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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第二十一話

 ムーン・ロード号がカモメの影のように小さく見える距離から、下手くそな砲手がそれを狙うかのようにボーン・ドレス号は何発も空砲の音を響かせた。

 その砲煙をくぐるように波をかき分けて、ボーン・ドレス号はムーン・ロード号の前に姿を現した。

 ムーン・ロード号に逃げられないようギリギリまで横につけると、ボーン・ドレス号の甲板から板が飛び出てきて橋が作られる。

 いつもは率先して威嚇しながらアリスが乗り込むのだが、今日はその姿はない。

 リットの姿もなかった。

 ムーン・ロード号の船員達が、次々乗り込んでくるイサリビィ海賊団に気を取られている間。ムーン・ロード号の船横から、ペタペタキュッポンとマヌケな音が静かに響いていた。

「まったく……重いぜ……。なんで……アタシがこんなことを……」

 アリスはムーン・ロード号の船横にへばりつき、船首を目指してゆっくり移動している。

「船横に張り付ける奴なんて、アリスしかいねぇだろ。オレには吸盤なんておもしれぇもんがついてねぇんだから」

 リットは瓶底を落とさないように大事に抱え、アリスの背中に抱きついていた。

「ナメた口を聞いてると、ここから海に落とすぜ」

「落とすのは品位だけにしとけ。もっとも、品位なんてもんは取り戻せねぇ奈落の底に落ちてるだろうけどよ」

「まさしくそれだぜ。品位を捨て、誇りを手に入れた。それが海賊ってもんだぜ」

 アリスは上機嫌に笑いを響かせた。

「褒めたわけじゃねぇんだけどな。叩けば埃が出るのが海賊だろ。まぁ、叩かなくても埃だらけか」

「相変わらず水を差す奴だぜ」アリスは「ケッ」と唾を飛ばすように短く息を切った。

「干からびなくていいだろ。いいから早く行けよ。龍の鱗を引っぺがすのに、どれだけ時間が掛かるかわかんねぇんだからよ」

「なんでアタシが、こんな下っ端にいいように使われてんだ……」

「気にするなよ。今に始まったことじゃねぇだろ」

 アリスが移動するスピードを早める。その無言の抗議でリットの体が大きく揺れた。

「酔うじゃねぇか……。揺らすなよ」

「リットが早く行けって言ったんだろ」

「ゆっくり、早く、丁寧にが基本だろ」

「いつか何十倍にもして仕返ししてやるぜ……」

「いつかって言ってる間は、そのいつかは一生こねぇよ」


 船首像の真下まで来ると、途端にアリスは顔を赤らめた。餌を求める魚のように口をパクパクさせている。

「なにを考えてこんな船首像にしたんだ!」

 ようやく言葉を吐き出すことができたアリスは、勢い良く船首像を指差した。

 アリスの指につられるようにリットも見上げると、下卑た笑い声を低く響かせた。

「作らせた奴も作った奴もド変態ってことはわかるな」

 布を被り、肩口を留め金でとめ、腰に紐を巻き固定し、女神らしい服装をしてているのだが、問題は下着まで作りこまれていることだ。それも尻の肉がはみ出て見えるほど際どい下着だった。

