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ランプ売りの青年  作者: ふん
東の国の灯台編(下)

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第三話

 イサリビィ海賊団の隠れ家がある孤島は、朝も昼も夜も賑やかである。

 楽園。憩いの場。その両方を兼ね備えたこの場所では、船の上以上に海賊達が自由に生活している。

 ある者は目的もなく入江に浮かび、またある者は一心不乱に貝塚を作る。

 少女のように無邪気な歌声を響かせたり、イサリビィ海賊団形式で取引した物の自慢大会をする者など、過ごし方は様々だ。

 皆が心身ともに休めている中、ただ一人体を酷使している者がいた。

 入江の端から端を延々泳いだり、砂浜に深く踏み込みの跡を作る。時には絶壁に手を掛けて登り、登り切るとその様子を見ていたものから歓声と拍手が響いた。

 そして、緑が蔓延る一段目の絶壁の頂上を駆け足で半周すると、絶壁から海の中へと飛びこんだ。

 生物を飲み込んだ水は幾重にも波紋を広げ、その下から尾びれのように見える金色の髪が泳ぎだした。

 青く透明な不思議な水の色の中で泳ぐと、誰でも人魚のように見える。

 今度はゆっくり砂浜まで泳いでくると、シャツの裾を絞りながら「鍛錬にはもってこいの場所だな」と爽やかに言い切った。

 エミリアの濡れた金色の髪は、いつも以上に太陽の光で輝いていた。

「青い空に、青い海、火照った体を冷ます潮風、それに酒もある。どう考えても、ここは体を休める場所だ」

「体を動かしていないと、やっていられない」

 エミリアは首筋に纏わりつく濡れそぼった髪を搔き上げる。金色の髪から滴り落ちるしずくは、溶けたバターのように見えた。

「あと四日。毎日そうしてるつもりか?」

 イサリビィ海賊団のアジトで一晩過ごしたリット達は、海賊達と同じように各々好きに過ごしていた。

「少しでも体を動かして発散しないと、考え過ぎでどうにかなりそうだ」

「思春期の少年みてぇだな。そのうち、そんなことしても無意味だということに気が付く。経験者からのありがたいお言葉だ。胸に刻めよ」

 そう言ってリットは、砂を盛り上げて作った枕に頭を預けた。

 傍らにはラム酒の瓶。真上からの太陽の光を受けて、森に眠る伝説の剣の刃のように反射して輝いている。

「リットは朝からゴロゴロしているが、セイリンに我々の目的を話したのか?」

「話してねぇよ。セイリンがいる下の階は立入禁止って言われたからな。朝から姿を見てねぇ」

「まさか、まだ寝ているのでは……。ならば、いいかげん起こさないと不健康だ」

「やめとけ、欲求不満姉さんの邪魔すると襲われるぞ」

 リットが空に向かって、雲を吐き出し浮かび上がらせるような大きなあくびをした時、耳元で細かい砂が互いに擦り合う音が聞こえた。

「私は欲求不満ではない」

「やたら挑発的に誘われるから、てっきり飢えてるのかと思ってた。前髪で片目を隠してるしな」

「片目がどうした?」

「知らねぇのか? 片目を髪で隠す奴は、欲求不満で常に異性を求めてんだよ」

 リットがセイリンの髪に隠れる右目に視線を向けると、セイリンは髪の上から更に隠すようにして三角帽を傾けた。

 セイリンのターコイズブルーの左の瞳が、不快感に濁る。

「ローレンのことか?」

 場の空気を察して出した言葉かはわからないが、エミリアの声はよく通った。

「よく覚えてんな……一回会っただけだろ。オレには無理だ」

「普通は、一度合えば顔も名前も覚えるものだ。リットは客商売だろう……。覚えられないと支障がないか?」

「リゼーネと違って、うちの村は見知った顔がうろつくだけだからな。まぁ、たまに来る金払いのいい客は覚えてるぞ」

 リットはその内の一人であるエミリアを見るが、エミリアは何も言わなかった。

 入江に音を立てて吹き抜ける風が、エミリアのため息を代弁するかのようだった。

「海賊になったのは、そのローレンという人物が関係しているのか?」

 リットとエミリアの会話を聞いていたらしく、セイリンはいきなり本題へと繋いだ。

「ローレンなんて男のことは、まったく関係ない。覚えたきゃ覚えればいいけど、淫夢になって出てくるぞ」

「ローレンという男はインキュバスか」

「そんなとこだ」ローレンのことなどどうでもいいリットは、それ以上触れることも、訂正もしないまま目的について話す。「龍の鱗を探してる。念のため一応聞いとくが、持ってないよな?」

