106.戸惑いの輝夜姫-1
その日の授業も終わり、まだ学校に慣れていない美羽を亮子が教室まで迎えに行き、それから校門の所まで兄の仁が迎えに来る。
そんな過保護な様子も一年の間で美羽は”お嬢様”然として見えた。
美羽と亮子をのせて学校から帰る車の中、仁は事の成り行きを従妹の亮子から聞いて大爆笑していた。
何はともあれ美羽が拓也のことを全く何とも思っていないのは紛れもない事実のようである!
「なぜ?お兄ちゃんと亮子ちゃんは笑うの?拓也君、濡れ衣で可哀想だったでしょう?」と心から気の毒そうに言う美羽である。
「まぁ、美羽ったら気にすることないのよ?あんな勘違いバカは放っておけばいいんだから!」
「勘違いバカ?」
「そうよ!まぁ、そもそもは親衛隊の女の子たちの勘違いから始まったみたいだから、まぁ…ちょっとは可哀想な部分はあったかもしれないけど…あいつ美羽が自分のこと好きだとか何とか勘違いしてたんだから!」と、ぷんぷん怒っている。
「まぁ…でも、何とも思ってないとはっきりお伝えしましたし、もう大丈夫ですよね?」と美羽がにっこり微笑む。
「ああ~昔の美羽なら、ここで”はぁ~っ?”って怒るところよね?」と亮子が言うと仁がきつい口調で亮子を叱った。
「昔の!なんて言うな!今も昔も美羽は美羽だろうが!」
「ああ、ごめん!仁兄ぃ、別にそれがいけないってんじゃあないのよ?今の美羽もお姫様みたいで好きよ、私。知ってる?仁兄ぃ!美羽ね、一年の間で”1-Bの輝夜姫”って噂されているのよ」
「姫…ですか?」と美羽が亮子に聞いた。
「そうよぅ!昔の騎士みたいな美羽も格好良くて大好きだったけど今の思わず守ってあげたくなっちゃうような美羽もあたしは大好きよ」と亮子が美羽に抱き着いて頬ずりする。
「ははは!輝夜姫か!美羽にぴったりだな」と仁も笑う。
美羽はどきっとした。
そう言えば、公爵令嬢だったとき、侍女のフォーリーは自分の事をいつも『姫様』と呼んでいたわね…と心の中で思う。
あの侍女だけは、いつも私の味方だった…。
私が死んでしまって…悲しんだろうなと彼女の事を思うと胸が痛んだ。
(美羽はルミアーナだった時の自分はあの時に死んでしまったと思いこんでいた)
「どうしたんだ?美羽?気分でも悪いのか?」と何故か沈んでいる風な美羽に声をかけた。
「いいえ、大丈夫。お兄ちゃん、ちょっとだけ車に酔っちゃったのかも?もうすぐ家だし大丈夫よ」
「何?そりゃいけないな。亮子、お前んちでちょっと休ませろや!取りあえず美羽を車から下してやらないと」
「え?ほんと?ラッキー!美羽と仁兄ぃが、うちに上がるのなんて久しぶりね、父さんたちも喜ぶわ!」
「え!お兄ちゃん。私、大丈夫よ?急にお邪魔しては悪いわ!」
「何、遠慮してんだ?亮子んとこは、元々お前んちでもあったんだから気にすんな!」
「え?」
「あら、それも覚えてないかぁ~、仕方ないよね?気にしないのよ?」
「ああ、すまんすまん!」と何やら仁も謝ってくる。
美羽は、訳がわからず首を傾げた。
いえいえ、私の方こそ申し訳ないのです…と美羽は思う。
いまだに、前世の?(勝手に前世だろうと予測しているだけでは、あるが)記憶の方がはっきりしている今の美羽は、この世界でしばしば戸惑う。
なぜ、亮子の家が自分の家だったというのか?一生懸命思いだそうとするけど、混沌としていてよく分からない。
ほどなく亮子の家に着く。
そこは、小さな神社だった。
確かに亮子を送ってこの前に来る度に懐かしさは覚えるが、それが何かまでははっきりとは分からないのだった。