 余程腕が立つ職人か芸術家のどちらが作ったかはわからないが、しっかり細部まで彫り込まれていて、柄まで作りこまれていた。

「それにしても、アリスがオレに押し付けたパンツにそっくりだな」

「いいから、早く龍の鱗を取れってんだ!」

 アリスの触手に叩くように背中を押されて、リットは肩に担がれた。

 アリスに肩車されると、ちょうど船首像の目の前だ。船首像は瑠璃色の龍の鱗をしっかりと胸に抱いている。

 試しに片手を伸ばしてみるが、龍の鱗は石の腕にしっかり抱きかかえられているため、抜き取ることは出来なかった。

「ちょっと持っててくれ」と、リットはアリスに瓶底を渡して、両手を使って龍の鱗を取ろうとするが、作りこまれた服の皺の間にカチッと挟まっている。

「おい、まだかよ」

 アリスが苛立たしげに熱のこもった息を吐いた。

「まだまだだ。それより、オレの股下で喘ぐなよ。オレのが鈍器になって頭をぶったとしても、責任はとんねぇぞ」

「押し付けたらぶっ殺すからな!」

 アリスはリットのふくらはぎに噛み付きそうなほど大きく口を開けて叫んだ。

「相変わらず顔を真っ赤にして、純情な奴だな」

「はんっ! いつまでもアタシが免疫ないと思ってんじゃねぇぜ。そっちからアタシの顔は見えねぇだろ」

「太ももに顔の熱が伝わってきてんだよ。あんまり熱くなるとダシが出てくんぞ」

 涼しい海風が吹いて体が冷えるせいで、アリスから移ってくる体温は余計に熱く感じていた。

 いきなり後ろに倒れこむような浮遊感がリットを襲うと、今度は急に打ち上げられたかのような浮遊感が襲う。何が起こったかと考える間もなく、リットの額は勢い良く船首像に打ち付けられた。

 リットは言葉にならない悲鳴を上げると、アリスの肩の上で落ちないように器用にのたうち回った。

「足場が悪いから、他に気を取られてると危ないぜ」

 アリスは隠すことなく、ざまあみろと盛大に笑い声を響かせた。

「足場の頭が悪いから、こっちも頭を打っちまったじゃねぇか」

「もう一発いっとくか?」

「……次やったら、このまま小便漏らしてやるからな」

「おい!? やめろよ! んなことしたら、皆にそんなことバラすぜ!」

「バラせよ。糞じゃねぇから、海に飛び込めば証拠隠滅だ。まぁそっちは、オレに小便をひっかけられた事実は消えはしねぇけどな」

「ろくな死に方しねぇぜ……」

「ろくな生き方もしてねぇよ。それにしても外れねぇな……」

 石像の作り方から見るに、後から龍の鱗を上からはめ込んだようだが、決められた手順通りに動かさないと取れない仕組みらしい。

「めんどくせぇから、もう削れよ」

「そうだな。しゃあねぇ……バレないところを削るか」リットは一つ息を吐くと、女神像の目を見た。「今以上に乳が小さくなるけど、オレを恨むなよ。ついでにくびれも作ってやるからよ」

 リットはポケットから念の為に用意していた錆びたノミを取り出し、胸元に刃先を合わせるとノミの後ろを金槌で優しく打った。

 少しずつ削られる度に出る、削りクズがアリスの頭に落ちていく。

「おい……これは嫌がらせか?」

 アリスは頭の削りクズを払うと、低くい声で言った。

「仕方ねぇだろ。絹の服を脱がしてるわけじゃねぇんだから、石クズが落ちるのは当然のことだ」

「どっちにしろ、端から見るとマヌケってことだけは確かだぜ」

 アリスが笑おうと口を開けた瞬間、頭に鈍器で殴られたような衝撃と痛みが広がった。

「なんだこりゃ……」

「なんだこりゃじゃねぇぜ! さっき石像にぶつけたこと、まだ怒ってんのか。金槌で人を殴りやがって!」

「あん? そんなことしてねぇよ」

 そうリットが言った瞬間、女神像から石が剥がれ落ちてアリスの頭に当たった。

「テメェ!」と叫んだアリスの触手がリットの背中を叩いた。

「事故だ事故。仕方ねぇだろ。思った以上に力が入ったんだから。いいもん見せてやるから、上見てみろよ」

 納得のいっていない顔のままアリスが見上げると、龍の鱗と女神像の隙間から二つの乳房が目に入ってきた。糸に引っ張られたような上向きの形の良い乳房には、同じく形の良い乳首が付いていた。

