98.曖昧な記憶の中で
初めて鏡を見た時にも驚いた。
黒く長いつややかな髪に黒い瞳。
以前の紙のように白かった肌色ではなく、いかにも健康そうな肌色。
すらりと伸びた手足。
密かに美羽は歓喜した。
どんな美辞麗句で誉めそやされようと『公爵令嬢ルミアーナ』の容姿は大嫌いだった。
まるで病人みたいに白い肌。
みたいというべきかどうか、実際、体も弱く寝込んでいる日の方が多かった。
暗がりなどでうっかり鏡でも見ようものなら、窓からはいる月明かりに照らされた金色の髪はぼうっと浮かび上がり、まるで幽霊のようで自分の姿に悲鳴をあげそうになった事もあった。
病院から美羽の家族に引きとられてからというもの父母や姉からかいがいしく世話をされている為、美羽の体調はルミアーナだった時とは比べ物にならないほどに良かった。
なんというか、美羽の体はルミアーナの時の体を基準にすると異常に丈夫みたいなのである。
(とても一年もの間眠り続けた体とは思えなかった。あくまでも虚弱なルミアーナの体感から比べれば…ではあるが)
公爵令嬢だったルミアーナは生まれつき真綿でくるむように大切に大切に…、とにかく過保護に育てられてきた深窓の姫君である。
しかし、空手道場の娘として育ち柔道や弓道を極め鍛えてきた武闘派の美羽の体は一年も眠っていたとはいえ、ルミアーナからしたら実に軽く息切れひとつしない丈夫で頼もしい体だった。
動く事が楽しくて嬉しい。
令嬢時代に少し歩いても疲れていた自分が信じられないほどである。
静と女二人だけで外に護衛もなく出歩いても何の不安も感じないし、見渡す限り平和そうである。
そしてこの世界(日本)には大きな身分の差別もないみたい。
何て素敵なのかしら
でも、なぜ私は美羽になったのだろう。
(確かに私は元いた世界が心底嫌だったけれど…想うだけで叶うもの?)と、ルミアーナは訝しんだ。
「美羽?大丈夫?疲れた?まだあんまり無理しない方がいいね?近くに新しくオープンしたカフェがあるからいってみよ?」
静が退院したばかりの妹を気遣ってカフェに誘う。
美羽は、こくりと頷いた。
カフェはカントリー風のおしゃれな雰囲気で全体的に暖色系の木の温もりを感じさせる落ち着いた雰囲気だった。
(あ、こういうのが好きだったな…)と、混ざり合った美羽の記憶から感じる。
席につくとウェイターが、水を運んできたが、少し驚いたような顔をして私をみた。
「美羽?」
どうもこのウェイターは、美羽の知り合いらしい…。
「拓也?なんで、あんたが、こんなとこに居るのよっ!あんたが、いるなんて知ってたら来なかったわ!」
静が怒ったような口調でウェイターにいった。
正直驚いた。
いつもやさしい姉の意外な口調にびっくりしたが、拓也と呼ばれるそのウェイターは、姉の言葉など気にする様子もなく美羽に話しかけてくる。
「バイトしてるんだ!美羽!元気になったんだな?良かった!」と私の両肩をつかんだ。
「きゃっ」
思わず声がでた。
家族でもない見ず知らずの男に(どうやら知り合いではあるらしいが)いきなり触れられたのだ。
深窓の姫君にとっては、ありえない狼藉である。
ビクッとして体を引き姉の影に隠れて怯える。
この世界の美羽ではありえないその過剰な反応に、
「え!?」と、拓也の方も驚いた。
「妹に近寄らないで!よくも妹に気軽に声がかけられたものね!あんたのせいで美羽は一年以上も病院で眠り続けてたっていうのに!」静が妹をかばいながら拓也をにらみつける。
拓也はさっと手を引いて青ざめた顔をして下をむいた。
え?どういう事?とルミアーナは思って拓也と呼ばれた男をみた。
いきなり肩を捕まれて驚いたけれどそんな悪意は感じない。
改めて拓也の顔をみつめる。
じんわりと美羽の記憶をたどる…。
た…くや?
そう、美羽が眠りにつく前の記憶を…眠りについた原因を…。




