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ランプ売りの青年  作者: ふん
命の灯火編(下)

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第五話

 何も進展がないまま数日が過ぎると、今まで徐々に溜まっていたチルカのイラつきは突然爆発した。

「やってらんないわよ! あるのは本ばっかり。紙魚にでもなれっていうの!」

「何言ってんだ。紙魚に羽はねぇだろ」

 リットは埃臭い本を積み上げながら言う。

「本がいくらあっても、何にもならないわよ」

「オレはその本を探してんだよ」

「私は部屋に置くものを探してるのよ。衣装ダンス、テーブル、椅子、ベッド、何一つないじゃない」

 チルカは本と一緒に持ってきた、壊れたフラスコやガラス管の山に蹴りを入れる。

「そりゃ、妖精サイズのなんか置いてあるわけねぇだろ」

「これなら、モントをこき使ってた方がよっぽど有意義な時間じゃない」

「殺されるぞ。嫁に」

「知ってるわよ。殺されかけたから……」

「どうりで、こっちを手伝うわけだ……。そのフラスコでも持って行けばいいだろ」

「こんな薄汚いフラスコを何に使うのよ」

「花でも生けろよ。花なら小さくなくてもいいだろ。だから静かにしろ、こっちは集中してぇんだ」

「アンタもたまにはいいこと言うのね」

 チルカは汚くなく、割れていないフラスコを物色し始めた。

 しかし、いざチルカが黙るとリットの頭は真っ白になってしまった。静寂が耳にうるさく付き纏い、集中するどころではなかった。

 その様子に気付いたグリザベルは、本を閉じるともったいぶるように腕を組んでから口を開いた。

「気晴らしにティアドロップ湖にでも行ってみるか。我もまだ正式にガルベラの墓を見舞ってないからな」

「気晴らしに行くほど近い場所じゃねぇよ。行って帰ってきたら夕方になるくらい、街外れにあんだぞ」

「期限付きの調べ物というわけでもない。せっかくの良い天気だ。外に出なければもったいないぞ」

「太陽が好きか嫌いかで言えば、嫌いな方じゃねぇか。その青白い肌が小麦色になる前にぶっ倒れるぞ」

「別に肌を焼きたいわけではない。カビた部屋にいても、カビた考えしか浮かばないということだ。陽光に晒されなければわからぬこともある」

「カビた城にずっと住んでたくせに今更何を言ってんだ……」

 淡々と拒否するリットだが、グリザベルはしつこく食い下がる。

「ならば言い方を変えよう……。我はピクニックというものを所望しておる。よく晴れた日に、皆で自然豊かな場所に出掛け、咲き乱れる花の中食事を囲めば、一緒に話にも花が咲くという現代魔法の一つだ」

 グリザベルは目を爛々と輝かせて、うっとりとした表情を浮かべている。

「その現代魔法は、友達がいる奴にしか扱えない代物だ。諦めろ」

 面倒くさそうに首を振るリットの顔を押しのけてノーラが手を上げた。

「私は行きますよォ。グリザベルと友達ですし、美味しいもの食べられますしね」とノーラが賛同すれば、「私も嫌よ。こんな埃臭いところでご飯を食べるのは」とチルカも賛同した。

「ほうほう……これで三対一だ。いや、四対一だな」

 グリザベルは、リットではなくその後ろを見てニンマリ笑顔を浮かべた。

 リットが振り返ると、満面の笑みで手を挙げるヴィクターがいた。

「いいだろ? オレは皆でワイワイするのが好きなんだ」

 リットの呆れ顔に、ヴィクターは笑顔で返した。

「リットが泣いて頼むのならば、もう一度誘ってやってもよいぞ」

 グリザベルは勝ち誇った眼差しで、ふふんと鼻を鳴らす。

「勝手に四人でやってくれ。オレも勝手に一人でやる」と、リットが言い終える前に、ヴィクターがリットの頭を無理やり押さえて深々と礼をさせた。そして、自分も頭を下げる。

「素直じゃない息子だが、よろしく頼む」

「……よかろうよかろう。我は心が寛大なのだ」グリザベルはひとしきり高笑いを響かせると、椅子から立ち上がり、真っ黒なドレスの裾にフリルのようについている埃を払う。「そうと決まれば、我はガルベラの墓に添える手向けの花を買ってこよう。ピクニックの準備はお主らに任せる。手分けして用意をした後、街の中央広場で待ち合わせだ」