 アリスが見るのと同時に、触手がリットの背中を叩いた。鞭で打ったような音が響く。

「なんてもんを見せやがる!」

「ただの乳じゃねぇか。アリスにもついてんだろ。石像の服を削ったら、なんで乳首まで出てくるかは疑問だけどな」リットは言うやいなや女神像の乳首を削り落とした。「これで子供にも見せられる石像になった」

 胸の服の部分と乳首を削り落としたことにより、女神像と龍の鱗の間に隙間ができた。溝に溜まった石クズを落として、龍の鱗をゆっくり左右に傾けながら引き上げると、少しずつだか龍の鱗が石像から離れていった。

 リットと石像の影から解放された龍の鱗を引き抜くと、お伽話に出てくる伝説の剣のように輝いた。

 龍の鱗を太陽に反射させ、その効果を確かめるとリットは満足気に頷いた。

「バッチリだ。ようやく手に入った。長かった……」

「キスして頬ずりするのは後にしろよ。こっちはいいかげん重たいんだ」

「わかったよ。ほら」

 リットは龍の鱗をアリスの触手に渡すと、股下から上げられた瓶の底を受け取った。

 瓶底を女神像の腕と胸の間に差し込むが、削ってしまったせいで少しの振動でカタカタ音を立てて揺れる。

「なんか間に挟むような物持ってねぇか?」とリットが聞くが、アリスは丸腰なので何もない。

「もう使わねぇこれでも挟むか」リットは手に持ったノミと金槌に目をやった。「……これ、胸の谷間に挟んだらセクハラになるか?」

「知らねぇよ! 石像に興奮してる暇があったら早く済ませろよ!」

 アリスが鼻息荒く吠えると、その反動でリットの体は揺さぶられた。落とすまいと、龍の鱗を持つ手に神経を集中していたせいで、テーブルに無理やり立たせようとした卵のように左右前後に大きく揺れる。

