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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第十九話

「さて、どうするか」

 リットは卓袱台に頬杖をつき、眠たそうな瞳で開けられたドアの向こうを眺めていた。

 夏の名残りの気温に、ふとした瞬間に混ざる秋の風が心地良く吹き、何日も貯めこんだ疲れが取れたかのように白くなった洗濯物が海風にはためいている。

「どうするもなにも、好きな物と取引すればいい。龍の鱗が手に入ったら、要らないものだらけだろう」

 セイリンが厚切りの大根の漬物をつまみながら言った。好きな酒に合うらしく、漬物を噛みちぎるポリポリとした咀嚼音がずっと響いている。

「取引つったってな。船首像は国旗と同じようなシンボルだろ。それを取って目を付けられたくねぇからな。それに欲しいのは龍の鱗で、船首像は邪魔だ」

「腕を壊しちゃえば、胸に抱いてる龍の鱗だけとれますよォ」

 ノーラの言うとおり、龍の鱗を支えている石像部分を壊せばいいのだが、行きと帰りに襲われるだけでも不快感を煽るというのに、船首像を壊せばより反感を買うことは目に見えている。その場で壊さなくても船首像を持って帰る姿を見られれば同じことだ。

 リットは反感を買うのはかまわないが、顔だけは覚えられたくはなかった。

「一応女神を象ってんだろ。それをぶっ壊して持っていくのもなぁ……。呪われたくねぇし」

「旦那も呪いとか怖いんスねェ。ヨルムウトルの影響っスかァ?」

 口を三日月のようにして、ノーラがからかいの笑みを浮かべる。

「女神だぞ。呪いじゃなくても、女の怨念と男の執念は怖えよ」

 リットはそう言うと、倒れこむように畳に背中を付けて寝転がった。

 崩れ落ちてきそうな梁を見上げながら、家の外でアキナが洗濯物を取り入れている音に耳を澄ます。

 『ムーン・ロード号』。僅かな月明かりを龍の鱗に反射させて、海面に船の行く先を光の道で照らす。まさに名前通りの船だ。

 そのムーン・ロード号は今回の処女航海でのことを学び、次からの航海には被害を最小限に留めるために何らかの策を練ってくるだろう。国の発展と市民の為には金を惜しまない。ディアナ国はそういう国だとリットは知っていた。

 リットは突然起き上がり頭を抱えると、肺の中の空気を全て吐ききるように深いため息を付いた。

「ため息を付きたくなる気持ちはわかるぞ。どうにか話し合いで譲ってもらえればいいのだが」

 エミリアは考えすぎるなと言った風にリットの肩に手を置く。

「そういうことじゃねぇんだよ。海で会ったブヒヒを覚えてるか?」

「あぁ、リットの友人のオークだろう」

「童貞臭い奴が尻軽女と一緒に処女航海ってのは、どう考えてもからかうべきだったよな。やっちまった……」

「からかわなかったのか? それは礼儀知らずだな。目の前に酒があるのに飲まないようなものだ」

 同意したのはセイリンだ。エミリアは無言のまま冷えきった瞳でリットを睨んでいる。

「そう睨むなよ。もっとゲスいジョークもあるぞ。船に乗る女は皆アバズレだってな」

 オチを知っているセイリンは、さもおかしそうにゲラゲラと笑ったが、ピタッと笑いを止めた。

 リットも「船の底はいつも――」と続けようとしたが、空気を察し、急に言葉を止めた。

「……ゲスいジョークは酒場のおっさん達と盛り上がることにするか」

「それが懸命だな」

 エミリアはようやく殺気立った狼のような瞳を和らげた。

「ジョークの一つも言えやしねぇ。アリスの方がいい反応するな……」

「そのアリスが癇癪を起こしそうだ。そろそろどうするかだけでも決めてもらわないとな」

 ボーン・ドレス号は、リット達を乗せて帰るためにシッポウ村海岸付近に停船したままになっている。

 人魚達は海を泳いだり、音楽に興じたり、暇をつぶしていたが、一つの場所にじっとしていられない性格のアリスには苦痛にも似た長い時間だった。

 酒も食料もシッポウ村から手に入るとはいえ、退屈がつきまとう。休養として過ごすのも限界に達していた。

「空砲でも撃って暇つぶしさせとけよ」

「撃ったら村から拍手が起こって、それが気に障ったそうだ。まぁ、私も船を出すのには賛成しかねるがな。今船を出して隠れ家に帰っても、ムーン・ロード号の出港に合わせて、またすぐに船を出すことになる」

「なら、ボロ家でゆっくり休むか。なにをするにしたって龍の鱗を頂戴することには決まってんだしな。ムーン・ロード号が出港しないことには動きようがねぇ。――おい、パッチ。一人で塩漬けを食ってんじゃねぇよ」