 セイリンは杖に体重を預け、頭の中を整理する。今まで取り引きした中にそれらしいものがないか、聞いたことはないかと記憶を辿るが、思い当たる節はなかった。

「龍の鱗とは、龍の鱗か?」

「他にねぇだろ。それとも仲良くクイズでも出し合うか? 「この服痩せて見える?」って問題はなしにしてくれ、どれを選んでも不正解だからな」

 リットの歪んだ嘲笑に、セイリンは両端を掴んで無理やりひん曲げた三日月のように口元を歪め返す。

 その笑みからは、リットの軽口より更に上の軽口を言ってやろうという気持ちが、あからさまに伝わってくる

「ベッドの上での感想を聞いてくる男よりましだ。自分の都合のいい正解を言わないと納得しないからな」

「いや……まぁ、違いねぇな」

 男にとって痛いところを突かれたリットは、釈然としないまま言葉を引っ込めた。

「龍の鱗は、万病に効く類のものじゃないのか?」

「あぁ、違う違う。龍の鱗と呼ばれているものじゃなくて、本物の龍の鱗だ。だいたい顔くらいの大きさがある」

 リットは両手を使い、自分の顔より一回り大きな円を描いた。

 セイリンはそれを見ると、優しく微笑んでから確信めいた素振りで頷いた。

「――見たことないな」

「期待させやがって……」

 セイリンはリットの反応を見て、満足気に喉を鳴らして短く笑う。

「少しからかっただけだ。なんの為に、龍の鱗を探す」

「アンタを口説く為じゃないな」

「だろうな。あいにく鱗は間に合ってる」

 セイリンは人魚の尾びれをわざとらしく振って見せた。

「――北の大灯台を復活させる。過去の威光だけではなく、本物の光を取り戻すものだ」

 エミリアが言いながら、体を滑り込ませるようにして二人の間に割って入った。

「なんだよ、突然」

「話が全然進まないからだ……。二人共いちいち冗談を挟まないと話せないのか。そのせいで、今まで口を挟む暇もなかった」

 エミリアはこれまでにない程、うんざりとした表情を見せる。

「せっかくの気分の良い島にいるのに、ずいぶんな顔だな」

「誰のせいだと思っている……。とにかく、北の大灯台の光を飛ばす反射鏡として、龍の鱗を使う。成功すれば、闇に呑まれたペングイン大陸の者を救えるかもしれない。その為に私は、なりたくない海賊にまでなったんだ」