「危ねぇな。せっかく手に入れた龍の鱗を落としたらどうすんだよ」

「そん時は海の底に沈むのを手伝ってやるぜ」

 唾を吐き飛ばすように息を切ったアリスは、腕を上に伸ばしてリットの目の前に中指を立てて付き出した。

「鼻をほじるなら、せめて小指にしとけよ。中指なんて突っ込んでると、そのうちオークになるぞ」

「バカ! ほじるか! リットとアホな言い合いをしてるほどアタシは暇じゃねぇんだ。早く肩から降りろよ」

「海賊なんて暇で暇でしょうがない奴がなるようなもんだろ」

 リットは触手に支えられながら、アリスの肩から背中へと移動した。

「男に構ってるほど暇じゃねぇって言ってんだ!」

「構ってもらえるうちに構っとけよ。じゃねぇと、免疫ないまま悪い男に騙されて、そのうち酢漬けにされるぞ」

「アタシが出会った男で一番悪い男は、どう考えてもリットだぜ」

「そりゃ光栄だ。子供の頃に、なんでもいいから一番になれって言われたもんだ。それが叶ったな」

「……いっぺんぶん殴れば、その頭良くなるか?」

「これ以上は良くなんねぇよ」

 ボーン・ドレス号に戻るため、女神像の下に移動したところで、リットは「待て待て」と言いながら、アリスの首に腕を回して、抱きしめるように力を込めた。

「そういう止め方すんじゃねぇよ! アタシの息が止まんだろうが!」

 アリスは咳き込みながら怒鳴り散らした。

「気が早えよ。息を止めるのは、しわがれて天日干しにされてる何十年か後にとっとけよ」

「もういい……。なんだってんだよ!」

 アリスがヤケクソ気味に聞くと、リットはアリスの肩を叩き、その手を女神像に向けた。

 アリスの見上げる先には、女神像の彫刻された下着。

「アレ……削ったらどうなってるか気にならねぇか?」

 一瞬の間が空き、アリスは声にならない悲鳴を上げると、体中の血が一滴残らず集まったかのような真っ赤な顔でリットを睨みつけた。



「お帰りなさい。無事に龍の鱗を手に入れたみたいですね」

 ボーン・ドレス号に残り見張りをしていたイトウ・サンが、戻ってきたリットとアリスに声を掛けた。

「無事なもんかよ。見ろよこれ」

 リットは腕を差し出すように伸ばして、イトウ・サンに見せつけた。

 夏を終わらせる気のない太陽が、汗を掻いた体に狙いを定めたかのように照りつけている。

 暑さは太陽のせいだけではなく、リットの体のいたるところに、赤くなった丸い吸盤痕がついている。それが熱を持ってジンジンと痛んでいだ。

「この吸盤痕は……アリス副船長のですね。どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、離れたくねぇって顔真っ赤にして抱きつかれたんだよ」

「嘘を言うんじゃねぇよ! 顔を赤くしたんじゃなくてさせられたし、抱きついたんじゃなくて締めあげたんだ!」

 アリスはその辺にある樽や木箱に当たり散らしながら言った。触手に蹴り上げられた木箱は、重そうに空中に浮かび、すぐに甲板の上に落ちて壊れた。

 壊れた木箱からは宝石が広がる。リットとアリスがいない間に、イトウ・サンが取引を済ませたものだった。

「夕日にはまだ早えぞ」

 リットが赤くなったアリスの顔をからかうと、アリスは「付き合ってられるか」と吐き捨てて、ムーン・ロード号に向かった。

「そういや、取引をしねぇといけねぇんだよな。龍の鱗と瓶底を交換したしいいか」

「ちゃんとしないと、猫の島流しにされちゃいますよ」

 イトウ・サンがアリスに蹴散らされた宝石を拾いながら言う。

「イサリビィ海賊団の美学ってのはわかんねぇもんだ。欲しい物がある時はいいけどよ、面倒臭いことこの上ねぇな」

 リットも足元に落ちてるいくつかを拾って、イトウ・サンに渡した。しかし、イトウ・サンが宝石を受け取っても、リットは手を伸ばしたままだ。

「……なんですか?」

「拾ってやったんだから、手伝い料をくれ」

「お願いしたわけじゃないんですけど……、でも、厚意を無碍にするのも……。でもでも、ここで下手に出ちゃったら一生下っ端かも。でもでもでも……」

 イトウ・サンは長い自問自答の後、ため息を一つつき、「――あの、一つだけですよ」としぶしぶリットに宝石を渡した。

「悪いな、イトウさん。もう、手持ちがなんもなかったんだ。出世出来るように、忘れるまで祈っといてやるよ」

「――それ、絶対守ってくださいよ!」

 その声を背中に聞きながら、リットはムーン・ロード号に向かった。


 リットは手っ取り早く済ませようと、板橋を降りてすぐ目に入った者に声を掛けた。

「そこの少年。なんか持ってるだろ。出せよ」

 栗毛色の髪をした男の子がキョロキョロと視線をさまよわせた。背格好から見ると青年に近くも見えるが、顔にはまだあどけなさが残る。

「僕ですか?」

 少年は不安そうに自分で自分を指差した。

「そう、オドオドすんなよ。オレより二本も多く地に足が着いてんだからよ」

 この少年が目に止まった理由は、数多く居る船員の中で唯一のケンタウロスだったからだ。

 歳は確実にリットより下だと思われるが、視線の位置は同じだった。

「あの……でも、僕、持ってると言っても、ハンカチしか……。無理言って乗せてもらった見習いですし……」

「ちょうどいい。ランプの煤拭きが欲しかったとこだ。港についたらこれで菓子でも買え」

 リットは少年からハンカチを奪い取ると、代わりに宝石を渡した。

 少年はハンカチが取られるのを黙って見ていたが、手のひらに宝石が乗ると目を大きく開いた。

「あの……!」

「わりいけど、苦情は受け付けねぇぞ。形見だってんなら考えてやるけどよ」

「違います。高価な宝石なんて受け取れません。母になんて言われるか」

 少年はオドオドではなく、ハッキリと言った。

「自分のことは自分で決めろよ。いくつだ?」

「十二になったばかりです」

「なら、そろそろ親に秘密を持っていい年頃だ。じゃあな」

 そう言ってリットが身を翻し、ボーン・ドレス号に戻ろうとしたところで少年が腕を掴んだ。

「ダメです! こういうところはしっかりしないと、ろくな大人になれないと、母が言ってました」

 リットは思いもよらない少年の力に驚いた。腕の力というよりも、脚の力だ。四脚で踏ん張られると、一歩も動けそうになかった。リットはボーン・ドレス号に戻るのは一度諦めて、少年に向き直った。

