03. 可愛い…?これが…?
「あー見て見て蘭子!これ!すっごいかーわーいーいぃー」
沙夜は、目も鼻もないのに不気味に笑う口だけが縫い付けてある、真っ黒な熊のような形をしたぬいぐるみを手に取り、自分が喋るのに合わせてそれを蘭子の方に向けて揺らす。
「可愛い…?これが…?」
蘭子は真剣な顔をして、そのぬいぐるみを睨みつけている。可愛い云々以前に、理解できないものに対しての警戒心の方が強いようだ。期待していたリアクションがもらえなかった沙夜は少し恥ずかしくなる。
「えぇ…、かわいく、ないかなぁ?今これ結構はやってるんだけど…」
意味が分からない、と言う様子で首を傾げる蘭子をみて、沙夜はそっとそのぬいぐるみを雑貨屋の棚に戻した。
映画が始まる時間までまだ1時間近くある。映画以外はまったく予定を決めていなかった2人は、本、CD、おもちゃなど、雑多な商品が天井まで陳列された雑貨屋の店内で、適当に時間をつぶしていた。
「可愛いかはともかく、顔のパーツが外れてしまっているじゃありませんの?雑な仕事ですわね…」
蘭子は沙夜が棚に戻したぬいぐるみをまだにらみつけながら、ぶつぶつと何かを言っている。
「もー!あれはあのままでいいの!うーんと…、じゃあ、これ!これならどうだ!」
そう言って、別のぬいぐるみを蘭子の前に突きつける。今度は下から手を入れて動かす事ができる、リアルなカエルのぬいぐるみだ。沙夜はそれに手を入れて「こんにちわー蘭子ちゃーん」と下手な腹話術をする。
「どうだ、…とは?」
蘭子はそのぬいぐるみにではなく、真っ直ぐに沙夜の顔を見て、真剣な表情で聞く。これも彼女のお気には召さなかったようだ。沙夜はそのぬいぐるみも棚に戻した。
よし、次!次!絶対蘭子に「かわいい」と言わせて見せる!蘭子が気に入るものを探し出してみせる!
なぜかそんな使命感が生まれていた沙夜は、もう意地になって雑貨屋を見回す。とにかく質より量で、その雑貨屋で目に付いたものを次から次へと蘭子に見せて反応を見る。馬のかぶり物、ゾンビ映画のポスター、アニメキャラクターのフィギュア、髑髏の指輪、巨大なスナック菓子、etc…。最後に、ピンク地に猫のキャラクターが大きくプリントされた女性用のトランクスを見せた時に、蘭子が呆れたように言った。
「沙夜あなた…、もう高校生なのですから少し落ち着きというものをお持ちなさい。こんな公共の場で下着を手にして、まったくはしたない…」
いつも突拍子も無い事をいう蘭子に急に正論を言われて、沙夜は顔を真っ赤にしてぷるぷると震えた。
「いいんですー!お嬢様にはこういう庶民の感性はどうせ分かりませんよーだ!」
沙夜は頬を膨らませて、雑貨屋の奥に進んでいく。蘭子は、何を怒っているのかわからない、と言う様子で沙夜のあとについていった。
急に沙夜が立ち止まり、うずくまった。蘭子は、心配になって駆け寄る。
「さ、沙夜?どうしたの、急に…」沙夜は無言で、肩を小さく揺らしている。「沙夜?!もしかして泣いているの?そ、そんな、ワタクシ、そんなつもりでは…」
「く、くく…」
「沙夜?ワタクシも少し、大人気なかったわ…せっかく沙夜がはしゃいでいるところに水を差すような事を言ってしまって…。きっと庶民の沙夜は、一度にこんなにたくさんの商品が並んでいるところを見る事がなかったんでしょうね…。それでついついうれしくなってはしゃいでしまったんでしょうね…。それをわかってあげられなくてごめんなさい。さっき、ワタクシがもっとちゃんと受け流せていれば…」
沙夜は急に立ち上がると、蘭子の方を向いた。驚く蘭子を無視して、沙夜は芝居がかった声で言った。
「鳳様?こんなところでお買い物しているお暇が有ったら、演技の練習をなさったらいかが?あなた様には主役としての自覚が足りないのではなくって?」
そう言う沙夜の顔には、白地にカラフルな装飾がされた、不気味な表情の仮面が付けられていた。それは、ヴェネチアのカーニバルに使われる、顔全体を覆う仮面だった。蘭子は唖然とした表情で仮面をつけた沙夜を見ていた。
「も、もしかして…、平良部長の真似…とでも?」
「その通りでございますわ鳳様」自信満々で言い切った沙夜は、仮面を外して笑った。「似てない?さっき見つけてすごい笑っちゃった!この冷たい無表情とか、何考えてんのかわかんない感じとか!」
