06. こんなの全然大丈夫なのよ
借り物競争のスタートラインには新しく別の生徒3人が並び、開始のピストルを待っている。放心状態の沙夜は、しとねに連れられながら観客席に通じる競技場の入出場口をくぐっていた。
太陽光は遮断されているために薄暗い通路。次の種目に出場するのだろうか、数人で固まって談笑する生徒達がいる。沙夜はそんな姿を目にするたびに、さっきの自分の事を言われている気がして恥ずかしくなって、どんどん体が小さくなっていくような気がした。そしてできる事なら、いっそそのまま消えてしまいたいと思っていた。
「悔しいな。さっきの借り物競争で10種目連続で1位になったっていうのに、みんなの注目は完全に沙夜ちゃんに持って行かれちゃったね」
「は、はは…」
乾いた笑いを浮かべる沙夜。
「大丈夫だよ。沙夜ちゃんが女の子好きで、どんな報われない恋をしていたとしても、それで馬鹿にしたり、陰口を言うような生徒はこの学園にはいやしないからさ」
いや…そもそもそれが事実と違うし…。ああもう…、ただでさえ蘭子と微妙な感じになってるのにぃ……。
沙夜は恐る恐る後ろを振り返って、同じように観客席に帰ろうとしている蘭子の様子を確認する。怒ってるかなぁ……怒ってるよねぇ……でももしかしたら、「まったく、沙夜はもう少しワタクシ離れをしなくては駄目よ」なーんて言って笑ってたりしてぇ……。
蘭子は完全に無表情だった。振り向いた沙夜と目をあわせようとさえしない。沙夜にとっては、そんな蘭子を見るのが一番つらかった。
「もう少しで二位様に入賞させて頂けたのですけれど…。不甲斐無いですわ」
「まだそーゆー事言ってー……まー、怪我とかなくてホントよかったよー。エリは運動能力0なんだからー、もーあんな無茶しないでよねー……」
沙夜としとねは、観客席へと繋がる上り階段の前で、障害物走を終えて競技場に戻ってきた衿花達と鉢合わせした。
「あら…、もう借り物競争様は終わって仕舞いましたでしょうか?…皆様の御雄姿、拝見させて頂けなくて真に申し訳御座いません」
その台詞は、今の沙夜にとっては救い以外のなにものでもなかった。沙夜は心の底から安堵する。
「あぁー…部長さん達さっきの見てなかったんですねぇ。いや、見てなくてよかったですよ…。てかこれ以上知り合いに見られてたら……わたしもう学園にいられないかと…」
「沙夜ちゃんはさっき全校生徒の前で女の子が好きってことをカミングアウトしたんだよ」
うぉいっ!
安堵したのもつかの間、いきなり先輩たちにばらすしとね。
「ち、違いますって!なんかみんなにそういう誤解されちゃったっていうだけで、ほんとにそういうんじゃないんですって!もう!美浦ちゃん怒るよ!この話しやめやめ!ってか、さっきまで部長さん達どこ行ってたんですかぁ?わたしその話聞きたいなぁ!」
なんとか話題を変えて誤魔化そうとテンション高くそう言って、おどけた様子で沙夜は衿花の右手をとった。その瞬間、本当に一瞬だけ、衿花の無表情な顔がゆがんだ。それは直ぐにいつもの仮面のような顔に戻ったが、沙夜はそれを見逃さなかった。
「昨晩部室様を施錠させて頂くのを失念しておりまして、先程急いで部室棟様に……、えっ、ちょっ、く、黒星様、何を…」
無言で衿花のジャージの右腕の袖を捲り上げる沙夜。衿花はあせって顔を赤らめる。
「…これ…どうしたんですか?」
沙夜が捲くったジャージの下からは、右腕全体に広がる青あざ、そして痛々しいくらいに赤黒く腫れあがった肘が現れた。普段どおりのすべすべとした真っ白な肌と対比することで、それらの異常さは余計に際立っていた。
「……いえ、実は先ほど部室棟様の階段様から転がり落ちさせて頂きまして……御恥ずかしい御話で御座います。…でも全然、完全、全く、何とも御座いませんので、御安心下さい」
沙夜が手を握っているだけでも衿花の手は痛むらしい。それに気づいた沙夜は直ぐに衿花の手を離した。
「そんな…だいたいこんなに腫れてるのに平気なわけ無いじゃないですか!とりあえず冷やさなきゃ!内出血とかは……あーもー分かんないや……あ、蘭子ちょっと医務局の人呼んできて!」
慌ててしまって何をすればいいのか分からずにパニックになる沙夜。さっきまでの恥ずかしさや落ちこんでいた気持ちもすっかり忘れて、すぐ近くを通りすぎようとした蘭子に話しかける。
だが、立ち止まった蘭子は衿花をにらみつけるだけで何も答えない。「ちょっと蘭子何してるの、急いで!」沙夜がそう言って蘭子の肩に触れると、蘭子はぷいっと横を向いて沙夜の隣をすり抜け、観客席へと続く階段を上り始める。そして階段を数段上ったところで、背中を向けたままいつもの良く通る声で言った。
「階段から落ちるなんて天罰じゃないかしら?人の気持ちを平気で傷つけられるような人間には、いい気味ですわ」
「蘭子!あ、あんたなんて事を!ちょっと待ちなさい!」
蘭子は沙夜を無視して、階段を上っていってしまった。
蘭子が消えていった階段を恨めしそうに見る沙夜。本当は、追いかけていって無理矢理にでも今の事を謝らせたかったのだが、目の前の衿花を放っておく事は出来なかった。だが、それを察したのか衿花は、蘭子が上った階段とは別の方に歩き始めた。
「キイ、医務局様まで行きたいのだけれど、付いてきて貰えますかしら?」
「う、うん…」
さっきから少し具合悪そうなきいなは、怪我人の衿花に何もできない自分を歯がゆく思いながらも衿花に付いていく。
「部長さん、わたしも一緒に行きます」
「結構です」
衿花は沙夜に背中を向けたままいつもの通りに冷酷にいった。だがすぐに沙夜の方に振り返る。
「鳳様に御話になりたい事が有るのでしょう?…どうぞ鳳様の元へ御向かい下さい」
そう言って、優しく笑った。
一瞬迷った沙夜だったが、「す、すいません!」といって階段を駆け上った。
その様子を見送った後に、衿花ときいなはまた医務局へ向かって歩き出した。「やっぱり怪我してたんじゃん……気づかなくてごめん…」そう言って謝るきいなの事を「こんなの全然大丈夫なのよ」と衿花は気にしていない様子だった。
1人残された形のしとねは、苛立たしげに階段の上をにらんでいた。




