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お嬢様 must go on!  作者: 紙月三角
カーテンコール
36/37

02

 演劇部の部室。後夜祭パーティの会場となる学園のホールからは離れているため、パーティの喧騒はまったく届かない。こんなときに部室棟に用のある人間がほとんどいない事もあって、部室の中は静寂そのものだった。

 演劇部担当教諭、不破力(ふわ りき)は、演劇部の資料整理と次の担当への引継ぎ書類の作成という名目で、1人演劇部の部室にいた。だが、実際のところはそんなものはもうとっくに終わっていた。もともと演劇にそれほど興味があったわけでもなく、新任教師の通過儀礼として任されて以来、やめる機会を逃していただけだったし、最近は教師の本業の方の引き継ぎが忙しくてほとんど部活に顔を出す事ができていなかったのだ。今更この部活の為にやれること、やらなければいけないことなど、不破にはほとんど無かった。いま不破がしている事といえば、パイプ椅子に腰掛け、ただ感慨深く部屋を見渡しているだけだった。


「はは、なんだこりゃ…」

 ホワイトボードに書かれた意味不明な『部則』に気づいて苦笑する。この部室は、不破の知らない事で満ちていた。不破が知らない、蘭子が経験したであろう様々な事で。


「やっぱり、ここにいましたね…」

 急に話しかけられた事に驚きつつも不破が声のした方を向くと、そこにいたのは壁にもたれかかるしとねだった。彼女はパーティ用の白いワンピースのドレスを着て、ショートカットに大きな花のアクセサリーをつけていた。恥らうような顔つきで、いつもの王子らしさはどこにも無く、どこからどう見ても可愛らしい女の子だった。

「おう、美浦か…」

「蘭子ちゃんの方がよかったですか?」

 しとねは不破とは目を合わせずに、いたずらっぽく冷やかすように言った。

「いや、ら…鳳はパーティーを途中で抜けて、今は家に帰って荷物の整理を…」

「そんなの知ってます。さっきみんなに最後の挨拶して、釈さんの車で帰るところ見送ってきましたから。そうそう、釈さんもすごい人ですよね。雇い主の蘭子ちゃんのお父さんを裏切って、2人の駆け落ちの手伝いしちゃうなんて………って、冗談なんだから真面目に答えないで下さいよ!」

 しとねは頬を膨らませて怒ったような顔を作る。不破はそれを見て照れ笑いを浮かべた。


「その格好、すごく似合ってる。かわいいよ」

 不意に言われて、しとねは顔を真っ赤にして、ぷいっと不破から顔をそむける。

「あんまり見ないで下さい!別に先生のためにやってるんじゃないんですから!」

「いや、ごめんごめん」

 不破も体ごとしとねに背を向ける。だが、不破が向いた先の窓ガラスには、外が真っ暗なので明るい室内の様子がはっきりと反射している。窓ガラスには、ドレスの短いスカートの裾を両手で引っ張って下に伸ばして、あらわになった太ももを少しでも隠そうとするしとねの姿があった。

「今日は、先生のことなんかもう好きでもなんでもないって事、ちゃんと言っときたくて来たんです。今更そういうこと言っても意味ないですから…」

「うん…」

 不破は優しい表情でガラス越しのしとねに笑いかける。それに気づかないまま、しとねは続けた。

「もう完全に吹っ切れたんです…。今までの私って、なんか義務みたいに先生に固執しちゃって、先生のこと諦めたら自分が空っぽになる気がして、ほんといっぱいいっぱいでした。そのせいで蘭子ちゃんのこと避けちゃったり、冷たくしちゃったりして…どうかしてましたね、わたし…」

「……君達みたいな未来のある若者は、僕みたいなおじさんなんか好きになっちゃいけないよ」不破の声は、子を優しく諭す父親の様でもあった。「4月には迷惑かけたね。ちゃんとみんなには隠し通すつもりだったんだけど………美浦が僕のことを…その、ね…」


 しとねは、「はあー」と大げさにため息をついた。

「やな感じ。そうやって大人ぶって、私のこと子供扱いして…。あれは私のファンの子が私たちの会話を盗み聞きしてたせいでしょう?私のせいみたいなものじゃないですか。なのに1人で責任取ろうとして…。私の事守るつもりだかなんだか知りませんけど、自分が蘭子ちゃんとつきあってることまでカミングアウトしちゃって、結局2人して退学処分になってりゃ世話無いですよ…」

