08. 凄い事に気付いちゃったんですけど
……食堂……
--テーブルに琢己が座っている。平良が食堂に入ってくる。
平良「あら…皆様もう起きておいでかしら?
もうこんな時間ですものね?
まったく…、メイドがいないと
まともに起きることもできませんの。
本当にお恥ずかしい…」
--平良は琢己の隣の席につき、琢己の顔をうかがう。
平良「琢己さん?
今朝は随分お静かですけれど、
どうかして……いっ、いやァァー!」
--平良、悲鳴をあげ、床に崩れる。
--その拍子に琢己が座っていた椅子がずれて、琢己の体が観客に見えるようになる。
--琢己の胸には、大きなナイフが突き立てられ、血がにじみ出ている。
--悲鳴を聞きつけ、美浦が部屋に入ってくる。
美浦「どうかしたのか!こ、これは…」
--美浦は琢己に駆け寄って、脈をとり、瞳孔を確かめる。
美浦「だめだ、死んでる…」
……………
放課後。その日沙夜が部室に来たときにはまだ他の部員は誰もいなかった。同じクラスのしとねは相変わらずファンの対応に追われているようだったし、隣のクラスの蘭子も今日は何か用事があるようで、部活には先に行ってほしいと沙夜に言っていた。沙夜は1人部室で、部の備品の高級そうな紅茶をちびちびと飲んでいた。
彼女の視界に可動式の大きなホワイトボードが入る。普段は部のミーティングの議題や、練習のスケジュールが書かれているそのホワイトボードに、今はきいなの可愛らしい丸文字で『部則 不純同性交遊禁止!!ダメ!絶対!』とだけ書いてあった。
あの一件は、沙夜と蘭子の関係に明らかな変化を与えた。
あの日から、蘭子は何故かやたらとあの部則を意識して、「沙夜!…い、いえ黒星さん!今のは部則違反ですわよ!」と言って、部活中に沙夜が話しかけても、それを拒否するようになってしまっていた。
「黒星さん!あんまり親しくしないで下さるかしら?ワタクシはあなたを殺そうと思ってるんですわよ!」
だが、そんなことを言ってても毎日一緒に昼食を食べていたし、帰りも蘭子のリムジンで寮まで送ってくれる事が多かった。沙夜を狙う殺人者を気取りながら、やっている事は今までとそんなに変わらなかったのだ。
「黒星さん、お気づきかしら?ワタクシが本気になれば、あなたは今日既に15回は殺されていましたわよ。おーほっほっほ!」
最初はそんな蘭子をちょっと面白がってさえいた沙夜だったが、しばらくするとやっぱり物足りなさのようなものを感じ始めていた。やっている事が今までと変わらないとはいえ、やっぱり蘭子に距離を置かれているような感じはしたし、なにより蘭子が拒否するので、この前のように休日に一緒に遊びに行く事も出来なくなったからだ。出来る事なら沙夜はさっさと蘭子と元通りの関係に戻りたかったのだが、練習に専念するという大義名分がある以上、文化祭が終わるまでは頭の固い蘭子の心を変えることはできそうもなかった。
また、沙夜にとっては部則それ自体より、そんな事を衿花が言い出したということの方が尾を引いていた。
不純同性交遊…。ふ、不純…。不純って……だって同性ですよ?!
い、いやあの写真は…あの時はちょっと、テンションがおかしくって…。てか、別に普通だし!仲良しだったらあれ位するし!
わたしと蘭子が、は、ハレンチ…。無い無い!絶対無い!ああもう!何考えてんの!そんなこと言う部長さんの方がハレンチだよ!
