるように背中を向けると、リットと向かい合うように座り直した。

「作り方は知ってる。知ってるか? 赤ん坊はキャベツ畑からは生まれねぇんだぞ」

「……いいよ。君に助けを求めたのが間違いだった」

 ローレンはリットの目の前にあるコップをひったくるように取ると、一気に飲み干した。

 そして、そのままカウンターにつぶれてしまった。

「あーあ、またはぐらかされちゃった……。なんで男って、結婚とか妊娠とかって聞くと逃げるの?」

 サンドラは寂しそうに目を細めると、丸まったローレンの背中を見ながら言った。

「結婚は檻で、ガキは首輪だから。そりゃ、誰だって鍵をかけられる前に逃げるだろ」

「リットは結婚に悲観的イメージを持ちすぎよ。もっと楽しいことを考えたら? 毎晩好きな人と一緒に寝て、幸せを噛みしめるとか」

「噛み締めすぎて、歯ぎしりがうるさくて眠れねぇ」

「あなたのことだけ考えて、尽くされてる時とか」

「尽くすってのは、束縛って意味だぞ」

「なんならいいのよ……」

 サンドラはお手上げと言った風に天を仰いだ。

「強いて言うなら、それを聞いてこない女だ」

「そういうとこはローレンと一緒ね。もういっそ、子供ができたって脅かしてやろうかしら」

「そういう心臓に悪いこと言うとな、次の日に死んだふりするぞ」

「飲み過ぎより体に悪くないわよ。なにも潰れるほど飲まなくてもいいじゃない……」

 サンドラは隣で静かに寝息を立てるローレンに目をやった。

「自分に酔いやすいのは知ってたけど、寝起きに出された水で酔いつぶれるほど酔いやすいとは知らなかったな」

 リットが言い終わりに鼻で笑うと、ローレンの肩が小さくピクリと動いた。

「ちょっと! ローレン!」

 サンドラが背中を叩いた音は、酒場の全員が振り返るほど大きな音がした。



 リットが酒場からランプの明かりが漏れる家に戻ると、ノーラが硬くなったパンに蜂蜜をかけて食べているところだった。

 柔らかくなったところをフォークで崩し、輝く蜜の糸を引くパンのカケラを口まで運んでいる。

「おや、今日はお早いお帰りで」

 ノーラは蜜でパンくずが張り付いた唇を拭きながら言った。

「どうしたんスか? 黙って突っ立って。そこで潰れても、私は二階まで運べませんよ」

「いや、食器の数が増えたのに、ずいぶん慣れたと思ってな」

「いやっすよ、旦那ァ。食後のオヤツっスから、食器なんてそんな出してませんて。それにちゃんと洗いますからご心配なく」

「オマエは初めて会った時から変んねぇな……。遠慮ってもんを知らねぇ」

「そりゃあ、旦那と出会ってからも教えてもらいませんでしたからねェ。どうしても食べたいって言うなら、一口くらいは涙をのんであげますよ」

 ノーラは崩れて小さくなったパンを、さらにフォークで半分に切ってから差し出した。

 パンからは滴り落ちるように蜂蜜がこぼれ、足跡のように点々とテーブルに落ちていく。

「いいからさっさと食って、さっさと寝ろ。で、明日も一日中店番しろ。オレはいねぇからな」

「また、湖に行くんスか? 浮遊大陸から帰ってからずっとスねェ」

「グリザベルと定期的に連絡を取ってるのが、そこにしかいねぇんだからしょうがねぇだろ」

「連絡って、いつものフクロウ便ですよ。いつくるかわかりませんて」

「だから定期的に様子を聞きに行ってんだ。飯はイミル婆さんにでも泣きついとけ」

 リットは明かりが残る食卓を背に、寝室がある二階へ上がっていった。






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