ケルシュとレンスタ
邸内にある練習用のダンスルームにて、一曲通しで踊り切ったケルシュに講師の女性が満遍の笑みで拍手を送る。
「ケルシュ様、とても素敵でしたわ。見事な仕上がりです。」
「…どうも。」
一方のケルシュは呼吸が乱れており、一言返すので精一杯であった。
すかさず壁際に控えていた使用人が動いて水の入ったグラスを手渡し、ケルシュが水分補給している間に手早く汗を拭って髪を整えた。
婚姻の儀の後に行われるパーティーにて新郎と新婦の二人はダンスを披露するのがこの国の習わしだ。
大勢の前で踊りを披露することになるため、ケルシュのレッスンにも熱が入っていた。
本来であれば、本番を間近に控えたこの時期はパートナーと同じ身長の講師と組んで猛練習を行うものなのだが、あのダイテンが看過出来るはずもなくケルシュはひたすら同じ女性講師から指導を受けていた。
しかし、矮小さを誇るダイテンは女性相手でもケルシュが他の誰かと一緒に踊ることを認めなかったため、彼女は鏡に向かって一人踊りを重ねるだけであった。
「こんなので本番大丈夫かしら…せめて一度くらい手合わせを出来れば安心出来るのだけど。」
グラスに口を付けながらひとりボヤくケルシュ。
すぐ側にいる優秀な使用人は聞こえなかったフリをした。
ダンスレッスンを終える頃窓の外ははすっかり暗くなっており、夕飯の時間帯となっていた。
ケルシュは練習着から簡易的なドレスに着替えるため私室へと戻る。
「ケルシュ様」
私室へと戻る途中、背後から声を掛けられたケルシュが後ろを振り向くと頭を下げた状態の使用人が立っていた。
「旦那様からのお手紙です。お一人で読まれるようにと言付けを賜っております。」
「…………………………….…ええ。」
嫌な予感しかしない手紙だったが、断るわけにもいかずケルシュは長い沈黙の後曖昧な笑顔で仕方なく受け取った。
「はいいいいっ!!!????」
私室に戻ってドアを閉めるや否や、すぐに貰った封筒を開封して中身に目を通したケルシュ。
驚愕の表情で両目を見開いている。手紙を持つ指先にも力が入っていた。
「ケルシュ様、遅くなってしまい申し訳ございません。すぐに身支度のご準備を致します。あのその後で構いませんので、レンスタさんと少しだけお話を…」
「クリエっ!大変なのよ!助けて!」
「何かございましたか?」
クリエが部屋に顔を出すなり、ケルシュは手にした紙を振り回しながら切羽詰まった声音で救援を求める声を上げた。
対するクリエは、普段と変わらない悠長な口ぶりだ。
「クリエさん、緊急事態なら今でなくても構いません。また日を改めて…」
「いいえ。あの御様子、どうせ大したことない話ですから問題ありませんよ。」
気まずそうにするレンスタに、クリエはケルシュの耳に届かないよう声量を抑えながらも、はっきりと言い捨てた。
その横顔は自信に満ち溢れており、そんな彼女の斜め後ろに立つレンスタは顔をしかめて怪訝そうにしている。
「ダイテン様が!夕飯の後誰にも見つからないよう一人で部屋に来いって!私、何をやらかしたのかしら…クリエ、私どうしたらいいの…」
「逢瀬のお誘いにございますね。」
「ああやはりそんなことか」とクリエは額に手を当て答えた。
「ち が う わ よ !!」
顔を真っ赤にしたケルシュは頬に両手を添えて思い切り首を横に振る。
激しい動作を除けば、とても愛くるしい表情であった。
「先に湯浴みを済ませてドレスアップをしましょうか。せっかくのお誘いですし。」
「そ、そんなことしないわよ!第一、呼び出しを受けただけでその、お、おう、おおう、おうせだなんてあるわけないじゃない!冗談が過ぎるわよ!」
「失礼いたしました。では、本気でおめかしするとしましょう。」