 リットはコップに酒を注ぐと、パッチワークの目の前にある皿を自分の前に引き寄せた。

「誰も食べないからニャーが食べているだけだニャ。だいたいお兄さんは内臓の塩漬けは臭くて苦手だって言ってたニャ」

「何年前のこと言ってんだ。数年ありゃ食い物の好みなんて変わるに決まってんだろ」

「ドゥゴングの時だから、数ヶ月前の話だニャ」

「もう、数ヶ月前か……。エミリアの最初の依頼を受けてから、やけに遠出が増えたな。リゼーネに行き、次はヨルムウトルへ、今度はドゥゴングから東の国。自分の家になんてほとんどいねぇ。これでまったく金が入らないのが冒険者ってもんだな」

「それ……拙者に言ってるでござるか?」

 コジュウロウはふてくされたように口を尖らせる。

「いいや、アキナに言った」

 リットは覆いかぶさるように出来た翼の影を感じると、背後に手を伸ばして畳まれた洗濯物を受け取った。

 リットの汚れに汚れていた洗濯物は、アキナの翼と同じくらい白くなっていた。

「私はもう諦めてますから」

 刺々しい言葉とは反対に、アキナは柔らかな笑顔を浮かべる。

「もうしばらくの辛抱だ。コジュウロウがただの置物になる日もそう遠くねぇ」

 アキナは「そうですね」と、今度は鈴を転がすような声を出して笑った。

「そういえば、カラクサ村でも見かけなかったし、この村にもコジュウロウの家族以外にハーピィはいねぇな」

「ある程度大人になると、好みの男性を探しに飛んで行っちゃうんですよ。子供が飛んでいった夫婦も、今まで子育てに使っていた空いた時間を埋めるために長期旅行に出掛けます。旅行先で盛り上がって子供がまた出来ちゃって、帰って来ないことの方が多いんですよ」

「そりゃまたお盛んな種族だな」

「そんな言い方嫌ですよ」

 アキナは恥ずかしそうに口元を押さえているが、目は変わらずにニコニコと笑っている。

「それでエミリア、親父には話を通したのか?」

 ハーピィの抜け羽は高級品であり、アキナ達の抜け羽をエミリアの父親が買い取ることになっていた。

「あぁ、ハスキーに一度リゼーネに戻ってもらった時に、そのことも頼んでおいた」

 エミリアがハスキーに目を向けると、ハスキーは首が落ちたのではないかと思うほど力強く頷いた。

「早ければ冬。遅くても来年の夏までには商談に来るとのことです! そう、エミリア様のお父上様からしっかり言付けを預かっています!」

 ハスキーの大声の終わり、わずかな静寂の隙間にセイリンがククッと喉を鳴らして笑った。

「あの……なにかおかしかったでしょうか?」

 ハスキーが不安げにセイリンに聞いた。

「いや……確かにお乳は上だと思ってな」

「そんじゃ、知り合いは下だな」

 リットとセイリンはイタズラが成功した子供のように、やってやったと手のひらを合わせてパチンと乾いた音を響かせた。

「それじゃ、お仲間は中だニャ」

 パッチワークが言うと、今度は三人で手のひらをそれぞれ叩き合った。

 その様子を見たハスキーは目を丸くして驚くばかりで、尻尾をだらんとさせたまま固まっている。

 無論エミリアも、わけがわからないと言った風に口を挟まずにいた。

「見ろ、この反応のなさを。堅物娘と番犬にはユーモアってもんがねぇ」

「私が悪く言われる理由がわからないぞ……」

 陳腐な呪文を聞いたかのようにエミリアの表情は曇っている。

「前も言っただろ。息の抜き方の問題だ。美味い酒、気の利いた会話に、適度なボディータッチ」

「ボディータッチ?」

「あぁ、違う違う。これはローレンが得意げに話してる口説き方だった……。要はたまにはバカをやれってこった。羽目の外し方を知らねぇと、あっという間に歳を取って、肩がカチカチに凝っちまうぞ」

「肩の力を抜けというのはわかるが……、意識するとかえって難しいものだ」

 エミリアは強張った表情で、ストレッチをするように肩を上げたり下ろしたりを繰り返す。

「普通は難しいもんだ。――でもな、ある時ふとコツを見つける」

「結局そういう流れか……」

 エミリアはリットの次の言葉が手に取るようにわかったので、苦い顔で呆れてみせた。

「そう、そういう流れだ」

 リットは空瓶の底を見て、中身がなくなったのを確認すると、寝起きのような低い唸り声を上げて大げさにゆっくり立ち上がった。

「ちゃんと、夕食までには帰って来るんだぞ」

「……オレはガキか」

「最近は変わらないものだと思っている」

「じゃあ、母ちゃん。外で遊んでくるから金くれよ」

 リットが手を差し出すと、エミリアがお金を置いた。

「今回の報酬もあるから問題ないが、無駄遣いはよくないぞ」

「肩の力を抜きに行くんだから無駄じゃねぇよ」

 リットはお金を握り締めると家を出て行った。



「よう、土産だ。代わりに酒をくれ」

 リットはドアを開けるなり、来る途中に買った魚の干物をテンコに投げ渡した。

「野卑た挨拶じゃ。それにこれはこの村で売ってるものじゃぞ」

「寂しい婆さんの相手をしに来たのに、随分言うじゃねぇか。よかっただろ、買い物の手間が省けて」リットはテンコの店の奥までズカズカと入り込むと、大陸のウイスキーを手に取った。「ついてきたんだから飲むんだろ?」

