83.ラフィルが森で…
役場に赴き、魔物狩人として登録したラフィルは、ミアと待ち合わせた教会からほど近い森に向かっていた。
ラフィルは、まだジャニカ皇国とラフィリル王国との関係がそれほど友好的ではなかった頃、こちらに間者として潜り込んだことがあり、その時に偽造した戸籍が生きていたので何とか登録できた。
ただ、何年も前に作った戸籍だったことで書類がなかなか見つからず時間がかかってしまった。
その時、偽造した名前がラフィル・ボアジャニカである。
以前も流れ者の狩人としてこの国に潜入していた。
顔の傷や鍛え抜かれた体躯も、狩人なら、さほど不自然ではないし、手形も申請すればすぐに出る。
ミアにはひもじい思いもみすぼらしい格好もさせたくはない。
持ち出した幾らかの宝石を売れば、とりあえず何年かは贅沢出来るだろう。
けれど、もしもの時の為、それは出来るだけ取っておきたいと意外にも堅実なラフィルは思っている。
無事、手続きが済んだので早速、手近な森に入り懸賞金の出ていた"祟られ熊"を狩る事にした。
ミアとの待ち合わせは昼時なのであまり時間はないが、それまでに大体、いそうな場所だけでもあたりをつけておこうかなという程度の気持ちで森に入った。
長居は無用!地形だけでも確認したらすぐにでも教会に向かう予定だ。
愛するミアを待たせてはいけないとおもう愛妻家のラフィルである。
森は狩人以外の立ち入りは禁止になっている。
最近、"祟られ熊"が出没するようになったせいであろう。
ちなみに"祟られ熊"とは、普通の熊が何らかの怪我や病で死にかけた時に邪気にとり憑かれた成れの果てである。
邪気にさえとり憑かれ無ければ、熊としての天寿をまっとうしたであろう。
ラフィルは、熊の成仏を願いながら"祟られ熊"を狩る事にした。
もちろん、一番の目的はミアを養っていく為に賞金を稼ぐ為ではあるが、ラフィルは無節操で無益な殺生はしない。
元来、ラフィルは動物好きな方である。
見かけとかけ離れ実は小動物…仔猫や仔犬など小さいもふもふの生き物が大好きである。
これは、誰も知らない。
母親のネルデアですら、小さい頃は動物好きだった…という印象が微かに残っている程度である。
まあ、物心ついたころから諸事情とゆーか母親と祖母の嫁姑問題の激化により離ればなれになっていた為、知るよしもない。
…と言うか、ラフィル自身が恥ずかしいので隠していたのだ。
ラフィルが、森の中、自分の気配を殺しつつ獲物を捕らえる為に散策していると同業?とおぼしき男が、どうやら先に"祟られ熊"と闘っているのに遭遇した。
先をこされたなと思い立ち去ろうとしたが、どうやら喰われる寸前だったようで見知らぬ狩人らしき男が叫んだ。
「くっ!喰われる!助けてくれーっ!」
なかなか悲痛な叫び声である。
「助けてもいいが、その場合、その獲物は私の物と言う事で良いのか?もう少し頑張るなら待ってやるが…?」と、剣を構えつつ呑気な口調で答えた。
「なっ!あんた、この状況見て、わかんないかなっっ!」と男が叫んだ!
”祟られ熊”らしき黒く蠢く醜い塊に今にも飲みこまれそうである。
男はそんなに弱そうにも見えないが既に心が折れているようだ。
確かに”祟られ熊”は見た目もどろどろとしていて気持ち悪い。
「何でもいい!助けてくれぇっ!既にこいつは、俺の小間使いを飲みこんじまったんだよっっ!」と男が懇願した。
「何だと?小間使いを?おまえ、狩人じゃなかったのか?」
ラフィルはあんなに四方八方に張り巡らしてある立ち入り禁止の札が目に入らなかったのか?と呆れた。
立て札には『祟られ熊出没!危険!狩人以外立ち入り禁止!』と書かれていたのにである。
「狩人なんかじゃないっ!俺達は、たまたま森を通過しようとしてて出くわしたんだよ!」
「それで小間使いは、いつ飲みこまれたんだ!?」ラフィルが聞き返す!
「今さっきだよ!丸飲みされたんだよ!あああ!できるなら助けてくれ!あいつはまだ子供なんだ!」
「丸飲み?くそ!間に合うか!」とラフィルはまず、”祟られ熊”の首をもの凄い勢いで剣ではね飛ばした。
そして頭部を失った熊の両腕も切り落とすと剣を放り投げ、黒々とする蛭のような皮膚を纏った”祟られ熊”の腹にいきなり手を突っ込んだ。
ごぽっ…と不気味な音と”祟られ熊”の不気味な咆哮が森に響いた。
両方の手で引き裂くように熊の腹を割る!
黒い血が噴き出しラフィルにかかる。
「くっ!」とラフィルが顔をしかめるが、
「ぐぉぉっぉぉぉぉぉ~!」と雄叫びをあげながら中にいた子供の腰を掴み引きずりだした!
