第二十四話
例えば、土煙がもうもうと立ち込める戦場。甲冑を身に纏った兵士が、剣を掲げ、槍を突き出し、弓を構える。その中にエプロンを身につけ包丁と鍋を持って立っていたら、それはマヌケな姿だろう。
はたまた、伝統ある雰囲気の中、音楽が流れお喋りやダンスを楽しむ舞踏会。独身のお見合いも兼ねた社交は、踊り語り合いながら結婚相手を見つける。着飾った令息と令嬢が楽しむ中、土だらけの服にクワをかついだ姿で、ひたすら豪華な料理を貪り食べるのもマヌケな姿だろう。
ならば、深々と降り積もる雪に、皆が明日の心配をして窓から外を眺めているのに、その馬に乗って横切り、集団を作って道を占拠し、意味もなく高笑いを響かせて歩いてくるのもマヌケな姿だ。
「フハハ! 我、参着であるぞ」
グンヴァの背中に横座りしていたグリザベルは、ガルベラの研究所の前に立っているリットの姿を見ると、一層高く笑いを響かせた。
その後ろにはブラックエンペラーのメンバーも揃っている。
リットと面識のあるワニの亜人アリゲイル・パニックと、トカゲの亜人テイラー・リッパー。その他にも、獣人、亜人、人間を合わせて二十人ほどが綺麗に列を作っている。
「……全部聞くのは面倒くせえから、一言で説明しろ」
リットは降り積もる雪よりも白い目でグリザベルを見ている。
「ブラックエンペラー改め、我のブラックナイトであるぞ」
「やっぱり、一から全部説明しろ」
「簡単な話だ。皇帝は一人でよいからの。上に立つべき者が、立つべくして立ったまでのこと」
グリザベルは煙をくゆらせるように息を吐いて、いびつに揺れる白い息がゆっくり消えていくのを楽しんでいる。
「おい、グンヴァ。バカを祭り上げてもろくなことになんねぇぞ」
「アニキ、俺様はただのグンヴァじゃねぇ。闇に封されし隻眼を持つ鳶色のグンヴァだ」
グンヴァはしっかりと両目でリットを見ながら言った。
「やめろ。聞いてるこっちが恥ずかしい。オマエは鳶じゃなくて馬だろ。バカに羽が生えてもペガサスにはなれねぇよ」
「アニキ……わかっちゃいねぇな。鳶とか馬はどうでもいいんだ。大事なのは言葉の持つ強さだけだ。そして、言葉に傷つけられた心を癒やすのも、また言葉だ」
意味がわからないリットは、これはダメだと頭を横に振った。
それを見ていたテイラーも同じように頭を振った。
「ヴィクター王にそそのかされて、グンヴァはカロチーヌに思いを告げに行ったんだよ。結果振られたんだけどね」
テイラーは困ったように、鱗張った手で頬をかきながら言った。
「振られたとしても、前以上にバカになる理由になるか?」
「それがねぇ……グリザベルのよくわからない言葉に慰められてるうちに、すっかりあんな感じになっちゃって」
「なるほど……。言葉の響きに集まったバカ二人が徒党を組んだのか」
リットとテイラーは同時に、哀れんだ瞳でグンヴァを見た。
それが癪に障ったらしく、グンヴァはいきり立って歯を剥き出しにした。
「何見てやがんだ。言いたいことがあるなら、さっきみてぇにハッキリ言えよ」
「オマエは一生童貞」リットはグンヴァに言い捨てると、上に乗るグリザベルに視線を移した。「おい、グリザベル。早く降りてこい。ガルベラの研究所に入るなら、高いところに乗ったバカのままじゃ入れねぇぞ」
「我と一緒に研究居に入るのが待ちきれぬのか。しょうのない奴め。ちょっと待っておれ」
しかし、グリザベルは少しお尻を動かしただけで止まった。それから地面を一度見ると、困ったように顔をしかめた。
「降り方がわからぬ……」
「とべよ」
「無理だ……。我の手を引くことを許そう」
グリザベルは少しだけ背中を丸めて、リットに手を伸ばした。
「早くしねぇと、背中に蹴り入れて落とすぞ」
「思ったより高いのだぁ! しょうがないではないかぁ……。一人では降りられぬ……」
伸ばされたグリザベルの手は、寒さではないもので小刻みに震えている。
「あのなぁ……本物の馬に乗ってるわけじゃねぇんだから、言えばいいじゃねぇか」
