84.姫とティムンと皇国の皇子
一斉に老神父、アルフォンゾ。
そしてラフィルが振り返った。
そこには女神のごときミアが立っていた。
「その子供!いらないと言うなら私たちの子供として育ててもよろしくってよ!」と高らかに言い放った。
思い切りの良さは天下一品!江戸っ子にも負けない美羽の記憶をもつルミアーナこと(今は)ミアである!
「おお!ミア!」とラフィルが嬉しそうに、いうと、ラフィルのその顔を見た途端にミアの顔色がさっと青ざめた!
「ラフィル様そのお顔は!?」と言ったのである。
「え?」とラフィルが一瞬先ほどの老神父の言葉を思い起こす。
まさか、ミア、こんな俺は嫌なのか?と…。
「痛そう!可哀想に!どうしちゃったのですか?」と躊躇なくラフィルの頬に触れてきた。
まるで自分が怪我をしたかのように痛そうな顔をする。
「や、いや、ちょっとな…俺は大丈夫だ。」
一瞬、馬鹿な心配をしてしまったなとラフィルは、ほっとした。
「それよりこの子供が」とラフィルが言う。
「まぁ、この子は?大変っ!」とミアがその子にも触れようとすると、慌てて老神父が止めた。
「ミアさん、ダメじゃ!その子にふれては!ミアさんまで邪気に取り込まれてしまうぞ」
そんな事を言ってもラフィルにだって触れたばかりである。
しかしラフィルは、先程、老神父から聖水をかけられたせいか、爛れて黒くはなっていても、それが、蠢いていたりはしない。
この子供にまとわりついている黒いものは、ざわざわと動いているのだ。
「え?神父様、この黒いのとか肌が爛れているのは邪気せいですの?」とミアが言った。
「そうじゃ、だから触れてはなら…!」と、老神父が、言い終わる間もなくミアは子供のそばにぺたりと座り込み自分の膝の上に抱き止めた。
「まあ、良かった」とミアは胸を撫で下ろして自分のエプロンドレスでせっせと子供の顔やら手をふきだした。
邪気なら祓えるとミアは思ったのである。
これには、ラフィルも驚いた。
「なっ!ミア!馬鹿な!触るんじゃない!まだ、それは動いてるんだぞ!」と、叫んだ。
無茶するのはラフィルも一緒なのだが、(何せ、素手で魔物の腹を裂いて子供を引っ張り出した訳だから)愛する人が無茶をする時、自分がしていた事はどうやら棚上げされてしまうらしい。
「そうじゃ!ミアさん、一体なにを!」と老神父とラフィルが、ミアを引き剥がそうとすると、今度はさっきから事の成り行きを黙って見ていたダーナが、二人の方をミアと子供から引き剥がした。
魔法の力なのか決して小さくはない二人の男を軽く押さえつける。
二人は身動きが出来ずにダーナに制された。
「いいから、黙ってみてらっしゃい!」と、ダーナが軽く二人を窘める。
「邪気ならミアには効かないから大丈夫よ!」
「え?じゃあ」と、ラフィルがミアを振り返る。
「ええ、ラフィル様!月の石を取って参りましたの!大丈夫、石はまだ私の言うことを聞いてくれるみたいですわ」と石をかざすと石がパッと強く輝いた。
一瞬教会の中が、光に埋もれて何も見えなくなる。
そしてすぐに、その光は柔らかい光りにもどった。
ダーナが、その奇跡を目にできた喜びに瞳をきらきらと輝かせミアと子供を凝視している。
気づけば子供にまとわりついていた黒いものもラフィルについていた黒いものも跡形もなく消えていた。
そして爛れた皮膚は綺麗に治っていた。
「こ!これは!」と老神父や、アルフォンゾがダーナに答えを求めた。
「あなた達が今、目にしているのは伝説の姫よ!世界の始まりの物語くらい学んだことがあるでしょう?彼女は血族の姫!"月の石"の主よ!邪気など彼女にはとり憑きようもないわ」と、何故かダーナが、どや顔で説明した。
「な、なんと…!」
「まさか、そんな!」と、喜びながらも驚きのあまり困惑し、二の句がつげない二人である。
当たり前である。
それなりの身分を持つ二人は教養もあり歴史や神話等も学んだことがある。
だが、それは本の中でしか知らない過去の遺物である。
そんな奇跡の存在に今、この時に出会えると誰が想像し得るだろうか?
