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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(上)

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第十九話

 雨雲の中から太陽の光が差すように、スリー・ピー・アロウの崩れた天井から鋭くも柔らかい朝日が入り込んでいた。

 その光の中に、バンシーの影が切り絵のように浮かんでいる。

 ノーデルの墓場の宿から、崩れた天井の場所は割と近く、リットの目からもしっかりその光景が見ることができた。

 昨夜、酒場ではガーゴイルに絡まれたせいで、リットは満足に飲むことができず、場所を変えてセイリンと朝まで飲み直していた。

 外にある石のテーブルと石の椅子は外気を吸い込み、すぐに肘も付けないほど冷たくなったが、それでも号泣して絡んでくるガーゴイルがいない静けさと比べたら気にならなかった。

 リットがコップに酒を注いだところで、セイリンが神妙な顔つきで「実はな」と切り出した。

「実は――私がこうしてついてきたのは、こうしてリットと一緒にいたいからだ」

 外側からの寒さと、酒を飲んだ内側から湧いてくる温かさで、セイリンの頬はほんのり桜色に染まっている。

 セイリンはそっと手を伸ばすが、向かった場所はリットの手ではなく、リットが持っている酒瓶にだった。

「その手に乗るか」

 リットはセイリンの手から遠ざけるため、酒瓶を自分の胸元へと引き寄せた。

「バレたか」

「勝利の美酒に酔いしれても騙されねぇよ」

「人生騙されていたほうが幸せになれるものだ」

「最後の一瓶、最後の一杯分だぞ。その程度の甘言で譲るか。こっちは女の酸いも甘いも知ってんだ。酸いは最悪だ。だからもっと砂糖を入れて甘くしろ」

 リットとセイリンが囲むテーブルの周りには、両手の指を足しても足りないほど空き瓶が転がっていた。

 セイリンは椅子から垂らした尾びれの先に当たる一つを拾った。

 昨夜は暗くてわからなかったが、まだコップ一杯分残っているのが朝の光に照らされて見えたからだ。

 セイリンは瓶口の泥を手で拭うと、自分のコップに注ぎ、「意外に落ちてるものだな」と言ってから酒瓶を投げ捨てた。

 元から落ちていた瓶に当たり、乾杯したかのような音が響く。

「卑しいねぇ」

 リットはこれみよがしに、コップをワインのテイスティングのように傾けた。

「私は海賊だぞ。卑しくて当たり前だ。それに――……なにをしてる?」

 セイリンが視線をコップに移したすきに、リットの姿が消えていた。

「なんにも」というリットの声はテーブルしたから聞こえてきた。

「脚でも拝みたいのか?」

「尾びれを拝みたけりゃ、魚屋に行くっつーの。まだ、飲み残しが落ちてるかもしれないだろ」

「卑しいんじゃなかったのか?」

「そうだ。だから、男らしくオレが卑しい部分を引き受けようって言ってんだよ」

「宝探しは海賊の領分だ。陸の男は酒じゃなく、女に溺れていることだな」

 セイリンもテーブルの下に潜り込んで、飲み残した酒がないかと探し始めた。

 リットとセイリンがしばらく酒探しを続けていると、軽快な足音が近付いてきた。

 その足音は近付くにつれて、用心したように小さくなっていった。

「朝から楽しそうですね……」

 朝の運動を終え、爽やかな気分のマックスから見ると、二人テーブルの下に潜り込んでいるのはとても珍妙な光景だった。

「宝探し中だ」とセイリンがテーブルの下から言うと、マックスはオウム返しで「宝探し中……」と言った。

 そして、テーブルにある一本の酒瓶を見てから、地面に転がる酒瓶に目を向ける。二人が探している宝が何かというのは容易に想像できた。

 マックスは自分の足元にある酒瓶を拾うと、軽く振って中の酒の音をチャプチャプと響かせた。

「……宝というのはこれですか?」

 響く甘露な音に、リットは勢い良く頭を上げた。その時テーブルに頭をぶつけたが、痛みは酒瓶を見て消えていた。

「でかした! さすがオレの弟だ」