 グリザベルは羽が生えたような軽い足取りで、ガルベラの研究所を出ていった。

「なんで、こっちがやりたくもねぇピクニックの用意をしなけりゃなんねぇんだよ。普通逆だろ」

「旦那が好きなものを用意していいってことっスよ。そうすればピクニック中に文句も減るでしょう。グリザベルは楽しむ気持ちを皆で共有をしたいんすス」

「あのなぁ……ノーラ。オレは自分で用意してもゴネるぞ」

「それじゃあ、どうしようもないっスねェ……。まぁ、ご飯は私とチルカが用意しときますんで、旦那は自分で飲むお酒を用意したらどうっスか?」

「まだ、行くとは決めてねぇぞ」

「またまたァ、強情っ張りなんスから。それに、今は旦那には決定権はないと思いますよ。ね?」

 ノーラはリットの頭に手を置いたままのヴィクターに笑いかけると、ヴィクターは「その通りだ」だと笑い返しながら、リットの頭をペチペチと叩いた。

「それじゃあ、私達はご飯の用意をしにお城に戻りますねェ」

「アンタも来るんなら、パパとじゃれてないで早く来なさいよ」

 そう言って、ノーラとチルカもガルベラの研究所から出ていった。

「なんでオレなんだよ。行きたけりゃバニュウを誘え」

 リットは頭に乗っかるヴィクターの手を払い除けながら言った。

「思い出したんだよ。ディアドロップ湖のことをな」

「リッチーと一緒だな。『ディア』じゃなくて『ティア』だろ」

「オレが聞いたときはディアだ。まぁ、今はティアドロップと呼んでいるがな。冒険者時代に聞いた話がある。ディアドロップ湖はただの湖ではないとな」

「それが、この国に来た理由か?」

「気になるだろ? ようし、続きはティアドロップ湖でも見ながら話してやろうじゃないか。オマエにはずっと昔話を聞かせたかったんだ」

 ヴィクターはリットと無理やり肩を組むと、酒を調達するために馴染みの酒場へと向かった。



 シルクの布越しのように霞んだ春の青空。遠くに空にヒビを入れるような薄く細い雲が一つ、ティアドロップ湖に映ることなく浮かんでいる。

「――こうして『天望の木』の頂上から浮遊大陸へと足を踏み入れたわけだ。聞いてるか? リット」

 ヴィクターは食べかけのパンでリットを指した。

「……聞いてるよ。そこでミニーと出会ったんだろ」

「聞いてないじゃないか。まだミニーとの出会いの話はしてないぞ」

「どうせ、そこで出会うんだろ。この調子で、ベッドの中の話までされたんじゃたまったもんじゃねぇよ」

 リットはノーラの食べかす目的に集まってきた小鳥を追い払いながら言った。

 リットに散らされた小鳥たちはノーラの元へ集まる。慣れているのか舐めているのか、逃げる気はないらしい。

「そんな高い木があるんスねェ」

 ノーラがパンをかじりながら言うと、口元からパンくずがこぼれた。それを狙ってまた新たな小鳥が数羽飛んできた。

「天望の木は、雲を貫くほど高くそびえる巨大な木だ。世界に数十本しか生えていなく、この大陸にも三本しか生えていない。羽のない種族が浮遊大陸に行くとなると、この木に登るしかないというわけだ」

「確かに、今は浮遊大陸に行くには天望の木を登らなければいかぬ。しかし、浮遊大陸は雲と同じく、空を幽玄と流れるもの。天望の木に昇ったとて、確実に浮遊大陸の土を踏めるものではない。タイミングが合わなければ無理だ。ヴィクターはよほど運が良かったと見える」

 グリザベルは浮遊大陸に行ったことはないが、書物で得た知識で話を合わせている。

 浮遊大陸に行ったこともなければ、情報もほとんどないリットは、二人の話と想像が食い違っていた。

「なんだ、浮遊大陸にも土はあるのか。雲の上に城があるんじゃねぇんだな」

「リット、お主は本気で言っておるのか?」グリザベルは目を丸くして驚くと、次第に溶けたように目尻が下がっていき、口元を歪ませ笑みを浮かべ始めた。「我を児戯だとバカにするお主が、そんなおとぎ話のようなことを信じているとは……ういやつだ」

