02. 駄目ですわね
その日の放課後、部室には蘭子以外の4人が揃っていた。
「えぇー、じゃあ部長さんたちは明日の体育祭出ないんですかぁ…」
「其の積もりで御座います」
残念そうに言う沙夜に、いつもの無表情で衿花がこたえる。
「だいたいタイミングが悪いんだよねーこのガッコーの体育祭ー。2週間後には文化祭だってのにーそんなの出てらんないってー」
「だぁって、美浦ちゃんなんかほとんどの種目エントリーしてたしぃ…。こういうのって全員どれかに出なきゃいけないのかなぁって思ってたからぁ…」
「ノブレスオブリージュ。みんなの期待にこたえるのも王子様の務めだからね。それに出た種目全部で1位になったら、格好いいと思わないかい?」
沙夜の通うこの学園では、文化祭に比べると体育祭の比重は随分軽い。文化祭は毎年近隣の街を巻き込んで盛大に行われるのに対して、体育祭の開催は2年に1回。しかも文化祭のように学園主催ではなく、生徒会を中心とした生徒有志による主催だった。そのためか、参加、不参加に強制力はなく、完全に生徒の自由となっていた。
「沙夜ちゃんは借り物競争だっけ?…ふふ」
「うん!なんか一番楽そうって思って。だって他の種目ってぇ、400m走とかぁ、リレーとかぁ、結構ガチな競争だったから正直わたしには無理っぽくって…、で、蘭子が借り物競争知らないっていうから、じゃあ一緒に出ようよぉって事になったの!」
「…借り物競争様でしたら…大丈夫ですわね」
「?」
衿花の独り言に反応する沙夜。きいながにやけながらそれに答えるように言う。
「まー王子は大丈夫だと思うけどー、転校生君もお嬢様もトロいんだからー、怪我とかしないでよー?文化祭近いんだからー」
「あ、そうっすよねぇ、今怪我とかしたら大変ですよねぇ…。って借り物競争怪我するほど必死にやらないですってぇ!」
あはははーと笑う沙夜。しとねも笑っているが、その顔はなにか含みがあるようだった。
「ま、怪我はしないだろうね。身体的な怪我はね…」
生徒有志の主催ということで規模は大きくない体育祭だったが、同時にそれは学園主催ではできないような自由な内容が許されるという事も意味していた。ただ、それを知っているのは、1年の時に体育祭を経験した3年生と、学年問わず顔が広いしとね位のもので、このときの沙夜はそんな事知るよしもなかった。
「おーほっほっほー!ワタクシに殺される予定のみなさん!今日も遅れてしまってごめんなさい。あの教師ときたら、本当に特別補習授業を受ける気がないか、なんて今日も言うのよ。何度同じ事を言わせるつもりなのかしら?まったく学習能力がない人間は困りますわね!」
いや、教師に心配されすぎでしょ…。どんだけ勉強についていけてないんだこの子は…。
やけにテンション高く部室に入ってきた蘭子だが、部員達はいつものごとく特に反応しない。
「…それにしても、ああ、まったく、結局皆さんったらワタクシがいないと何もできませんのね!最後にはワタクシに頼ってしまうようなのですから!まあ、仕様が無いことなのでしょうね。なんといってもワタクシ、鳳蘭子なのですもの!鳳蘭子でない皆さんが頼って、憧れてしまうのも無理がありませんわ!おーほっほっほー!」
他の誰も反応しないからか、明らかに沙夜の方を向いて高笑いする蘭子。…めんどくさいなぁ。沙夜は苦笑いする。
「え、っと蘭子さん、何かありましたの?どなたかに何か頼りにされたようですけど…」
質問する沙夜に、待ってましたとばかりに目を輝かせて近づく蘭子。
「沙…黒星さん、聞いてくださる?本当にたいした事ではないのよ。ワタクシにはどうでも良い事なのですけれど、皆さんあんまりにも必死にお願いされるものだから、もうワタクシとしても仕様がなかったの。本当にワタクシにとってはどちらでもよかったことなんですけれど…」
じゃあいいです。
「ええ、是非聞かせていただけますかしら?」
沙夜は本音を飲み込んで、思ってもない事を口にした。いままでの蘭子との付き合い上、結局こうするのが一番めんどくさくならないという事を知っている沙夜だから出来た芸当だった。
「ワタクシ、体育祭では障害物走に出場する事にしましたの!皆さんにどうしても、ってお願いされたら、やっぱり引き受けてあげるのが上に立つ者の責務ですものね!」
「えぇ!?」
沙夜の驚きの声と同時に、それまで蘭子に無関心だった他の部員達まで驚いていたような気がした。
「えぇーじゃあ借り物競争はぁー?蘭子2種目に出るって事ぉ?」
「いいえ、その2種目は時間が重なっているので同時には出場できませんわ。黒…沙夜さん、ごめんなさいね。借り物競争、ご一緒する事ができそうにありませんわ!おーほっほっほー!」
「なにそれぇ…、もぉ、約束してたのにぃ…」
恨めしそうに蘭子を見る沙夜。だが、調子に乗っている蘭子はそんなことはお構い無しのようだった。沙夜には、そんな蘭子の気持ちがなんとなく分かる。孤立していた蘭子が、誰かに何かを頼まれるなんて、もしかしたらこれが初めてじゃないだろうか…。本心ではそれほど気にしていたわけではなかったので、気分良く高笑いしている蘭子につられて、沙夜も楽しい気分になってくるのだった。
「駄目ですわね」
だが、そんな蘭子と沙夜の気分を、衿花は一瞬で打ち砕いた。
「鳳様、障害物走様への御出場は御断念下さい」
