第十二話
バストナ・イスにある屋敷のとある一室から、餌に向かう蟻のようにぞろぞろと人が出ていった。
甘い蜜を吸ったような顔から苦虫を噛み潰したような顔まで様々だが、メディウムは最後の一人が部屋を出て行くまで、手綱を引き締めるように険しい表情を保っていた。
音も立てずに閉まるドアを見守ると、硬い表情を崩して笑みを見せた。
「どうだ。提案されては蹴り、提案されては蹴り、長い会議を見事モノにした」
「焦って自分の提案まで蹴ったから、無駄に長引いたんだろ」
リットは窓に目を向け、色が薄まった空に穴を開けたように輝く夕日を眺めた。屋敷に連れられた時の青空は微塵も残っていない。
「焦りもする。今日の会議を逃したら、次の会議は数年も先になってしまう。皆浮遊大陸のあちこちから時間を割いて来ているから、一同に集まる会議はなかなか開けんのだ。次の会議は……何年後にどこでやるのだったか……」
メディウムは高く積まれた書類の束を抱えると、目を細めて上からめくり始めた。
紙が風を押し切るような音を立てている間。リットは四角く囲んだ机の一角に腰掛けて部屋の壁を見渡した。
「アンタの屋敷なのか?」
メディウムが部屋に残っている時点でわかりきっていることだが、リットはあえて口に出して聞いた。
「そうだ。小さいだろ。私が生きている間に、もう一回り大きく立て直すつもりだ」
「無駄に家をでかくする奴は、生きてるうちに自分の銅像を立てる奴の次くらいに趣味が悪いって知ってるか?」
「なぁにまだまだ先の話だ。だが、君のおかげで早まりそうだ」メディウムは一度紙束をめくる手を止めたが「これは別の会議の予定だ」と呟くと、再び紙をめくりだした。
「もう一つ聞いていいか?」
「なんだ」
メディウムは手元の紙から目を離さずに言った。
「あの酒。浮遊大陸のもんなのか?」
酒場で店主が高いと言っていたメディウムの酒は、リットにも飲み覚えがあった。ヴィクターの形見として勝手に部屋から持っていった酒と同じ味だ。
「そうだ。アルールの実の酒だけが、浮遊大陸の酒ではない。他にも色々あるぞ」
「それを誰かに送ったことは?」
メディウムは紙をめくるのを止めると、今度はそれを机の上に置いた。「いいや、ない」そして、一呼吸を置いて再び口を開いた。「私も言っておくことがある。冒険者なんぞ、ろくなものじゃない。風が綿毛を飛ばすように、なんでも持っていってしまう」
メディウムは少し苛ついた手付きで紙束をしまった。
それが、リットにはこの話題は終わりだという合図のように思えた。
もう次の会議の日時を調べる気はなくなったようだが、元より知りたいことでもなく、勝手にメディウムが調べだしたことなので、リットはそこには触れなかった。
「……ありがとよ。さっさと答えを出してくれて」
「なにがだ?」
「いや、オレは冒険者じゃねぇって言ったんだ。ランプ屋だよ」
「ほう……わざわざ浮遊大陸まで足を運ぶとは、熱心に商売をしているようだ。そうだ、会議の礼に誰か紹介しよう」
「もう商売は終わった。売るもんなんか残っちゃいねぇよ」
「そうか。だが、なにか困ったことがあれば言ってくれ。それだけの成果を君は上げたんだ」
メディウムはネコでも撫でるように、自分の髭を上機嫌に撫でながら言った。
話の流れからすると、メディウムはマックスの祖父で間違いなさそうだ。しかし、話を打ち切ったとなると、自分がヴィクターの息子だと打ち明けないほうがよさそうだと思い、リットは口を閉ざした。
少なくとも、自分はただのランプ屋でいたほうが、話がうまく回りそうだった。
「どうした? お腹が減ったのならば、何か用意させるが」
「リットだ。リット・アールコール。ただのランプ屋だ」
リットは珍しく自分から握手を求めた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。申し訳ない。私は『メディウム・エロス』だ。昔は本家にいたのだが、色々あって分家を預かるようになった。だが、ここを本家より大きくするという野心に燃える男だ」
「野心より先に命が燃え尽きそうだ」
リットはメディウムの手を握った。
「軽口は好きになれそうにないが……。お腹が減っていないのならば、昼の続きでも飲みに行こう」
メディウムに誘われ、昼にいた酒場に戻ってきた頃には、川原の石が全て光っているかのような夜空になっていた。
「今度からワタシを置いて行く時は、どこへ行くか知らせてくれると助かるんだが」