沙夜は、あの日から何度も衿花の台詞を思い出しては、その度に相手のいない言い訳をしていたのだった。
「ちーす…て、なんでそんな顔赤いの…?」
部室の扉が開き、きいながけだるそうに入ってきた。まるで自分の考えていた事を見透かされたかのように感じた沙夜は、さらに顔を赤くして必要以上のテンションで答えた。
「えっ!えー、なんでもないですけどー!そうっすかー?ちょっと熱あるのかなわたしー!あ、琢己先輩なんか飲みますー?お茶でいいっすかね?!この、ロイアルー…、ロイアルなんとかってやつでー?!」
沙夜は立ち上がって、給湯室からカップを持ってこようとする。
「あ、いーいー。あたし買ってきたからー」そう言ってきいなはバッグから炭酸ジュースのペットボトルを取り出す。取り出しついでに、ごくっごくっと、そのジュースを豪快に飲んだ。
ジュースをテーブルに置く時、きいなはテーブルの端に水色の大学ノートがあるのに気づいた。使い込まれていて表紙がぼろぼろのそのノートは沙夜のもので、文化祭の劇での沙夜の台詞が全て書き出してあった。テスト勉強で重要な箇所にやるように蛍光ペンのマークが所々にしてあり、手にとってそれを確認したきいなは満足そうに微笑んだ。
「ふーん、言ーつけ守ってちゃんと自主練してるねー。よしよし」
「あ、そうなんすよぉ」
沙夜が演じる事になってしまったメイドは途中で退場、すなわち殺害されるのだが、それでも初心者の沙夜が演じるにはかなり難しい役だった。その役の複雑なキャラクターもあるのだが、何よりその台詞量が多かった。他の部員たちがフォローする、とは言ってくれたものの、沙夜は自分が部員たちに迷惑をかけているのを感じ、いつも申し訳なく思っていた。そのノートは、以前きいながくれたアドバイスに従って作った、いわば台詞暗記帳だった。
「でもなかなか覚えらんないっすわぁ。みんなちゃんと覚えられてすごいっすよねー、てか、部長さんなんかかなり早いうちから台本見てませんでしたもんねぇ!」
きいなはいつもの自分の席に腰掛けた。立ち上がっていた沙夜も、再び席に座って紅茶のカップに手を伸ばす。
「くくっ、言っとくけどエリはすごいよー。あの子、自分のパートだけじゃなく全員のパートの台詞頭に入ってるから。本番台詞がとんだらエリのほー見てみー、絶対フォローしてくれるからさー」
きいなが小さく笑う。沙夜は開いた口がふさがらなかった。
あの人はんぱねぇ…。ハレンチ人間のくせに…。
このとき沙夜は、『衿花を勝手にハレンチ扱いして馬鹿にする脳内遊び』を思いついた。そしてそれから衿花の事を考える度に、失礼にもそんな1人遊びをしては人知れず笑うのだった。
「ああ…そう言えば…」
沙夜はふと思い付いたように、ぼうっと部室の入り口を見ていたきいなに話しかけた。
「わたし、凄い事に気付いちゃったんですけど…」
「えっ、何…?」
仰々しい導入に、きいなは怪訝な顔をして沙夜の方を見る。
「この劇ってぇ、登場人物5人ですよね。それで、わたしたち部員も5人。…わぁーい、ぴったりー、やったー、…って思ってたんですけど、良く考えたらそれって無理じゃないですかぁ?」
きいなはもう沙夜の言わんとしていることに気付いたらしく、興味をなくしたように顔を部室の入り口に戻した。沙夜はくじけずに続ける。
「今回の舞台、衣装は服飾部の皆さんが作ってくれてます。大道具とか、小道具は、今まで先輩方が用意したものがかなり使いまわしできましたし、どうしても無いやつはわたしらで作ったりしましたよね。そうゆうのはいいんです。そういう事前に用意できるやつは、あらかた準備できてる気がします。でも…」沙夜はテーブルをばん!と叩いて、立ち上がった。「でもでも!照明とか!音響とか!本番で演者以外に必要になる裏方さんって絶対いますよね!?本当は最初はわたしがやる予定だったですけど、途中でメイドなんてものが追加されちゃったもんだから、全員手いっぱいになっちゃって…。みんな気付いて無いかもですけど、これってすっごい一大事じゃないですか!?」
沙夜はきいなをじーっと見つめて、事の重大さを伝えようとする。