「待て、酒瓶は私側にあった。つまり私が飲み残した酒ということだ」

 リットとセイリンが酒はどちらのものかと言い争いを始めると、「朝からご苦労様です」とマックスは酒瓶を傾けて中身を地面に流した。

「おいおい、もったいねぇことをすんなよ。それが朝からオマエを待ってた奴にする仕打ちか?」

「どうせくだらないことなんでしょう」

「実はなマックス。オマエにしか頼めないことなんだ。世界で一番頼りにしてるオマエにだからこそ頼めることだ」

 マックスはリットの真剣な瞳に付き合って、自分も真剣な瞳を向けたが、すぐに緩めた。

「その手には乗りません」

「バレたか」

「用がないなら、僕はもうひと運動してきます」

 マックスの言葉には棘があった。

「なら、ちょうどいい。世界の広さを見せてやるって言っただろ」

 そう言ってリットは長いロープを投げ渡した。

「なんです、この無駄に長いロープは」

「サハギンに会いに行きたいんだけどよ。地底湖の中に住んでんだ。ちょっくらひと泳ぎして探してくれ」

「別に地底湖の広さは知りたくないです」

「羽があっても、それだけ筋肉があれば泳げるだろ。それとも金槌か?」

「いいえ、泳げます。でも、今のあなたの頼みごとは聞きたくありません」

 朝から飲んでいたのか、朝まで飲んでいたのかは知らないが、マックスは転がる酒瓶の量を見て顔しかめた。

「なんなら、地底湖まで競争してやろうか」

「行きません」

 マックスは間髪入れずにこたえた。

「オレに負けるのが怖いのか?」

 リットの言葉を聞いて、マックスは初めて笑顔を見せた。純粋な笑顔ではなく、バカにしたようなのと勝ち誇ったようなのが混ざった笑顔だ。

「まさか、負けることなんてないです。普段でも勝ち目がないのに、今は酔っ払いですよ。ただ、行く理由がないと言っているんです」

 リットは「そうか、怖いのか」と言いながら、セイリンに煽れと手で合図をする。

「怖いなら仕方がない。逃げるのも一つの手だ。まぁ、海賊なら逃げんがな」

 セイリンはコップの酒を一気に飲むと、興が冷めたといったように細く息を吐いた。

「怖くないです」

「そりゃ、怖がってる奴が、怖いとは言えねぇよな」

 リットが言うと、すぐにセイリンが応戦する。

「能ある鷹は爪を隠すとは言うが、能がない奴も執拗に隠したがるものだ」

「……怖くないです」

 マックスの声にはイラつきが滲んでいた。

「まぁ、結局子供なんだよな。過保護に育てられたせいで、世界の広さを知らねぇんだ。だから、やる前から結果を決めたがる」

「怖くないとムキになるのが、子供そのものだな。海ではとてもやっていけん。陸でタフガイごっこをしてるのがちょうどいい」

 リットとセイリンが同時にため息を付くと、マックスはとうとう我慢できずに声を張り上げた。

「子供じゃないです! それじゃあ、勝負をしましょう。それで、白黒ハッキリするはずです!」

 マックスが石のテーブルを叩くと、乗っていた酒瓶が倒れて中身が全てこぼれた。

「あーあ。一度ならず二度も。……テーブルならセーフだな」

 リットがテーブルに口をつけて酒をすすっていると、リットの顔をマックスの影が浸した。

「子供じゃないです」

「わかったわかった。いい子だから飲み終わるまで待てよ」

「子供じゃないです」

「わかったって、地底湖まで勝負だろ。ほれ、よーい――どん!」

 リットが手を一回叩くと、その音と同時にマックスが走り出した。

 小さくなっていくマックスの背中を見ながら、セイリンは「リットと違って素直な男だ……」と呟いた。

「元気に走った後は、疲れて言うことを聞いてくれるだろ」

 リットは口元を拭うと、ゆっくり歩き出した。



 地底湖では、マックスが肩で息をして倒れ込んでいた。

 マックスから大きく遅れて、ランプの光がゆっくりやってくる。

 リットとセイリンの姿に気付くと、マックスは息も絶え絶えに「僕の勝ちです」と苦し気に笑みを浮かべた。

「大したもんだ。ちゃっちゃと休めよ。これから泳ぐんだから」

 リットは持ってきたロープを伸ばしながら言う。

 マックスは「はい……」とこたえると、息を大きく吸って呼吸を整え始めた。