出てきた時と同じイスに座っているリンスプーは、夕食のサラダにフォークを刺しながら言った。
「オレじゃなくて、このじいさんに言え」
リットも昼間に座っていたイスに腰を下ろした。
昼間と違うのは、リットのすぐ隣にメディウムが座っていることだ。
「すまなかった、お嬢さん。お詫びに、ここの代金は私に払わせてくれ」
リンスプーはメディウムに軽く会釈をすると、リットに「なにをしていたんだ?」と聞いた。
「年寄りのしょうもねぇ意地の張り合いを散々聞かされた。灯台の光はいつまで保つのか、なぜ消えないと言い切れるのか。一から説明しても、また一から説明させられる。亀の足より話が進まねぇ」
「でも、キミが光の柱の作り手なら、話はスムーズに進んだだろう?」
「そういえば……仕組みを話したところで、質問攻めは終わったな」
「それは、光の柱のほとんどが自然物だからだ。人工で作られたものは片手で数えられるくらいだぞ」
メディウムがリットのコップに酒を注ぎながら言った。
「作ったのは灯台守だ。オレは材料を集めただけだ」
「技術を知っていれば同じようなものだ。人工物は人の手によって修復される。自然の光の柱ならば消えたり増えたりするが、人工物ならば光の柱を書き換える必要が減る」
「そう思うなら、勝手に地上に作れよ」
「それは難しい……。目印になるということは、それだけ強い光を発しているということだ。むやみやたらに作っては生態系を破壊してしまう。そうなれば、国と国との問題になってしまう」
「金の力でなんとかしろよ。隠してるグリム水晶でもちらつかせれば、容認する国もあるだろ」
リットは親指と人差し指でお金のマークを作りメディウムに向けると、今度はその指を店主に向けた。
「無駄に高え酒でも出してくれ。じいさんの奢りらしいからな」
「……遠慮という言葉を知らないんですか?」
店主は蔑む目でリットの指を見た。
「老体に重いもんはこたえるだろうから、財布の中身を軽くしてやるんだよ。酒飲んでふらついた体に、宵越しの金は重いだろ」
「いいんですか? メディウムさん……」
「かまわん。私も同じのを頼む」メディウムはコップの中の酒を飲み干すと、空のコップを店主の方へ近づけた。
そして、リットの方へ体を少し開いた。
「グリム水晶と言ったな。あれは私が子供の頃には、もう取り尽くされてしまっているものだ。深く掘りすぎて島が落ちるほどな」
「本当に取り尽くしたのか? この下を掘りゃ、まだ出てくるかも知れねぇぞ」
「どこにでも埋まっているものではない。もっと言うならば、グリム水晶は元々地上にあったものだ」
「だとしたら、今頃地上は穴だらけだよ。一攫千金を狙う奴らによってな」
「大昔、地上の者がどうやって浮遊大陸に来たか知っているか?」
「魔法だろ。地面ごと浮かばせる」
グリザベルが『大地と共に天空へと昇る。これも浮遊大陸に行く一つの方法だった』と言っていたのをリットは覚えていた。
「その大地に元から有った水晶が、空に昇る過程で変化を起こして生まれたのがグリム水晶だ。魔力の流れでわずかな違いがあるのか、グリム水晶はそこでしか取れなかった」
メディウムは酒で饒舌になったのか、浮遊大陸の歴史について話し始めた。
浮遊大陸は元々『始まりの地』という一つの大陸だったが、魔女に打ち上げられた大地によって徐々に島が増えていった。
数ある島の総称をまとめて浮遊大陸と呼ぶのはその頃の名残だった。
ある時を境に、天望の木を登る人が増えるのと同時に、新しい島が打ち上がってくることがなくなった。
これもグリザベルが言っていた。『ディアドレの時代と違い、今は魔法も進化している。進化とは新しい形質を獲得するということに考えを奪われがちだが、使われなくなったものを失うという意味もある。魔法でできることが増えたが、できなくなったこともあるというわけだ』ということだ。
つまり、これから浮遊大陸に新しい島が昇ってくることはないという意味だった。
「他の浮遊大陸にグリム水晶がある確率はゼロではない。が――不用意に掘って土地を減らすこともできないのだ。それよりも、君達はいったいどういう関係なんだね」
メディウムは人間であるリットと、天使であるリンスプーの顔を見比べた。
リットが口を開こうとすると、メディウムが手で制した。
「いや、みなまで言うな。女と男の愛。女と女の愛。男と男の愛。どれも変わりない。当然種族の差もな。大事なのは一人を愛することだ」