はっ、と口を手で覆ったきいなが、沙夜の方をゆっくりと振り向いた。沙夜と目を合わせたきいなは、「しまった!」、「そんな重大なことを忘れていたなんて!」という表情で、小さく震えていた…と思ったら、急にふにゃっと顔を緩ませた。
「大丈夫だよーん。気付いてないのは君だけだよーん」きいなは笑顔で、完全に余裕ぶっている。「そーゆーのは全部顧問の不破センセーに押し付けてあるからー。これまでも結構そーゆーのはあの人にやってもらってたんだわー。まーあの人最近忙しくてあんまり部活に顔出さないけど、何回もやってるからだいじょぶっしょー」
「あ…、そうなん、すかぁ…」あまりにもあっさりきいなに解決されて、体をテーブルに乗り出して深刻な顔を作っていた沙夜は、それを引っ込めるタイミングを逃して間抜けに硬直していた。きいなはそんな沙夜を横目で見て、ふふん、と鼻で笑った。
引っ込みがつかなくなった沙夜は、もうこうなったら…、と切り札を出す事にした。
「じゃ、じゃあ!じゃあ!凄い事に気付いちゃったんですけどパート2!こんな事聞いたらあれなんですけど!違ってたらゴメンナサイなんですけど!」
「んー?」
パート2ともなるときいなも呆れてしまっているのか、実にそっけない。沙夜の方など一切見ずに、適当に返事する。勇み足しちゃったかも、と少し後悔しながらも、沙夜は冷静に軽いジャブの質問をする。
「先輩とか部長さんって、…もしかして、誰がこの台本作ったか、知ってたりしませんか?」
その沙夜の言葉を聞くなり、きいながすばやく沙夜の方を向いた。しばらく無表情に沙夜をみていたが、すぐにいつも通りのあどけない笑顔に戻った。
「えっ、なんでー?知らないよー。どーしてそー思うのー?」
「あ、いや、確信があるわけじゃないんすけどぉ…、いくら『謎の台本』っていう触れ込みがキャッチィだとはいえ、ちょっと抵抗なさ過ぎるんじゃないかなって…。だって配役まで指定されてるんですよぉ?見ず知らずの誰だかわかんない人が書いたそんな台本を、指定されるがままに演じるって…、わたしだったらぁ、なんか言いなりみたいで、やだかなぁ、って…」
「そーお?別にあたしもエリも、あのホンの内容とか配役とか、そんなに不満ないしねー。王子もあの役なら満足ーって言ってたしー」
そう言って、きいなはまた部室のドアを見る。やけにそっけなさ過ぎるきいなの態度に、沙夜は自分の疑惑をさらに強めた。ここまできたらとことんつっこんでみる事にした。
「…それなんですよねぇ。だぁって、あの台本の配役ってぇ、演劇部の皆さんのことちゃんと知ってる人の書きっぷりなんですよねぇ。つまり、誰がどんな演技が出来て、どんな役が向いていて、ってちゃんと知ってる人が書いたとしか思えないんですよ。みんながちゃんと満足できるように、その人のいいところが出せるように、ってちゃんと考えて書かれているっていうか…。だからあれって、この演劇部の事を良く知ってる人、あるいは演劇部の部員の誰かが書いたんじゃないかなぁって…。だったら先輩とか部長さんとか、なんか気付いててもおかしくないかもぉって…」
「んー…?毎年文化祭と新入生歓迎会で劇上演してたしねー。その劇見た誰かならあれくらい書けるんじゃなーいー?」
きいなはこの話しを続ける事にまったく興味がない様子だった。沙夜は寄り道するのをやめて、もう核心に触れる事にした。
「わたし…、琢己先輩がこの台本を書いたって思ってます」
きいなはあくまで横を向いたままだったが、沙夜の台詞を聞いて一瞬目を大きく見開いた。そしてそれを取り繕うようにすぐに明るく返事をする。
「…えー、なにそれー?ずいぶん自信満々だねー。なんかそー思う証拠でもあんのかなー?」
否定をしないきいな。沙夜は自分が間違っていなかったと確信する。
「証拠は、…これです」沙夜は机に置いてある自分のノートを開いてきいなに見せ付けた。「台本にこんな仕掛けしたの、先輩でしょう?」
そのノート、正確には、『横書きのノートにまっすぐ縦に引かれた蛍光ペンのマーク』を見て、きいなは観念したように「はは」と笑った。
「気付いてたんだねー。あー、じゃーもー隠してても意味無いねー…それ、そーゆーことだから」
「えっ、本当に…じゃあ、やっぱりこれって…」
自分の思っていた事をその通りだと言われたはずの沙夜は、しかし急に取り乱した。逆に、隠していたことを暴露されたはずのきいなの方が、全くの余裕だった。
