188.余談~ツェン・モーラ、侯爵になる
私、伯爵家嫡男ツェン・モーラは学生時代から乗馬の名手として名を馳せていた。
乗馬の腕前だけは他の誰より優れていると自負していたのだが、騎士学科でのダルタスとの出会いはそんな私に衝撃を与えた。
それは、勝負などではなかったが確実に”負け”を感じたのである。
それは野営授業の時であった。
私は、先発隊で一番乗りで馬をかけさせていた筈だった。
小半時も走らせた時の頃、私は耳を疑った。
自分のすぐ後ろに蹄の音を聞いたからだ。
振り返るとそこには無表情に淡々と馬を駆るダルタスがいたのだ。
嘘だろう?彼は何者だ?先発隊にはいなかった筈だ。
…と言う事は後発隊?
そう、ダルタスは先発隊の私の後に続いていた者達ですら追い抜いてしまっていたのだ。
『あれは誰だ!』それがダルタスとの最初の出会いだった。
その後、ダルタスは、しれ~っと自分を追い抜いて淡々と課題の作業をしてその場を去っていった。
しかし、自分が課題の5種類の薬草集めを終えて野営地に戻っても、そこにダルタスの姿はなかった。
『自分より早く作業も終えていた筈なのに何故?』と気にかかり、私はダルタスの事を調べてみた。
すると、彼が野営訓練の時、野営地に戻るのが遅かったのは、一人の女子に馬を貸してやった事がその原因であったことが知れた。
彼は歩いて野営地まで戻ったのだ。
それを知る者はわずかだった。
本人が言わなかったからだ。
”漢”だなぁと感じ入った。
そして私は、出自や身分などは学園にいる間はトップシークレットになっているから知ることが出来ないが、それ以外の彼の人となりを知りたくなったのだ。
(ちなみに身分が明らかなのは学年が一つ下の王太子殿下くらいだろう)
彼の周りの評価はまちまちだった。
彼は顔の傷の事もあり結構な有名人だった。
彼は一部の者からはかなり蔑まれていたようだが、私はそいつらの事を愚か者だと思った。
学園での彼の成績は誰の目から見ても抜きんでていて素晴らしいものだった。
たかが顔の傷ごときの事で身分を推し量り嘲る者達の気が知れない。
彼を知れば知るほどに私は彼に対し、尊敬の念をつのらせるばかりだった。
そして私は、幼馴染のクンテと共によくダルタスに声をかけるようになった。
それと同時に同じクラスのクラス長のトーマとも気が合いよくつるむようになった。
学園を卒業してからも友達として良い関係を持ち続けたかったのだが、それは叶わなかった。卒業後それぞれの部署に配属されたこともあり、忙しさの中、疎遠になってしまったのである。
何よりダルタスは公爵家現当主で遠い人になったような寂しさも感じた。
公爵家現当主だなんて…まだ爵位もついでないたかだか伯爵家の自分からしたら引け目も感じてしまったのだ。
ダルタスがそんな事で人を推し量るような人間でない事くらい分かってはいたが…。
しかも彼が三将軍の一人だなんて!
さらに国の要である王都の将軍に抜擢された時には正直、嬉しさより置いて行かれたような寂しさの方が勝ってしまっていた。
そんな自分ではあるが、彼の結婚を知った時には心底、祝いたいと思えた。
心からの祝福を自分の口から伝えたかった!
それなのに幼馴染であるクンテが起こしたあの事件。
とてもではないが合わせる顔などなかった。
今回の同窓会だって本当は欠席したかったのだ。
だからこそ、トーマからルミアーナ様を守ってほしいと頼まれた時、自己満足ではあるが贖罪の機会を与えられたとが嬉しかった。
そして何が何でもルミアーナ様を護ろうと後をつけた。
そしてまた自分は思い知った。
自分など、本当に大海の中の一匹の小さな魚でしかないという事を!