「ははは…」不破は体を揺らして笑う。「この学園のお嬢様達ならきっと黙っててくれると思ったんだけどね……淑女の礼節ってやつでそういうゴシップとか興味無いやつ多いからさ。でも、まさかその美浦のファンの子ってのが小等部の先生だったなんて思わなかったよ。あれは傑作だったな」

 まるで他人事のような不破の態度に、しとねは呆れているようなポーズを作る。

「うわっ…、先生と生徒の区別もつかないなんて…。ほんと先生って人のこと全然見てないですよね。目が覚めてよかったーわたし。あーこんな人と駆け落ちする蘭子ちゃんかわいそう!」

 しとねは本当はわかっていた。人の事を見ていないんじゃなくて、蘭子ちゃん以外が見えてないんだろうな…。


「…この前言ってたのってほんとに本当ですか…?あの台本を書いたのが先生じゃないっていうの…」

 不破は、やれやれ、という風に首を振る。

「はは、さすがにそれやったら公私混同が過ぎる、って怒られちゃうよ。蘭…、鳳が主役の台本なんてさ。だいいち僕に演劇の台本なんて書けないよ」

「ふーん、最後までしらをきるんだ…」

 困ったような顔をする不破を、しとねは無視する。

「まあー何でもいいですけど……先生が何て言ったところで、先生が書いたってのはもうこの学園の生徒にとっては常識みたくなってますし。知らないのなんて、転校生の沙夜ちゃんくらいのもんですよ。だいたい、あの配役見た瞬間から演劇部の全員が確信したくらいなんですよ。『うわ、先生が自分の彼女の思い出作りに文化祭と演劇部利用しようとしてる』って。『あいつやりやがったな』って。すごいのはそれわかってて受け入れちゃう先輩達の懐の大きさですよ」

 私は終始むかついてましたけど…。しとねはいっぱいいっぱいだった自分を思い出して苦笑する。

「もし僕が台本書くんだとしたら、鳳にはもっと地味で簡単な役を与えるよ。だってあの鳳だよ?今日は奇跡的にボロが出なかったみたいけど、普通に考えてあいつに劇のメインの、犯人なんてやらせたら劇がぶち壊しになるのが目に見えてるだろう?」

 しとねは「分かってないなー…」と首をふる。

「確かにあいつが毎日つまらなそうだったからよく相談にのってやってたし、そのときの勢いで、なんか部活でもやってみたら?って薦めたのは僕だけどさあ…。演劇部に連れてきたのは自分が顧問しているからってだけで、別にそんなに演劇をがんばって欲しいってわけじゃなかったんだぜ?ただ、学園にあいつの居場所ができて、それでついでに友達の1人でも出来ればって軽い気持ちで…」

 不破は何か自分と蘭子にしか分からない思い出に浸っているようで、くすっと笑った。

「まさかあんなに演劇に夢中になるなんて思わなかったなあ。自分のことをオードリーヘップバーンの生まれ変わりとか言いだしてさ。はは、舞台女優じゃなくって、誰でも知ってるような有名な映画の女優を言うあたりが蘭子らしいよな。それでそれだけ大口叩くくせに、演技なんて見れたもんじゃないんだから。ふふ、そうなんだよ。あいつプライド高いから平良とか部の連中には相談しないで、いつも僕に演技見せにくるんだよ。僕は演技の事なんか全然わからないから何もサポートできないって言ってんのにさあ」

 のろけるな…バカ、変態。今までは言い寄るしとねを冷たく突き放すだけだった不破が、これが最後だからか、しとねがもう諦めたと言ったからか、饒舌に、楽しそうに喋っていた。

「うん、僕は本当に蘭子に何もしてやれなかったんだ……せいぜい学園とあいつの親を誤魔化して、退学を先伸ばしして、文化祭の劇に出させてあげるくらいしか…。黒星が演劇部に入ってくれたのはラッキーだったよ。あいつの友達になって、一緒に遊んだりしてくれてたんだってね?黒星の事を話すときのあいつって、前とは見間違えるくらい生き生きしてるんだよ。転校生なら学園内のしがらみもないし、話し相手位になったら、ってつもりで蘭子をけしかけたんだけどさ。予想外に気があったみたいだね……これでもう僕なんか必要ないかもしれないな、本当はね」

