ケルシュの緊急避難先
アルシュベルテ家のパーティーに参加した翌日早朝、ケルシュは近所に住む同じ伯爵家のランナの元を訪れていた。
学園に通うことのない女性達は、母親に連れられた茶会で、同じ爵位を持つ同世代の者達と繋がることが多い。
ケルシュとランナの二人は、元より母親同士の仲が良く住んでいる場所も近かったため、互いに家を行き来するようになった。今では、互いにとってなんでも話せる唯一無二の存在となっている。
緊急避難先として早朝から先触れもなくランナの部屋を訪れたというのに、彼女は喜んで出迎えてくれた。
どうやら彼女の方もケルシュに話したいことがあったらしい。
ランナは、ダイニングで食べる予定だった朝食を自室に運ばせ、ケルシュには紅茶と茶菓子を用意させた。
ローテーブルの上に料理や茶菓子の乗った皿とティーカップが並び、使用人が退出した後、ランナの方から話し始めた。
「昨日のパーティー、中止になってしまった本当に残念で仕方ないよ。今度こそ、筋骨隆々な男性に見初められるって期待して臨んだのに、あんまりよね。」
怒りと悲しみをその声に滲ませながら、ランナは一口サイズにちぎったパンを口の中に放り込んだ。
色が濃く健康的な肌色で、紫がかった漆黒のストレート黒髪の彼女は、その内面よりも気が強そうに見えてしまうせいで持ち掛けられる縁談が極端に少ない。
だからこそ、一対一ではないパーティーという大勢が集まる場に期待を寄せていたのだ。
「…ランナの趣味って昔から変わってるわよね。筋骨隆々なんて私見るのも嫌よ。」
「だからそれは絶対ケルシュがおかしいんだって…この国の女性はみんな逞しい身体つきの男の人が好きだって、それが常識でしょ!」
自国民の女性達を全否定してくるケルシュに、ランナは口に運ぼうとしていたティーカップを手にしたまま勢いよく立ち上がった。
その行動に特に意味はなかったが、気持ちを抑えきれず身体が勝手に動いてしまったようだ。
向かいに座るケルシュは、呑気に菓子を摘んで口に運んでいる。
「はぁ…ケルシュは良いよね。そんなこと言ってたってもてるもん。昨日だってどうせ、会場入りしただけで注目を浴びたんでしょ。」
「あれは地獄だったわ…どこを見ても熊みたいな大男しかいないし、値踏みするような目で見てくるし、勘違いして触れてこようとする大馬鹿者もいたし、うっ…思い出しただけでまた気持ち悪さが…」
「ちょっと!大丈夫??」
本気で顔色を悪くするケルシュに、ランナは慌てて水の入ったグラスを手渡し、落ち着かせるように彼女の背中を数度さすった。
「ごめんね、ケルシュ。貴女にも貴女の苦労があるのに勝手に羨ましがっちゃって…」
「気にしないでちょうだい。こんな熊量産大国に生まれた私がいけないのよ。」
「その熊呼ばわりやめて…私の好きなタイプなのに…」
正反対に位置する価値観を持つ二人の話は、いつだって平行線を辿る一方であった。
「あの会場かなりの数の人がいたから、一人くらいケルシュの目に留まる相手もいたんじゃない?」
ランナはニヤリと口の端を上げると、手にしていたティースプーンをケルシュに突きつけた。
「そんなのいるわけないじゃない。私の周りには話の通じない熊しか…」
ピタリと言葉を止めたケルシュ。
それは、忘れていたはずの記憶が掘り起こされ、頭の中にある人物の声が蘇ったからだ。
『悪かった』
それは、形式的なものではなく心から申し訳なく思っているような真摯な声音であった。
「彼からは嫌な感じはしなかったかもしれないわ…」
「え?今なんて??」
口の中で小さく呟いたケルシュの声は届かず、ランナが耳に手を当てて聞き返す。
「なんでもないわ。」
ケルシュは小さく首を振るだけであった。
その後も二人の会話が尽きることはなく、溶けるように時間が過ぎていく。
もう何杯目か分からないくらい紅茶をお代わりした頃、強めにドアをノックする音がした。
「お話し中に大変申し訳ございません。」
ランナの許可を得て入室してきた使用人は深く頭を下げた。
「ケルシュお嬢様、トーレン伯爵より至急お戻りになるよう御言付けを賜りました。すぐにご支度を。」
「え?何かあったの??」
「…エイトルの奴、ヘマをしたわね。」
ケルシュは本気で心配してくれるランナのことをスルーして、真っ先に怒りの矛先をエイトルへと向けていた。
彼女の中に、彼に助けてもらっているという感覚は皆無であったらしい。
エイトルがやらかしたせいで父親のことを余計に怒らせたのだろうと勝手に決め付けていたのだった。