グリザベルは驚いたように「ほう」と短く漏らすと、咳払いをして体裁を繕った。
「闇に封されし隻眼を持つ鳶色のグンヴァよ。我を下ろすことを許そう」
そう言うと、グリザベルの目尻に溜まっていた涙が揺れた。
グンヴァが四本の脚を体の下に折り敷いたからだ。
同時に、グリザベルの視線も低くなり、今まで見下ろしていたリットとまっすぐ目が合う。
リットと目が合った瞬間、グリザベルはいつものように不敵な笑みを浮かべた。そして、王様が玉座から立ち上がるように、威厳たっぷりに間を置いてから立ち上がった。
「少々取り乱した。もう、心配はいらぬぞ」
「そりゃそうだろ。地面に足がついても浮き足立ってやがったら、凍らせた小便でぶん殴ってるところだ」
「お主はもっと柔らかい物言いができぬのか」
グリザベルはようやく目尻に溜まった涙の塊を拭いて、いつも通りの偉そうな口調で言った。
「じゃあ、雪に埋めるぞ」
「そういう意味ではない……」
グンヴァ達を帰らせると、リットとグリザベルはガルベラの研究所の鍵を開けて中へと入った。
「汚え家だな……。オレの家より汚えのは久々に見たぞ」
格子の窓から入り込んだ雪が、泥水のような埃の塊を作り上げている。突いたら何が出てくるかわからないくらい不気味な塊だ。
部屋の中のものは手付かずというわけではなく、棚はほとんど空になっており、床には割れたガラスが散乱していた。
ガラスの破片、木片、埃、錆にカビ。歩く度に靴の裏でいろいろなクズが擦れる音が不気味に響いた。
「ディアドレの研究室とは違って、なにもねぇな」
「辺境にある廃墟でもなければ、こんなものよ。ヨルムウトルのディアドレの研究室はたまたまだ。ウイッチーズカーズのおかげで人が寄り付かなかっただけのこと」
グリザベルは棚に残った割れ瓶の底を取ると、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。しかし、何が入っていたかはわからなかったらしく、そっと元の場所に戻した。
「それにしても息が詰まるな」
リットは埃が舞わないように小さく息を吐いた。
「埃とこの低い天井のせいだ。妙な圧迫感がある」
グリザベルも息苦しく感じていたらしく、辛そうに息を吐いた。
二人は息を殺して家探しをする泥棒のようだった。
「格子を外せば、少しは呼吸も楽になるだろ」
リットは格子を両手で掴むと乱暴に揺らし始めたが、長年の錆のせいで格子は窓にはまったまま動かない。
「よいのか? 勝手なことをして。ヴィクター王が管理しているものだろう」
「いいんだよ。オレに鍵を渡したってことはそういうことだ。いいから手伝え」
グリザベルはやれやれとため息をつくと、リットの隣に並び鉄格子を掴む。
力が新たに加わるが、グリザベルの腕力が加わったところでなんの意味もなかった。
結局、汗と埃で手が滑り、二人が尻餅をついただけに終わった。
「グンヴァを帰すんじゃなかったな……」
「痛いのだー。我の手に格子の後がくっきりついておる。もうやらぬぞ」
グリザベルは埃に咳き込みながら、恨みがましくリットを睨んだ。
「明日にでも、城のメイドに頼んで掃除してもらってから、もう一度来るか……」
リットは埃にまみれた顔を手で拭いて立ち上がると、振り返って部屋の中を見回した。すると、今まで壁があった場所に大きな鏡が現れていた。
「あんなのあったか?」
「我は知らぬな。鏡があれば、入った時点で気付いておる」
リット達が近づいてみると、傍らに布が落ちていた。
先ほどの尻もちの振動で、埃で汚れて壁と同化していた布が鏡から落ちたらしい。
「これが普通の鏡ってことはねぇよな」
鏡は床と低い天井に挟まるようにして置かれている。高さだけではなく、リットとグリザベル二人並んで使えるほどの幅がある。姿見にしても大きいものだ。
「鏡とは、もう一人の自分を映し出すもの。どちらかといえば、呪術的な儀式に使われることが多いが……これを見ては、魔法と無関係とは言えぬ」