そう言って一度だけ蘭子にビシッと目を合わせると、直ぐにテーブルの上の紅茶のカップに興味を移す衿花。蘭子は言葉の意味が直ぐには理解できず、助けを求めるかのようにおろおろと沙夜と目をあわせる。だが、沙夜の方もだいぶうろたえていた。
「えっ…あ、あの部長さん…どうして駄目なんですか?」
衿花は目を瞑って、しばらく静止する。
やがてゆっくりと目を開くと、ティーカップに視線を向けたまま答えた。
「理由は申し上げる事は出来かねます。ですが此れは部長命令です。鳳様、どうか御クラスの皆様には御断りをして下さいませ」
「…で、でも!」まだ若干混乱気味だが、衿花の発言を理解した様子の蘭子。「一旦引き受けてしまった事を覆せとおっしゃるの?そ、それに平良部長、これは、みなさんがワタクシにしかできないと言って下さったことですのよ…?皆さんワタクシに期待をして…」
うろたえながら、蘭子は反論しようとする。そんな蘭子の肩に、思いつめた表情の沙夜がそっと手を置いた。
「蘭子…やっぱり一緒に借り物競争にでようよ」味方だと思っていた沙夜に急に反対されて、蘭子は大きな目をさらに大きくして絶句する。沙夜は言いづらそうに続ける。「…それが、一番いいことな気がする…」
相変わらず無表情の衿花の隣りで、きいなは苦々しい顔をしていた。しとねは、衿花と同じような無表情を気取りながらも、事の成り行きを静かに見守っている。
「沙夜まで何をいっているの!?それでは皆さんの期待を裏切ってしまう事になるのよ?あなたなら分かってくれるでしょう?」
「……えーとさー…このガッコーの障害物走ってさー…ちょっと普通じゃないんだよー…悪い事は言わないからやめとこーって…きっと誰も責めたりしないよー」
きいなの説得も聞かず、蘭子は真剣な表情で、衿花ではなく沙夜に懇願する。
「お願い、沙夜。皆さんに言ってあげて…。ワタクシどうしてもこの種目に出たいのよ。1位になりたいなんて言わないわ。でも、期待されているのを分かっていて逃げるなんてもう耐えられませんの。分かるでしょう。だって沙夜は以前言ってくれたでしょう?!」
蘭子は衿花よりも沙夜に反対されたのが相当ショックだったらしい。必死に沙夜に話しかける。沙夜はそんな蘭子を見ていると心が苦しくなった。だが、どうしても蘭子の言い分を聞く事はできなかった。
「ごめん、蘭子……。今回は辞退して…。きっとその方が……」
「は、はは…ご冗談なんでしょう?そうよね?……まさか、本気で言ってるわけ…」
「本気だよ…。蘭子お願い、わたしの話を……」
「そんな……まさか、あなた本当に…。…そうなのね…そういう事なのね…。あなたは、みなさんがいう通りの人間という、事なのね…」
泣き崩れそうだった蘭子は、徐々にその整った眉を吊り上げていらだたしげになる。最後には怒りに身を震わせながら、沙夜をにらみつけて言った。
「分かりました、もう結構です!」
「蘭子…?」
「鳳様、体育祭実行委員会様にはわたくしの知人も居りますので、わたくしの方から直接実行委員会様に御断りの御連絡をさせて頂きます。直前の御変更になりますので、鳳様には御代わりに別の種目様に御出場頂く事になってしまうかも知れませんが…」
「どうぞご勝手に!」
事務連絡のような衿花の台詞も聞き終わらないうちに、蘭子はすたすたと部室を出て行ってしまった。
「ら、蘭子!ちょっと待って…」
沙夜は急いでそれを追いかける。廊下まで来てやっと追いついた蘭子の手首をつかみ「ちょっと、わたしの話をきいて…」と蘭子を引きとめようとする。だが、蘭子はその沙夜の手を乱暴に振り払った。
「沙夜、あなたがそんな人だとは思わなかったわ。もう顔も見たく無い。絶交しましょう」
それまで見た事も無いような、冷たい、厳しい眼差しで沙夜をにらむと、それっきり沙夜に一瞥もくれず、蘭子は早足で去っていった。沙夜は、蘭子の表情と台詞にショックを受け、その場から動けなくなってしまっていた。
2人が去って、一気に静かになった部室。
「あーあ、今日は練習はできそうにないねえ。じゃあ僕は服飾部のみんなの様子でも見に行こうかなあ」
退屈そうにそういうと、しとねもさっさと出て行き、部室には3年生の2人が残った。
「どーして障害物走の事、あの子らにちゃんと言ってやんなかったの…?『理由は言えない』なんて…。エリが悪者みたくなっちゃったじゃん…」
衿花は何事もなかったかのように、お淑やかに紅茶のカップに口をつけていた。ゆっくりとカップの紅茶を飲み干すと、きいなの質問には答えずに言った。
「鳳様が言っていた、『みなさん』…どなた達の事か、調べる事出来ますかしら?」
「よゆー」きいなは即答する。「またいつもの感じー?…しょーがないなー」
「有り難う。其れではわたくしは、一寸、辻褄をあわせに…」
そう言って席を立ち、ティーカップを給湯室へと運ぶ。戻ってくると、衿花はそのまま廊下へとつづくドアへと向かった。
「エリがお嬢様にまで世話焼く必要ないと思うけどー?」
きいなに声をかけられた衿花は、一瞬立ち止まるが、直ぐにドアを開けて部室を出て行ってしまった。きいなはやれやれと小さく笑った。
「…しょーがないか…それがあの子のいーところだもんね…」
それからきいなは学園にいた何人かの生徒と言葉を交わし、数箇所に電話をかけた。そして蘭子が部室を飛び出して1時間もたたないうちに、衿花に頼まれていた人探しの仕事を終わらせていた。