 その間にリットは、マックスの片足にロープを結ぶ。

 墨が溜まっているような暗い地底湖中では、ロープが文字通り命綱だ。

 無謀なことはしないだろうが、万が一ということがある。

 リットがロープをしっかり結び終える頃には、マックスの呼吸はだいぶ落ち着いていた。

「早いもんだ。鍛えた成果が出たな」

「それより、なぜ僕が地底湖に潜ることに……」

「そういうマヌケな質問は、ロープを結ばれる前にするんだな。もう一度聞くけど泳げるんだな?」

「ディアナには、ティアドロップ湖とリル川があるのを忘れたんですか?」

「なら大丈夫だな。任せたぞ」

 リットは「頑張れ」と付け足して、マックスの背中を叩く。

 マックスの背中には激励された心地の良い痛みが広がった。

「……汗を流すついでですよ」

 マックスはため息のような、深呼吸のような息を吐くと、大きく空気を吸い込んで地底湖へと飛び込んだ。

 水面に大型の魚が跳ねたかのような波紋が広がると、急に辺りが静けさを増した。

 リットはロープを近くの岩に固定すると、辺りをランプで照らした。

 地底湖にいるのは水に住む種族ばかりで、火はあまり使うことがないらしく、朽ちて天井から落ちてきた根がそのままになっていた。

 それを集めて焚き火にしていると、マックスが地底湖から上がってきた。

 マックスは焚き火を見付けると、一目散に駆け寄って地底湖の冷たさに震える体を温めた。

「なんだ……もう上がってきたのか」

「こんなに冷たい水は初めてで……」

 マックスが背中を羽で体を包むと、震えているせいで羽根のこすれ合う音が響いた。

「日の当たらない地底湖だからな。海とはまた違う」

 セイリンは尾びれを水面に垂らして、波紋を作っては眺めていた。

「寒くて鳥肌が出てるな。なんて冗談は言えねぇな」

「言ってるじゃないですか……」

「泳げないなら仕方ねぇな。こうなりゃ、餌でおびき出すか……。根は落ちてるし……サハギンって釣れるのか?」

 リットがちょうどいい細さの根を探していると、マックスがスクッと立ち上がった。

「心配無用。少し舐めていただけ。羽で体を包みながら泳げば、もう少し長く泳げます」

「天使というのは水鳥なのか?」

 セイリンは目を向けず、尾びれの先の波紋を見つめながら言った。

「ハーピィほどじゃないにせよ、羽毛の効果はありますから」

「無理してもいいことはないぞ」

 セイリンは立ち上がると、杖をついてヨロヨロと歩きながら焚き火に向かってきた。

「そう言われると、意地を張りたくなるのが男です」

「そういう意味じゃなくてだな……」

 止めようとするセイリンを、マックスは手のひらを向けて止めた。

「大丈夫。見ていてください」と、マックスは再び勇んで地底湖へと飛び込んだ。

 最初と同じような静寂が訪れるが、それは一瞬。すぐにセイリンが静寂を破った。

「話を聞かない男だ……」そう言ってリットを見る。

「オレに言うなよ」

「誰かも話を聞かないからな。血か?」

「違う――とは言い難い……。なんにせよ、マックスじゃ深くは潜れねぇし、別の方法も考えておくか」

「最初に考えておくべきだな」

「考えたからロープを持ってきたんだろ。ここまで地底湖の水が冷たいと思ってねぇし、長くマックスが潜れねぇとも思ってねぇよ」

 リットはあぐらをかいて、膝に肘を置いてどうしたものかと考えていると、すぐ横にセイリンが座った。

 そして、「その頭は飾りか?」とリットに言った。

「飾りで頭をつけるほどオシャレじゃねぇよ」

「その目は節穴か?」

「なんだよ……喧嘩売ってんのか? まださっきの酒のことを怒ってんじゃねぇだろうな。文句の一つくらいハッキリ言えよ」

「それは、ケチくさい男だとか、みみっちい男だとか、行き当たりばったりで流されやすい男だとか思うところはある」

「……一つでいい」

「そんな文句よりもだ。私のほうが早く泳げるし、長く潜れるぞ。マックスよりもな」

 セイリンは尾びれをリットの膝の上に乗せながら言った。

「なんで早く言わねぇんだよ……」

「言おうとしたら、マックスが止めて潜っていったからな」

「……この冷たい水でも潜れるのか?」

「当然だ。水面に灯りを照らしてくれればロープもいらん」