「似てませんわ」
蘭子は冷め切った表情で、沙夜に言い捨てた。
「えー、いつも散々言われてるのに、我慢しちゃってぇ。部長がいないときくらい、徹底的に馬鹿にしてストレス発散しようよぉ!」
沙夜はふざけて仮面にあっかんべーをするまねをしてから、また仮面をつけて仰々しく喋る。
「わたくし、平良衿花と申します。部長をしておりますの」白けた表情のままの蘭子を気にせず、沙夜は完成度の低いモノマネを繰り返す。「来るものは拒まず、去るものは追わず、で御座いますわ」
「…ワタクシの尊敬する先輩を侮辱する行為は、例え沙夜と言えども許しませんわよ…」
呆れきった蘭子がため息混じりに言ったのを聞いて、沙夜はさらにむきになる。腰に手を当てて仁王立ちの姿勢になり、蘭子に言った。
「それだけ尊敬して頂けているのでしたら蘭子様?もちろんわたくし様のプライベートな事だってご存知いただけているのでしょうね?尊敬する先輩様というのでしたら、当然ですわよね?まさか、尊敬しているなんて口だけで、わたくし様の事、何も知らないなんてことありませんでございますわよね!?」
「…くっ、も、もちろん、尊敬する先輩ですもの…、ぷぷ、と、当然ですわ」
明らかに誇張が過ぎるモノマネで衿花を馬鹿にしている沙夜。それを注意する立場だったはずの蘭子だが、沙夜のつけた仮面を見ているうちにどんどんおかしくなってきた。なんとか笑いを我慢して、真面目な態度を保つ。
「それでは蘭子様?わたくし様が普段休日は何をして過ごしていらっしゃるかご存知かしら?例えば本日、わたくし様が一体何処で何をしているかご存知かしら?」
言葉のあやで言っただけの蘭子は、勿論衿花のプライベートなど知らない。蘭子は自分の想像する衿花像で答えた。
「きっと、あのお淑やかな平良部長のことですから、バイオリン、ピアノ…、いえ、茶道や華道のような習い事でもされているのではないかしら?着物なんか着て、たおやかにお茶をたてる平良部長なんて、さぞ美しいことでしょうね。まあ、ワタクシほどではないかも知れませんけれど。おーほっほっほ!」
それは衿花のイメージにぴったりの回答だった。実際、沙夜にもそんな習い事をたしなむ衿花の姿が容易に想像できた。だが沙夜は仮面の前で人差し指を、ちっ、ちっ、ちっ、と左右に動かす。
「ああもう!蘭子様はわたくし様の事を何もわかってくださってませんのね。まったくショックでございますわ!まじへこみますわ!」もう衿花に似せるつもりなどまったく無い沙夜。「わたくし、プライベートはもっぱらミニ四ファイターをしておりますの。もうすぐレースが近いんですのよ」
蘭子はついに我慢しきれずに吹き出してしまう。
「あっはははは!…もう!沙夜、あなた完全に適当に言ってますわね!」
「そんなことありませんわ!今日だって家で新しいモーターの調整を…」
楽しそうに笑っている蘭子を見て、沙夜もうれしくなった。やっとこの『デート』を、蘭子が楽しんでくれていると感じることができた。
よし、これは蘭子的にヒットだ、今後も使えるぞ…、と沙夜は仮面をレジに持っていこうとする。だが、途中でふと値札を確認して「7,800円」という文字を見つけ、その場に硬直する。何度も何度も考えたのだったが、結局、その仮面もそっと棚に戻す事になったのだった。
離れた位置から、雑貨屋の中の沙夜と蘭子の様子をうかがっている3人。沙夜はさっきからヴェネチアの仮面をつけたり外したりしていて、その度に2人の間に笑いがおきる。
「うーん…」
3人は沙夜と蘭子の様子を見ながら、同じようにうなっている。
「いやー、離れてて声が聞こえないからなんとも言えないんだけどねー…」きいなは難しそうな顔で衿花の方をチラッと見る。そしてヴェネチアの仮面で笑いあっている2人に目を戻す。「あの2人、エリのこと言って笑ってる気がする…」
「実は僕もね…なんとなくそんな気がしているよ…」しとねが苦笑いする。
「あら、奇遇ですわね。なんだかわたくしもあの御二方の御様子を拝見していると、まるで陰口様でも言って頂いているような、非常に不愉快な気分になりますのよ。可笑しな話ですわね…おほほほほ」
衿花はあくまで無表情だが、いつもの殺意のこもった瞳を輝かせていた。きいなはそんな衿花の様子に怯えながら、沙夜が早くその仮面を棚に戻してくれることを心の底から願っていた。