「だーかーらーっ!!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐケルシュのことを軽くあしらいながらクリエは着替え用のカーテンを下ろし、その中でテキパキと彼女の着替えを進めていく。
文字通りひとり蚊帳の外のレンスタは、カーテンの内側から聞こえる二人のやり取りに気まずそうな顔をしている。
いくらこの邸の使用頭とはいえ、当主の次に身分の高いケルシュが着替えているすぐ側で待つのも良くない気がしてきた。
「あっ!レンスタ、話を遮ってごめんなさい!着替えが終わったら話を聞くわ。」
「は、はいっ。」
突然呼びかけてきたケルシュの声に、レンスタの心臓が飛び跳ねそうになる。
先程のクリエの言葉を聞き流していなかったことも、使用人である自分のことを気遣ってくれるのも、名前で呼んでくれたことも、その全てに鼓動が速くなった。
これまで感じたことのない、驚愕の中に喜びが混ざって心がくすぐったいような不思議な感覚がした。
「お待たせ。」
支度を終えレンスタの前に現れたケルシュは、冬らしいベルベット地の黒のロングドレスを身に纏っていた。
広く開いた首元は白のレースで覆われており、その上から小ぶりのブルーダイヤが付いたネックレスを付けている。
軽くまとめ上げた銀髪は敢えて両脇に後毛を出しており、普段は可憐な見た目のケルシュから妖艶な雰囲気が漂っている。
「…素敵です。」
あまりの美しさに気付いたら心からの賛辞を口走っていたレンスタ。慌てて両手で口を塞ぐ。
使用人は主のために尽くすものであり、個人の感情を言葉にすることは良くないとされている。
女主人に対しては旦那様のために教育する立場にあるため、一定の距離を保つという暗黙の了解があるのだ。
そんな使用人として基本中の基本をものの見事に破ってしまったことにレンスタの瞳から光が消える。
「ありがとう。」
一方、レンスタの言葉を真っ直ぐに受け取ったケルシュは、大輪の花のような笑顔で微笑んだ。
その後ろで腕組みをしたクリエがうんうんと満足げな表情で頷いている。
「でもクリエ、これはやり過ぎだわ。ダイテン様のお色一色じゃない…いつの間にこんなドレスを仕込んでいたのよ。」
「旦那様に伺って参りますね。」
「…やめて忘れて今の話無かったことにして。」
遠回しに、ダイテンが用意したドレスだと告げられたケルシュは頬を赤く染めて視線を外した。
背後からクリエが微笑む気配がしたが、反応したら負けだと無視を決め込んだ。
「もういいわよ。レンスタが褒めてくれたからこれにする。」
「まぁ。私もたくさんの賞賛の言葉を口にしましたのに。」
「クリエのは面白がってるのよ!」
「ふふふ。」
話の中に聞こえた自分の名前に、レンスタがビクッと肩を震わせる。
「レンスタ、それで話って」
「ケルシュ様、失礼いたします。御夕飯のご用意が出来ました。」
ケルシュがレンスタに向き直ると同時に、使用人が呼びに来た。
「…ごめん、もう行かないといけないみたい。」
「いいえ。たいした用事ではございませんので。私もこちらで失礼いたします。長居してしまいすみませんでした。」
申し訳なさそうに眉を下げるケルシュに、レンスタは綺麗な姿勢で深く頭を下げた。
彼女の横を通り過ぎてドアに向かう瞬間、ケルシュは声を潜めて声を掛ける。
「そうだ、レンスタ。今度ここで一緒にお茶しましょう。私の部屋ならバレないし、私も同世代と話せたら嬉しいもの。今日は来てくれてありがとう。楽しかったわ。」
大袈裟なほど大きく手を振ったケルシュは、笑顔のまま部屋を後にした。
「不思議なお方です…」
「あのままが一番だと思いませんか?少なくとも私は、これからもずっとケルシュ様はケルシュ様であってほしいと思っています。」
レンスタはすぐに言葉が出て来なかった。
目の前で起きたことが自分の常識とかけ離れており彼女は放心状態に陥っていた。
しばらく経った後ようやく、クリエの言葉にゆっくりと頷いたのだった。




