45.ドリーゼの苦い記憶と悲しみ
「とんでもないことだわ」
ドリーゼは、怒りと悲しみに飲みこまれそうな心持ちだった。
まさか、あのダルタスまでもが…と、苦しかった頃の記憶がよみがえる。
今は亡き夫もそうだった。
「私という妻がありながら、あの人は街はずれの屋敷に愛人を囲っていた…」
貴族とは名ばかりの、辺境にわずかばかりの土地をもつ男爵家の末娘…。
今では名前すら覚えてはいないが、その女の存在に穢れを知らずに育ったお嬢様育ちの当時のドリーゼがどれほどまでに苦しめられたことか…。
まだドリーゼが乙女の頃の話である。
ドリーゼはラフィリアード公爵家に嫁ぐ前、結婚にもそれなりの夢を描いていた。
貞淑な妻となり夫を支え献身を尽くそうと心に誓っていた。
それなのに夫ラフィリアード公爵は、結婚してわずか一年余りで外に愛人を囲ったのである。
それでも最初はどうにか自分に振り返ってほしいと、美しく装ってみたり夫の好きそうなお酒や食事を用意させて待ったりと努力してみた。
それなのに、帰ってきた夫はすでにお酒を飲んでいたばかりか、安っぽい女性用の香水の移り香を漂わせていた。
伯爵令嬢として、蝶よ花よと大事に育てられたドリーゼにとってその仕打ちは山の頂から谷底に突き落とされるようなショックだった。
それなのに、誰もドリーゼの気持ちには寄り沿ってくれなかった。
それどころか、貴族の…ましてや公爵家の当主ともなれば愛人の一人や二人いて当然だと言われた。
正妻なのだから、毅然としていればよいと…。
誰もかれも自分の両親にすらそう諭された。
夫も自分が悪いなどとは露程も思ってはいなかった。
そして、ドリーゼの心は徐々に冷えていった。
その瞬間からである。
清廉潔白な令嬢だったドリーゼの心に闇が宿り邪気を取り込みだしてしまったのは…。
息子が嫁を迎えた時も夫の愛人と同じ男爵家の出だと聞くと、その愛人の女と嫁が重なって見えて憎さが倍増し膨らんでいった。
そして、ドリーゼは何かにつけて「これだから身分の低いものは…」「お育ちが知れるというものよ」と、辛らつな嫌味どんどん吐くようになっていった…。
止められなかった。
放った言葉にもまた邪気は群がり、どんどんとドリーゼに憑りついていったのである。
ルミアーナから渡された月の石で邪気が取り払われているせいだろうか。
憎しみはもう忘れた。
ただ、今は悲しさばかりが胸をしめつけ涙がこぼれる。
過去の自分を思いだし、ルミアーナに心から同情し涙を流すドリーゼだった。