グリザベルは鏡の縁の埃を手で落としながら言った。グリザベルの手によって磨かれた鏡の縁は、格子窓から差し込む斜陽を浴びて光りだした。
金の縁に光る石が散っている。斜陽に光る石の正体は魔宝石だった。
「鏡に魔宝石なんか使うものなのか?」
「聞いたことがない。鏡に使う理由がないからな。だが、この小さな宝石一つ一つに、魔力らしきものが通った形跡がある。――不可解なのは宝石が全て丸みを帯びていることだ。ミランダ・ヘッコニーとポテフィッシュ・チップスという名を覚えておるか?」
「知らねぇ。誰だよ」
「覚えていないではなく、知らぬだと! お主は我の話を聞いておらんかったのか! 二人とも複雑な面体の宝石ではなくとも、魔宝石を作ることができると証明した偉大な魔女の名ではないか!」
グリザベルは大声でリットを非難すると、吸い込んだ埃でむせ始めた。
「昨日そんな話したか?」
「昨日ではない。ヨルムウトルでのことだ」
「んなの覚えてるわけないだろ」
「我は覚えておるぞ。お主が我の頭が悪いと言ったから、我はミランダとポテフィッシュの名を出して反論したのだ。その時、傍らにいたマグニという証人もおる」
「そんな昔のことをいちいち覚えてんのか?」
「覚えておる。友との会話全てをな。その後お主は、マグニに我をイジメたことを非難されておったわ。どうだ、我の記憶力にひれ伏すがよい!」
グリザベルは懲りずに大声を張り上げると、再びむせ始めた。
「気持ちわりいよ……。今までオレが何回糞しに行ったかも覚えてんじゃねぇだろうな……」
「そんなもの覚えるか!」
言った瞬間、グリザベルは乾いた咳を漏らす。
「懲りねぇな、婆さん」
「うぅ……話が進まぬ。だからリットと二人きりは嫌なのだぁ……。我の話を聞けぇ! 聞いてくれぬのならば、大声で泣いて喚き散らすぞ! もう、知らぬわ! リットのアホぉ……」
グリザベルは咳き込むことを気にせずに、地団駄を踏んで大声を張り上げた。
「もう、泣いて喚いてんじゃねぇか……」
斜陽も消え、リットがランプに火をつけた頃、ようやくグリザベルがおとなしくなった。
「落ち着いたか?」
「少し……。だが、まだ許してはおらぬぞ」
グリザベルは鼻をすすりながら、服についた埃を払う。
「悪かったよ。からかいやすいからついな。この国でからかって楽しい奴の三本の指に入るから、しょうがねぇんだ」
「そんなものに入りたくないぞ……」
「一番はマックスだな。アイツほど期待通りの反応を見せてくれる奴はいねぇ。次にグンヴァだ。可もなく不可もなくってとこだ。で、グリザベル。やめ時を間違えると、ガキの癇癪が起きるからな」
「……子供じゃないもん」
グリザベルは拗ねたように俯いた。
「わかったわかった。で、ミランダとポテフィッシュがなんだってんだ」
「ミランダ・ヘッコニー、ポテフィッシュ・チップス。この二人がいたからこそ、球体に近い宝石にも魔力をこめることができるのだ。要はディアドレが生きている時代に、丸い宝石を使った魔宝石は不可能というわけだ」
変わり身早く、グリザベルは得意気な顔で言った。今まで涙をすすっていた鼻は、勝ち誇ったようにふふんと鳴っている。
それにいちいち触れていては今以上に話が進まないので、リットは皮肉を言うのをやめて話に戻った。
「この鏡は新しい時代のものってわけか?」
「それか、理を覆す――神の産物というやつだ」
「そりゃすげぇ」
聞き覚えのないリットが心なく適当に言った言葉を、グリザベルは嬉しそうに頭を揺らして同意した。
「そうであろう。わかるぞ、その気持ち。四大精霊にも使えぬ力。この鏡が神の産物ならば、我らは世界を変える力を手に入れたことになる」
「で、どうやって使うんだ」
「我が知るわけなかろう。そもそも、使い終わった魔宝石をあしらっただけの普通の鏡かも知れぬ。可能性としてはこっちのほうが高い」
「……関係ないことを、得意げに話した理由はなんだ」