それが、出来るとしたら『月の石の精霊』くらいものだろう。
その場で、ラフィルだけは既に月の石がラフィリル王国の神殿で魔物達や邪気を祓い清めたのを目にしていたので、それに驚きはしない。
只、ミアの御力失われていなかった事に少しほっとした。
この”御力”がなければ、この子供が救われる事はなかった筈である。
「う…ううっ」
「あら、目が覚めた?」とにっこりとミアが、その子供に微笑みかけた。
「あ…ぼ…僕、死んじゃったの?」
「あら、生きてるわよ?どうして?」と、ミアがその子を驚かせないようにと気遣い精一杯優しく語りかける。
「だって、僕、大きな黒い魔物に食べられちゃって…でも、今どこも痛くないし…それに、貴女は女神様でしょう?」
そんな、可愛くて素朴で素直な子供の言葉はミアの母性本能をぎゅぎゅーっと掻き立ててしまった。
「かっ、かわいいっ!」とミアがその子供をぎゅっと抱きしめた。
「め!女神様?」とティムンが真っ赤になる。
「もう、可愛らしいこと、言っちゃってくれちゃって~っ、私は普通の人間よ。君も生きてるし」
「人間?嘘、本当に?こんなに綺麗な人、僕みたことないよ?」
うん、知ってる…とは言えないが、ミアは内心、思う。
美羽の記憶しかなかった時点で今の姿を鏡で見た時には、妖精か女神が目の前に立ってるのかと、勘違いしっちゃったもんなぁ?と思いだす。
中身がこの外見に相応しくないように感じてしまうせいだろうか?
あんまり褒められると嬉しいには嬉しいが申し訳ない気持ちさえしてくるのだ。
(特に自分と入れ替わったという今、日本にいる美羽に土下座して謝り倒したいくらいである。こんな美少女から普通レベルになんて悲劇すぎるわ!と…)
「あれ?君、以前、どっかで会った事ない?」とミアがティムンの顔をまじまじと見る。
「え?僕、知らないよ?こんな女神様みたいな人に会ってたら忘れないと思うもん」
いや、もう、そういうのいいから…と多少、顔をひきつらすミアだが確かにこの顔には見覚えがあるのである。
何か、自分の発したセリフがナンパしているようで一人でウケて、ふっと笑ってしまう。
そして、思い出した。
「あっ!思い出した!君、ラフィリル王国の王城の近くにあるお菓子屋さんでお菓子を二つ買った男の子でしょう?」
「え?あ、確かに隣の国にアルフォンゾ様のお供で連れていってもらった時にお菓子屋さんでお菓子を二つ買った事があったけど…親切な騎士見習い?の人が売ってくれて…え?あ?まさか?でも、あの、髪の色も瞳の色ももっと地味だったような…」
「うふふ、あの時は、魔法使いさんに街を歩きやすいように魔法をかけてもらって変装してたからね…。今はその魔法がきれちゃったのよ」
「ああ!じゃあ、あの時の…!あの時はお兄さんなのかお姉さんなのかよく分からなかったんだけど、お姉さんだったんですね?」
「あはは…そうそう。よろしくね」
「あ、じゃあ、この人が話に聞いていたお前にお菓子を一つの値段んで二つ、ハンカチに包んで持たせてくれた人なのか?」とアルフォンゾが二人の会話に割って入ってきてティムンに尋ねた。
「はいアルフォンゾ様、そうなんです」とティムンが笑顔で答える。
先ほどまでぐったりとしていて生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった様子とは明らかに違う。
元気で嬉しそうな様子である。
「貴方は?この子のご主人さまですの?」
「は、はい。私は皇家の第三皇子でアルフォンゾ・ジャ・カイナールと申します。私の小間使いのティムンを助けて頂き本当にありがとうございます。以前のお菓子の時も、今も…本当に何とお礼を言ってよいか分かりません」とアルフォンゾはミアにひざまずき頭を垂れた。
「…は?…こ、皇家~っ?」
ラフィルも、声には出さなかったが驚いた。
なんだか嫌な予感しかしないラフィルである。
「こ、こ、こ、皇家って…つまり皇子様ですの?」
驚くミアにダーナが、「まぁまぁ」と割って入る。
「ミア、そんなに畏まらなくても大丈夫よ?この国は昔こそ隣国のラフィル王国とは仲が悪かったものの今は和平協定が結ばれているし、何より祖先は同じ!始まりの国ラフィリルの血族の姫に敬意を示さぬ者などいないわ!もしミアに敬意を払わぬ者があれば、このダーナ・ハースノアが、決して許しはしないわ!たとえそれが皇家の者だとしてもね!」