「夢を見るのは悪いことじゃないぞ! 夢見がちなとこまでオレそっくりだ!」

 ヴィクターとグリザベルのからかいの笑い声が響く中、リットは一人に狙いを定めて手を伸ばした。

 パンくずの付いた手で、グリザベルの口をふさぐように掴んだ。

「こらぁ! なぜ我だけにこんな仕打ちをするのだぁ!」

 くぐもった声でグリザベルが抗議する度に、リットの手のひらに熱い吐息が舐めるようにぶつかる。

「掴みやすいような小せぇ顔してるからだろ。オレは弱い奴から狙う人間なんだよ」

「まぁまぁ、そんな恥ずかしがらずに。大丈夫っスよ。私も雲の上にお城があると思ってましたから」

 ノーラはグリザベルを掴むリットの手に触れ、なだめるように言った。

「オマエと一緒か……。ますます惨めになる」

「あらー、そういう反応っスかァ」

「能天気呼ばわりってことだろ」

「能天気でもいいじゃないっスかァ。雲の上はいつも天気っスよ。それより旦那、そろそろその手を離さないと、グリザベルもその雲の上にいっちゃいますよ」

 息を止めるほど強くは押さえつけていないが、空気の循環の悪くなったリットの手のひら内の空気を吸わされて、グリザベルは涙目になっていた。

「悪気しかないから、許さなくていいぞ」

 リットはグリザベルの口から手を話すと、その手をグリザベルの肩に置く。

 グリザベルは一度鼻をすすってから、涙目のままでリットを睨んだ。

「我の服で拭くなー!」

「持ち主に返しただけだろ。元はオマエのよだれなんだから、遠慮なく服にしゃぶりついてすすれ」

「我も一つくらい威張ってもよかろう。いつもリットばかり威張ってずるいのだー! 雲の上に城があると思っとったくせにー。リットのあほぉ。ぼけなすぅ。おまえのとうちゃん色狂いぃ」

「言われてるぞ、ヴィクター」

「改めて周りから、オマエの父親と言われると照れるもんだな」

「どっちも面倒くせえ……。だいたい、なんの情報もねぇんだから、普通雲の上に城があると思うだろ」

「まぁ、リットの言うことも、あながち間違っているわけでもないんだがな。浮遊大陸自体は雲ではないが、雲に流されて移動する大陸だ。だから、下から見ると雲と変わりなく見える。今、真上にあってもおかしくない」

 そう言うとヴィクターは、雲一つない空を見上げた。

「一応フォローするなら、一つ細いのがあるぞ」

 リットは目を凝らして、遠くの薄雲を見ていった。

「まぁ、アレにも可能性はあるな。浮遊大陸は一つではない。空に浮かぶ大小全ての大陸の総称だ」

 ヴィクター空を見たまま立ち上がった。

「飯の途中だろ。帰るのか?」

「オレは充分食べた。それに、カッコつけそこなってバツが悪くなったからな。そうだ、今度は皆誘ってこよう。今日以上に楽しくなる。あと、ちゃんと酒場に寄らず帰ってこいよ。最近いつもリットの帰りが遅いから、セレネが心配している。もちろんオレもだ」