「メイド役大変でしょー?ごめんねー?まー、色々とこっちにも都合があってさー、君に演劇部をやめて欲しくなかったんで、あのタイミングで役を1個追加したんだわー」
うそ…。そんなわけない…。いや、でも……。
うつむいて、急に挙動不審になる沙夜。頭の中がいっぱいいっぱいになっていたので、きいなが席をたって、テーブルをはさんだ沙夜の方に来ていたのに気付かなかった。急にきいなが沙夜に抱きつく。沙夜は完全に意表をつかれて驚いて、やっと正気を取り戻した。
「え!ちょっ…、先輩…、え…」
きいなの身長は、椅子に座っている沙夜と丁度いいくらいだ。
「ごめん。しばらく、こうさせて…」
沙夜は驚きのあまり声が出せない。顔のすぐ近くにきいなの頭があり、子供向けのシャンプーのような独特の甘いにおいがする。無意識のうちにきいなの背中に手を伸ばす。このままぎゅっと抱きしめ返して、抱きしめあって、頬と頬をこすり合わせたい…。ぬいぐるみを抱くようにきいなを抱きしめたまま、床に倒れこみたい…。妖しい願望が沙夜の頭に浮かぶ。それを振り払うように頭を振って、なんとか伸ばした手を引っ込めた。
「先輩、あ、あの…急に…」
「教えて。君は本当はどっちの人なの…?」
その口調は、いつものあどけない小学生ではない。何かを思いつめたような切迫した雰囲気、それがいやに大人っぽく、色っぽかった。抱き合ったまま、沙夜の耳に口を近づけて、きいなは気だるそうに言った。
「女の子が好きなの?それとも…ボーイズをラブ…?」
「い、いや、後者は普通の女の子ですよね?そんな腐った言い方しなくても…」
きいなは沙夜を優しく押す。沙夜はバランスを崩して、ゆっくりとパイプ椅子から滑り落ち、部室の床に倒れる。きいなは両足を開いて沙夜の上にまたがった。
「試してもいーかな?…いーよね」
そう言ってきいなはゆっくりと顔を近づけ、沙夜の右の耳に暖かい息を吹きかけ、耳の上半分を優しく口に含んだ。沙夜の耳に優しくきいなの歯と舌があたるのを感じる。
「せ、先輩…あああ…」
沙夜の全身から力が抜けていく。脈拍はどんどん高鳴り、体温が上がっていく。心ではきいなを止めようとしているのに、体は抵抗できない。きいなの左手はいつの間にか沙夜の制服のボタンを外し、沙夜の体を這うようにその中に進んでいく。
「だ、だめ…」
沙夜はなんとか力をこめてきいなの手を引っ張り、その侵入を阻止する。手を引っ張られたきいなは、バランスを崩して沙夜の上に倒れこむ。沙夜の目の前にはきいなのいやらしく誘惑するように微笑む顔があった。
「女の子好き同士が出会えるなんて、めったにない。それこそ運命の出会いだって…思わない?そう思ったら、何とも思ってなかった相手の事だって、気になってこない…?」
沙夜の唇のすぐ横に、なめるようなキスをするきいな。沙夜の体に電流が走る。このまま体を任せてしまいそうな誘惑に必死に抵抗しながら、沙夜はきいなの体を引き剥がした。
「や、止めて、下さい…」
「どーして…?」
きいなは自分を押しのける沙夜の手をつかみ、その手首を優しくなめる。沙夜は手をすばやく引っ込める。
「柔らかいとこ全部にキスされるのと、硬いとこ全部にあまがみされるのと、どっちがいい…?」
きいなはまた沙夜の体の上に重なり、沙夜の首筋をはむっと優しく噛む。くすぐったいような、心地よいような、意識が遠のく感覚。抱きついたきいなの体から、またいいにおいが香る。沙夜はなんとか声を絞り出す。
「い、いやです、こんなこと…」
「うそだよー」きいなは意地悪そうに笑う。
「わ、わたし、そんなんじゃないんです…」
「あたしじゃダメってこと?」
「ちがう…わたし、女の子好きなんかじゃ…ないです…から」
「うそ……じゃあ、あのお嬢様は?」
「ら、蘭子とはただの友達で………だって蘭子は…!」
きいなは妖しく笑った。
「あたし、前のガッコーの君の噂、聞いたんだ…」
沙夜は急に、血の気がさぁーっと引いていくのを感じた。鼓動はさっきより激しくなるのに、酸素が全然体内に取り込まれず、呼吸の回数だけが増えていくようだ。顔が真っ青になって、吐き気がする。
「や、せ、先輩…その話は…や、です…止めて下さい!」
