通称インナーパーティー
キリージュ伯爵家で開かれる本日の茶会は、この国では通称インナーパーティーと呼ばれる女性主催の会であり、主催者のごくごく親しい同性の友人か同じく同姓の親族のみが招待される。
ケルシュの場合は次期辺境伯夫人という身内枠で、アルシュベルテ家の分家に当たるキリージュ家から招待を受けていた。
今回はキリージュ伯爵家長女のカラリア・キリージュが主催したものであり、彼女が17ということを鑑みて格式高いものではなく同世代の集まりのような気軽なものだと考えていたケルシュ。
多少の嫌味は覚悟をした上で、集まり自体は以前のアルシュベルテ家主催のパーティーよりも気安いものだろうと予想していた。
そして、馬車から降りてすぐ、彼女の予想は何一つ当たっていなかったと後悔することになる。
「嘘でしょ……………こんなの聞いてないわよ…」
クリエの手を借り、キリージュ家の使用人の案内で邸内にある大広間に足を踏み入れたケルシュは、思わず声を漏らした。
幸いなことに、人の話し声や食器を運ぶ音が喧しく、ケルシュの小さな声が他の者に聞こえることはない。
野生の防衛反応で右足を一歩後ろに引いたケルシュ。だが、それを見越したクリエが彼女の背中に力強く手を添える。
「ケルシュ様、楽しんできてくださいませ。」
使用人の参加は認められていないため、この場から出て行くしかないクリエは努めて明るく声を掛けた。
そして、ケルシュに向かって有無を言わせぬ笑顔を向けると、そのまま静かに部屋から出て行った。
「く、やられたわ…………」
大勢で賑わう大広間に一人取り残されたケルシュ。天井から吊るされたシャンデリアの眩い光にすっと目を細める。
他の参加者達はケルシュと同世代の男女から親世代の者達まで、大広間には実に様々な人で溢れかえっていた。
そして参加者達は皆一様に男女ペアとなっており、グラスを片手に楽しげな雰囲気で談笑している。
この状況はもうインナーパーティーではなく、ただのカクテルパーティーであった。
そのような状況下、入り口付近に一人立っているケルシュに視線が集まる。
チラチラと好意的ではない視線をよこしては、周囲の人達とこそこそと話をしており、嫌な雰囲気が広がっていた。
ケルシュのことを可哀想に思ったのか、ギャルソン姿の使用人が白葡萄ジュースの入ったグラスを手渡してきた。
微笑でグラスを受け取った彼女は、比較的人が少ない会場奥に移動して壁際に寄った。相変わらず、不躾な視線が飛んでくる。
「はぁ…」
口角を上げて顔に笑顔を貼り付けているものの、口からはどうしてもため息が漏れ出てしまう。
落ち着かないケルシュは、大して欲しくもないジュースを喉に流し込んだ。
こんな幼稚な嫌がらせをして一体何が楽しいのかしら…
主催者の方はよほど私のことが気に入らないのね。
こういう視線には慣れているつもりだったけれど、今自分が「辺境伯の婚約者」として見られていると思うと何とも言えない気持ちだわ…
彼のために、それらしい女性であるべきなのでしょうけれど、今この状況でそんな振る舞いをするなんて無理よ。かと言って、ここで逃げたらアルシュベルテ家の顔に泥を塗ることになるわ。今までなら秒で逃げたけれど、もうそうはいかないのよね。
ここにダイテン様がいてくれたら、こんな視線に晒されることは無かったのかしら…
壁に背を預けたまま、後ろ向きの思考を繰り返すケルシュ。
惰性で傾けたグラスだが、しばらくして中身が空であることに気付く。
「……あの中に取りに行くのは気まずいわね。」
ケルシュは遠目に映る、楽しそうな人たちの輪を見つめた。
彼らは互いに華やかな笑顔を向け合い、優雅に談笑している。絵に描いたような上流貴族のパーティーであった。
とはいえ、空になったグラスでは流石に居心地が悪い。考え直したケルシュは飲み物の代わりをもらうため、意を決して壁から背を離した。
足を踏み出したケルシュの目の前に、飲み物の入ったグラスが差し出された。
「え…」
突然のことに驚いたケルシュが足を止めて顔を上げると、にっこりと微笑み掛けてくる瞳と目が合った。
「ケルシュ・トーレン様ですね?わたくし、この会を主催しましたカラリア・キリージュにこざいます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。」
ブロンドヘアの彼女は肩を露出したベアトップの真紅のドレスを着ており、その上から黒のレースで出来た羽織りを掛けている。
整った顔立ちだが丸い瞳のせいかキツい印象はなく、柔らかさを感じさせる魅力的な雰囲気を持つ。
カラリアは、驚いて固まるケルシュに向かってこてんと首を傾げた。カールした長いまつ毛で不思議そうにケルシュのことを見上げてくる。
「え、ええ。ケルシュ・トーレンですわ。此度はご招待下さり誠にありがとうございます。お会い出来て光栄です。」
戸惑いながらも、なんとか挨拶の言葉を返したケルシュ。カラリアに差し出されたグラスを無意識に手に取る。
「こちらこそ、お会い出来て嬉しいですわ。わたくし、兄妹がいなくてずっと姉様が欲しいと思ってましたの。だからケルシュ様のことをお聞きした時に本当に嬉しかったのですわ。あの…もし宜しかったらわたくしと仲良くしてくださいませんか…?」
不安そうに瞳を揺らしながら上目遣いで見てくるカナリア。
ぎゅっとスカートの裾を握りしめる手は僅かに震えており、庇護欲を掻き立てられる。
カナリアの言葉にガッツリと心を鷲掴みにされたケルシュは、勢いよく両手で彼女の手を取った。
「もちろんよ!私も弟しかいなくて、ずっと妹が欲しいと思っていたの。だから私も仲良くしたいわ。」
「ありがとうございます。嬉しいです…。」
嬉しそうにはにかむカナリアも、応えるようにケルシュの手を強く握り返した。
感情が昂ったのか、握りしめる手の力が収まる気配はなく、その強さは増す一方であり尋常ではない力を込めてくるカナリア。
しっかりと握り返された手に痛みを感じてようやくケルシュは異変に気付いた。
「えっと…?」
どうしていいか分からず、ケルシュが困った顔でカナリアのことを見ると、彼女はクスッと笑い声を上げて振り払うように手を離した。
ケルシュから視線を外すして大広間に集まる参加者達に目を向ける。
「ケルシュお姉様はダイテン様にお断りされてお一人で参加したのですって。皆様ケルシュお姉様にどうかお優しくして下さいまし。主催者からのお願いですわ。」
よく通るカナリアの声は大広間全体によく響き、参加者の耳に届く。
言い終えた彼女は顎を上げ勝ち誇ったような笑顔を向けてきた。
「は…………………」
状況が理解出来ずに固まるケルシュの手から力が抜け、飲み物の入った状態のグラスが床に滑り落ちた。
ガラスの割れる音は、カナリアが見せた優しさに対する大勢からの拍手によって掻き消された。