 不破は自虐的に笑う。

 じゃあ別れればいいじゃない…。それをしないのは、それが出来ないのは、今じゃあ先生の方が蘭子ちゃんを必要としているから…。


「…あいつも早く目が覚めてくれるといいんだけどね。こんな中年のことなんかさっさと忘れてほしいよ。……美浦はどうやったんだ?恋人でもできたか?」

「うわうわっ、完全にセクハラ!安心してください、蘭子ちゃんも直ぐに気づきますって。家を飛び出して駆け落ちまでする自分の恋人が、本当はただの変態教師だってこと」

「ひどいな…」

「変態ロリコン教師と一緒の空間に居たくないんで、私もう行きますね。なんか今日この部屋、加齢臭きついし…」

「ほんとにひどいな…」

 笑う不破。しとねも笑いながら部室から出て行こうとする。


 だが、扉を閉める途中で思い出したようにまた顔を出した。

「私が先生のこと諦められたのは、友達に教えてもらったからですよ。誰かを好きになって、それがだめだったとしても、それまでの全部が無駄になるわけじゃないんだって。そのときのつらい気持ちだって、誰かを支える力になるんだって…。だから怖がる事なんて無いんですよね、前に進んじゃえばいいんですよ」

「…いい友達を、持ったね」

 不破はパイプ椅子に腰掛けて背をむけたまま微笑んだ。

 

「で、言い忘れてたんですけど。私がこの前先生に渡した写真ってまだ持ってます?もってたら返してもらえません?」

 不破は振り返って怪訝な顔をした。

「写真って、鳳の『浮気現場』って言ってた…あれ?」

「データは勢いで全部削除しちゃったし、プリントした2枚とも先生と他の人にあげちゃって、もう手元に無いんですよねえ」

「一体何に…」

「心配しなくても、先生にやったみたいな脅迫めいた事はもうしませんって。あの時の私はどうかしてたんです。恋する乙女の勇み足ですよ。……今はもう、そういうんじゃなくって…」

 眉間にしわを寄せる不破に、「私信頼ないなー」としとねはおどける。そして、いつものように気取った王子のポーズを取った。

「その写真は2人がすごくかわいく撮れたから、生徒手帳にでもはさんでおこうかなってね。女の子の可愛らしい表情をいつも眺めていたい、というのは生物として当然の本能でしょう?」

 動作や顔つきは王子様なのに、格好は色っぽいドレスなのがミスマッチで滑稽だった。

 こんな冗談言うくらいなら大丈夫か、と不破は思った。

「ああ、僕の部屋にあるから後で送るよ」

「…よろしくおねがいしますよ。それだけです。じゃあ本当に、さよなら」

 しとねは「けほっ、けほっ…加齢臭きつ過ぎて、むせるわ」と口を手で覆いながら、今度は本当に部室を後にした。

 不破は無言でその後ろ姿を見送った。




 誰もいない部室棟の廊下を早足で歩くしとね。


 ああー、なんでいつもいつも無理っぽい方に行っちゃうかなー、私…。

 彼女持ちの中年をやっと諦められたと思ったのに、今度は沙夜ちゃんて…。だって、沙夜ちゃんさっきMVP発表の時に衿花ちゃんに告ってたしなあ。小声で言ってたけど、隣の席だったから丸聞こえだったよお。衿花ちゃんがライバルじゃあ、だめだよなあ、やっぱ無理っぽいよなあ。いまさら可能性ないよなあ…。

 


 …あ、あれ、おかしいな。何これ…?えっ、こんなのおかしいって…。意味わかんないって…。だって私、もうちゃんと諦めたんだから…。もう悲しくなんてないんだから…。さっきだって、ちゃんと普通に…喋れてた…よ、ね。


 部室をだいぶ離れてからも、しとねはずっとわざとらしく咳きこみつづけながら、顔を手で覆うのをやめる事が出来なかった。

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