 リットはお猪口を二つ取り、一つを入り口に突っ立ているセイリンに投げて渡した。

 お猪口を受け取った後も、セイリンは物珍しそうにテンコの店の中を見回している。

 海にいては一生見ることがないような独特な内装とニオイ。個性的なテンコの店に、なにか感じるものがあるのだろう。

「半人半魚かえ」

 杖を突き、尾びれを引きずりながらゆっくり部屋の奥へと歩いてくるセイリンを見たテンコが、興味深げに妖しい笑みを浮かべる。

「半人半魚じゃ、ただの人魚。人魚なのは片足だけだ」

 セイリンはようやく店内ではなく、テンコに目を向けた。そして値踏みするように足先から頭のてっぺんまで瞳に映す。

「珍妙な体をしておるのう」

「何言ってやがる。人型の獣人だって、珍妙だろ。耳と尻尾だけ都合よく生えてきやがって」

 リットは重そうに編み込まれた髪から飛び出る白いキツネ耳と、着物の裾からツクシのように飛び出し主張する四本の尻尾を見た。

「妾は獣人族ではなく妖怪族じゃと言ったろう。それに、尾も耳も妾の美を象徴するわずかばかりの一部にしか過ぎぬ。例え妾に尾も耳もなかろうが、人を惹きつける容姿を持っていることに変わりはせぬ」

「そういうこっちゃねぇんだけどな。まぁ、酔ってる時が一番楽しいもんだ。それが酒でも自分でもな」

「ここはどういう店なんだ……。酒場には見えないが」

 セイリンはお猪口に酒を注ぎながら言った。

「薬屋だとよ。酒も乳も出してる景気のいい店だ」

 テンコはわざと着物の胸元をはだけさせたまま、胸を張るようにして脇息に肘を置いている。

「して、何用じゃ?」

「見てわかんだろ。東の国の酒に飽きたから、大陸の酒をせがみに来てんだよ」

「うちの隠れ家に負けるが、なかなかの酒が揃っているな」

 セイリンは酒瓶を見ながら言った。ラベルには『D・グイット』と書かれている。

「オレは、本当はもっと安酒の方が飲みやすくていいんだけどな」

「心の余裕無き者には、高い酒は口に合わんか」

「なに、余裕がありすぎて隙間風が吹いてるってもんだ」リットが酒を飲みながら次に何を飲もうかと物色していると、ノーラの背丈ほどある大きな空瓶が目に入った。「これも酒が入ってたか?」

「それは、海岸に流れ着いていたのを拾ったもの。何かに使えるかと洗っては見たが、妾には無用の品だったようじゃ」

「そういや、古道具が好きって言ってたな、そのなりでも婆さんだから、仲間意識でも感じるのか」

 お猪口でチビチビ酒を飲むのが焦れったくなったリットは、瓶口に直接口をつけて飲み始めた。

「女に歳のことを言うとは……ほんに不躾な男よ」

「歳同様に老けるのがいい女っつーんだよ」

「いかにも人間らしい考え。妾には理解できぬ。美も良き女も若さ故のこと、老婆の美とは意味が違ってくるぞえ」

「いい女と美人。それは必ずしも比例しねぇもんだ。そんなことより、この瓶もらっていくぞ」

 リットは部屋の隅にある大瓶を引きずり出しながら言った。埃が被り気味ではあるが、中がベタついていたりはしない。テンコの言うとおりしっかりと洗ってあった。

「かまわんぞえ。処分する手間が省けるからの」

 執着心がないのか、テンコは条件をつけることもなく簡単に大瓶を手放した。

「中身の入ってない酒瓶なんてどうするんだ?」

 セイリンがすっかり酒臭くなった息を吐きながら言った。

「ほれ見ろ」リットは瓶底をセイリンに向けた。「ちょうど顔くらいの大きさだ。瓶底を切り取って、船首像についてる龍の鱗と取り替える。代わりのもんがついてりゃ、龍の鱗がなくなったのを気付かれるまでの時間を稼げるだろ」

「また、面倒くさいことをするな。そうまでして隠したいことでもあるのか?」

「――あの国には面倒くせえ奴がいんだよ」







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