今までよりもずっと激しくきいなを払うと、立ち上がってきいなを見下ろす。
「あ。ごめん」急に豹変した沙夜に、きいなも少し戸惑った。
「わ、わたし!そんな、本当にそんなんじゃないんです!誰でもいいっていうわけじゃ、ないんですから!」
沙夜は叫んだ。しばらくは、そのまま2人とも動かなかった。
急に部室のドアをチラッと見たきいなが床から立ち上がった。
「誤解のないよーに言っとくと、あたしが書いたのは『メイドが追加された時』だけ。仕掛けはそのときに入れたの。『オリジナル』はあたしじゃないから」早口でそう言うと、興味の無さそうな表情になって、制服のスカートについたほこりを軽く叩き落とす。「まー、『オリジナル』書いたやつなんて大体想像つくけど…」
つぶやきながら、まるで何事もなかったかのように自分の席に戻っていった。
きいなが席につくのと同時くらいで部室のドアが音もせずに開き、衿花が現れた。衿花は、沙夜を一瞥すると、もう興味無さそうに自分のいつもの席についた。「係の仕事ー、結構かかったねー」と、きいなはいつもの調子で衿花に話しかける。さっきまでの気持ちのやり場に困って呆然と立ち尽くしている沙夜を無視して、きいなは衿花の分の紅茶を淹れようと立ち上がった。給湯室に行くために沙夜の隣を通り過ぎる時、「さっきの、2人だけのヒミツだよ」とつぶやいた。その瞬間、耳に息を吹きかけられた時の感覚を思い出して、沙夜の脈拍はまた高まる。そんな自分の心を落ち着かせようとパイプ椅子に腰掛け、携帯をいじったりして冷静を装っていたが、きいなの方を見る度に沙夜の脈拍はまた高まってしまうのだった。
沙夜がどうにか気持ちを落ち着けようと1人悪戦苦闘しているうちに、今度は高笑いと共に蘭子が現れた。
「おーほっほっほ!みなさんお待たせしましたかしら?ごめんなさいね。こともあろうにこのワタクシに向かって放課後を使って特別補習授業をするなんて言いだす無能な教師がいたものだから、ちょっと教育し直してあげていたんですのよ。ワタクシが授業に合わせるのではなくて、授業の方がワタクシのレベルに合わせるのが当然でしょう、と。まったく、この学園の教師の質も落ちたものですわね!」
衿花もきいなも、いつものように蘭子を受け流す。蘭子もそれを特に気にする風でもなく、いつもの所定位置の沙夜の隣の席に座り、劇の台本をバッグから取り出して自主錬を始めた。だがその間、何故かちらちらと沙夜の方を見ては、いらだたしく眉間に皺を寄せていた。
しばらくして、もう我慢ならないという風にテーブルを叩いて蘭子は立ち上がる。
「沙夜…い、いえ黒星さん!いくら残暑が続いているとはいえ、その格好はなんですの!まったくはしたない!あなたはもう少し淑女としての恥じらいと言うものを…」
いきり立つ蘭子の様子をみて、やっと沙夜は自分の制服のボタンが、さっききいなに外されたままである事に気がついた。沙夜の胸元ははだけ、下着が見え隠れしている。
「えっ、ちょ!ちょっ!は、早く言ってよぉー!」
沙夜は顔を真っ赤にして部員達に背を向けて、急いでボタンを留めた。
「だってワタクシたち敵同士でしょう?沙夜がどれだけはしたない格好をしていても、敵だったら気にしないものではなくって?」
いつものごとくすっとぼけた事を言う蘭子。沙夜を指さして笑っているきいなにイラつきながらも、沙夜の掻き乱された気持ちはいつのまにか戻っていた。
「てか、部長さんも絶対気付いてましたよね?!だったら早く言って下さいよぉー!ああもう!恥ずかしい!」
「黒星様の破廉恥は、今に始まった事では御座いませんもの」
衿花は真顔で言うと、おしとやかに紅茶に口をつけた。
こんの、ハレンチ部長!どうせわたしの下着見てエロい事考えてたんだろ!
口には出せないので、例の脳内遊びで仕返しする失礼な沙夜だった。
バァン。
急に部室のドアが乱暴に開き、息を切らしたしとねが入ってきた。
「はあ、はあ、はあ…。あれ?おかしいな…。この辺に僕を誘っている半裸の女の子がいる気がしたんだけど…」
部室内を見渡すしとねの視線に、沙夜は氷の塊を首筋に当てられたような激しい悪寒がした。ボタンが外れていることを教えてくれた蘭子が、今は命の恩人のように思えた。