「せめて最初の一言くらい言わせろよ」
「私は先に失礼させてもらうよ」メディウムは立ち上がるとリットの肩を叩いた。「君達はゆっくりしていってくれ」
メディウムはポケットから枯れ葉を取り出すと、何か書いてリットに渡した。
「昼間も見かけたけど、なんなんだそれ」
「封蝋みたいなものだ。筆圧により色が変わる為、光に透かすと誰のサインかがすぐにわかる。これを宿に見せれば一番良い家へ案内してくれるはずだ」
「おい、じいさん――」
リットが何か言う前に、メディウムは歩き出した。
「なにか困ったことがあれば屋敷を尋ねて来るといい」
メディウムは店主にも別れの言葉を掛けると、酒場を出ていった。
「ミニーと同じようなこと言ってやがったな」
リットは受け取った枯れ葉をランプの光にかざし、鈍色に透けるメディウムのサインを見ながら呟いた。
「そうか」
リンスプーは短い言葉で反応した。
「……オレ以上に人に興味がねぇ奴だな。ミニーって誰だ。くらい聞かねぇのか?」
「ミニーとは誰だい?」
「ここじゃ言えねぇ」
「いったい、ワタシにどうしろというんだ……」
リンスプーは面倒くさそうに眉をひそめた。
リットはコップを持ってカウンターから立ち上がると、店の端にあるテーブル席へと移動し、指を招いてリンスプーを呼んだ。
店主は一瞬リットが帰るのかと思い喜び表情を浮かべたが、イスに座るのを見てがくりと肩を落とした。
「なんだあの態度は、こっちはなんかした覚えはねぇぞ。まだ吐いて床を汚したわけじゃねぇしよ」
「ワタシに聞かれても困る」リンスプーは椅子に座ると、リットの顔を見て「言いたいことも、ハッキリ言ってもらわないと困る」
「あのじいさん。エロス家の親玉だった」
「ここに来た目的達成か。よかったじゃないか」
「よかねぇよ。様子を見に来ただけだってのに、顔まで覚えられちまった」
「覚えられたほうが、話が進みやすいと思うんだが?」
「そうでもねぇよ。機嫌を損ねられたら、めんどくせえ。まぁ、浮遊大陸に詳しいってことがわかったのはよかったな」
光の柱を管理しているのなら、浮遊大陸だけではなく、もっと全体を見ているはずだ。浮島についても詳しいだろう。
「ディアドレの墓の場所って知ってるか?」
リットは唐突に聞いた。
リットは浮遊大陸の歴史に詳しくないため、もしディアドレが浮遊大陸でなにかやらかしていたとすれば、名前を出すだけで問題になるかもしれない。
何事にも興味の色の薄いリンスプーにならば、聞いても問題はないと思ったからだ。
「名前は知っている。破滅の魔女だろう? ここに墓があるのかい?」
「いや、知らないならいい」
ディアナ国でガルベラの名に身を隠していたように、ディアドレは浮遊大陸でも目立ったことはしていないのかもしれない。
そうなると、ウィルが持っていた浮遊大陸の地図。正しくは浮島の地図の場所に行かなければ、ディアドレの軌跡を辿れそうにもない。
「マックスのことは後回しだな……。せっかく助けてくれるって言ってんのに、ヴィクターとミニーのことで約束を反故にされたら、また人探しから始めなけりゃいけねぇからな」
リットは息をつくと、一気に酒を飲み干した。
「とりあえず、飲んだならば行くとしよう」
リットがコップをテーブルに置いたのを見て、リンスプーが立ち上がった。
「まぁ、帰ってもいい時間だな」
「帰るのではなく、向かうんだ」
「なんだよ。どこかに行く用事があったんなら、オレがいなかった間に片付けとけよ」
「バストナ・イスにある宿だ。枯れ葉のサインを貰ったんだろう? 酒場でずっと座りきりだったからな。今夜はベッドで眠りたい」
「そんなストレートにベッドに誘われるとはな。酔ったら開放的にでもなんのか?」
「寝るのに開放的も閉鎖的もないよ。エージリシテンの宿に帰るのならそれで構わないが、大丈夫なのかい?」
リンスプーは今まさに酒の入ったコップに口をつけているリットの唇を見た。
リットは今朝二日酔いのままリンスプーの背中に乗って、酷い思いをしたばかりのことを思い出した。
エージリシテンに帰るのなら、今度は酔ったまま背中に乗ることになるが、結果はどうなるかわかっていた。
「……一応、大丈夫だと強がることもできる。でも、強がりってのは大丈夫じゃない時にするもんだ」
「なら、今日はゆっくり寝て、明日の午後に帰ることを提案するよ」
「その提案を蹴って長引かせる理由もねぇし、そうするか」