「あわわわわ…そんな…滅相もない…出来たら敬意なんて払わなくていいから、そっとしておいてほしいっていうか…その…どうか…」
「いや!姫!ダーナ・ハースノアの言う通りだ!貴女に我が皇家は忠誠を誓うとお約束しよう!何より私は邪気が完全に払われる奇跡をのをこの目でみたのだ!この事を知れば父…皇王とて跪こうと言うものだ!」
「いや!だから…その…そんな事は、望んでなくて…穏便に…」とミアがその勢いに後ずさりラフィルにぶつかる。
ラフィルはさっとミアの手をひき、自分の後ろに隠すように押しやると、アルフォンゾ皇子を睨みつけ、
「いい加減にしてくれ!ミアは、敬意などいらないと言っている!放っておいてほしいと言っているのが、わからないのか?」と静かな怒気を含ませながら言葉を発した。
「なっ!何を偉そうに!さっきは少しでもいい奴だと思ったが!大体、貴様、何者なんだ?狩人ごときが彼女の事で口を出す権利など微塵もなかろうが!」とアルフォンゾが言い返した。
(命の恩人に随分な言い様である)
「ふん!夫の俺が妻について語って何が悪い!」
「なっ!なんだと!言うに事欠いて血族の姫を妻などと!よくもそんな恐れ多いでまかせを!」
「あ!アルフォンゾ皇子?様?!私、ラフィル様の!この方の妻ですから!」とミアがラフィルの後ろから大きな声で叫んだ。
「間違いありませんので!私達、結婚を反対されて駆け落ちしてこの国に参りましたの!先日、この教会で式も挙げましたわ!敬意を払って下さるとおっしゃるなら、どうか旦那様の言うようにそっとしておいてはくださいませんか?」と両手を組み上目遣いに懇願する。
その言葉にアルフォンゾは目を見開き驚いた。
「なっ!ほ、本当なのか爺さんっ!」と老神父にくってかかる。
「さよう、姫自身が望まれておったし、教会としては愛し合う二人に式を執り行う事に何の問題もないからの…」と淡々と答える。
「問題ありありだろう!姫君!姫君は騙されているんだ!そんな狩人などしている男が血族の姫君に相応しい筈がない!大体、国元でも反対されたのでしょう?さあ、こちらにおいでなさい。私が保護して差し上げますから!」とミアを引き寄せようとする。
するとミアは、逆にアルフォンゾの腕をしっかり掴んだ。
そして、ぐっと体ごと自分に引き寄せたのである。
咄嗟に何をするのか見当のついたラフィルは、余裕の微笑みでミアの邪魔にならぬように、一歩下がった。
アルフォンゾは一瞬、姫が自分の説得に応じてくれたのかと笑顔になったが、気を許した瞬間、アルフォンゾの体は宙に舞っていた。
ミアの見事な一本背負いが決まったのだ。
「例え、皇国の皇子様といえど私の旦那様を侮辱するのは許しませんわ!」ミアは怒りの形相でアルフォンゾ皇子に宣言した。
その様子に、ラフィルは満足そうなドヤ顔でアルフォンゾ皇子を見下ろし不敵な笑みを浮かべる。
「まぁ、そう言う事だから…」と言ってミアの手を引きすたすたと去っていく。
「あ、ラフィル様!忘れ物ですわ!」
「あ?」
「この子、私達で面倒見ると言ったではないですか?」とティムンをひきよせる。
「ああ、そうだったな。おまえ、ティムンと言ったな?そこのお前のご主人様はお前が命を落とそうかと言う時に躊躇した。お前は俺とミアの意思で助け出し、今生きている。そしてミアはお前を連れて帰りたがっている。だから一緒に来い」
「え?アルフォンゾ様が?僕を見捨てようとしたのですか?」
「や、別に見捨てようとなんて…」とアルフォンゾは口ごもった。
「そうよ、ティムン。私達といらっしゃい!では、ダーナ様、神父様!ごきげんよう。また遊びに参りますので、どうかその皇子様にくれぐれも余計なことをなさらないように釘をさしておいてくださいませ!でなければ私達、今日にもこの国を出てさらに遠い東の国へと行かねばなりませんもの」とミアが、ティムンの手を引っ張り半ば無理やり連れて教会から出て行った。
「わかったわ、必ず遊びにきてちょうだいね?皇子のほうは取り押さえておくから!」とダーナは手をふった。
ダーナと老神父がミアとラフィル、ティムンの三人を見送るとアルフォンゾ皇子を振り返りぽつりとつぶやく。
「ばかね…」とダーナが言い。
「馬鹿じゃの…」と老神父が言った。
そしてアルフォンゾ皇子は取り残され…しばらくの間、放心して立ち直れなかった…。




