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ランプ売りの青年  作者: ふん
妖精の白ユリ編

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第十一話

 リゼーネ王国が建国されたばかりの頃。まだ周辺は開拓されていなく、樹木が鬱蒼と茂っており、深い森を広げていた。

 真昼でも陽の光は届かず、足元はぬかるみにはまり込み、一歩一歩ごと踏み出す度に、付き纏う粘着の強い泥によって体力が奪われていく。

 苔むす大木が迷路のように立ち並び、同じ所をぐるぐると回っているような錯覚を引き起こす迷いの森と化していた。

 ほんの少し散歩をするつもりだった若い男が、その森の中で迷い込んでしまった。既に何日彷徨ったかも分からず、肌に感じる風の温度だけで朝と夜を確かめるしかない。

 服は汗で汚れていたが、靴と同じように服も泥だらけになってしまうと、その場に身を投げ出したくなってしまいそうなので、倒れた大木の上に座って軽い仮眠を取ることしかしなかった。「明日こそは――」という希望の言葉もいつしか頭の中に浮かばなくなり、代わりに「もしかしたらこのまま――」という絶望の言葉が漂い始める。

 食料も尽き、体力的にも精神的にも疲労していた彼は、とうとう一本の木を背に地面に腰を下ろすことになった。伸ばした足は力が入らず、糸の切れた人形のように投げ出された。羽のように足が軽く感じられたのも一瞬で、すぐに冷たい地面に体温を奪われ、鉛になったように重く感じ出す。

 うつろな目を閉じれば、幸せな夢が待っていた。温かい布団に柔らかいベッド。出来立てのレンズ豆のスープの匂いは、朝を知らせる合図だ。「豆というものは昔からの人間の重要な栄養源であり、痩せ地であるこの土地でも育つ大事なものだ。だから、一日の始まりに感謝を込めて食べなさい」と口を酸っぱく言われたことを思い出す。

 温かい思い出は、冷たい風によって現実に引き戻された。目を覚ましても相変わらずの薄暗い森の中で、男が夢と現実の格差に打ちひしがれていると、耳をくすぐるようなコソコソとした内緒話が聞こえてきた。

「――やっと見つけた――だもの」

「――太陽の――この花が――」

「そうね――あの枝が邪魔ね――でも人間が――」

「死にかけだから問題ないわ――それより――」

 童女の様な声の持ち主は二人いるらしい。なにやら相談事をしているようだが、男は目を開ける気力もなかった。幻聴でも聞こえているのだろうと、歯牙にも掛けなかったが、突如男の瞼に光が刺さる。その眩しさは、最後の力を振り絞るわけでもなく、自然に目を開けることが出来た。

 しかし、身体は動かない。視線だけを向けると、一筋の光が大地に落ちているのが見えた。

 すると不思議なことに、泥は乾き、緑々とした草が生え出した。その中心に真っ白な花がある。花の中から、大きなあくびが聞こえてきた。

「やっと起きたわね」

「もう! 探すの大変だったんだから」

 その花の周りを二つの光が飛び回り文句を言っている。花の中の住人は、もう一度小さくあくびをすると「もう朝?」と一言だけ言った。

「昼よ! 昼! それもあなたが寝てから半年後の昼!」

「お寝坊にも程があるわよ。行くわよ」

「待ってよ~」

 寝起きであろう者は、大きく揺れながら二つの光を追いかけていった。

 やがて、飛び回る光も消え。男一人に戻った。白昼夢を見たにしてはあまりに生々し過ぎる。

 男は額に手を当てて汗を拭う。その動作で身体が動くことに気付いた男は、一部だけ新しい緑が生えている場所に駆け寄った。

 大地を照らす空からの光も消えていたが、白い花は未だに光っていた。思わずその花に手を伸ばし摘み取ると、まじまじと眺めた。

 白いユリの花は、花柱から光を放っていた。それが花冠に反射して光を散らしている。

 死ぬ前に良い物が見れたと、男はその花を持ちながら、先程までいた木の下まで歩いて行く。

 一歩踏み出すと、泥ではなく大地を踏みしめる感触があった。二歩目も変わらず大地を踏む固い感触。三歩、四歩目と歩いたところで、ようやく足元に視線を向ける。

 真新しい伸びた草が、靴の泥を擦っている。振り返ると、男が歩いてきた箇所にだけ緑の道が出来ていた。心なしか白いユリの光も大きくなっているようだ。その証拠に、今まで見えなかった遠くの木も見える。

 花の光は、男の心にもう一度火を灯し。再び歩く気力を湧かせた。不安はなく、歩を進める度に帰り道を歩いている自信があった。

 やがて、聞き慣れた人物の声が耳に入ると、自信が確信に変わった。男の世話役の執事が大声を上げて彼を探しているところだった。

 男は大きく手を振って執事の元に駆け寄った。

 それにすぐ気付いた執事は、泥だらけの男の体を気にすることなく抱きしめた。

「こんなに泥だらけになって。どれだけ探したことかっ!」

「すまない。心配をかけた」

 自分の靴以上にボロボロになった靴を見ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙が溢れてしまった。執事も同じく涙を流して無事を喜んだ。