”祟られ熊”は肉塊になってもまだ、びちゃびゃごぷごぷとまるで生きているように蠢いていた。
ラフィルは”祟られ熊”の腹の中から引きずり出した子供を抱えて、教会に走った。
慌てて、この小間使いの主人らしい男が付いてくる。
「ど!どこへ行くんだ?」
「教会だ!直ぐにでも浄化をしてもらわねば、邪気にあたって魔物になってしまうか!死んでしまう!」
「魔物に?」
「ああ、心が純粋な子供や高潔な者ほど影響が出やすい!」
「教会なら浄化の方法が何かあるかもしれん!」とラフィルは叫ぶように男に告げて走った。
「だったら、あっちの小さいほうの教会に行ってくれ!見た目はしょぼくれた爺さんだが、あそこの神父は結構な法力を持ってる筈なんだ!」
「あの神父が?わかった!」
男は、そのラフィルの言葉に神父と面識があるのか?と思った。
自分は神父とは昔からの知り合いだが、この男は何故?と一瞬思ったがそれどころではない。
小間使いは自分を庇おうとして、魔物の前に飛び出して飲みこまれたのである。
咀嚼されずにすんだのは良かったと言えるかもしれないが、ぐったりしていて息さえしているかどうかも分からない有様である。
ラフィルはと言えば、先日教会で式を執り行ってくれた神父がそんなに法力のある神父だったとは…と思いを巡らしながら走った。
確かにあんなに小さな教会の神父にしては随分と眼光がするどかったような気はするが…と思ったが、やはり、それどころではないのである。
血をあびたラフィルの皮膚も爛れて痛みと熱を帯びていた。
ミアは、老婆とまた出かけているかもしれないが、もしかしたら、もう戻っているかもしれない。
ミアのあの浄化の御力があればあるいは…とあの大神殿で見た月の石の浄化の光が脳裏に浮かんだ。
だが、考えても仕方がないとも思った。
今現在、あるかないか分からない”御力”よりも神父の法力にかけるしかあるまいとラフィルは思って教会の扉をバンッと蹴り開けた。
その音に驚き中にいた神父が振り返った。
「おお!何事かと思えば…」
老神父が目を見開いて邪気に纏わりつかれたラフィルとラフィルに抱えられて気を失っている子供に目を向けた。
黒い血にまみれて悲惨な状態である。
「すぐに礼拝堂の真ん中に寝かすのじゃ!其方もそこに立って!」とラフィルも子供の傍らに立たされた。
「アルフォンゾ!聖水を取ってくるのじゃ!場所はわかるな!」と神父が叫んだ!
どうやら男の名はアルフォンゾと言うらしい。
そしてアルフォンゾが汲んできた聖水を神父は何とラフィルに全てかけた。
「なっっ!俺に全部かけてどうする!子供が死にそうなんだぞ?」とラフィルが怒鳴った。
「そ!そうだぞ!爺さん!何考えてんだ!ティムンが死にそうなのに!」とアルフォンゾも神父を責めた。
子供はティムンと言うらしい。
「やかましい!この子供はもう助からん!しかしラフィルとやら!其方は先日、結婚したばかりであろう!花嫁を!ミアさんを未亡人にする気か!たわけめっ!」と神父はラフィルを一喝した。
「お、俺はこの程度で死なない!」老人の意外にも威厳のある一喝に驚いて、ラフィルは一瞬ひるんだ。
他の事はともかくミアの事を持ち出されたら弱いラフィルである。
「馬鹿者めが!ただでさえ恐ろし気な傷を持っておるのに、それ以上醜くなってどうする!その黒い血は洗ったところで落ちぬぞ!この子供は既に全身が黒い血まみれだ!たとえ一命を取り止めたところで、人として生きていくのは辛いだけだろう。其方だけでもその血を聖水で洗い流すのじゃ!」
ラフィルは思った。
ミアは自分の肌が爛れたことを気味悪く思うだろうか?
普通なら思うだろうがミアはこの傷さえいとわずに自分を恋い慕ってくれたのだ。
今さら皮膚が少々焼け爛れても許してくれそうに思ってしまうのは馬鹿げたことだろうか?と…。
「ミアなら大丈夫だ。こんな俺を笑って許してくれるはずだ!頼む神父、この子を助けてやってくれ」とラフィルが懇願した。
「あ、あんた…いい奴だな…」とアルフォンゾが言った。
だが、老神父はアルフォンゾにも厳しい言葉を放った。
「アルフォンゾ!この子供、助かってもこの血はのかんぞ?それでも助けるのか?黒い皮膚を纏って生きていくこの子をお前は世間から守ってやれるのか?」と神父が言うとアルフォンゾは言葉につまった。
自分は守ってやるつもりだが、ティムンはぞれで幸せになれるのか?と一瞬考えてしまったのだ。
自分なら、そんな黒く焼けただれたような見た目で生きていたいと思うだろうかと…。
死んだ方がマシだと思うのではないのかと。
「やかましい!こいつがいらないなら、この子供は俺とミアで面倒見る!いいから助けろっ!」とラフィルが叫んだ。
その時、バンッと再び教会の扉を開け放ってダーナとミアが入ってきた。
「さすがは、私の旦那様!大賛成よっ!」
ミアの声が小さな教会の中に大きく高く響いた。




