95. 美羽の記憶
美羽の小さい頃の口癖は、「みう、お兄ちゃんのお嫁さんになる!」だった。
小さい頃の微笑ましい思い出である。
当時高校生だった兄の仁は、いつも笑いながら、
「おう、いいぞ!じゃあ、美羽は俺の婚約者だな!」と、愉快そうに美羽の言葉に受け答えしては持ち上げてくれた。
兄弟では結婚できないと知ったのは小学校の高学年になった頃だったろうか?
従姉妹の亮子に兄妹では結婚できないと言われたのである。
父、母、姉は皆、美羽がいつもの口癖を言いだすと、また始まったと笑いながら
「そうね、美羽はお兄ちゃんのお嫁さんになって、この道場を二人で継いだら良いね」といつも、返してくれていたのである。
父に至っては、将来は結婚の祝いに離れを改築したら良いとまで言ってたのだから、まだ子供だった美羽が本気にしてしまったのは、無理もない話である。
子供にサンタクロースを信じさせてあげるのとは、訳が違うのだからいい加減で話を合わせるのは、やめておいてほしかったが、末っ子の可愛い言い様に皆が併せていたのである。
だから、小学校の高学年くらいまで、兄の嫁になって一緒に道場を継ぐのだと信じていたのも仕方がないではないかと思う美羽だった。
従姉妹の亮子に笑いながら、その間違いを指摘された時には、顔から火が出るほどに恥ずかしく感じてしまい、家族をちょっとだけ恨んだものである。
まったくもって不愉快だった。
だからと言って、別に落ち込んだりはしていない。
単に、ひとつ年上の従姉妹の亮子に常識知らずと思われた事が恥ずかしかっただけである。
実際、その頃、まだまだ子供の美羽は恋愛なんて感情があった訳でもなく大好きなお兄ちゃんと、ずっと一緒にいたかった。
それだけである。
いずれ、兄もお嫁さんを迎えるだろうが、それならば、そのお嫁さんと仲良くなれば良いだけだと天真爛漫に思ったものである。
そして、従姉妹の亮子が実は兄を好きだったと知り兄との仲を取り持とうとしたこともあったくらいなのだ。
結局、美羽の思いとは裏腹に仁は、いつの頃からか家を継がないと言い出し地元の大学を卒業するなり転勤の多い企業に就職した為、美羽が高校生に成る前には、もう別々に暮らしていた。
その時は、さすがに寂しく胸にぽっかりと穴があいたようではあったが、自分ももう中学生なのだから、兄離れしなくてはと自制した。
この世界でダルタス将軍と出会うまで、美羽の理想に最も近かったのは、兄の仁だった。
自分より強い男…これは、美羽の譲れない理想像である。
とはいえ、兄は兄、憧れは憧れで恋ではなかった。
欲をいえば、見た目もワイルドで、男らしい男が好みの美羽なのだ。
故に禁断の愛?に目覚めることもなかった。
そう、兄の仁は、その強さに反して見た目は、すこぶる綺麗な男だった。
切れ長の瞳、華奢そうに見える美青年である。
儚げに見えて実は引き締まった筋肉を隠し持っている。
そして、神崎道場の跡継ぎとなるべく育てられていた仁は、空手はもちろん弓道、剣道、合気道等、武道の達人である。
最初、見た目のせいで、中、高校に上がった時など当事のヤンチャな連中に目をつけられ、ちょっかいをかけられたものの、告げ口すら出来なくなるように完膚なきまでに叩き伏せ、この界隈には仁をみたら逃げろ目を合わすなと不良達から恐れ敬われたと言う伝説的な存在であった。
そんな兄をすごいとは思うものの嫌なところもあった。
まず女の自分より美人なとこが一番苦手だった。
そして女性にモテまくりなのに兄を好きな女の人たちに兄は全然優しくなかった。
自分や家族には優しいのに兄を好きだと群がる女性たちにはまるで氷のように冷たかった。
ある日、偶然、兄に告白する同級生の姿を見かけた。
その時に目撃した女の子にとった冷たい態度に幻滅し、口をきかなくなった時期もあった。
兄が自分の態度にひどく動揺したのは覚えている。
それから何となく距離を取りながらも小さい頃ほどべったりすることが無くなっただけで、それなりに仲の良い兄妹だったとは思う。
そして今、兄の元にいるのは、ここラフィリル王国での十六年のルミアーナの記憶を持つ美羽なのだ。
きっとルミアーナの記憶をもつ今の美羽は、兄の存在に悩んでいるのではないだろうか?
特に何の確証がある訳でも何でもないのだが、何となくそんな気がした。
そんなあれこれを考え出すともう、堪えようもないほど、あっちの自分と話をしたくなる。
今の自分は、”月の石”の助けもある。
ましてや、もともとが庶民で大雑把で非常にたくましい美羽として育った感覚があるから、平気どころか、こっちラフィリルでの生活には大満足である。
なによりダルタスに会えたのだから。
しかしあっちに、魂を自分と入れ替えに飛ばされたルミアーナ(今の美羽)はどうなのか?
もともとが、正真正銘のお姫様な彼女が、自他ともに認めるがさつで男前な神崎美羽としてやっていけるのか???
考え出すと心配ごとしか思い当たらない!
高校生活での自分以上に無神経でがさつな男子どもや、柔道や空手で勝手にライバル視している他校の猛者たち。
訳の分からない親衛隊のお姉さま方やら…
ダメだ…不安しかないわ…。
ごめん…あっちの私…と、これまでの美羽としての自分のがさつな生き方を恥じて今の美羽に限りなく同情するルミアーナだった。
そして月の石が放った光に、あちらの世界、現在の日本にいる美羽が気づくことを願うルミアーナだった。