「今まで気付かねぇなんてマヌケじゃねぇか……」

「お互いな。だが、一番マヌケなのは、今必死で潜ってるマックスだ」

 セイリンは水面を見つめると、立ち上がった。

「おい、飛び込む気か? どうやって水面を照らせってんだよ」

「落ちてる根にランプを結びつければいいだけだろ」

 セイリンは着ていた紺色のオーバーコートを脱ぐと、リットに投げつけて、地底湖へと飛び込んだ。

 マックスよりも静かな水音が響き、綺麗な波紋だけが残った。

 入れ替わるようにしてマックスが、地底湖から上がってきた。

 さっきと同じように、一目散に焚き火に向かって体を温めている。

「おい、もういいぞ」

「大丈夫。空気が溜まっている窪みを見つけたんで、次はもっと長く潜れます」

「だから、セイリンが――」

「セイリンさんの言うことは気にせず。僕は大丈夫」

 そう言って、マックスはまたすぐに地底湖へと飛び込んだ。

「なぁにテンション上がってんだか……最初は渋ってたくせに……」



 リットはセイリンに言われたとおり、根の先にランプをくくりつけると、釣り竿のように構えて水面を照らしていた。

 何度かマックスが上がってきたが、話を聞かないのでリットは放っておいていた。

 寒がっても平気なところを見ると、人間と天使族では温度の感じ方が違うのだろう。

 しばらく何事もなくランプの灯りをボーッと眺めていると、リットの耳に調子外れのご機嫌な歌が聞こえてきた。


  なにもない日は遅くまで酒が飲める

  なにかある日は疲れを取るため酒を飲む

  めでたい日には祝い酒

  めでたくない日にはやけ酒


「よう、兄ちゃん。釣れるかい?」

 酒臭い息とともに、リットの肩に背中の方から冷たい手が置かれる。

 背中の方から手が置かれるということは、地底湖ではなく街から続く道からやってきたということだ。

 リットが振り向くと、顔よりも先に第一関節まである水かきが見えた。

 大きな魚の顔は、酔っぱらい特有のしまりのない笑顔を浮かべてリットを見ていた。

「……今釣れた」

「おぉ、大物だといいな」

 サハギンは千鳥足で地底湖へと向かおうとするが、リットに背びれを捕まえられてしまった。

「釣った魚は逃さねぇんだよ」

「なんだ、おいらに用事かい?」

 サハギンが足を止めるのと同時に、地底湖からセイリンが上がってきた。

「いないぞ。家はあったがな」

 そう言うセイリンの手には酒瓶があった。

「あーっ! おいらの酒!」

 サハギンはセイリンの持っている酒瓶を勢い良く指差した。

「なんだこの生物は……」

 セイリンは、千鳥足で向かってくるサハギンを尾びれで蹴りながら聞いた。

「サハギンだろ」

「なんでここにいるかと聞いているんだ」

「知るか……。オレが聞きてぇよ」

 その時、今度はマックスが地底湖から上がってきた。

 マックスは地底湖から上がってくるなり「あーっ!」と声を上げると、ダッシュで駆け寄ってきた。

「オレのせいじゃねぇぞ。コイツが勝手に向こうからやってきたんだ」

 リットは無駄なことをした文句を言われると思っていたが、マックスはリットを通り過ぎて、セイリンを指差した。

「早くなにか羽織ってください! 見えてます!」

 水に濡れて透けた服が、セイリンの肢体のラインを艶かしくくっきりと映し出していた。

 マックスは落ちていたオーバーコートを拾うと、投げつけるようにセイリンに渡し、「早く!」と声を荒げた。

「情けないぞマックス。男ならしばらく黙って眺めてるくらいしてみたらどうだ」

 セイリンはオーバーコートを肩に担ぐようにかけると、腰に手を当てて真っ直ぐマックスを見たが、マックスは顔を赤らめて逸した。

「早く着てください。周りは男の人ばかりなんですから」

 マックスは耳まで赤くなり、羞恥に耳もあまり聞こえていない様子だった。

「オマエもどっかズレてんな……。一言くらいサハギンについてコメントしろよ」

 と言うリットの声も、マックスの耳には届いていなかった。






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