「そう悲観的になることもない。海賊の心は誰にでもある。宝を欲しがれば誰でも海賊だ」

「私は宝には興味ない。それに、欲しいものは正当に手に入れる」

 エミリアは心外とでも言うように口調を強めた。

 セイリンは「宝は金銀だけじゃない」と切り返すと、小さな堪え笑いを響かせた。

「エミリアをからかうのもいいけどよ。いいとこで止めとかねぇと、八つ当たりで禁酒させられるぞ」

「反応が初々しくて、つい……な」

「アレは八つ当たりしたわけではない。リットの健康に気を使ったんだ。そんなに言うなら八つ当たりで、また禁酒にしてもかまわないぞ」

「おぉ、冗談が上手くなったじゃねぇか」

「冗談に思えるか?」

 リットはさっと身を翻した。その時に一度だけ、セイリンの前髪に隠れた右目に目をやった。

「おっと、こんな時間だ。酒は程々にして、健康的に汗でも流してくるかな」

 リットが一歩踏み出したところで、エミリアの冷たい声が突き刺さった。

「そっちは貯蔵庫の洞窟だ。酒があるな」

「おおっと……間違えた」

 リットはまた身を翻すと、隠れ家の廃船へと歩いて行った。

 エミリアはリットがしっかり隠れ家へ戻るのを見守ると、誰かに肩を叩かれたかのように突然セイリンへと振り返った。

「その目の色は、人間と人魚のハーフというのと関係があるのか?」

 セイリンは驚きと怒りを含ませた瞳で睨んだが、エミリアの真っ直ぐな瞳を見ると、諦めて肩を落として長く息を吐いた。

「……空気が読めないのか? それとも読もうとしない質なのか?」

「私も色々な種族の血が入っている。そのせいで不便な思いをしてきた。だから、困っているのなら相談に乗ろうと思ってな」

「気遣いはいらない。リットのように見なかったことにして黙って去ってくれればいい」

 セイリンが顔をあげると、潮風に前髪が翻った。

 一瞬だが、ターコイズブルーの左目とは違う、磨き上げた琥珀のような茶色の右目があらわになった。

「目の色が違うのを隠しているのにか?」

「いいか? 海賊に余計なお節介を焼くな。煮ても焼いても食えないから海賊なんだ」

「まるでリットのような口ぶりだ。二人は似た性格をしているな」

「……なかなか効く悪口だ」



 夜になり、波の穏やかな海に月が浮かび、砂浜に向かって光の桟橋を作っている。

 そこに合わさるように太陽の光が伸びていた。

 船の丸窓から漏れる妖精の白ユリのオイルの光だ。海に面した部屋は、一番日当たりが良いのでエミリアが使っている。

「かぁーっ! これじゃあ、昼なのか夜なのかわかんねぇな」

 アリスは口元から引っこ抜くように、乱暴に瓶口を離した。

「まったくだな。夜は普通暗いもんだ」

 リットは空になった酒瓶を光に透かしながら答えた。月明かりと、妖精の白ユリ。両方の光で確かめてみるが、当然酒が湧いて出てくることはない。

「よぉ……リット。オマエはなんでここにいる?」

「貯蔵庫に酒を取りに行こうとしたら、誘われたからだ」

「アタシは別に誘ってねぇ!」

「これ見よがしに酒瓶持っておいて、そりゃねぇよ」

 アリスは両手に酒。そして、触手の一本一本にも酒を持っていた。

 リットはアリスの触手からラム酒の瓶を一本奪い取ると、また一本開けた。

「勝手に取るんじゃねぇよ」

「ケチケチすんなよ――キャプテン」

 リットは暗にセイリンがいないところでキャプテンと名乗っていたのをバラすぞと脅したのだが、アリスはそんなことには気付かずにご満悦の様子だった。

「なんだ、良い奴じゃねぇか。飲め飲め」

 ラッパ飲みでラム酒を一本空にしたアリスは、手の甲で口元を拭い、そのまま拭かずにリットの背中を乱暴に叩いた。

 その拍子に瓶口から酒がこぼれる。

 リットは手に口を付けてこぼれた酒をすすると、唐突に切り出した。

「なぁ、なんで海賊なんだ?」

「自由だからに決まってんだろ! 人魚は人魚らしく、スキュラはスキュラらしく。そんな考えは、酒と一緒に飲んで、小便で流しちまえ」

「おい……漏らすならせめて海の中にしてくれ。ここで漏らすなよ」

「そうだ! アタシが言いたいことはまさにそれだ! この場で漏らしてこそ海賊ってもんだ!」

 アリスはその場で立ち上がると、宣言するように海に向かって叫んだ。

 体を支えるのは八本の触手でも足りず、手枷の重りのせいだけではなく、今にも倒れそうなくらいふらふらしている。

 これ以上ない程わかりやすく酩酊していた。

「海軍に捕まってたところを、セイリンに助けられたから海賊になったわけじゃねぇのか?」

「ああん?」アリスは焦点の定まらない瞳でリットの顔を覗き込むと、リットの鼻先に自分の鼻先をくっつけてニヤリと笑った。「これか?」手を掲げ手枷を見せ付ける。「これはな……カッコいいから付けてんだ。ファッションだ、ファッション。アタシが海軍に掴まるようなマヌケに見えるかってんだ」