そして亮子に手を引かれ神社の鳥居をくぐった。
すると、一瞬、キラキラと淡い光が自分の前を横切った気がした。
ふと、仁や亮子を振り返るが二人には何も見えなかったようだ。
「ん?どうしたの?美羽」
「え?いえ…あの?今、何か光がきらきらって…」
「眩暈じゃないのか?」仁が、慌てて美羽を抱きあげた。
「きゃっ!お兄ちゃん!大丈夫だから!」驚いて小さな悲鳴をあげる美羽である。
かっと顔が熱くなる。
「無理すんな!体力だって以前よりかなり落ちてるんだから!」と仁の方は本気で心配しているが美羽はそれどころではない。
兄とはいえ、美羽の記憶はまだ浅くルミアーナの記憶の方がよほど強いのだ。
兄として受け入れているつもりではいてもまだ、おぼつかないのである。
こんな風に若い男の腕に抱きかかえられるなど異世界で公爵令嬢だったころの自分では考えられない。
気を失いそうになるほどの衝撃である。
「大変!早く母屋の方に行きましょう?冷たいお茶でも出すから!」と、亮子も本気で心配している。
三人は境内を横切り裏の母屋の方へと急いだ。
大事に大事に抱きかかえられて美羽の綺麗な黒髪が揺れる。
その様子を見て、まるで本当に物語に出てくる”かぐや姫”のようだと亮子は思った。
母屋に行くと、ちょうど神主である亮子の父、つまり美羽の叔父が午後のおつとめを終えて一服していたところだった。
「おお!美羽ちゃんじゃないか?仁も!どうしたんだ?美羽ちゃんは?歩けないのか?」
「おじさん、久しぶり!美羽が車に酔ったみたいでさ。ちょっと一休みさせてくれないか?」
「ああ、そりゃ大変だ。いくらでもゆっくりしていくといい。儂はまだ、もう一回、ご近所さんの法事でお勤めに行かにゃならんから、ゆっくりしていくといい」
「うん、そうさせてもらうよ。ありがとな」
「叔父さん、すみません」と美羽がいう。
「何だ何だ?すっかり、しおらしくなっちゃって、本当に大丈夫か?何だったら泊まったっていいんだから、ゆっくりしてけ!」
「もう、お父さんたら、美羽がよけい気をつかっちゃうじゃない!さっさとお勤めいってきて!」
「ひどいな?まぁ、いい、仲良くしろよ?」
「はいはい!いってらっしゃい~」と父の背中を押して追い出すように見送る亮子であった。
亮子の父、少し可哀想である。
亮子は冷たい緑茶を入れて、運んできて美羽に差し出す。
仁は静かに美羽を畳の上におろし美羽はやっとほっとするものの、まだ胸がどきどきして止まらない。
一見、すらりとして華奢に見えるその体は引き締まっていて胸板は意外にも厚かった。
さすが、神崎道場の跡取りである。
鍛え上げられた体は無駄な肉はなくその筋肉はしなやかな鞭のようである。
美羽から神崎仁は兄として見るには、あまりにも美しく危険な魅力を漂わせる存在だった。
(お願い、これ以上私に近づかないで)そう心の中でつぶやいてしまう美羽だった。
そんな美羽の気持ちにはとんと気づかない兄の仁はまだ美羽のおでこに手をあてる。
大きな手である。
「熱いな?熱も少しあるかも?」とおろおろしている。
(お兄ちゃん、貴方が触れなければ熱くならないから!そっとしておいてください)と思う。
そしてたまらず目をきゅっとつむる。
「美羽?」と仁が顔を覗き込む。
「…っ」美羽は両手で顔を覆い、真っ赤になってうつむくのだった。
そして、その様子を見守っていた亮子は気づいた。
美羽が以前の美羽とは本当の意味で違うことに…。
…そして仁も…。




