07. ばかじゃないの
「蘭子!」
階段を上りきって周囲を見渡した沙夜は、広い観客席の中でも周りに生徒が全然いない、スコアボードなどを表示する大きなLEDディスプレイの真下の席に蘭子を見つけた。
「さっきから何ですの?ワタクシ、あなたの顔を見たくないと言ったはずですけれど?」
駆け寄ってきた沙夜に大声で名前を呼ばれた蘭子は、億劫そうに振り向く。沙夜は眉間に皺を寄せ、ちょっと考えた末に決心したように言った。
「わたしの事は何でもいいよ。でもね……さっき部長さんに言ったのは絶対駄目。ちゃんと謝って」
「ばかじゃないの……」そう言って蘭子は直ぐに沙夜から目をそらした。「平良部長は…、あなたたちは…、あんな事を言われるだけの事をしたのよ。どうしてワタクシが謝らなければいけないのよ…下らないわ………あなたは、あなただけは、ワタクシの事を分かってくれていると思っていたのに………本当はワタクシの事なんて馬鹿にしてたのよね……。ワタクシが惨めでいるのがそんなにおもしろいのかしら!」
「蘭子!誰もあんたを馬鹿にしてなんかいない!わたしも!部長も!」
「…じゃあどうしてワタクシに皆さんの期待を裏切らせたの!今朝、ワタクシが障害物走を辞退すると言ったときのクラスの皆さんの失望の顔!…あんな顔はもう2度とみたくなかったのに!」
蘭子の悲痛な叫びは、観客席の声援と、やかましい実況放送によってかき消されて沙夜にしか届かない。沙夜は慎重に言葉を選んで話す。真剣な表情で蘭子をしっかりと見つめている。
「…部長さんはきっと蘭子のためにあんな事を言ったんだよ。だって、あの人はなんの理由もなく誰かを傷つけるような人じゃあ…」
「それはどうかしら?部員同士の『デート』を尾行して写真を撮ったり、もっともらしく言って部員同士の交遊を禁止したり、あの人なら何をしたっておかしくありませんわ。結局、あなた達はワタクシを自分の思い通りに動かして遊んでいるだけなのよ!」
「ばか!」
「ええ!あなた達にとっては、ワタクシはさぞ愚か者に見えるのでしょうね。ワタクシはあなた達の慰みものですもの!」
どうして…。沙夜は泣きたくなってくる。どうして分かってくれないの…。どうしてわたしの話しを聞いてくれないの…。
「あなたのいう事なんて、何も聞きたく無い。何を言われても、もう何も信じられない」
もう…だめなの…?
沙夜は、蘭子に背を向ける。
わたしたち、あんなに楽しくやってこれたのに……こんな…、こんな簡単に…?
1歩、沙夜は立ち去ろうと足を出す。
わたし……いつも…、いつもおんなじだ…。せっかく仲良くなったのに……ちょっとした事で、こんな…こんな風にいつも……駄目にしちゃって……。
でも、蘭子………蘭子にだけは……。
「……蘭子の、世間知らず!」
「な、何ですって!」
沙夜は、蘭子に背を向けたまま叫んだ。
「こんなの常識なんだよ!…みんな知ってんだよ!常識があれば、蘭子だって直ぐに気づけたんだよ!」
「あなた!さっきから何を…」
「怪我人が『階段から落ちた』って言ったら、それは100%嘘なんだよ!」
「な、何を言ってるの?!そ、そんなの…意味が分からないわ!」
後ろを向いたきり立ち去らない沙夜に苛立たしそうな蘭子。沙夜は小さく笑った。
「わたしもわかんない…でもね…、きっと蘭子は、その『嘘』の意味に気づかなくちゃいけないんだよ。それが…、それが出来ないうちにこれ以上部長さんにあんな事言うんだったら……」
沙夜は、ぎゅっと目を瞑り、のどの奥から搾り出すように続けた。
「わたしだって、蘭子とは友達でいられない…」
「……それこそワタクシの望むところですわ!やっと絶交が成立しましたわね。これでもう気分を害されることが無くてすみそうでよかったわ。おーほほほほ!」
蘭子は席をたち、いつもよりずっと不自然な高笑いとともに左右の縦ロールを颯爽となびかせて去っていった。沙夜は離れていく蘭子の背中を見つめたまま立ち尽くしていた。
ああ……、蘭子が行っちゃう…。
どうして「友達でいられない」なんて言っちゃったんだろう……。
沙夜は信じたかったのだ。蘭子なら、きっと分かってくれる。本当の衿花のこと、そして自分のことを分かってくれるということに。




