寝耳に水
結局ケルシュは、彼女のことを過度に心配したエイトルの判断によりパーティー開始前に帰宅することとなった。
早々に熊疲れを起こした彼女も、エイトルの提案に二つ返事で頷いた。
そして今、自宅へと向かう馬車の中、ケルシュは頬に手を当て物憂げな表情で深い溜息を付いている。
窓ガラスに反射した彼女の横顔を見たエイトルは、申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「ランロットには俺から説明しとく。事情が事情だから口煩く言われることはないだろ。お前は早めに休め。」
「お父様には帰ってすぐ話をするつもり?」
「ああ。戦果を期待して待っているだろうからな。期待を裏切るなら早いうちがいいだろ。」
エイトルの反応に、ケルシュは軽く頷くと何か考えるような素振りを見せた。そして、彼女の言葉の続きを黙って待つエイトル。
ケルシュは、縁談相手と顔を合わせる度、瞬殺でお断りを入れ父親を泣かせ続けてきた前科がある。
彼女が相手を断る理由を知らないランロットは、思い悩むことを通り越し、娘が好む相手を探し出すことに躍起になっていた。
そこに今回の辺境伯の見合いパーティーの話がやってきた。
家柄も実績も素晴らしく、その屈強な見た目と男らしい寡黙で硬派な性格は王都でも大変有名な話だ。だからこそ、娘の相手として申し分ないとこれ以上にないほどの期待を寄せて送り出していたのだった。
だが、そんな親心など微塵も分かっていないのが娘というものである。
「そうなると、私に小言が飛んでくるのは早くて明日の朝ね…明日は朝イチでランナの家に逃げるとするわ。」
「お前って奴は…容赦ないな。庇ってやろうと思ってる俺に礼のひとつもないのかよ。」
エイトルは両手で頭を抱え、ガックリと肩を落とした。
「貴方はいいじゃない。明日も朝から学園でしょう?逃げ場所として最適だわ。」
「いやだから、そういうことじゃねぇ…」
全く話の伝わらないケルシュに、エイトルは髪を掻き乱した。
彼女のことを庇おうと思っていたさっきまでの自分の気持ちがよく分からなくなっていた。
「今日はエイトルが来てくれて本当に良かったわ。私一人じゃ床に吐き散らして終わっていたもの。もしくは過剰防衛で拘束されていたかも。」
「お、おう…」
一瞬ぱっと目を輝かせたエイトルだったが、後半の彼女の言葉に素直に頷けず、中途半端な返事となってしまっていた。
邸に戻ったエイトルは、ケルシュのことを部屋まで送り届けると、自分は着替えもせず真っ直ぐにランロットの部屋へと向かった。
ノックをして中に入る。
「今日のパーティーのことなんだけど…」
開口一番切り出したエイトルだったが、全てを言い終える前に血相を変えたランロットが彼の両肩を掴んできた。
「おいっ一体どうなっているんだ!」
焦った顔で肩を揺らしてくるランロットに、エイトルは目を見開く。
こんなに焦った彼を見たことは初めてだった。
いつだって冷静で論理的で感情的になることはない彼の動揺を露わにする姿に、エイトルは胸騒ぎが収まらない。
「ちょっと一回落ち着いて。何があったんだよ。」
相手の動揺にのまれてしまわないよう、意識してゆっくりと冷静に言葉を返した。
「申し出があったんだ…」
「申し出?なんの話だ?」
エイトルからの質問に、ランロットは一瞬言葉に詰まる。
自分でも信じられないことを言葉にすることがひどく恐ろしい、そんな怯えた表情で話を続けた。
「アルシュベルテ辺境伯がケルシュのことを妻に迎え入れたいと、そう打診があったんだ…」
「はぁっ!!?」
思いもよらなかった言葉に、エイトルは思っていたよりも大きな声が出た。
数年は実現しないだろうと思っていたケルシュの結婚がいよいよ現実味を帯びてきて、目の前が真っ白になる。
ひどい頭痛と吐き気と耳鳴りに、エイトルはただ立っているだけで精一杯であった。