 二人はひととおり泣くと、近くに停めていた馬車に乗り込み、リゼーネ王国へと向かった。

 馬が走りだした頃、執事は男が握りしめていた白いユリに気付いた。

「その花はどうしたのですか?」

「この花かい? 実は――」

 男は城に帰るまでの間、執事に先ほどまでの夢物語のような出来事を話した。



「その青年こそが、後にこの国を大きく発展させるリゼーネ二世だったのです。リゼーネ二世が助かる要因になったユリを、妖精の白ユリと呼ぶようになり――」

 眼鏡を掛けた美術館の説明員の獣人の男は、狐耳をピクピクさせながら、厳重に警備されたランプの傍らに立って説明を続けている。その前にはロープが張られ、両サイドには武装をした兵士が立哨して、白ユリを象った吊りランプを守っていた。

 火屋は一つの球体ではなく、幾つも半球体のようなガラスを繋ぎ合わせて花冠を表現しており、ガラスを磨って白く見せている。磨りガラス越しの火は、ぼんやりと光り、あたかもそこに妖精が居るように見えた。

「妖精って聞くとなんかワクワクするっスね」

「そうか?」

 リットはあくびを一つ挟んで、ノーラに答えた。

「相変わらず旦那は夢がないんだから。あとしっかり寝ないと」

「オレは子供じゃねぇんだから、人の睡眠時間に口出さなくても大丈夫だ。つーか、ドワーフだって一部の地域じゃ妖精扱いだろ?」

「そんな閉鎖的な地域で暮らす、人間の民間伝承を持ちださないでくださいなァ。他の種族を見ないもんで、人間以外は皆、化け物か妖精扱いされるってあんまりっスよ」

 リットとノーラの二人は、昨日の晩餐会の時にポーチエッドが話していた美術館に来ていた。

「化け物にカテゴライズされないだけいいじゃねぇか」

「まぁ、確かに。獣人とかは迫害されてるって話ですしねェ。それにしても、ユリに見えないっすねェ……あれ」

「ススが付かないために工夫したんだろうけど、蓮の花にしか見えないよな」

 本来ユリは横向きに花を咲かせるが、このランプのユリは真上を向いていた。

「旦那だったら、どう作りますかァ?」

「そうだな……。すぐにススで汚れないように、火種は小さくして火屋を増やすかな。なにも一輪にこだわる必要はないからな。小さい火種の明かりの不十分は、数で補うってのが普通だな」

 リットは天井を見上げ、展示されているランプよりも高そうな装飾が施されたシャンデリアを見ながら言った。

「また、シャンデリアの依頼が入ればウハウハなんすけどねェ」

「ありゃ、小金持ちが見栄張った、シャンデリア風の吊りランプだろ」

 リットは昔の依頼を思い出す。ガラス球や、宝石で装飾したランプは、お世辞にも趣味が良いとはいえなかったが、依頼がそういうランプを作って欲しいということだったので仕方なかった。せめてものこだわりに、アレキサンドライトという高価な宝石を使ったところ、依頼人の女性はあまりの値段の高さに激怒していたが、日光と燃焼光下で色が変わる珍しい宝石で人に自慢が出来ると説明すると、大変満足した表情を浮かべて買い取っていった。

 リットに取ってこの依頼は、“良い物をより安く”ではなく、“良い物をいかに高く売るか”という商売を学べた依頼だった。

 同時に、依頼人が喜んだのは珍しい宝石であり、ランプ作り自体を褒められたわけではないことを思い出して、リットは苦笑いを浮べた。

「どっちでもいいじゃないっスか。懐が潤うには変わりないんスから」

 リットの心情を知ってか知らずか、ノーラはあっけらかんとした様子で言った。リットも自分らしくないと思い、ぶっきらぼうに返す。

「よかねぇよ。ちりばめる為の宝石は、ローレンのとこで仕入れなくちゃいけなくなるからな」

「しょーもないことで仲違いしてェ。後で後悔しても知りませんよォ」

 リットとノーラが無駄話をしていると、説明員の話が終わりにさしかかる。

「リゼーネ二世は、他に迷う者がいなくなることを願って、森に太陽の光が射しこむように、余計な木を切り倒して国を広げていったのです。リゼーネ二世の努力も実り、今では鬱蒼とした迷いの森の半分は、花々が咲き乱れる光の森と呼ばれるようになりました。」