ルミアーナ様は、美しく気高く…夢のように可愛らしくありながら、とてもとても強かったのだ。
自分の助けなど、全くもって必要がなかったという事を思い知った。
それどころか自分がいたせいで、あの女ロレッタ・ルーティーにつけいる口実を与えてしまったのだ。
あの女は、あろうことか私とルミアーナ様が逢い引きをしていたという根も葉もない言いがかりをつけてきたのだ。
白を黒に塗り込めんばかりの狡猾なロレッタの攻め口に、正直なところ私は怯んだ。
例えそれが単なる言いがかりでしかなくとも、公爵夫人であるルミアーナ様には醜聞にしかならないだろう。
ああ!私がのこのこと付いて行ったせいで!そう思った。
最悪、泥は全て自分が被るつもりだったのにルミアーナ様は平然とされていた。
あの後、自分たちのあの時の様子が全て観客席にさらされていたのだとトーマから聞いて驚いた。
全く、ロレッタはとんでもないお方を敵に回したものだ。
名誉挽回と意気込んでいたにも関わらず、結局、何の助けにもならなかったと肩を落としていたら、なんとルミアーナ様が直々にお声をかけて下さった。
「ツェン様、ツェン様のお友達であるクンテ様を罪人にさせてしまって本当にごめんなさい。でも、安心してね?彼が本当に反省すれば今ある痣も消えると月の石の精霊のリュートは言っているわ」と告げられた。
何故ルミアーナ様が月の石の精霊様を持ちだすのかと思ったら、護衛騎士のリゼラ殿からルミアーナ様が”月の石の主”だからだと教えられた。
確かに、以前アクルス王太子様がそのような事を言っていたように思うが、あの時は正直あまり本気にしていなかった。
ましてや伝説の月の石が、実在すると信じてはいなかった。
血族やら伝説の月の石なんて話は、あくまで空想の産物だと思っていたのだ。
何と言っても王太子様は、昔からおふざけや軽口の少なくないお方だったから…。
しかし正真正銘、本当の事だったのだ。
もう驚きすぎて声も出なかった。
あの、すこぶる綺麗なリュートという若者が精霊だったのだという。
今にして思えば人と言うには確かに美しすぎる若者だった。(ルミアーナ様もだけれど)
知らなかったこととはいえ、ロレッタは精霊様を”不貞の輩”扱いしたのだ。
殺されても文句は言えなかったのではなかろうか?
それは、ルミアーナ様…”月の石の主”に怪我を負わせたクンテにも言えることだろう。
それにもかかわらず、ルミアーナさまは国王様の怒りを鎮め、助命の嘆願までしてくださったのだ。
その優しいお心に万感の想いが募った。
そして驚いたのはその後のお言葉だった。
「それで、ツェン様には申し訳ないのですけれど、あのロレッタの部下のうちの一人は、話を聞けばダルタス様の崇拝者だという事だし、私を襲うつもりもなかったようなのでツェン様の所で兵士として雇ってもらえないかしら?ツェン様の監視下の元でならダルタス様も問題なかろうとおっしゃってくれたし…」
この言葉に不覚にも私は感涙してしまった。
ダルタスは私の事をそのように信頼してくれていたのかと…。
そしてダルタスも直接、私に声をかけてくれた。
「先だっては、せっかく祝いに来てくれたのにツェンには申し訳ない事をしたな?お前もいいとばっちりだったろうに…幼馴染だったお前からしたら複雑な心境だろうが、俺からもじつは頼みがあるのだ」と頭を下げてきたのである。
将軍で公爵でもある彼が頭を下げるなんてと私は焦ったが、昔と変わらない彼の態度に感動して心から嬉しく思った。
そして話とは、クンテの実家の話だった。
クンテの実家は名門のダート侯爵家だ。
私の伯爵領の隣の領地が彼の侯爵領で家同士の付き合いも深かった。
立場はあちらの方が上だった為、私は侯爵家嫡男のクンテの遊び相手兼お目付け役に小さな頃からあてがわれて、クンテの世話はもはや自分の生涯の仕事だと思っていた。
ちょっとばかりナルシストなところはあったが、単純なとこもあって憎み切れない愛嬌もある男だったと今でも思っている。
勿論、ルミアーナ様の件は許されざる事ではあるが…。
そして頼みと言うのは、クンテの継ぐはずだったダート侯爵家の家督をこの私に継いではもらえないかという話だった。
そもそも、ダート侯爵家にはクンテ以外の子供がおらず、嫡男を失っている状態なのだ。
家督は無事に済んだものの、継ぐ者がおらず、このままでは取りつぶされずとも家督が途絶えてしまうという事なのである。
今回の事でダート侯爵も一気に老けてしまわれて爵位を国へ返上してでも隠居したいと願い出たのだとか…。
そこで、兄弟のいる私に白羽の矢が立ったらしい。
モーラ家の家督を弟に譲り、ダート侯爵家を継いでほしいという事なのだ。
そしてクンテが本当に心底反省して、その証としての顔の痣が消えたのなら、騎士としてダート侯爵家やモーラ伯爵家の騎士として更生させてやるのも良かろうと言うのである。
侯爵にはなれなくとも、騎士としてやり直す道を残してくれたのである。
その申し出に私は胸が熱くなった。
既に、ダルタスからはダート侯爵家に、その話を内々に申し入れており、お家お取りつぶしをも覚悟していたダート侯爵は、願ってもない事だと涙を流して喜んでいたという。
すぐにでも手続きをして自分は隠居し、妻と領地の片隅にでも住まわせてもらえればよいというのである。
小さい頃から交流のあるダート侯爵様や侯爵夫人がお気の毒に思い、彼らが少しでも心救われるならと思った。
出来る限り手厚くお支えし、いつかクンテが帰って来たら一緒に住んでもらえるようにしようと考えた。
そうして私は謹んでその申し入れを受け入れ、ツェン・モーラ・ダートとなりダート侯爵家現当主となる事になったのだった。