「我の知識を誇示したかっただけだ」
満足気に腕を組むグリザベルの頬を、リットが無言で摘んで引っ張った。
「痛いぞ! 何をするのだ!」
「その話に、ディアドレかガルベラは絡んでくるのか?」
リットは頬をつまむ力を緩めて聞いた。
グリザベルは質問には答えず、羽虫を追うように視線を逸らした。
それを見てリットは、また頬を摘んで引っ張った。
「いひゃい、いひゃい! バニュウに似た話をした時は食いつきが良かったのだ。一度受けた話は、またしたくなるのが人間の性なのだぁ」
「どうせ関係ないことを語るなら、注いだもの全てを酒に変えるゴブレットの場所でも教えろってんだ」
「飲み続けないと命を落とすゴブレットのことか?」
リットの手から開放されたグリザベルは、頬をさすりながら言った。
「オレが聞いたのは全ての液体を酒に変えるって話だ」
「ウィッチーズカーズとは呼ばずとも、そういうものに制約はつきものだ。リットの言っているゴブレットは、全てを酒に変えるが、その酒を飲み続けなければ生きていけないほどの中毒になってしまう。と、言われておるものだ。他にも似たような話を聞いたことがあろう」
グリザベルの言うとおり、リットの言うゴブレットの他にも似た話はたくさんある。
聞いたものは一瞬で恋に陥ってしまうが、生涯子を成すことができなくなってしまう。ドン・ファニーが隠し持っていたとされる愛詩。
声が出なくなる代わりに、万物の声が聴こえるようになる宝貝。人魚曲を全て作曲したコーラル・シー・ライトが拾ったとされている。
己の命を燃やし、万象をも切り裂く伝説の剣。持つものに知恵や助言を与えるが、時に破滅へと向かう助言をする首など、四大精霊とは関係のない、魔法とは違う力があるものは伝説やお伽話としてある。
「そう言われてみれば……ディアドレが偶然創りだした幸福エネルギーってのは、遠い話でもねぇな」
「そうであろう! 我はまさにそれが言いたかったのだ! この鏡はディアドレが、人工的に創りだした神の産物かもしれぬと!」
「そういう希望的観測だろ」
「よいではないか……、少しくらい調子に乗っても。第一、いくら話を広げようにも、この部屋にはこの鏡しかないではないか」
グリザベルの言うとおり、研究所の一階には大きな鏡しかない。他に目立ったものはなかった。
それから二人は歩きづらい細い階段を上り、二階へと向かった。
二階は部屋というより、通路と呼ぶのが正しいと思うくらい狭い造りだった。二人並ぶと肩が狭苦しく触れるので、グリザベルが前に立ち、リットはその後ろに立っていた。
「ふむ、二階は一階と違い天井が高いな」
グリザベルはリットの肩に後頭部を乗せながら言う。そうまでして首を伸ばさないと、天井が見えないくらいの高さだった。
細い部屋の両端にはしごがあり、天井付近の窓まで続いている。
「ガルベラの研究室は、こっちだったみたいだな」
リットはグリザベルとは違い、部屋の上部ではなく下部を見ていた。
部屋の壁は全て本棚になっていて、血管のように割れた硝子管が張り巡らされている。その先は奇妙な形をしたフラスコや、蒸留器に繋がれていた。
部屋の中心には釜が置かれ、歩くのでさえ気を使うくらいにところ狭くなっている。
どれか一つでも均整を崩せば、全て崩れ落ちてきそうなくらいだ。
「調べようにも、我ら二人だと手狭すぎるな」
グリザベルはリットの肩から頭を上げ、どうしたものかと腕を組む。その動作でさえ、肘が壁の本棚に当たりそうになる。
「明日、ノーラとチルカでも連れてくるか」
「それがよいな」
「この狭さじゃ、メイドに掃除させるのは無理だな」
「明日もまた埃まみれか……。いくら手ではたいても埃が落ちぬ」
グリザベルは埃で色が変わった服に目をやってうなだれた。
「オマエが誇りを落としたのは一階でだろ。二階には落ちてねぇよ」
「ほんに口を開けば嫌味しか出てこぬな……」
リットとグリザベルは埃で汚れた足跡を、雪道に残しながら城へと戻った。