 リットとノーラの二人は、建国の歴史の話を聞き終えると、館内を見回すこと無く広場近くの花屋にまで来ていた。

「妖精の白ユリってのはあるか?」

 リットは屋台で花を売る、頭に赤いバンダナを巻いた女性に話しかけた。

「はい、ありますよ。美術館の展示を見てきたんですか?」

「見てきたというか、聞かされてきたというか……。オッサンってのは話し好きなんだろうな」

 渋い顔を浮かべて言ったリットを見て、売り子の女性はクスクスと笑った。

「あの美術館の説明員のオジサンは、普段はお城で研究者として働いてますからね。調べたことをあれこれ喋りたくてウズウズしてるんですよ。耳がピクピク動いていませんでしたか?」

「そういや動いてたな」

「耳がピクピク動いているのは、話し足りない時に出る癖なんですよ。今頃、館内で他の展示品を見てる人は、説明員のオジサンに捕まって無駄話に付き合わされていますよ」

「そりゃ、早々にはけてきて正解だったな。それにしても結構高いもんだ」

 屋台のプレートを見ると妖精の白ユリは、バラやブーケと同じくらいの値段で書かれていた。

「普段はもっと安いんですけどね。白ユリのランプが展示されるこの時期は、観光客狙いで高くなりますから。でも、お土産にって結構買っていく人が多いんですよ。この植木鉢に植えられたのとかですと、枯れにくいですし」

「まぁ、高く売るのはわかるよ。オレも商売人だしな」

「そうだったんですか。あなたはなに屋さんなんですか? 見たところ同じ花屋さんには見えないですし、料理を作りそうにも見えませんね~」

 売り子の女性は、リットの言葉に倍以上の言葉を返してくるので、リットは少し耳が疲れたといった風に耳の裏を掻きながら言った。

「ランプ屋だ」

「あら、それなら是非この白ユリを買っていくべきですよ。光る花なんてランプにピッタリでしょ?」

「ほう。すると、この花も光るのか?」

 光るという一言に、リットは興味を示した。

「妖精さんがお昼寝すればですけどね。ほら、この妖精の白ユリは、他のユリよりも花柱が長いでしょ? 寝ている妖精が落ちないように発達したと言われているんですよ」

 妖精の白ユリと普通のユリの二つを持って、売り子の女性は説明を始める。

 その話も気になるが、リットにはもっと気になることがあった。売り子の女性のバンダナの下で、なにかがピクピクと動いているのを見たからだ。

 美術館帰りに食事を取るとなると、この広場を通って北側の屋台通りに出る必要がある。美術館で、説明員の話を聞いた後だと、妖精の白ユリに興味が出るのは当然だろう。そして、うまい具合に位置したところに、話し好きの花屋があった。

「親の癖は、しっかり子が引き継いでるってわけか」

「あらら……わかっちゃいましたか」

 そう言って、売り子の女性がバンダナを取ると、狐耳がピクピクと動いていた。

「やたら言葉数が多かったしな」

「獣人というものは元来好戦家なんですけど、こうやって街で暮らすようになってからは、戦うわけにはいかなくなったので、代わりの捌け口がお喋りになったと思うんですよ。お友達に獣人とかいませんか? きっとお喋り好きだと思いますよ」

 リットはすぐにポーチエッドの顔を思い浮かべた。昨日からずっと長話を聞かされていただけに信憑性は高かった。そうなると、この女性も今以上に長話に発展していく可能性がある。

「まぁ、興味はあるし買っていくよ」

 リットはそう言って、植木鉢に植えられた方の白ユリを買うと、少し早歩きでその場から去っていった。

 本当はこの後も街の中をうろついて情報を集める予定だったが、植木鉢を持ったままで歩き回るわけにもいかず、エミリアの屋敷に一旦戻っていた。

 丁度玄関から屋敷に入ったところで、ライラに話しかけられる。

「あら、リット様。ピクシーにお会いしたら、お教え願いますね」

「悪いけど、虫取りするほど暇じゃないんでな」

「でも、これと同じユリの花でしょう?」

 そう言ってライラが手に持った花瓶を見せると、同じ白ユリが生けられていた。

 ポーチエッドと庭で酒を飲んでいる時に、ライラに白ユリを見せられたことをリットは思い出した。

「……もしかして、庭に植えられているのって、妖精の白ユリか?」

「そうですよ。昨日お話したと思っていたのですけど、お忘れになったのですか? 高かったでしょう。一言仰って頂ければ、好きなだけ差し上げましたのに」

「まぁ……。花屋と庭に植えられたものじゃ、違うかもしれないからいいか」

「同じですわ。多分ですけど狐耳の女性が経営していらっしゃる花屋でお買いになったのでしょう? あのお方は、商売上手ですから。屋敷の花もその花屋から仕入れて植えていますのよ」

 そう言うとライラは「お水を入れ替えなければならないので」と一言残して、歩いて行った。

 無駄にした金額分の重さが増した鉢植えを持って頭を垂れるリットに、昨日から充分休みを取って、ご飯も食べて、元気いっぱいのノーラが背中をポンポンっと叩きながら言った。

「旦那ァ……。しっかり身体を休めないから、そういうポカをするんですぜェ」






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