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何もかもが合わないこの世界で  作者: いか人参


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今後の話


軍人として長年訓練してきた経験を存分に活かし、気配を限界まで縮小した上で音を立てないよう細心の注意を払って床に踵を付ける。


戦場とは異なり瓦礫ではなく毛並みの柔らかい絨毯が敷かれているため難なく音を吸収してくれた。

幸いなことに、夕飯時ということも重なり、使用人のほとんどは一階の厨房かダイニングルームに出入りしているためこの辺りに人の気配はない。


目的地の手前、大きく息を吸い呼吸を止めてドアノブに手を掛け慎重に扉を開ける。




「おい、どこ行ってたんだよ。」


僅かに空いたドアの隙間から、鬼の形相で仁王立ちしているキルトが視界に入った。


脊髄反射でドアを閉めようとするダイテン。だが、予想していたキルトが一拍先に反応し、さっと厚底の革靴を滑り込ませてそれを阻止する。



「ちょっと別の場所で仕事を…」


「馬の速さなら1時間前に着いてるはずだろ。どこで道草食ってたんだ。」


「……………裏の森を二周ほど。」


「お前ってやつは…信じらんねぇ…」


ダイテンの前に帰還したケヴィンから事の顛末を聞いていたキルトは、主が帰宅しないことに不安を覚えていた。


どうせ大したことのない理由だろうとケヴィン達には伝えていたが、隣国と接するこの領地ではいつ何が起こってもおかしくはない。

部下たちには飄々と軽口を叩きながらも、ひとり心配していたのだった。


そして、期待を裏切らないダイテンの「至極どうでもいい理由」に脱力し、ソファーに背を預けるようにしてガサツに座り込んだ。




『本当のことを言わなくて良かった…』


瞑目したダイテンは、キルトの心配などよそに己の判断の良さに内心安堵の息をついていた。


ケルシュとの相乗りが楽しくなってしまい、つい調子に乗って森の中を5周ほど連れ回してしまっていたのだ。


チラリとキルトのことを見るダイテン。

全く目を合わせず疲れ切った様子の彼に、ダイテンは徐に部屋の隅に置いてあったワゴンへと近づく。

紅茶を淹れようと、並べられた茶器と茶葉の入った容器に手を伸ばした。



「いい。俺がやる。」


いつの間にか隣に来ていたキルトはダイテンに対して手で追い払うような仕草を向け、紅茶淹れの役を奪い取った。

逡巡するダイテンのすぐ横で、キルトはテキパキと手を動かすとあっという間に紅茶を2杯淹れ終わり、茶菓子まで用意していた。



「で、後の処理はどうするんだ?」


テーブルにティーカップを置いたキルトは、ダイテンに向けて話しかけた。

立ったままだったダイテンもキルトの向かい側のソファーに腰を下ろす。



「まさか火刑に処すなんて言わないよな?」


「ああ。100年前の法案で禁じられたからな。」


「おい……………………」


いつもの調子に戻そうと軽口を叩いたキルトだったが、予想よりも本気の声音で返答が来たため思わず半眼で睨み返した。


そんな通常運転のダイテンはいつもと変わらず優雅に紅茶を啜っている。



「ケルシュに力でねじ伏せては駄目だと言われた。それではいつか不満が溜まり皆の感情が暴発してしまう。だからそれ以外のやり方で認めさせないといけないんだと…」


「ほう…面白いことを言うんだな。だが、確かに一理あるかもな。で?具体的な案はあるのか?」


「ケルシュの魅力を皆に理解してもらう。」


「それ、お前が嫉妬の鬼になって周りの奴を斬りまくる末路しか見えねぇ………」


口にしようとしたティーカップを置き、キルトは両手で頭を掻きむしっている。

「ああもうこんな奴に聞いた俺が馬鹿だった」とぼやいてるが、言われているダイテンはどこ吹く風だ。


紅茶を一口啜ったキルトは気を取り直して話を元に戻した。



「ひとまず平和的な処遇としては、領地の返還及び他領地での強制労働ってところか。辺境伯の婚約者に不敬を働いたんだ。ケルシュ嬢がなんと言おうとそのくらいの罰は最低限必要だ。」


「本当なら、鉱山送りにしてやりたいのだが…」


「……それも法律で禁止されてる。」


キルトはため息混じりに答えた。


彼はケルシュが刃物を突きつけられた事実を知っていたが緘口令を敷いていた。

彼女自身からの強い要望でもあり、キルト自身もダイテンの暴走を止められる自信がなかった為だ。


うっかり実行犯を殺しかねないダイテンに代わり、キルトが秘密裏に地下牢での拘束及び尋問をケヴィンへと命じていた。

こちらのリスクを冒してまで命を取るつもりはなく、法に抵触しない程度に精神的に追い込むことにしたらしい。



「キリージュ家に対する罪状と王宮に提出する書簡はそれぞれ既に送付済みだ。早ければ明日中には執行されるだろうよ。」


「ああ。」


既にやるべきことを終えていたキルトだったが、ダイテンが驚く様子はなく、軽く頷くだけであった。

己の補佐官の仕事の速さと気の回し方には慣れていた。彼が具体的な処遇の話を出したということは、もう手を回しているのだろうと思い話を聞いていたのだ。


普通は上の指示を待って行動すべきであるのだが、長い付き合いの二人の間には阿吽の呼吸があった。



「それと、」


キルトは意図的に言葉を区切ると、ダイテンに視線を向けて来た。

何を言わんとしているのか分かってしまったダイテンが嫌そうに視線を逸らす。



「分かってる。」


キルトが言葉を続けるより早く、ダイテンが先手を打つかのように言葉を発した。



「俺、まだ何も言ってないんだけど?」


「察しはついている。」


「俺はただ、もうすぐお前らの結婚式かぁって感慨深く思ってただけだって。」


「小癪な。」


「自覚があるなら結構。優秀な補佐官にこれ以上心配をかけないでくれたまえ。」


わざとらしく大仰に答えたキルトは、空になった二つのカップを持ってソファーから立ち上がった。

茶器のあったワゴンの上に戻すとベルで使用人を呼び片付けを指示した。



「さてと、どっかの誰かさんのせいでまた山積みになった仕事でもやるか。」


大きな声でわざとらしく嫌味を言い放ったキルトは、机に向かい書類の処理を始めた。

左から右に素早く動いていく瞳と澱みなく動き続けるペン、相変わらず仕事の処理能力の高いキルト。


ダイテンはまだソファーに座ったまま、心ここに在らずの表情でただぼんやりとキルトが手を動かす様を眺めていたのだった。



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