「頭の片隅には入れとく」

 リットは歳以上に重いヴィクターの足取りを見送りながら答えた。

「どうしたんスか? 旦那」

「いや、帰りの荷物持ちが一人減ったと思ってな」

「まぁ、ご飯は私がパパっと片付けちゃいますけど。どうします? 私達も帰ります?」

「天気も良いし、しばらくぼーっとでもするか」



 リットが珍しく酒も飲まずに、ノーラの咀嚼音を聞きながらぼーっとしていると、いつの間にかいなくなっていたチルカの声が聞こえてきた。

「ぶつかったフリして胸を触るなんて最低ね!」

「そんな……僕はぶつかっただけで。だいたい肩でどうやって触ったって言うのさ」

 もう一人の男の声はつい最近聞いたものだ。

「だから、肩を押し付けて触ったんでしょ」

「だから僕は。――あっ、どうも」

 ウィルはリットを見つけると、軽い会釈をした。

「シルヴァといい、チルカといい……。オマエは女難で苦しむ運命なのか?」

「ははっ……本当にそうかも」

 ウィルは困ったように笑う。

 それを眉をしかめて見ていたチルカは、リットの目の前まで飛んで行くと、リットの鼻を手のひらで強く押した。

「アンタの友達? 友達なら謝る手本を見せてやんなさいよ。跪いて頭を地面につけるの。簡単でしょ?」

「あの……お連れさんですか?」

「まぁそんなもんだ。腹を立ててるのがチルカで、そこで腹を膨らませてるのがノーラ。そして腹を出してふて寝してるのがグリザベルだ」

「出してないもん……」

 グリザベルはそれだけ言うと、寝返りを打って顔を背けた。

「で、オマエさんは痴漢じゃなけりゃ、何しに来たんだ?」

「僕、歴史学者見習いで」

「知ってる。酒場の奴から聞いた。なんで、ティアドロップ湖にいるのか聞いてんだよ。それとも、無意味に殴られに来たのか?」

 リットはウィルの頬に拳を打ち付けるチルカを見ながら言った。

「歴史学的には『ティアドロップ』じゃなくて『ティアドレイク』です。もっというと『ディアド・レイク』と言うのが正しくてですね。ティアドロップというのは、年月と共に変化した名前で、正しい呼び方じゃないんですよ。もちろんそれが悪いことではないんですが……。言葉というのは歴史とともに変化するものですから。でも、歴史を学ぶ者にとっては、正しい呼び方じゃないと納得できないんですよ。わかります?」

「わかった」

「よかった。わかってくれました」

「やっぱり殴られに来たんだろ」

「違います違います。ただ、この国の人はあまりに歴史に無関心すぎるというか……もっと知ってもおかしくないと思うんですよ」

 ウィルは紙束を抱えたまま、拳を強く握って力説する。

「オレはこの国の人間じゃねぇよ。でもだ、歴史オタク」

「歴史学者です」

「オタクが出世したら学者だろ。人の役に立てて初めてオタクから学者になんだよ。まぁ、でもちょうどいい。今がチャンスだぞ。オタクから学者になるな。ティアドロップ湖のことを詳しく話せ」

 リットが座れと指で合図すると、ウィルは嬉しそうな顔で地面に腰を下ろした。

「はい! まずですね。ディアド・レイク。皆がティアドロップ湖と呼ぶものは、湖ではなく巨大な窪み。えっと……穴なんですよ。夏になるとこの水も消えてしまいます。なぜなら蒸発するからです。えっと、午前中に雨が降って午後から晴れると水たまりはなくなりますよね? それが蒸発です。ここまでわかりますか?」

「……わかるぞ。オレをバカにしてるのはな」

「だって、シルヴァのお兄さんですよね?」

「オレがバカかバカじゃないかは、後でオマエの鼻の穴に指を突っ込みながら教えてやる。だから、今は続きを話せ。巨大な穴だからなんなんだよ」

「穴というのは地面が陥没するか、掘るかによってできるものです。つまり体積は上か下かにいくわけです」

「ドロップなんだから下だろ」

「そう思いますよね。僕もそう思ってました」

 そう言うとウィルは抱えていた紙束から一枚引き出して、リットに見えるように地面に置いた。

 染みが出来た古紙には、ネックレスを適当にテーブルに置いた時のような歪な丸が描かれていた。その中に町だと思われる記号と文字が書かれているが、文字がかすれているせいで名前まではわからなかった。

「これは浮遊大陸の一つの地図です。そしてこれが、僕が歩いて確認しながら描いたディアド・レイクの湖の形です」

 ウィルはもう一枚紙を出して、浮遊大陸の真横に置いた。そっくりな歪な丸が描かれている。

「書き写しじゃねぇのか?」

「違います。浮遊大陸の地図は、ムーン・ロード号ができてから手に入れたものですから。ディアド・レイクの地図はもっと昔に描いたものです。偶然という言葉では片付けられないと思うんです」

 ウィルの熱っぽい言葉に、割り込むようにグリザベルが颯爽と立ち上がった。

「我は漆黒の魔女グリザベル。迷い求める愚者に、知恵をもたらす者也」

 グリザベルが重々しく言うと、一陣の風が吹き抜けおどろおどろしくグリザベルの髪をなびかせた。

「そこまで黒で揃えてんのか」

 リットは今まで見ていたものから、視線を上げて言った。

「……我は……漆黒の魔女……グリザベル……」

「わかったわかった。見なかったことにしてやるから、もう一度言わなくていい」

「あの……さっきまでふて寝していた人ですよね?」

「気にすんな。出張れるとこだと張り切んだ」






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