「母、母ってオマエの言葉はねぇのか」

「見ず知らずの人に、物を貰ってはいけないと教わりました」

「聞いちゃいねぇ……。やったわけじゃねぇ、取引だ。オマエは布の代わりに宝石を手に入れる。オレは宝石の代わりに布を手に入れる。わかったか?」

「布と宝石では価値が吊り合わないと言っているんです」

「物の適正価格なんてのは、その時その時で変わんだよ。砂漠と森にある国じゃ、価格は等しく同じか?」

「いえ……違います」

「そうだろ。ここは海の上だ。海の上じゃ布は作れねぇ。でも、布は帆を直したりするのにも使う。ここでは布が宝石と同価値でもおかしくねぇんだ」

「なるほど」

「覚えとけ。じゃねぇと、酒場でぼったくられるぞ。二言目には「この辺りじゃとれないから高いんですよ」だ。酒ならともかく、ツマミでぼったくられてたまるかってんだ」

「はぁ……」と、少年が困った相槌を打ったところで、リットは再び身を翻した。

「あと、もう一つ。海賊に気安く突っかかってくんな。あっちの女に突っかかってたら、喉元に短剣を突きつけられるぞ。悩み抱えてストレス溜まってんだ、アイツは」

 リットは親指で控えめにセイリンを指したが、セイリンにはしっかり気付かれていた。

「聞こえてるぞ、リット。余計なお世話だ」

 セイリンは遠くからでもわかるほど、リットに睨みを利かせた。

「な? 怖えだろ。――それじゃ、もう納得しなくても納得しろよ。」

「いえ、興味深い話。ありがとうございました」

 リットは進みかけていた足を止めて振り返る。

「あのなぁ……いちいち足を止めさせるような気の抜けたことを言うなよ。海賊に襲われてありがとうはねぇだろ」

「お礼は大事と母に教わりました」

「オレも……まだ母親の乳の味が口の中に残ってるようなガキに、なにをいちいち突っかかってんだか……」

 リットが離れると、少年にすぐに船員が駆け寄っていった。

 そして、リットにもエミリアが駆け寄った。

「なにをしていた」

 エミリアはリットの耳に唇を近づけると、強い口調だが静かに言った。

「なにって取引だろ」

「そうではない。ずっと狙われていたぞ」

「誰にだよ」

「おそらく、船員に混じったディアナ国の兵だ。最初は私も気付かなかったが、リットがあの少年に近付いた時から警戒の視線が強くなった。いつ斬られてもおかしくないような状況だったんだぞ」

「おどろいたな……この船はショタコンの船か」

「なにを呑気なことを言っている……。こっちは、いつなにか起こるかもしれないと、気が気じゃなかったんだぞ」

「なら、良かっただろ。なにも起こんなかったんだから。オレは無事だ。喜べ。ほら」

 リットは抱きついて喜べとでも言いたげに両手を広げるが、エミリアは難しい顔でため息をつくだけだった。

「こっちは、雨雫が眠れる獅子の顔に落ちるのを見守っていたような気持ちでいたんだぞ」

「いい言葉だ。詩人にでもなれよ」

「まったく……。――それで、龍の鱗はどうしたんだ?」

「バッチリだ。後で見せてやるよ」

 リットはエミリアと話しながら歩き出した。

 ムーン・ロード号から少年がリットの背中に向かって無邪気に手を振るが、それにリットが気付くことはなかった。






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