「てっきり、調子に乗って付けたら、鍵がなくなったから付けたままだと思ってた」

「アタシがそんなバカだと思うか? ちゃぁんとここに……」アリスは首元にぶら下げた眼帯の裏のポケットをごそごそと探す。「ありゃ?」

 首から眼帯を抜き取り、逆さにしたり振ったりするが鍵らしきものは出てこない。やっとなにか落ちたと思えば糸くずだった。

「あーあ、そんな落ちやすいとこに入れとくからだろ」

「大事なものは、ここに入れるって決めてんだよ」

 思えば最初にアリスと会った時も、ヨルムウトルの指輪を眼帯にしまっていた。

「良かったな。これで一生囚われの身だ。世の勇者達がこぞって助けに来るぞ」

「アタシより弱い奴には興味ねぇぜ」

 アリスは眼帯を首に戻しながら鼻で笑った。

 この眼帯を首にかけるというのも、アリスなりのファッションなのだろう。

「そのセリフは、水飲んでシラフに戻ったら後悔するぞ」

「この世に水は、酒と海があればいい!」

 アリスは海と乾杯するように、海に向かって少しだけ高くラム酒の瓶を掲げた。

「まぁ、否定したくねぇ言葉だな」

 リットは中身が半分ほどになったラム酒の瓶を手元で揺らしながら立ち上がる。そのまま帰ろうとしたが、アリスの触手がリットの腕に巻き付いていた。

「おい、掟をしらねぇのか?」

「知ってる。イサリビィ海賊団七つの掟だろ? 酔っ払って自分がオレに教えたことも忘れたのか?」

「違ぇよ! ガポルトル海賊団三つの掟だ! ――酒を飲んでも飲まれるな。――二日酔いを恐れるな。――手にした酒は全て飲み干せ」

 アリスは両手と触手に持っている全て酒瓶を高く掲げると、そのまま背中から砂浜に倒れこんだ。

「酒に飲み込まれて、消化までされかかってる奴が何言ってんだ」

「酒はな……体じゃなく、心をとろかせるんだ」

「ついでに頭もな……」

 リットは絡みついてくるアリスの触手をうざったらしく払うが、次々に八本の触手が次々に絡みついてくる。

 リットが解放されたのは、アリスが酔いつぶれて寝てからだった。



 朝になり、リットが砂浜でとった貝を焼いているところに、足音が近付いてきた。

「昨夜はお楽しみでしたね」

 この感情の読み取れない声はテレスの声だ。

「楽しいね……。見ろよ、これ」

 リットはシャツの袖をまくり、赤紫の痕をテレスに見せつけた。

「あらあら、アリスは激しいんですね」

 清々しいほどの棒読みで、テレスはアリスに目を向ける。

「まったくだ」

「ちょっと待て! アタシはそんなの知らねぇぞ!」

「酔っ払って覚えてねぇんだろ。腹にも付けられたぞ。見るか?」

「見るか! よりによってこんな男と……最悪だぜ……」

 アリスは赤くなったり青くなったり、忙しく顔色を変えていた。

「やたら痛むけど、アリスの触手に毒なんてねぇだろうな……」

「毒はないですよ。でも、アリスの吸盤はあの壁をよじ登れるくらい強力ですからね。よくてっぺんまで登ってます」

 テレスは見上げる高さの絶壁の岩を指しながら言った。

「バカと煙は高いところへ上るか……」

「おい! 吸盤の痕かよ!」

「そのこともツッコミてぇんだがよ……。バカの方には何も言わねぇんだな」

「それもアタシのことかよ!」

 アリスが怒鳴ると、一瞬静寂が広がった。

「……テレス。東の国の調味料の醤油ってあるか?」

「ええ、貯蔵庫にありますよ。案内します」

「おい! 聞けよ!」






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